3話 酒呑童子の息子
「幻妖鏡?」
忍が疑問の声を上げると、鏡屋は掲げていた手を静かに下ろし、頷いた。
「そう。妖怪や、彼らから人々を守る異能力者たちが暮らす世界――それが、ここだよ」
朔は顎に手を当て、考え込むような仕草をしながら、ゆっくりと問いかける。
「……さっきはつい納得してしまったが、よくよく考えたら意味がわからない。パラレルワールドって、人間が普通に認識できるもんじゃないだろ? しかも、ちゃんと名前がついてるって……なんだよそれ」
困惑気味に言葉を漏らす朔に対し、鏡屋は苦笑を浮かべた。
「まぁ……正直に言うと、この世界のことを僕も完璧に理解してるわけじゃない。そもそもこの“幻妖鏡”の話は、とある妖怪から聞いたものでね。僕がさっき話したのは、彼の言葉と自分の観測が一致していた部分だけ。それ以外の詳細は、その妖怪本人から直接聞いてもらうしかないかな」
朔が眉をひそめたのと同時に、メイが小さく呟く。
「……なんだか、信憑性に欠ける話ばかりですね」
その瞬間だった。
神社へと続く石段の方から、ひょろりとした男の声が風に乗って届いた。
「お〜い、神主さ〜んよぉ!」
全員が声の方へと視線を向ける。
石段の下から現れたのは、一本の槍でも担いでいそうな雰囲気の青年だった。
綺麗な黒髪が靡く額からは手のひらほどの大きさのツノが二本、堂々と突き出している。
「ちょいと頼みがあって来たんだが……って、客人がいたのか」
青年は忍たちを順に見渡す。
「お、“噂をすれば”ってやつだ。ちょうどいい」
鏡屋は彼の姿を確認するなり、忍たちの方へ振り返り、青年を示した。
「彼はね、さっき話に出てきた酒呑童子の“息子”、想鬼君だよ」
あまりにも突然の紹介に、三人は思わず固まる。
「ん? 親父の話でもしてたのか?」
想鬼が不思議そうに首をかしげると、忍が驚きで顔をこわばらせながら、震える指で彼を指さした。
「え……? む、息子ぉ? 妖怪が子どもを作るなんて、聞いてないんですけど……」
その疑問に、鏡屋が補足するように一言加える。
「まあ、息子というよりは……弟子、なんだけどね」
「なんでそんな回りくどい言い方をするんだよ」
朔が訝しげな表情を見せると、鏡屋は頬をかきながら思い出すように言葉を続ける。
「彼……つまり酒呑童子本人が、想鬼君のことを“息子”と呼んでいたからさ。想鬼君も彼のことを”親父”と呼んでいるし」
「弟子……ね」
忍は小さく呟いた。
鬼という存在は、基本的に自己中心的だ。特に強い鬼ほどその傾向は顕著であり、弱い者を見下し、いじめ、除け者にするのが当たり前。
だからこそ――弟子を持つなどという行為は、鬼の常識から大きく外れているように思えた。
だが同時に、そんな異端さを持ってこそ“語り継がれる鬼”になるのかもしれない。
自分の欲や衝動を制御できる存在こそ、伝説に名を残すほどの強さを得るのだろう。
もしかしたら――この世界で頼朝に勝てた理由もそこにあるのかもしれない。
伝説にある「酒を飲ませて酔った隙を突く」という作戦が通じなかったのは……酒呑童子自身が“酒好き”という誘惑に打ち勝ち、飲まなかったから。
そう考えると、鬼の王の異質さが、少しだけ理解できる気がする。
その時、想鬼が何かを思い出したかのように鏡屋へ話しかけた。
「そんなことより大変なんだよ。俺ん家の近くで、魔女と吸血鬼が大喧嘩しててさ。なんとかしてくれねぇ〜か?」
鏡屋はぱちぱちと瞬きをし、苦笑を浮かべる。
「ほんと、あの子たちはとっても仲がいいんだから……。わかった、麗奈をそっちに向かわせよう。いいね?」
その言葉に、麗奈は一つ頷いた。
「かしこまりました」
鏡屋は軽く手を挙げて「あざっす」と礼を言う。
その時、メイが不意に声を上げた。
「あの……私も、その……喧嘩の仲裁、ついて行っていいですか?」
その申し出に、麗奈は露骨に嫌そうな顔を浮かべる。
「……なんですか」
「いや、何も……」
視線を逸らした麗奈との会話をよそに、朔が口を開いた。
「いやいや、まずは元の世界に帰る方法を探すのが先だろ。てか神社の掃除、まだ終わってねぇし」
だが忍は、ニヤニヤと笑みを浮かべながら朔の方へと近づいていく。
「いいじゃ〜ん? ちょっとついて行くくらい。まだ午前中だし、午後までに戻ってこれば大丈夫でしょ?」
「のんびりしすぎだろ……」
朔が呆れたように言うと、忍は親指を立てながらキラリとした笑顔で告げた。
「というわけで、朔くん! 君を『元の世界に戻る方法を探す係』に任命します!」
「お前、ついて行きたいだけだろ!」
「ぐへぇっ!」
朔が忍へ頭に強めのチョップを入れると、鏡屋がメイへと問いかける。
「……で、メイちゃんはどうしてついて行きたいと思ったのかな?」
シンプルなその質問に、メイは顔を伏せて、静かに答えた。
「……私は、最近妖怪になりました。でも……妖怪がどういう存在なのか、正直まったく分かっていません。普通に暮らしていたら、知る機会もあまりないと思うんです。だからこそ——」
そう言って、ぱっと顔を上げる。
「ここで、ちゃんと知っておきたいんです!」
その真っ直ぐな言葉に、鏡屋は目を見開いた。
「なるほど……ごもっともな意見だね。うん……」
ふっと息をついたあと、口元に苦笑を浮かべる。
「ただ……その煌びやかな目さえなければ、もっと共感できたんだけど……」
メイの瞳は「学びたい」よりも「見てみたい」という好奇心に満ち満ちた輝きを放っていた。
鏡屋は肩をすくめ、麗奈に向き直る。
「麗奈、この二人も連れて行ってあげな。ただし——早く戻ること。客人を危険に晒してはならないよ」
「……わかりました……」
渋々ながらも、麗奈は了承する。
一方で朔も、不満げに口を開いた。
「分かった……。とにかく、迷惑だけはかけんなよ」
「もちろんっ!」
忍は満面の笑みで答える。
「ちなみに、俺に了承は求めないのか?」
想鬼が自分を指さして尋ねると、鏡屋はあっさりと言い放った。
「君は助けてもらう側だからね。拒否権はな〜し」
「だよな〜」
そんな調子で会話は終わり、神社を後にする一行。
先頭を歩く想鬼の後ろに、麗奈、メイ、そして忍が並ぶ。
「行ってきま〜す!」
忍が手を振りながら元気よく声をかけると、朔は苦笑しつつ軽く手を挙げて応えた。
「ああ。行ってらっしゃい。気を付けろよ」
忍たちが石段の向こうへと消えるのを見届けた朔は、ゆっくりと鏡屋へ歩み寄る。
「それじゃあ、元の世界に返す方法を探そうか」
「……ああ。なんか、ありがとな。それと、さっきは荒ぶって変なこと言って申し訳なかった」
素直に礼と謝罪を述べる朔に、鏡屋はにこやかに笑った。
「別に構わないさ。最近は仕事も参拝客もなくてね。暇を持て余してたところだったんだ」
「そうか。ならよかったよ」
二人は軽く笑い合い、再び歩き出した。




