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プロローグ 炎上ループ

 たった一言に救われた。



 きっと、そんなドラマなんてありふれている。

 心が病んでいる人間なんてごまんといて、その数だけ〝救いのドラマ〟がある。


 それでも、あの瞬間(・・・・)はオレにとって大切な記憶だ。

 今、目を閉じても鮮明に思い出せる。



――大丈夫?



 投げかけられたのは、たったそれだけの言葉だった。


 抱きしめられたわけでもなく、頭を撫でられたわけでもない。

 彼女に触れられたことなんて一度もない。

 いつも、声をかけられるだけ。


 いや、声を掛けられた、という表現は正しくないか。

 たった1文のメッセージを送られただけ、だ。


 そんな、ちっぽけなことでオレは救われた。

 救われてしまった。

 自分のことながらチョロすぎて呆れてしまう。

 だけど、しょうがないだろっ!



 当時のオレは、それだけ疲れ切っていたのだから。



 原因は特にハリの無い私生活と、精神を削ってくる仕事。

 特に仕事は酷かった。

 上司とは馬が合わず、職場にいるだけで気がめいった。

 親の伝手で半強制的に入れさせられた職場だったから、すぐに辞めることもできない。


 休みの日は、ほとんど(しかばね)のようになっていた。


 ふと気晴らしをしようにも、何をしたらいいかわからない。

 学生時代は何をしていただろうか。

 たしか、マンガを読んだり動画を見たり、友達とゲーセンに行くこともあった。


 試しに、学生時代の友人のSNSを覗いてみることにした。


 特に女気のなかったはずの友達が結婚していたり、リーダーシップを発揮していた人が今や大手企業の幹部候補だったり、地味だった人は地元の役場で働いていたり……。

 みんな、順調に人生を歩んでいた。

 

 元々影の薄かったオレは、誰からも覚えられていないだろう。

 一度たりとも同窓会の誘いが来たことないし……。


 結局嫌気が差して、いつものように動画を眺める。

 別に見たい動画があるわけじゃない。常に情報を頭に入れていたいだけだ。

 何も考えなくても、脳は勝手に考えてしまう。だから、適度に情報を与えて考えさせないようにする。

 

 青白い光を浴びているうちに1日が過ぎていて、適当にコンビニ弁当を食べて寝る。


 半年以上はそんな風に暮らしていただろうか。



 その日も、自堕落に動画を眺めていた。

 


 画面を適当にスクロールしていると、動画で彼女を見つけた。

 VTuber『一番星(いちばんぼし) 銀花(ぎんか)』の動画。

 当時はまだVTuber黎明期で、彼女は先駆者として輝いていた。


 最初は動画を流し見する程度で、特に好意的な感情なんてかった。

 「へー、こんなものがあるんだ」程度の興味本位だった。

 だけれど、人の声を聞きたいけどリアルの人間の顔を見たくないときにちょうどよかったのかもしれない。


 次の日。

 彼女の声が妙に耳に残っていた。


 仕事が終わって夕飯を食べている時、気が付いたら彼女の他の動画を見ていた。


 寝る前。

 休み時間。

 通勤時間。

 お風呂に入っている間。


 少しずつ、彼女の動画を見る時間が増えていった。

 他人が日常に入り込んでくる、奇妙な感覚。

 だけど、悪い気はしなかった。


 1週間後にはファンクラブやメンバーシップに入って、グッズもそろえはじめた。

 ボイス。

 フィギュア。

 タペストリー。

 コラボイヤホン。

 アクリルスタンドなどなど。


 今まで趣味がなくてお金がそこそこ溜まっていたから、全てを吐き出してしまった。


 ゴミだらけだった部屋は、3か月をかけてコレクション部屋に変容。

 壁一面にはタペストリーとポスターが並び、部屋の半分はガラスケースで埋まってしまった。

 

 どこを見ても『一番星銀花』。

 様々な姿の彼女が、所狭しと並んだ光景。

 オレにとっての楽園が完成した瞬間である。


 グッズを買うのが楽しい。

 今まで、お金は生きるために使うものだと思っていた。

 だけど違った。

 お金は『生活を豊かにするため』に使うべきだったんだ。


 

