ペリット子爵
「え?行ってなかったっけ?僕、ギリギリまで王都には帰らないよ?」
シル様の言葉に私とノアは驚いた。
式典開催まで残り3週間。
アードラー商会としては近くに居て頂けると非常に助かる。
なんせ、衣装の仮縫いや手直しがある。
そして一番大事なのは2人の音合わせ。
何の曲を弾くのか、それも今から決める予定だった。
「てっきり2〜3日で帰るのかと。だから、俺とメイヤーさんで手分けしようかって話してたんだ。ねぇ?」
私はウンウンと頷いた。
アードラー商会の隊商が大体3日おきに街間を行き来している。それを利用して移動しようと考えていたのだ。
「シル様、お宿の方は?」
シル様の手荷物はせいぜい3日分の着替えがある程度の鞄一つだけだった。
報酬を先払いされているなら、金銭的なものは問題ないだろう。それでも3週間もの間、不慣れな街で1人過ごすのは大変なはず。
「シル、もしかして俺のとこに泊まるって言い出す気じゃないだろうな?悪いけど無理だからな?俺も楽器工房の一部屋を間借りしてる立場だからね?」
珍しくノアが必死になっていた。
何度かお邪魔した事があるけれど、確かにあの部屋に2人は狭すぎる。
「宜しければこちらで手配を‥」
私がそう提案した時、シル様は「大丈夫!」と静止した。
「つい最近、新しい知人が出来てね。その方の所でお世話になるよ」
私とノアは顔を見合わせる。
「因みに何処?何かあったら連絡したい。教えてくれると助かる」
ノアは胸ポケットから手帳と携帯ペンを取り出した。
シル様は「あぁ、そうだよね」と頷き「ただ、住所を書いたメモは鞄の中だ」とアードラー商会の建物を指差した。
「でしたらお名前だけでも。後ほど私共もご挨拶に伺いたく」
王都程ではないが、この街もそれなりに広いし、人の流出も多い。
そして正直な所、治安の良くない区画も一部ある。
もしその近くだとしたら危険。
いくらシル様のお知り合いであろうとお止めするしかない。
「挨拶‥かぁ。えっと、アンソニー・ペリット子爵って知ってる?少し前に夜会で知り合ってさ」
勿論名前は知っている。
同じ街に居を構えていらっしゃる方だから。
けれど、その方が商会のお得意様か?と、言うと微妙な所だ。
アードラー商会を運営するウルグ家は現在伯爵家位を賜っている。しかし数年前まではペリット家と同じ子爵位だった。
両家が仲違いをしている訳ではない。
お互いの得意分野が異なる為、関わり合いが少ないだけだ。
確かに子爵家なら安心だ。
だけど‥私が少し戸惑っていると
「惚れたか?」
と、ノアが唐突に言った。
えっ!?待って??
シル様はそういう‥???
「うん。一度聴いて惚れたね。すごく深いんだ音が」
「わかる。お前と相性良さそう」
私は盛大な勘違いをしていたらしい。
恥ずかしいので、コレは黙っておこう。
「でも、今回用事があるのは娘の方だけどね」
「娘?」
「確か、シル様と同じくらいのご令嬢ですね。お名前はアデリン様でしたか?」
「そうそう。メイヤーさんよく知ってるね」
ふふふっ!と私とシル様は笑い合った。
けれど、ノアの表情は真逆に曇っていた。
シル様もそれに直ぐ気づき「ノア、僕はまだ何も言ってない。早とちりするなよ」と、淋しそうに眉根を下げた。
ーーー
商会に戻り、シル様は手荷物の鞄から手紙の束を取り出した。
そこに押された封蝋は確かにペリット子爵家の物で、筆跡は2人分。
その内の片方はシル様が先程仰った、娘のアデリン様の物だろう。
ペリット子爵家。
この街の警護や、王宮騎士を輩出する家系として知られる。そして音楽にも通じており、王立楽団に所属する者や、教師を務める者もいるという。
シル様は封筒の中から手紙を取り出し、それをノアに手渡した。
「アデリン嬢にお会いするのはこれから何だけど、ペリット子爵経由でお手紙を一度頂いてから、何度かやり取りをしててね」
ノアは困惑の表情を浮かべて戸惑っている。
「人の手紙を見ろって?」
「いいから見て。君ならわかるよ。メイヤーさんには‥わからないかもね」
勧められ、ノアは渋々といった様子でパラっと開いた。そして私は隣から覗き込む。
「!?」
「あらぁ?」
そこに文字は無かった。
それを読む事は出来ずとも、これが何なのかはわかる。
何処からどう見ても‥これは‥。
「‥楽譜」
そう、楽譜だ。
ノアはポカーンとしていた。
シル様はその表情を見て「アハハっ」と愉快そうに笑った。
「ペリット子爵に招かれて、お宅に伺ったんだよ。それで、一緒に演奏したり雑談したりね」
「あれは楽しかったなぁ〜」と、シル様は記憶を思い出して頬を緩ませた。
「その時、アデリン様とお顔合わせはしなかったのですねぇ」
普通客人がくれば、挨拶の一つくらいありそうなものだ。
「子爵曰く、極度の恥ずかしがり屋。僕と同じピアノを嗜むようだけど、あまり上手ではないらしい」
「それじゃあコレは?」
黙々と楽譜を見ていたノアが、そう尋ねた。
「彼女が作曲した。少し手直しが必要だけど、いい曲だろ?」
「そうだな。扱う楽器が違うから、この通りには弾けないけど。いいんじゃない?」
話にはついていけないけど、2人が楽しそうでよかった。
アデリン様か‥。
どんな方だったかしら。
この街で買い物をするなら、他にも色々と店がある。そして好みは人それぞれ。
昔から贔屓にしている所があっても不思議ではないものね。




