第60話 絶対に超えられない壁は、勝手に壊れてしまう 前編
紗香は実家のリビングに立っていた。
テレビでは、シャッキリしたスーツを着たおじさんが話している。
いかにも『自分は知識人ですよ』と言いたげな、自信に満ち溢れた姿をしていて、周囲の出演者は真剣な表情で聞いている。
至極真剣な雰囲気だけど、よくよく聞くと話の中身が全くなくて、知識人が喋っている間にCMが挟まった。
多分、ワイドナショーなのかな。
パパもママもこういう番組が好きで、実家ではニュースかワイドナショーしか見た記憶がない。
多分、これは夢なんだと思う。
ベッドの上で見ている、ちょっとした夢。
悪夢のような明晰夢。
リビングを見渡すと、懐かしい光景が目に入った。
タンスの上に飾られた、大量の写真。
全部家族写真で、ほとんどは学校に入学した時のものだ。
様々な写真が並べられているけど、なにひとついい思い出が浮かんでこない。
とっくに忘れたつもりだったのに、ここまではっきり覚えている自分の脳が少しイヤになる。
写真は笑顔で撮らないといけない。
思い出はいいものとして残さないといけない。
ずっと、両親にそう強要されてきた。
ふと、お姉ちゃんの写真が目に入った。
これは大学の卒業式かな?
キレイな晴れ着を身にまとっていて、そこらへんのモデルにも負けない美貌とスタイルをしている。
「…………お姉ちゃん」
紗香のお姉ちゃんは完璧で、この世のなによりも大好きだった。
パパとママは、どっちも高校の教師をしていた。
同じ学校に赴任した時に恋に落ちて、そのまま結婚したらしい。
とても立派な人たちで、今ではパパは教頭までやっているらしい。
なんで他人事みたいに言っているのかというと、家族との縁はほとんど切っているから。
実家で一番嫌いなのは、やっぱり厳格すぎる教育だった。
アニメを見たらバカになる。
漫画を読んだら勉強ができなくなる。
ゲームをしたら犯罪者になる。
かなり古風というか偏見にまみれた考え方で、子供っぽいことは何もかも禁止されていた。
そんなことを本気で考えていて、実践するような人たちだった。
正確にはママが率先してそういうことをしていて、パパは文句を言わずに放置している感じだった。
漫画もアニメも満足に与えられなかった紗香は、学校でも孤立だった。
話を合わせられないから友達もまともにできなくて、ずっと図書館で本を読んでいた。
特別本が好きだったわけじゃないけど、読書ぐらいしか心安らげることがなかったから。
「なんでそんなにダメなの!?」
今でも、ママの金切り声は覚えている。
テストで悪い点数を取ると、近所中に響く声で怒られた。
「もっと勉強しなさい!」
一度も、ちゃんと勉強を教えられたことがなかった。
授業を聞いていればわかるでしょ、って言われても、当時の紗香は「ごめんなさい」としか思えなかった。
そんな幼少期に耐えられたのは、お姉ちゃんがいたから。
「大丈夫。紗香はかわいいんだから」
よく、そう慰めてくれた。
お姉ちゃんは6歳年上で、紗香のことはいっぱい甘やかしてくれた。
「お姉ちゃんは紗香のこと大好きっ!」
頬ずりをするなんて当たり前。
「紗香ー。紗香ー。呼んだだけだよー」
ほっぺにちゅーは日常茶飯事。
「紗香が生まれてきてくれて、お姉ちゃん幸せだよー」
まるで両親からの愛を埋めるみたいに、いっぱいっぱい好きと言ってくれた。
そんなお姉ちゃんのことが紗香も大好きだったし、お姉ちゃんがいればまだ頑張れる気がした。
でも。
でも――
同時に、お姉ちゃんのせいで死にたくなったことも何度もあった。
「お姉ちゃんは出来たのに、なんでできないの!?」
それがママの常套句だった。
「あなたはお姉ちゃんより顔もよくないんだから、勉強ができないでどうするの!? 本当に私の子供なの!?!?」
じゃあ、同じように産んでよ。
お姉ちゃんだけでよかったじゃん。
なんで紗香を産んだの?
「もういいわ。姉の出涸らしね」
そう。
紗香は出涸らし。
いいところは全部、お姉ちゃんが持っていった。
だから、さっさと捨ててよ。
そんなに憎そうな目で見ないでよ。
紗香はサンドバックになるために産まれてきたの?
「ママ! いい加減にしてよ! 紗香がかわいそうでしょっ!」
お姉ちゃんは紗香のために、ママに抗議してくれることが何度もあった。
だけど、ママはお姉ちゃんにはとても甘くて、お姉ちゃんの前だけはいい顔をしていた。
そのせいで、お姉ちゃんも本気で怒れなかったんだと思う。
本当に最悪なママだった。
そんな生活に転機が訪れたのは、紗香が大学に入った頃だった。
大学は実家から通える距離の場所で、そんなに学力の高いところじゃなかった。
それでもママが妥協したのは、紗香に呆れたからかもしれない。
お姉ちゃんはすでに就職していて、家から離れていて、寂しくて心細かった。
だけど、ママの束縛が少しだけ緩くなっていたのは幸いだった。
そんなタイミングで出会った。
そう。
フタナリに。




