第二話 忘れモノのハナシ
人物描写が圧倒的に少ないので、想像しにくいかもしれません。
ですがそれがデフォルトです。読んでくれる方はご了承ください。
さらさらさら・・・
雪が降っていた。
積もるほどではないが、季節外れの真っ白な雪。街の所々で街灯の光を受け、キラリと光っている。
天気予報では明日は晴れである。
雪は積もることもなく、まるで幻だったかのように明日には消え去っている事だろう。
幻想はいつか消える。
それに、少し寂しく思った。
ガラス張りの窓の向こうではすでに夜がふけている。
暦の上ではすでに春となってはいるが、今夜が少々肌寒い。窓に向って息を吹きかけると、そこだけ真っ白にくもった。
窓にはゆらりゆらりと踊っている人影が四つ、この時代では珍しい暖炉の中の焚火の動きに合わせて踊っている。
人影は四つ、窓に息を吹きかけた真っ白な少女、椅子の上でうとうとと眠りそうな少女、その少女に毛布をかける初老の男性、そして細かな細工が施されたロッキングチェアをただ静かに揺らしている少女。
その中でパチリパチリと、燃える薪がはねる音だけが響いている。
「カトル、お茶を用意して」
その静寂を破り、少女が口を開いた。それに男性は「かしこまりました」と答えて、静かに消える。紅茶を用意しに行ったのだろう。
クスッと、少女がうれしそうに笑う。
チリン・・・
軽やかな音が響いた。
「いらっしゃい・・・お久しぶりね」
「久しぶり、か。俺には解らん言葉だな」
そう言って、まだ幼く見える少年はロッキングチェアに腰かけた少女の、最も近くにあった椅子に腰かけた。
「だが、社交辞令でも交わされる挨拶であるとは知っている。久しぶりだな、ティエリア」
「ふふ、貴方も相変わらずね、トウキ」
「名前がおかしい、毎回のことだがな」
いや名前はあってはいるのだが、イントネーションが違うため全く違う名のように感じてしまう。指摘するが彼女は「いつものことでしょ」としれっとしている。
「いらっしゃいませ、透貴様。アイスティーをご用意しました」
心なしか、少しムスッとしたところで初老の男、カトルがグラスに入った飲み物を差し出した。中に入った氷がカラリとなる。
「カトルか。相変わらず用意のいいことだ」
「それはお嬢様にこそ、お願いいたします」
少年はふんと鼻を鳴らして、グラスからストローを抜いてその中身を一気に飲み干した。
「まったく、もう少し味わったらどうなの」
ティエリアもカトルからアップルティーを受け取りながら、あきれたような声を出す。
「時間をかけようがかけまいが、たいして味は変わらんだろう」
「あら、以前は味などどうでもいいと言っていなかった?」
タラリと、憮然とした表情の少年の額に汗が浮かんだ。おそらく、そう言って食べさせられた料理の味を思い出したのだろう。
その証拠に、彼の視線は毛布をかぶって気持ちよさそうに寝ている少女の方に動いている。
ティエリアはくすくすと笑っていたが、なにか不思議そうに入口の方を眺めた。
「あら・・・エル、少し軽いものを作ってくれないかしら」
「(こくっ)」
窓のそばでじっと、こちらを眺めていた少女がトコトコと奥へと向かった。
「なにかあったか?」
「いいえ、大したことではない、と思うわ」
「ふん、まあいいが」
「それはともかく、今年はどんなお話を聞かせてくれるの?」
「聞かせるような話もない。おまえは何が聞きたいのだ。はるか北の地で凍え死んだ人間の数でも知りたいか」
「・・・実際に数えていたのなら聞くけど」
「なら来年聞かせてやろう」
「・・・数えてないじゃない」
「ふん、冬の世界に変わりなどない、と言いたいところだがな、またいくらか減ったようだ」
「そう・・・仕方がないと言えばそれまでだけど」
「とくにいなくなっても問題ない輩だ」
それにただ、「そうね」と応えた。
チリン・・・
「客か・・・?」
「ええ、常連というやつね」
自分が入ってきたときにも鳴った鈴の音に、入口へと目を向けた。
「どうぞ近くに、外は寒かったでしょう?」
