それぞれの想い。ノア
シルが時計塔広場の屋台に行きたいと言い出した時、ミリーさんは「せっかくだから2人で行ってきたら?積もる話もあるだろうし」と、ヤケに「2人で」を強調してきた。
そう言われれば大半の人は「じゃあ遠慮なく‥」と、出掛けるだろう。
だけど俺はどうしてもミリーさんに同席して欲しかった。
その理由は「ミリーさんに変な誤解をされて後々揉めたくは無い」そして「シルに黙っていた事があるから、ちょっと気まずい」この2つだ。
彼女は歳上で、これまで俺以外の人とも色々あったと思う。だけど、俺は怪我を理由にバイオリンを辞めるまで本当にそればかり‥。
学院で切磋琢磨していたシルから「音狂」と評価されたくらいだ。
口下手の自覚はある。
ついでに筆不精な自覚もね。
どう話せばいいか。
どう書けばいいかと悩んでいる間に、いつもあっという間に時間が過ぎてしまう。
先ずシルスタンから弁明しないと。
あぁ、気が重い。
ーーー
学院時代の俺は朝から晩まで練習練習。
人の顔より楽譜を見ていたと思う。
それこそ口で会話をするより、相手の音に耳を澄ませていた。
『音狂い』と、評されたのは課題曲に煮詰まり、練習室の床で不貞寝していた時だ。
不貞寝と言っても本当に寝ていたわけじゃなくて、目をつぶって頭を空っぽにしていただけ。
部屋の外から聞こえてくる、足音や床の軋み、楽しそうに話す人の声や、開けた窓から吹き込む風で幡めくカーテンの音。
そんな生活音‥雑音をただボーッと聞いていた。
だから、部屋に誰かが入って来た時も、どこか他所ごとのように感じられ「誰が」と確かめる気にもならず、俺は「寝たふり」をきめた。
今思うと大変失礼な事をしていたと思う。
だけどその時は本当にそう感じていて、何もかも面倒くさくなっていたのだ。
「***の?ねぇ***よ**、**呼**で」
何か言っている。
だけどまるで水の中に潜っている時の様に不明瞭で、全く聞き取れなかった。
そうこうしている内に、その「誰か」は諦めて立ち去る。
俺はその事に「罪悪感」とかも感じなくて寧ろ「静かになって良かった」と、思ったくらい。
その後本当に一瞬寝たと思う。
唐突に響くグリッサンドで俺の目は一瞬で覚めた。
そしてその後に続く旋律を聞いて、指がピクッと動いた。
何故って、それは俺に出された課題曲のピアノパートだったから。
音の発生源であるピアノに視線を向けると、そこにシルがいた。
いつの間に?と、驚愕した。
「シル‥スタン?何で‥」
俺の問いにシルは呆れ顔を見せた。
そして適当な音をポロポロと鳴らしながら「信じられない。本当に馬鹿」と、軽快なリズムで罵ってきた。
何故そんな事を言われなきゃいけないんだ?
最初はカチンと来たが
「この練習室に篭ってから丸2日目。その前も、ろくに食事を摂ってなかったって?」
心配されているのだと気づいて謝った。
「んんん‥そう‥だっけ?ごめん」
「それはクリスティーナに言いなよ。彼女心配してわざわざ僕の所に駆け込んで来たんだ。『ノアが変だっ!』てね」
「クリス?あ〜‥そういや、さっき誰か来たような?」
以前彼女から手作りクッキーを渡された事がある。作りすぎたから、皆に配っているのだと言っていた。だから俺は気にも留めずいたわけだけど。
シルスタンは「はぁ〜‥」と、深いため息をついた。そして「何て可哀想なクリスティーナ!あんなにわかりやすく!好きアピールをしているのにっ!この唐変木ときたらっ!」と心情を聴かせるような曲を弾き始めた。
「おぃ〜。何なんだよさっきから‥」
それは確か、最近王都で流行っているという観劇の曲。身分違いの一目惚れだか、悲恋だか‥まぁそんなヤツだったと思う。
正直ウンザリした。
身体を起こして、ぐしゃぐしゃになっていた髪を手櫛でとかすと、所々引っかかって頭皮に痛みが走った。
「痛っ!あのさぁ、特別な好意?を彼女から向けられた記憶も無いし。もしそうされていたとしても、必ず受け取らなきゃ!なんて理由にはならない」
「‥憶測じゃないよ。僕、いろんな子から相談されてるもん。本っ当ノアのどこがいいんだか、ただの『音狂』なのに」
いろんな子?それってクリスティーナだけじゃないって事か??
