7話 秋来るは前菜の山
<"Souki"side>
* * * * * *
――森の奥。
想鬼は木の陰に身を潜め、鋭い視線で酒呑童子を窺っていた。
「……ガキの頃とは雰囲気がまるで違ぇ。けど……この匂い、間違いねぇ……親父だ……」
ポツリと呟いた、その直後。
シュッ――!
突風が頬をかすめ、反射的に振り向く。
「なっ……!?」
そこには、無表情の酒呑童子。
次の瞬間、鋭い回し蹴りが腹に突き刺さった。
「ぐはっ!」
想鬼の体は二本の木を突き破り、地面に叩きつけられる。
肺から息が抜ける痛みに顔を歪めながらも、彼は立ち上がった。
「くっ……マジで容赦ねぇな……」
両拳を打ち合わせ、気合を込める。
「だったら、俺も――本気でいかせてもらうぜ!」
次の瞬間、想鬼の全身が赤い炎のようなオーラに包まれた。
「……」
酒呑童子は無言。
だが、その気配は嵐のように膨れ上がり、一瞬で距離を詰めてくる。
想鬼の両腕が膨張し、握った拳に茶色の金棒が形作られる。
人の子ほどもある巨棒を振り下ろし――。
「おらぁっ!」
――空を切った。
シュッ!
酒呑童子は紙一重でかわし、背後へと瞬時に回り込む。
「逃すかぁ!」
振り返りざま、想鬼は金棒を横薙ぎに振るった。
だが――。
ドゴォンッ!
重たい衝撃と共に、彼の体は再び吹き飛ばされる。
(……なんて力だ……!)
歯を食いしばり体勢を立て直そうとした瞬間、右手側に酒呑童子の顔が迫る。
ドガァッ!
腹を蹴り上げられ、想鬼の体は空へと打ち上げられた。
「ぐっ……! クソがっ!」
空中で回転しながら体勢を整えた、その時――。
視界の隅に、何かが映った。
同時に、記憶の底から父の声が蘇る。
『……つい最近、妖怪の仲間から聞いた話なんだが……別の世界の“酒呑童子”は、酒の誘惑に負けて、源家に殺されたらしい』
それは、秋の山。紅葉が地を覆う修行場での、何気ない休憩中の会話。
“酒が好きすぎて殺された”
そのどうしようもない逸話を、想鬼は鼻で笑い飛ばしていた。
――だが今、この状況で。
地面に叩きつけられ、仰向けに空を見上げながら、想鬼は静かに目を細めた。
「……親父の話はつまんねぇって思ってたけど――こんなところで役に立つとはな……」
次の瞬間――。
想鬼の頭上に、酒呑童子が影のように現れた。
振り下ろされる踵。
想鬼は冷静に身をかわし、そのまま駆け出す。
「ここにいるのが、どっちの世界の親父かは知らねぇが――!」
背後から酒呑童子が迫る。
鋭く振り上げられた脚が、想鬼の背中を狙った。
だが想鬼は咄嗟に金棒を背後に差し込み、蹴撃を受け止める。
「うおっ!?」
衝撃で前方へ吹き飛ばされたものの、ダメージは最小限。
想鬼は不敵に笑った。
「ありがとよ、親父! 行きたい方に蹴ってくれてさ!」
着地した先は、ちょうど森の外。
辺りを見回し――
「えっとぉぉ……どっちだ?」
わずかな隙を、酒呑童子が逃すはずもなかった。
「やべっ!」
想鬼は真上に跳び、飛び蹴りを紙一重で回避。
空中で姿勢を整えたとき、視界に一軒の古びた神社が飛び込んできた。
「お! あった!」
声を上げた瞬間――背に激痛。
酒呑童子の蹴りが直撃し、想鬼の体は神社へと叩き込まれた。
轟音。
縁側に大穴を開け、想鬼は倒れ伏す。
その前に、静かに降り立つ酒呑童子。
拳には血管が浮き、今にも殺意を振り下ろさんとしていた――その時。
ギィィィ……
背後の引き戸がきしみ、内側に倒れ込む。
「……!」
視線が向いた先。
そこには――積み重なる十樽以上の酒。
……。
酒呑童子は一歩、また一歩とふらつきながら歩き出す。
そして想鬼を素通りし、樽の一つに両腕を回すと――。
ガポポポポ……ゴク……ゴク……。
渇き切った獣のように飲み干していく。
一樽。二樽。三樽。
空の樽が音を立てて転がり、手は次の酒へ伸びる。
――五つめに差しかかった、その瞬間。
ガシッ!