「まったく・・・冬は出歩くこともなく静かに眠っていたいものだ」
「ああ、冬はただ眠り過ごすのが正しい」
軽やかな、ほんの微かな足音を立てて彼が近づいてくる。
「珍しい。とんと見ない珍客ではないか」
少し歳を得たようなテノールの声が言った。
それに思わず貴方が言うなと口に出しそうになったが、此処はそういう場所なのだから言っても仕様がないと、肩をすくめて返事代わりにした。
「珍しいか・・・そう言うお前も冬に出歩くとは何事か、炬燵にでも入ってぬくぬくとしていればいいだろう」
「ふん、冬はもう終わりだというのに未練がましく残っている貴様こそ何事だ」
どうやらこの二人の相性はあまり良くないらしい。
「まあまあ、ちょうど食事もできたようですし、夜食はいかが?」
いつの間にか先ほど奥へと消えたエルと呼ばれた少女が三皿ほど盆に載せて戻ってきている。その皿の上にはサンドイッチが乗っていた。柔らかな自家製のパンにレタスとトマト、それにシーチキンが挟まれている。
カトルがその辺にあったテーブルを動かし、エルがそれぞれの前に皿を置く。
「アンリ様、ホットミルクなどいかがでしょう」
さらに今さっきテーブルを動かしたばかりのカトルがホットミルクと、アイスティーをテーブルの上に置いた。
「ふむ、悪いな」
「いえ、お気になさらず」
そして、さすがにテーブルを動かしていた気配に気づいたのか、気持ちよさそうに眠っていた少女、ディアが目を覚ました。
「あれ、お客さん?って、なんだアンリか。そっちはトウキだっけ」
「ふん、客に向かう気心が足りんな小娘」
「いや、今さらあんたにそんなもん持てないわよ」
カタ、と音がした。見るとエルがディアの隣に腰をおろし、起きた拍子に落ちた毛布を自分がまとった。少し冷えたらしい。
「まあ、トウキは毎年のこととしても、アンリは何の用よ?」
「もう、ディアったら。一応こんなのでもお客様なんだから」
「・・・おい」
「あら、失礼」
ティエリアはごまかすようにサンドイッチを一口かじった。
「ふん、まあいい。だが相変わらず好きにやっているようじゃないか」
「それほどでもありませんよ」
「たとえば、季節外れの花火が上がった河原で男が自殺していたりな」
「あらあら・・・こんな時代になにがあったのかしら」
「・・・マスター・・・」
ディアとアンリがじと目で睨む。
睨まれている本人は悪戯が成功したような顔でくすくすと笑っている。
「まあいい、ああ、いいとしようとも。お前が好き勝手にやっていようとな。しかしそんなお前に朗報だ」
「朗報?」
「依頼だ。お前好みかどうかは知らんがね」
「依頼、ですか。あなたが?」
「ああ、北の夜行からの仲介だ」
その時、彼らの頭には「ははは」と笑いながら足跡も付けずに雪の上をひた走る変態の映像が思い浮かんだ。
「気が進まないっていうか、それ聞いただけで嫌なんだけど」
「いくら暇を持て余しているとはいえ、彼の依頼はちょっと・・・」
「良いのではないか?俺には解らんが意味のない行動をするのが心の余裕というやつなのだろう」
本気で嫌そうなディア、辟易とした感のティエリア、ものすごい心配そうな顔をしているエル。しかし透貴は空気を読まない、というか読めない。彼に変態とかいう概念が理解できないだろうからしようがないのだが。
「安心しろ。本人の依頼ではない。実質取り仕切っているその部下の依頼でな」
「取り仕切ってるって・・・」
「頭が体力馬鹿の変態では下が苦労するそうだ」
「な、なるほど」
それで何故あの変態が頭になっている訳は、単純に強いからだ。彼が頭であることが気に入らない者が徒党を組んで排除しようとしても「はははははははh」と笑いながらちぎっては投げる変態に、誰も挑戦したがらなくなった。
ちなみに、彼のどこが変態であるかは、とても言えない。
「気が進まない、というか本気で進まない、というかむしろ本気で嫌ですけど、一応話だけでも聞かせていただけるかしら?」
「まあ、そうだな。一応聞いてくれ」
とある山奥の話だ。
