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商会長室

アードラー商会の長‥もといアルバート・ウルグ伯爵が義姉トレッサを伴って会長室から出てきた。


ミリーが商会長室に急ぎ飛び込んでからおそらく1〜2分。「急ぎのお客様」だと聞いてはいたけれど、その対応の速さに驚いた。


一体どんな重要人物なのだろう?今の俺では想像もつかない。


頭を下げ「お疲れ様です」と声をかけた。


経験と実績、信頼を少しずつでも積み重ねていけば、いつか重要な会議に参加する権利を得られるかもしれない。


けれど今の俺は所謂新参者。

その道のりが険しく長い事は想像に易い。


この商会に在籍して10年?程経っているいる兄ですら、その域に達していないのだから。



「ノア?どうしたんですか、わざわざこんな所に」


顔を上げると2人とも心底不思議そうにこちらを見ている。


あ、しまった!


会長達からすれば一般従業員がわざわざ来る=緊急連絡。

それも所謂ベテランの仕事で、余程緊急出ない限り、下っ端の自分が来る事は無いのだから。


「あ、いえ。申し訳ありません!その‥会長にではなく、ミリっ‥んメ‥メイヤーさんと少し約束をしておりましてっ!」


慌てて背筋をびっ!と正した。


『メイヤー』とはミリーさんの苗字だ。

仕事中なのに、うっかり『ミリーさん』と普段通り名前で呼びかけた。


因みに俺は皆から『ノア』と名前で呼ばれる。何故って、兄貴や義姉さんと被ってしまうからだ。


ちょっと苦しかったかな?

彼女との事を変に勘繰られなければいいけど。

そうじゃ無いとミリーさんに‥怒られてしまうかも。


「ミリーとですか?彼女ならまだ向こうにいますけど‥一体何の用事?仕事上あなた達が関わることは無いと思いますが」


不信感を露わに、怪訝な顔で俺を睨んできた。


ヤ・バ・い!

何か‥何か良い言い訳は無いかっ!?

背中に嫌な汗がダラダラと流れた。


「えーと。いや、最近ちょっと仕事の相談?とか親身に聞いて貰ったりしてまして?」


「そういう事はグループ長のヨーナスにするべきでは?」


「うちの班って男ばかりでしょ?俺達では気づかないような女性目線の意見を聞いてみたいと思いまして‥」


「‥本当に?」


「ほ、本当です」


今、此処でミリーを待っている理由は嘘だが、商会の先輩格として時々相談をしているのは本当。


義姉から少し目を逸らすと、今度は商会長と目が合ってしまった。


「!」


それはそれで緊張‥なのだが。


ん?あれ?気の‥せい?

いや‥絶対気のせいじゃない。


商会長は俺達のやりとりを傍観し、楽しんでいるように見えた。


嫌。笑ってないで止めて下さいよ。

お願いですから。


「トレッサ。気になる気持ちは分かるが、それくらいにして先を急ごう」


俺の祈りが通じた?

それとも本当に急いでいた?

おそらく後者だと思うけれど、商会長は義姉を置いてスタスタと歩き出した。


「はい!申し訳ありません!」


義姉は商会長を追って歩き出した。その後ろ姿を見てを俺はホッと一息つく。


しかし、それは束の間だった。


商会長は何故か途中で歩みを止め振り返り「ノア・オイゲン君。君に頼み事がある」と良く通る声で俺の名を呼んだ。


「何でしょう?」


「君とメイヤー君がこれから共に昼休憩だと分かっているんだけど。その上でお願いしたい事があってねーーー」


「‥何なりと。私に出来る事でしたらーー」


ーーー


会長から預かったミリーさんへの伝言は『ホール接客は別の従業員に任せる。だから君はいつでも対応出来るように、待機しておく事』だった。


ミリーさんと義姉さんは商会長の補佐的な役割をしているらしい。何かあれば、休日でも呼び出されるというし。


その後、手招きされ義姉に聞こえぬよう耳打ちされた話の方が俺には大事だった。


『予定を狂わせて済まないね。メイヤーは仕事熱心で、公私はキッチリ分ける人だ。この埋め合わせはいつか用意しておこう。今回は‥君が彼女の機嫌をとってくれると助かる。最近君達は随分仲が良さそうだし、出来るだろう?』


ミリーさん。

隠したかった気持ちはわかりますが、どうやら商会長にはバレているようですよ?