首根っこを掴む手があった。
「よお……狙い通り飲んでくれて、ありがとな!」
そこには血まみれの顔で笑いながら、背後に“力拳”を溜めている想鬼がいた。
酔いの回った酒呑童子は、防御のために腕を上げようとする。
だが――
「……!」
反応が遅い。腕が思うように動かない。
「おらぁぁぁぁぁっ!!」
想鬼の拳が、酒呑童子の鳩尾へ深々とめり込む。
「がはぁっ!?」
酒呑童子の体が空へと吹き飛び、空中で何度も回転する。
その体を追って、想鬼は跳躍した。
そして、真上から押さえつけるように拳を振りかぶる。
「戦いってのはな――!」
脳裏をかすめるのは、師匠……いや、父の言葉。
『欲を押さえ、頭を使えなきゃ……』
「勝てねぇんだよ! この酒ジジイ鬼が!!」
叫びと共に、渾身の拳を叩き込む。
――ドカァァァァン!
炸裂する一撃。
酒呑童子は地面へと激突し、爆音と衝撃で森の木々が揺れた。
なんとか起き上がろうとするも、腕は逆方向に折れ曲がり、うまく立ち上がれない。
「……!」
その隙を逃さず、空中の想鬼は金棒を構え――振り下ろす。
――ドンッ!
金棒が大地を叩き割り、その衝撃で酒呑童子は完全に沈黙した。
「はぁ……はぁ……」
想鬼は傍らに大の字に倒れ込み、肩で息をした。
「やっと……終わった……が……」
思い出すのは、空中で拳を叩き込んだ瞬間に視界へ入った光景。
「……嫌なもん見ちまったな……」
イヤイヤながらも立ち上がり、ふらつきながら神社へと歩みを進める。
「九つの蛇みてぇな頭……」
脳裏に浮かぶのは――酒呑童子にも匹敵するほどの知名度を持つ、伝説の怪物。
「……早く加勢しなきゃだよな」
そう呟き、顔を上げて深くため息を吐いた。
* * * * * *
──一方その頃。
アリアとレノーラは、異形の怪物――姦姦唾螺の前に立ち尽くし、緊張の中で唾を飲み込む。
「あれは……なんという類の化け物だ……?」
レノーラの問いに、アリアが低く答えた。
「本で見たことがある……確か、あれは――」
その瞬間。
姦姦唾螺が蛇の下半身を大きくうねらせ、地を這うように前進した。
次の刹那、周囲の景色が黒く染まり――その姿が掻き消える。
「――都市伝説。ある妖怪が書いたとされる本に描かれた、異世界の化け物の一種だ」
アリアの言葉と同時に、二人の全身に冷たい殺気が突き刺さった。
それも、まったく別の方向から。
「む!?」
「おりゃっ!」
二人が同時に防御体勢を取った瞬間――
アリアの視界に映ったのは、六本の腕を持つ女の上半身をした異形。
そのうち一本の腕が、アリアの杖をがっちりと握り締めていた。
一方、レノーラの目に飛び込んできたのは――
自らが生み出した黒き魔剣と打ち合う、巨大な蛇の尾。
異様な速度と力を備え、まるで知性を持つかのように彼女の剣へ攻撃を繰り出してくる。
「こ……これは……!」
「なんなのだ……コイツはっ!」
二人は瞬時に跳躍し、背中を合わせるように距離を取った。
「ふん……お前なんかと共闘するのは不愉快だが、今回は皆のためにも付き合ってやろう」
「よく言うね。本当は仲良くしたいくせに」
「ち……違うわ……!」
レノーラは顔をしかめて否定するが、その頬にはかすかな赤みが差していた。
「まあまあ。そんなどうでもいい口論は――コイツを倒してからにしようか!」
「どうでもよくはなかろうが……いいだろう」
レノーラは剣を高く掲げ、そして改めて名乗りを上げた。
「我が名はレノーラ・ヴィセント! この世界で繁栄を誇る、偉大なる吸血鬼の一人! そして――」
視線を前方にいる姦姦唾螺と、アリアの前に現れた化け物へ向ける。
「知略と叡智を司る魔女、アリア・グリッター!
お前らを打ち倒すは、偉大なる吸血鬼と魔女である!」