最初は、何気のない話でしかない。
あるとき一人が言った、「誰だっけ?」。
どうしても、見覚えがある気がするが思い出せない友人の名前。
それだけなら単に物忘れで済んだだろう。
しかし、村の中では、これを無くした、それを無くした。あれが思い出せない。
そういう話が多くなった。
それだけなら偶然が重なっただけの、後に笑い噺にでもなる話だっただろう。
「だっただろう、っていうことは、それだけじゃ済まなかった?」
「その通りだ」
初めは何気ないことだった。そう、忘れても問題ない、忘れても仕方がないことを忘れただけだった。
しかし、
「貴方誰?」
初めは縁の遠い友人だった。次第に隣近所の顔が思い出せなくなった、親友の存在を忘れた。そして、家族を忘れた。
「それが一人ならば痴呆で済んだが、これがその村で多発してな。しかも少しずつその被害は増えていった。終いには自分の家を忘れ、自らのことさえ忘れたらしい」
「自ら?」
「そう、自分のことが解らない。自分がどうすればいいのか解らない。そして彼らは自分が生きる方法すら忘れた」
症状が進行した者の末路は、息をするのを忘れた窒息死だったらしい。
そして、いくらなんでもこれはおかしいと感じた村人が外に助けを求めた。
「なんでも人の間じゃあ、なにかの伝染病ではないかと言われている。まあその村の人間だけですんだのなら御の字だが、終いには村の外でも被害が出たとかで、さすがに見過ごせないということでこっちに話が来た」
「待って、何故こちらに依頼が来たの?仮にも夜行なら自ら解決するものでしょう」
「そりゃあ、そうだが、不幸なことに北は人材がな・・・そもそも頭が頭脳労働は苦手、そしてそれが得意な上位陣は奴が就任して逃げたし、それで調査に向かったのは中堅以下だったらしいが、そいつら程度じゃ物忘れが酷くて調査にならなかったんだと」
なるほど、それは確かにヤバ気な話だ。
エルなどは不安な顔でディアに寄りかかっている。おかげで窓に映る焚火の影は三つに見えた。
「中堅以上ならどうだったの?」
「そりゃあ、一応、忘れることはあるらしいが、少なくともほとんど問題ないレベルらしい。単に元から調査能力がないだけで。まあ、それでどこかに依頼するという話になったらしいんだが、さすがに他の夜行に頼るのはまずいんでフリーの中じゃぴか一に優秀なあんたに話が回ったってことだ」
経緯は解った。しかし、
「その事件より、北の状態のほうがまずい気がするのは気のせい?」
「触れてやるな。あの頭でメンツも何もないだろうが、一応矜持はあるらしい」
「何が違うのよ?」
「ワシが知るか」
最近いい話は聞かなかったが、どうやら北は墜ちるところまで墜ちたらしい。
「まあいいわ、割がいいかどうかは分からないけど、少なくとも今ならまだ依頼料踏んだくれそうだし」
金にがめついわけでもないだろうに。しかし依頼を受けるということは少なからず興味がもてたのだろう。
「それで場所は?」
「それは幾山の山中だ」
「幾山?」
それまで黙って聞いていた透貴が疑問の声をあげた。
「ん、そうだが、それがどうした?」
「いや、先日消えた奴もその辺に棲んでいただけだと思ってな」
「な?!まさかそいつに・・・」
「どうだか、少なくとも自然に消えたと感じたがな」
カタリと、椅子を鳴らして彼は立ちあがった。
「そろそろ行かせてもらう」
「突然ね。今年はあまり話は聞いてないけど」
「来年には今年凍死した人間の数を教えてやろう」
「・・・あなたも律儀ね」
それだけ。それだけ言って透貴は消えた。
「ワシも言うべき事は言った。おいとまさせていただこう」
アンリが立ち去る。トコトコと、やはりほとんど足音は立てない。
「マスター」
「なに?」
客が去って静寂が戻った中、ディアが口を開いた。
「本当にやるの?」
「あら、不安?」
「そ、そんなんじゃないよ!たんにエルが不安そうだったから」
ディアは、まるで怖がっているようなエルを支えていた。