「まぁ、俺にはこれもご褒美みたいなもんですけどね」


とりあえず、この事は黙っておこう。


ーーー


会長室。

実は2度目の入室だ。


前回は兄に連れられ「これから宜しくお願いします」と短い挨拶だけですぐに退室をした。


正直にその時は緊張が強く、周りを見る余裕は全く無くて。逆に兄は慣れて余裕のある、堂々とした態度をしていて、とても格好良く見えた。


そして今日は主不在の室内を改めてじっくり見まわす。


調度品、敷かれた絨毯。

何処を見ても一級品ばかり。


「うわぁ‥」


思わず感嘆の声が漏れた。


「ふふ。とても良い部屋でしょう?この部屋にある物は全部、商会長が自ら選んだの」


最近は兄と共に客先に出向く機会が増えた。

そうしていると、やはり感性の良し悪しが透けて見えてくるようになった。


身につけている服や宝飾品もそうだが、一番わかりやすいのはやはり部屋。


一つ一つの物は素晴らしいけれど、調和が取れていない部屋。

逆にそうでもない素朴そうな物でも統一感があって纏まっている部屋。


それは老若男女関係ない。

まぁ。

整っているから良い人‥とも限らないけど。


とりあえず商会長の感性は好きだ。

目立ちすぎず、地味になりすぎず。

色や形の配置が良いと思う。


「配色が良いですね。下手したら重く暗くなりそうなのに」


上座に堂々とある執務机を見た。


「あれね」


同じく彼女も執務机に目を向ける。


一見何処にでもあるようなどっしりとした体躯。ただし、その絶妙な色合いのおかげで重苦しさは無いのに存在感はたっぷりある。


まさにこの部屋の主役。


「良い色合いですよね。無垢材に近い色だと部屋全体は明るくなりますが、執務室らしさが無い。かといって黒だと今度は重すぎる。まぁ、壁や絨毯を入れ替えれば‥どうにかなるかもですが」


ねぇ?と、ミリーさんに問いかけると彼女は嬉しそうに笑った。


「私もそう思う。そうそう、会長があの机を選んだ理由はもう一つあるのよ。‥それついては守秘義務で言えないけど」


ミリーさんは唇の前に指を立て『内緒』と、片目を瞑る。


「!」


彼女は何の気無しにそうしているのだろうけれど、俺はつい凝視してしまった。


白い肌。

細い顎。

彼女の唇を彩るオレンジ寄りの口紅と、その傍らにある小さな黒子。


触れたい。


衝動的に手を伸ばし指先でその唇触れると、彼女は「‥し、仕事中」と言って、俺の手を押し退けた。


その頬と目元は赤く染まっていて、嫌がって拒絶したのではないと良くわかる。


「そうでした。じゃあ、続きは帰ってからね?」


押し退けてきた手をそのまま握り込み、指の腹でスリっと肌を撫でる。すると彼女はビクッと身体を震わせ「バカっ」と、小さな声で抗議した。


その後ついでに軽い蹴りも。


「痛い。ごめんなさい」


彼女はどう思っているかわからないけれど、俺は案外こういうじゃれ合いが楽しくて好き。


「もう。ノアはいつもふざけるんだから」


そしてその後に足を擦り寄せてくる可愛い彼女が堪らなく愛しい。


カコッ。

大理石の床に靴の当たる音。


そして捕まれた腕。


「あっ」


どうやら勢いで脱げてしまったようだ。

ミリーさんは俺の腕を支えに、片足立ちになっていた。


「やだもう。ごめん、ノア。ちょっとだけ腕を貸して?」


「待って、手伝う」


今日のヒールの高さは10センチくらいだろうか?スラリと背の高い彼女がそれを履くと、男と変わらない位置に顔がくる。


履き直しやすいよう屈み、靴と彼女を支える。


「ありがとう」


「いえ、俺のせいなんで」


「‥そうね。そうだったわ」


ヒール。

華奢な見た目からは想像出来ない凶器。

本気で怒らせ踏まれないようにしないと。


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