それよりも気になるのは最後に言った言葉の方。
「『音狂』ってなんだよ。人を変人みたいに」
「ほーら、ほらね!?普通さ、『えっ!誰ぇ!コッソリ名前教えてよっキャァ!』ってなるじゃん」
両腕をきゅっと折り曲げ、顎に軽く握った手を当てて、シルは女生徒の真似をしてみせた。
「ならないし。あとキモい」
それは女生徒達に向けてでは無い。
あくまで過剰な真似をしてみせたシルスタンに対してだ。
「っていうか‥そもそも、そんな余裕ないよ。俺は遊びで此処に居るんじゃないんだから」
この音楽院に通う大半の生徒は良家の御子息やお嬢様。さっき名前があがったクリスティーナだって男爵家のご令嬢だ。きっと親の決めた婚約者がいる。
方や俺は平民で、学費・寮費あらゆる経費の完全免除があるからこそ此処にいられる。
「最初からそんな対象として見てない。これからも見る気はない」
俺がそう言うと、シルスタンは「ハハハッ」と、笑った。そしてこちらに近づき、俺の額を指でトンッと突いて
「ノア真面目〜。上手いこと誑かして、愛人になるだとか、あわよくば婿入りしちゃえばいいのに」
と、宣った。
酸いも甘いも噛み分けた妙齢の先輩達からそう言われたならわかる。
だけどシルスタンは俺より年下。
一体どういう生活をしていたら、こんな考え方を持つ様になるんだ?と、不快を通り越して心配になった。
ややこしいことに外見は少女であるし、余計にたまった物では無い。
「シル。お前実は30歳くらい?ほら、魔法で外見が老化しない‥とかいう」
もうこの話題に触れたくない。
その思いからワザと突拍子もない事を言ってみた。
何でもいいから、この話題を終わらせたかった。
「はぁ?現実逃避しないで」
確かにそうなのかもしれない。
だけど、俺にはまだ早いよ。
「俺は、本当に好きな人と過ごしたい。だけどコレも手放したくないから‥限界まで努力する」
近くにあった楽器ケースを撫でた。
「ノア‥。君って本当に****だな」
「ん?何?」
後半は不明瞭で、聞き取れなかった。
丁度顔も伏せていて、表情も‥。
「何でもないよっ!」
パッと勢いよく顔を上げたかと思いきや、また俺の額を「グリグリグリッ!」と力一杯ねじり推してきた。
「ぁーもうっ!痛いって!やめろよ」
シルの手を握って阻止すると、彼は年相応の少年らしくニヤリと笑って、なんと今度はピョンっと馬乗りになった。
「!」
「くらえノア!秘技くすぐり攻撃だっ〜!」
時々面倒くさいくらい元気だけど、俺はこっちの方が好きだよシル。
俺より先に大人になり過ぎないでくれ。
俺は甘え下手だけど、お前はそうならないで思い切りぶつかってこいよ。
その方がお前らしいと、俺は思う。
ーーー
散々擽ぐられ、俺は更に疲労困憊。
本調子であれば対抗出来ただろうに‥腹が減ってまともに動けやしない。
絶対いつか仕返しをしてやる。
「あーもう。腹減った。まだ食堂やってるよな?」
「多分ね。僕も一緒に行こ」
楽器と楽譜を抱え、練習室のドアノブを回した。
先に着替えるべきかな?
でもな、一回部屋に帰ったらまた面倒くさくなりそう。何より腹が減ってるし。
そんな事を俺が考えていると、シルスタンがシャツの背中をグッと掴んで引き留めてきた。
その顔は真顔。
「ん?あ、やっぱり着替えた方がいーー」
「誑かすっていうのは、さすがに言葉が悪かった」
あぁ、そっちか。
「‥そうだな」
そうだよ。
さっきは咄嗟に上手く言えなかったけど‥。
「シルのその考え方に当て嵌めて考えると、俺の事もそういう目で見てるんじゃ無いかって悲しくなる」
シルは「違うっ!ノアはそんなんじゃないっ!」と即否定した。
「だけど僕らみたいな、音楽でしか生き残る術の無い人間はさ、それくらい強かでいなきゃ生き残れないと思うんだよ」
手が震えていた。
いつも元気で、周りの空気を明るくするような‥そんなシルの手が。
その瞬間、俺は嫌な噂を思い出した。
シルスタンが女装をしているのは権力者に媚びる為だとかいう。
聞いた時は「そんなまさか」と一蹴したけど、先程の話を聞いて自分の考えが揺らいだ。
「シルスタン。お前‥もしかして」
肩を掴んだ。
大人相手に、口に出す事を憚られる様な事をしてるんじゃないか?されてるんじゃないか?って。
「ノアが何を想像してるかわからないけど、多分それは違うよ」
どうやらお見通しのよう。
「妙な想像して、ごめん」
シルは「クッ」と笑った。そして
「僕は生まれてからずーーっと兄さんに媚びてる。この格好だってそうだよ。別に手段は何でも良かったんだけど、手っ取り早かったから」
確か以前に少し聞いた事がある。
腹違いの兄がいて、シルは後妻の子であると。
「僕は家督争いなんてこれっぽっちも興味がない。だけどあの人は勝手に恐れ排除しようとする。‥コレは僕が大人になるまでの鎧だよ」
生まれ育った環境の違いを、考え方を痛感した。
上手く纏まらない( ˊ̱˂˃ˋ̱ )