「大丈夫よ、二人とも。たぶん私には効かないし、私と繋がっているあなたたちも大丈夫よ。それに一応護りは固めていくし」
ティエリアは安心させるように二人に微笑んだ。
「それとも二人ともお留守番する?」
「ば、バカにするなよ!」
「(うるうるうる)」
「ふふ、じゃあ、私たちも行きましょうか」
カラン・・・
この夜になってから、初めて出入り口の扉が開いた。
いつの間にか、すでに季節外れの雪は終わっていた。
そして翌日、彼女たちは山登りをしていた。
「うう、ま〜だ〜」
「まだまだ、別にそれほど疲れていないんでしょう?」
「そうだけど、気疲れはするの。もう、電車が・・・せめてバスがもっと通ってれば」
「地方の寒村に何を求めているのよ」
「そもそもカトルが車出せなかったのが悪いのよ」
「しょうがないじゃない。カトルは私ほどの耐性ないし、それに一人くらい留守番も欲しかったから」
「それでも、効果範囲外まで送ってくれたら・・・」
ただ進むだけの行為に、早くもディアが飽きたらしい。
隣にいるエルにはそんな様子はないが、珍しく部屋から持ち出した黒張りのやけに立派な日記帳をぎっちりと抱きしめている。いざとなったら日記の角が武器になりそうだ。
「それにしても。物忘れするって、結局何が原因なの?」
「さあ?それを今から調べに行くんじゃない」
「でもマスター、予想くらいは付いているんじゃないの?」
「予想だけならいくらでも立てられるわ」
「例えば?もし本当にこれが原因で透貴の眷族が消えたなら、本気でヤバいでしょ」
「そうでもないわよ。確かに彼らは寿命も長いし、滅多なことでは死なないけど、絶対にないってわけじゃないんだし。とくに今回のこととはちょっと相性が悪い。彼らが一般に死ぬっていうのは、彼ら自身の意思が消えるということよ。透貴も死んだ、じゃなくて消えたって言っていたでしょう。それは本当に存在が消えたわけじゃなくて、自分自身のことが解らなくなって自然と一体になった彼らを、私たちは消えたと言うの」
「解らなくなって?」
「そう。自分自身の形やあり方を、長い時間の中で忘れたとき彼らは消えるの。もしかしたら今回の物忘れに巻き込まれて自分を失ってしまったのかもしれないわ」
「マスターは大丈夫なの?」
この言葉に思わずクスッと笑ってしまった。
「ちょ、笑うことないでしょ」
「いいえ、嬉しかっただけよ。それに大丈夫よ。私は特に精神面に強い耐性を持ってるのよ。それに出かける時も護符を刻んだでしょ」
「そ、それなら別にいいんだけど」
「ええ、それに多分今回の物忘れは共感呪術系の呪いだと思うから、最悪でもパスをバッサリ切っちゃえばいい。あ、その時下手に離れていると貴方達とのパスも紛れて切れちゃうかもしれないからできるだけ近くにいてね」
「・・・もしかして、だから連れてきたの?」
微妙におびえているエルを連れ出してまで。
「そうよ。最も本当に共感呪術だったら、下手をすると私たちのパスを伝わって貴方達も影響を受けるし。それならいっそ連れてきた方が安心でしょう?」
「・・・心配して損した」
「あら、心配してくれたの?」
「してない!断じてしてないからね!!」
「うふふ〜」
「わ、笑うな〜〜!!」
この二人の掛け合いに安心したのか、エルはほっとしたようにくすりと笑った。
「これは、酷い(笑)」
「ちょ、(笑)はないでしょマスター」
「(汗)」
結構な時間をかけてたどり着いた寒村。
そこには屍累々としていた。比喩でなく。
「いや、もう笑うしかないわよこれ。原因は・・・うん、確かに精神負荷を感じるし・・・無差別の呪波汚染ね。たぶん犯人自身も自爆してるわ、絶対」
村人はおろか、救助に来たと思しき救急隊員や調査員の姿もある。これはもはや世間的にバイオテロでも起こったと発表した方が良いのではないだろうか。起こるはずのないテロを警戒するか、あるはずのない病を警戒するか。どちらもどちらだが形のない病を警戒する方が難しいだろう。誰だってこのようにはなりたくはないだろうし。
実際、この目の前にある死体は酷いものだ。
