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時計塔の鴉

散々渋った結果、ノアは幾つか条件を付けて、式典参加の案を飲んだ。


「ありがとう。契約書は後日こちらに届けさせるわね。あとは‥申し訳ないけど、皆様一旦席を外してくださらない?私、アルバートと2人きりで話したい事がありますの」


「殿下‥それは‥」


カトリーヌ王女の発言を聞き、後ろに控えていた従者は意を唱えた。


「大丈夫よハインツ。何事も起きないわ」


カトリーヌ王女は扇子で口元を隠し、前方に座るアルバートを見やりながら「ねぇ?」と、同意を求めた。


「えぇ、私からは何もしないと誓いましょう」


貴族位の男女が部屋に2人きり。

しかも未婚同士という状態は本来であれば避けるものだ。


つまり従者の心配は正しい。

ただ、現状此処で王女殿下に逆らえる人物はいなかった。


ーーー


ノアも皆と一緒に退出しようとしたが、アルバートは「少し待って」と、彼を引き留めた。


「殿下、私は少し準備がありますので、一旦休憩を頂きたく」


「ええ、分かったわ。私も少し風に当たりたいし。少しだけ窓を開けてもいいかしら?」


カトリーヌ王女は窓の外を見てそう言った。


中庭が一番綺麗に見えるのは此処、貴賓室。


今日は好天。

陽光は樹々をキラキラと輝かせ、その木漏れ日が窓から部屋に落ちていた。


「それでしたら是非テラスの方へ。あちらから出られますよ」


アルバートはサッと上着を脱ぎ、それをカトリーヌ王女に羽織らせた。


それは彼女の背に対してとても大きく、男女の体格差がよくわかる光景だった。


「天気は良いですが、日影は少し肌寒いかも知れません」


「ありがとう」


無駄のない流れるような案内。

紳士そのものの行動だった。


けれどノアは何かそれ以上のもの「滲み出る親密さ」を感じ取ってモヤモヤしていた。


ーこの2人怪しい。


けれどそれを直接本人に聞けるわけもなく、後で兄かミリーにそれとなく探りを入れようか‥と悶々としていた。


ノアがそんな事を考えているとも知らずアルバートは「待たせたね」とノアに声をかけた。


よからぬ想像をしていたとは、口が裂けても言えない。ノアは怪しまれぬよう平静を装って「いえ。何でしょうか?」と、淡々と返事をした。


「式典の件、すまなかった。事前に連絡があればこちらで有耶無耶に出来ただろうが‥」


アルバートは「やれやれ」と腕組みをし、首を項垂れる。ノアはその姿を見て、心底驚いた。


ーこんな姿を見せるなんて、珍しい。

ー俺達にはいつも背筋をピンと伸ばして、堂々としているのに‥と。


「それは‥商会長が悪いわけでは。それにこんな事は今回限りですし」


ノアは少し焦りながら返事をした。

式典の件を承諾したものの、その胸中は未だ複雑な思いを抱えているからだ。


「君の兄とは多少腹を割った仲だと私は思っている。だけど、私はまだ君の事をよく知らない。まぁ‥今日一つ繋がった事はあるか」


「はぁ」


ノアは先日、商会長が祝辞を述べてくれたのは『従業員同士の結婚』だからだと思っていた。

しかし、どうやら『それだけが理由では無い』らしいと、考えを改めた。


「あの場では言えなかったけど、私も君の演奏を聴いた事があるよ、Mr.ラーべ」


「‥‥」


Mr.ラーべ。

それは時計塔の下で演奏する内に、いつの間にか付けられていたノアの渾名。

音の印象ではなく、服装が真っ黒でまるで鴉のようだかららしい。


「正直なご感想は?」


「君にやる気があるなら個人的に応援したい。けれどそうでないなら、そっと見守ろう」


アルバートの中でノアの評価は上々のようだ。


嬉しく思う気持ちは当然ある。

そうでなければ人前で演奏などしない。


「以前メイヤー君がやたら褒めていてね。近くだし、どんなものかと興味を覚えた。何たって此処の目の前だからね」


そう言って窓の外に視線を向けた。


商会本部は時計塔の真横。

窓を開ければ、いつも何かの音色が風にのって聞こえてくる。


「確かにそうですね」


「私は音楽に通じていない。だから君の事も知らなかったし、今も君の腕前がどれ程のものか分からない。けれど、何となく聴き入ってしまうような‥耳から離れない音だと思う」


ノアはアルバートの真っ直ぐな言葉に照れ「ありがとうございます」と礼を良い、ほころぶ口元を手で覆った。


「あの時はまさかあれが君だとは思いもしなかった。だけど何故秘密に?」


その言葉にノアは少し口篭る。そしてややあって


「怪我の原因は競争に疲れ、嫉妬に狂った生徒の凶行です。本来のターゲットは俺ではありませんでしたが‥そうなっていた可能性も充分あります」


「ふむ。商売でもよくある事だな」


「怖いと思いました。完全に辞めようと考えた事もあります。まぁ‥結局手放す事が出来なくて、こんな感じですけど。とにかく俺は『あの頃』と比べられたくない。『そんな手で』と、泣かれたく無い。ただそれだけです」


「だから何者でも無いMr.ラーべな訳か?」


ノアは笑って「そう!」答えた。


王立音楽院は王都にある。

商会本部があるこの街とは離れているが、楽器工房の豊富さから関係者が訪れら事は多い。


だからノアは正体を隠す為に顔に鳥型の仮面をつけ、帽子を被り、上下真っ黒の服を着て演奏していた。ついでに逆手のバイオリンまで使って徹底的に。


その結果、突如現れた正体不明のMr.ラーべと呼ばれるようになった。


彼が黒を選んだ事に意味はない。

目立たないように‥と、思って何となく選んだ結果、逆に印象深くなってしまっただけだ。


「先程カトリーヌ殿下にも伝えましたが、こんな手でも簡単な曲は弾けます。でも技巧を求められる難曲は無理です。引き受けておいてなんですが、俺は期待に添える自信はありませんからね」


どうやら式典では逆手では無く、利き手で挑むらしいと知り、その徹底ぶりにアルバートは「クククッ」と愉快そうに笑いながら、彼の肩をパシッと叩いた。


「その心配は無用だ。君も分かっていると思うが、あの人は本命のシルフォーネを引っ張り出す事。当日共演になるか、それともピアノのソロになるかは君次第だよ」


ノアは当然その事を理解している。

けれど本当にそれだけでいいのか?と、少しの葛藤もある。


「‥商会長はどちらをお望みですか?」


「勿論、共演。なんなら件のシルフォーネを食うような演奏を聴けたら楽しいな。『あれは誰だ』と噂になったら、私はMr.ラーべと正式に契約を結ぶよ」


「それは‥勘弁してください。俺は名を明かすつもりなんて無いんですから」


「おや。その為の翼だよ?鷲の翼であれば鴉の一羽くらい余裕だ」


そう言って、アルバートは両手を広げて見せた。


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