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宴②

「さぁ遠慮せず飲め!なんたって今日はお前の兄貴の祝いなんだから!」


まだ空になっていないグラスへ、酒をなみなみと注がれた。


「わわっ!」


勢いあまって溢れた酒が手を伝い、服の袖を濡らした。

びっしょり‥ではないが、冷たさを感じる程度には濡れている。


「うぁ〜‥最悪っ」


ノアはジロっとその男を睨んだが、酒を注いだ当人はそれには気づきもせずワハハッと笑いながら別の同僚達に同じように絡んでいた。


ムッとする気持ちは当然ある。

けれどここで自分が声を荒げれば場の空気が悪くなるのは目に見えていた。


今日のところは堪えよう。

ノアは諦めつつも、その男を目の端でチラッと眺め「悪い人ではないけれど、さすがに酔い過ぎだな」と、思った。


今日は内輪だけの祝いの席。

これでも一応一張羅を着てきたのに。


ふーっ‥とため息をつき、ポケットにあったハンカチでトントンと袖を拭く。


こういう物は手早く処置しないと染みになってしまう。救いだったのは酒が無色だった事と今日自分の着ているシャツが濃紺だった事。


どちらかといえば酒は好きだし、強い方だと思う。泥酔をしたのは自分が記憶する限り‥一度きりだ。


左手に走る裂傷痕を見て、ぐっと奥歯を噛み締めた。


楽しい気分から一転。

鬱々とした暗い思い出が脳裏を過り、今直ぐにでもこの席を立って帰りたくなってきた。


だけど、そうはいかない理由がある。


今日の主役。

兄と約束しているから。


視線を兄に向けると彼は満面の笑みで手を振ってきた。


満面‥といっても元々糸目だから、いつも笑っているような顔に見えるけど、小さい頃から見ていた俺にはその違いがわかる。


ひらっと手を振り返すと「ノア!そろそろ一曲聴かせてくれないかっ!」と、手招きされた。


そう。

今日は祝いの曲をプレゼントすると約束していたんだ。


うっかり誰かに蹴られたりしないよう、自分の席の下に置いておいた楽器ケースを引っ張り出す。


「なになに?ノアさん弾ける人?」


隣の席にいた同僚が興味深そうにコチラを覗き込んできた。ケースの形から、弦楽器であると想像がついたのだろう。


「まぁ、昔ちょっと」


パチンっと金具を外しケースを開ける。

少し赤みを帯びた茶色の本体と、しなやかな弓がそこにはあった。


丁寧に取り出し、立ち上がると「何を弾くの?」と楽しそうに問われた。


「『月と星のワルツ』‥ピッタリでしょ?」


パチンッとウィンクして見せた。


「きゃあ!」


この地域周辺では結婚式の定番。

小さな子供からお年寄りまで、誰もが一度は耳した事があるだろう曲だ。


「それじゃ。えー‥兄貴から指名を頂いたので一曲だけ。ーーお耳汚しかもしれませんが、どうぞお付き合いください」


前半は普段通りの砕けた喋り方。

後半は商会仕込みの営業用の語り口で。


兄貴の伝手で商会に入ったのは丁度一年前くらい。言葉遣い一つで人に与える印象は変わるのだと、厳しく直された。


一同に礼をすると、拍手と指笛が鳴った。


「ふぅ‥」


深呼吸を一つして構える。

正直な所少し不安はあるが、この曲なら大丈夫な筈と思って選んだ。


ここ数日、事前練習もしたし、例え小さなミスをしたとしても‥きっと兄貴なら笑って許してくれるだろう。


今日はとにかく丁寧に、気持ちを込めて‥。


弦の上に弓を走らせた。


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