死体なら見慣れているとはいえ、さすがにこの死体には。そう、いくらスプラッタな現場を量産したことがあったとしても、これだけは勘弁してほしい。
そう、彼らの死因は急激な心肺機能の低下による酸素欠乏だ。詳しくは述べないが、死後硬直が始まる前に筋肉が弛緩して我慢していたものが全部出るのだ。何がとは言わない。とりあえず出るのだ。
「自爆してるって、じゃあどうすればいいの。普通は術者殴って終わりなんじゃないの」
「う〜ん、一概に間違っているとは言わないけど、特に呪いを使ってくる相手には注意してね。下手をすると術者自身の死を対価にされて、殺した相手を必殺する呪法だってあるんだから」
「いや、それじゃあどうしようもないじゃない」
「まあね、呪術士を殺す一番確実なのが呪詛返しなんだけど、まあ関わりあいにならないのが一番ね。そうじゃなかったら身代わりを立てるの、例えばそこらのチンピラを使うとか、犬にかみ殺させるとか、罠をかけて自動的に殺すのもありよ。ただ、遠隔 操作は概念的にそこにパスが通ってるから、いくら直接じゃないからってやっちゃだめ」
「へえ、今まで出会わなくてよかったわ」
「今時まず会うことなんてないわよ。リスクが高すぎるもの。だって精神面への認識ができれば抵抗くらいはできるし、存在の格や力量が段違いだったらとくに何するまでもなく呪いは自動で跳ね返るし。呪いは常に術者と対象へのリスクが等価なの。呪い返しで術者が呪いを受けるのも、その呪いが大抵の場合は一方的攻撃をするようになっているから。だから返されると対象は無事だけど術者の方が害される。相手を殺そうとすれば、自分が死ぬ可能性も十分ある。ね、リスクが高いでしょう?
ただし例外が自爆系の呪い。これは自分と相手の両方を呪うから返せない。術者と対象のリスクが同じだから、術者が必ず死ぬなら相手も必ず死ななければならない。それが呪いの特性。しかも高レベルの術者になるとこれを自分の死をトリガーにできる。つもり自分の死を、殺傷という形の概念パスをたどって殺した相手を殺す。これも両者の死という形によってリスクがつりあっているから成り立っているの。人を殺すものは、殺し返される場合もある、ということよ」
「うわ、なんか壮絶・・・」
「伊達や冗談で呪術士が根暗だなんて言われてないのよ。知ってる?色恋沙汰で相手を呪ったものは、恋愛に一生マイナス補正がつくのよ」
「うわ〜・・・」
「結局のところ呪いは自分にも相手にもマイナスの要因しか与えないから。それこそ末代まで呪ってやるほど憎んでる相手がいなきゃ誰もやらないでしょ」
そうは言うが、格下相手になら非常に便利だし、直接術式を対象に刻めばリスクなんてほとんどない。なんてことは秘密だ。なぜならティエリアもたまに使っているから。
「じゃあ、今回の犯人もなにかを相当恨んで、恨んで・・・どうすればこんな被害になるの?」
「術式が媒体か身体に刻まれていて、効果が無差別だったんでしょうね。もしくは漠然とした何かが対象だったか。普通ならこんな強い効果にならなかったでしょうけど、術者が受ける、もしくはすでに受けたそれに見合う呪いをこの近くにいる全員で分けたなら、本来なら微々としたものでしかない」
「それならどうして?」
「答えは簡単よ。単に術の代償がそれだけ大きかったっていうこと。例えば同じ痛みを与えるにしても、魔力を大量につぎ込むとか、別の対価を追加で払うとか、例えばそれに見合う大きな代償だったか」
今回の事件は忘れること。つまるところは代償も記憶である可能性が高い。しかし、これだけの人数を忘れさせるだけで死なせるなら、普通はそれだけではありえない。
「まあ、それはともかく、術者を殴って終わらせられないならどうすればいいの」
「そうね、まず媒体があるならそれを壊して終了ということも十分考えられる。逆に壊したら危ない場合もあるけど。あとは時間がかかるけど、この周囲一帯を浄化するか、そうでなければ封印して効果が消えるのを待つくらいしかないわ。まあ、術者がすでにいない自動的の呪いなら身代わりでも立てれば大丈夫だと思うけど」
