マトリョーシカ
初投稿です。お手柔らかに
解釈はご自由に
何の変哲もない授業中に窓側に座っている私の視界の端に何かが映った。バッとそっちを向くとそこには窓しかなかった。横から横へ移動する何かであればよかったのに、不運なことに何かは上から下へと移動していった。とても嫌な予感はしたが今は授業中。誰かが何かに気づくまでこの変哲もない授業は続いていく。
なんだっけこれ、なんかあったような。シュレーディンガーの猫だっけな。箱を開けるまで結果は決まっていないみたいなやつ。そんな感じ。
何かが落ちたことは分かってるけど見るまで何が落ちてるのかわからない。ましてやクラスの人たちは落ちたことすら知らない。今誰も下を見なければ何も確定しない。ずっと不確定のままなのだ。そもそも知るべきなのだろうか。見なければ今が確定しないことなんて。見る意味はあるのだろうか。見なければきっと幸せかもしれない。ずっと疑問を持ち続けるのも一種の快楽である。だからこそ小説などでは最後に答えを出さずに匂わせて終わったりする表現もある。
...うん。多分授業中に考える内容じゃないな。
変哲もなさすぎる授業に飽きた結果だ。シュレーディンガーの猫は箱を開けるが、先生たちは生徒のマトリョーシカ状態の箱を一回開けて満足している。こっちのほうがシュレーディンガーの猫よりうんとたちが悪い。
なんて名付けよう。マトリョーシカの生徒とか。
開けたら開けただけ全く違う考えが出てくる。結局の答えは最後の箱にしか入っていない。
だから何を考えてるんだ授業中に。下に何かが落ちただけでここまで考える必要なんてないはず。なのに考えるのは授業のせい。
とここで思考を止めればいいものを。というかまだ誰も何かが落ちたことに気づいていない?おかしい。そろそろ気づかないといけないのに。あ、気づいた。外から声が聞こえる。結局寸分の狂いもせず今日もまた変哲のない授業が続いていく。
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