ティエリアは、呆れたように山林に目を向けた。
「まあ、とりあえず呪核まで行きましょう」
まっすぐと、もう春にも関わらずうっすらと雪が残っているけもの道を歩き出した。
「ここね」
急にティエリアは足をとめた。
「ここ?何もないけど・・・」
「よく見なさい。うっすらだけど、あなたたちなら見えるはずよ」
あたりには岩肌がむき出しになった急こう配の坂と、そこに生えた木々。とくに怪しいものはない。ディアはふと首を傾けたが、エルは何か見つけたのか彼女の袖を引いて、それを指さした。
何がある、というわけでもない。
ただ、うっすらと、ほんのうっすらと何かが見えた気がした。
「マスター、これって・・・?」
「透貴が言っていたでしょう。消えたって。正確には消えかけ見たいだけど」
「まさか、これが?」
「ええ、冬の精、たぶん雪女の類ね。何があったかは知らないけど、精霊の寿命は数千年。しかも眠ることもない。自己存在すら忘れているならその数千年の記憶が対価となってる。これなら人間程度の記憶なら全てを消し去ってもおつりは来るわ。それこそあの数でもね」
言われてみれば、なるほど、うっすらと見えるそのもやもやは女性のようにも見えた。
「でも、精霊がなんで呪いなんて・・・」
精霊は良くも悪くも受動的な存在だ。しかし自分の身すら忘れるほどに摩耗した存在が何を恨むというのか。
「別に恨んでいる訳ではない見たい。そう、忘れられたくない。そう思ってた」
「ちょっと待って、それって全く逆じゃない」
「悲しいわね。忘れられたくない、そのためには何かをしなければならない。なにか。それが漠然としすぎていたのよ。言ったでしょ最初に、共感呪術だって。つまるところ術者と対象がほぼ等しく何かを共有する状態にするのが共感呪術。何かをしようとして記憶を共有してしまったの、忘れられたくない、忘れたくないという思いが逆に人の記憶を奪うことで自分の存在を補完してしまった。だからとっくに消えても仕様がない状態なのにぎりぎりで残っている」
「そんなことって・・・」
言葉に詰まる。何故こんな悲しいことになってしまったのか。
「考えても仕方がないわ。もしかしたらこうなる前から彼女は人から忘れられていて、それが悔しかったとか、単に偶然消える寸前にそう思ってしまったか、今さら考えてもどうにもならないことよ」
悲しそうに、ティエリアは一度首を振ると、消えかけの彼女に手を伸ばした。
「どうするの?」
「・・・もう手遅れ。砕くしかないわ。精霊とは自然が具象化した存在。消えるとは言っても死ぬわけではなく、実際には意識が消えて自然に還るだけ。このままだと呪いごと自然そのものと化して、この周囲は少なくとも数世紀は呪われ続けることになる。さすがに、そんなものになるのは見過ごせない」
気が重い。
幸か不幸か、ティエリアは魂を砕くすべを持っている。真に正しい意味で精霊を殺すことが可能なのだ。
「透貴はもう去ったわ。あなたも、冬季とともに散りなさい。せめて、貴方のことは私が覚えているから」
ティエリアの手が彼女に触れた瞬間、まるでひび割れるように、細かく分断されるように、冬の精たる彼女は霊子の粒にまで分解されて消えた。
その後に、長い間この事件は人々の記憶にとどまることになる。
その寒村で起きた事件は、バイオテロだ、謎の病原菌だ、某国の新兵器だと憶測に憶測を呼んだ。死んだ彼らの死因は共通して酸素欠乏による窒息。しかし病原菌も細菌も、その原因は何一つとして判明せず、やがて現代の祟りだと云われるようになった。
ただ、その本当の原因だった名も知らぬ彼女は、自己さえも失いながらも消える瞬間に安どの表情を浮かべたという。しかし嘘か誠か、それを知るのはわずか三人しかいない。
今度こそパソコン投稿です。
しかし、家にネット環境がないorz
よって、更新不定期です。
次回予告 第三話
ワカレバナシ
「あなた・・・結局どうしたいの?」
お楽しみに(^o^)/