 彼女は、オレの生き甲斐。



 そう呼んでも過言では存在になっていた。

 推し、と言い換えることもできる。


 こうなってしまってはもうおしまいだ。

 徐々に膨れ上がっていく気持ちに我慢ができなくて、どこかで発散したくなった。

 現実には居場所がないから、必然的にネットの世界へと欲求が向かう。

 

 たまにSNSで情報収集するためだけに使っていたアカウント。

 フォロワーはエロ垢しかなくて誰ともつながっていないけど、それで十分だった。

 誰かに肯定されたいわけでも、反応が欲しかったわけでもない。

 ただ『もしかしたら誰かが見る場所』で自分の気持ちを吐き出したいだけ。


 動画の感想や、彼女への想いを書き綴っていく。

 吐き出すと、少しすっきりした。


 ある日。

 仕事が全くうまくいかずに、心が折れかかってしまった。

 暗い場所にいるのが落ち着いて、自然と涙があふれてくる。

 ほとんど無意識に、スマホに手が伸びた。


 彼女の動画を見ても、完全に心が晴れない。


 仕事を辞めたい。

 つらい。

 死にたい。

 生きている価値なんてない。

 

 ただただ吐き出していた。

 誰にも見られていないことを祈って。

 だって、他人に助けを求めるのは、死ぬよりも怖い。


 本当はアカウントに鍵を掛ければよかったのだろうけど、当時はそこまで考えが回らなかった。

 



――大丈夫?




 我が目を疑った。

 送ってきた相手は『一番星銀花』。

 彼女がオレにメッセージを送るなんて、ありえないことだ。

 彼女に言及しているメッセージなんてたくさんあって、オレのメッセージなんて埋もれているだろう。

 偶然見つかったとしても、彼女にはオレにかまう理由なんて1つもない。


 それなのに。

 だからこそ。


 その『大丈夫?』だけで、生きる気力が湧いてきた。

 さっきまで何もかもどうでもよかったはずなのに、自分に価値はあるんだって、生きていていいだって心の底から信じることができた。

 

 


 明日が、明るくなったんだ。




 でも、もう彼女はいない。


 僕の目の前で、骨だけになってしまった。


 それから2年が経ち、オレは全財産をかけてVTuber専用のマンションを建てた。

 孤独に亡くなった彼女に対して、少しでも恩返しできるかもしれないから。



 あれ?

 なんでオレはこんなに長く回想してるんだろう?


 あはは。

 走馬灯みたいだな。



「ああ……。オレのマンションが……」



 意識が現実に戻ってきた。


 顔を上げなくても、ギラギラとした光が目に入ってくる。

 鼻に焦げ臭さが入りこんでくるし、炎の熱が皮膚に染み込んでくる。

 周囲からは消防隊員のせわしない声が聞こえる。

 ストレスのせいか、口の中がひどくすっぱい。

 五感の全てが、逃避していた現実を叩きつけてきている。



「あ、あぁ……」



 燃えている。

 オレのマンションが、燃えている。


 なんでこんなことになったんだろうか。



 きっかけは、5人の入居者がほぼ同時にネットで炎上したことだった気がする。



 それ自体は、全然大したことじゃない。

 活動している限り、1回は炎上するものだろう。


 問題なのは、ネットの炎上に呼応するようにマンションまでもが燃えはじめたことだ。

 爆発音もなかったし、まるで最初からそうつくられていたかのように燃えた。


 幸いなことに、住民たちは無事だ。

 本当に、それだけが救い。

 

 どうしてこんなことになったのだろうか。

 もう頭の中が後悔と未練でいっぱいになって、どうにかなってしまいそうだ。



「オレの、マンション……」



 自然と、手が伸びていく。



「――っ!」



 指先が痛いっ! 熱いっ!?


 とっさに手をひっこめると、火が目の前に迫っていた。

 ……いや、違う。オレが無意識に近づいていたのだ。

 中指に目をやると、真っ赤に腫れあがってしまっている。



「何をやっているんですか!?」



 突然腕を引っ張られて、振り向くと泣き腫らした少女の瞳が目に入った。


 二本松綾香。

 最初の入居者だ。


 プツリ、と。

 頭の中で何か重要な線が切れた気がした。


 視界が徐々に薄らいで、傾いていく。

 自分が倒れていくのは認識できるのに、体は全く言う事をきかない。


 意識が、泥沼のように暗い場所へと落ちていく。


 世界が真っ黒に染まる刹那。

 オレは切に願う。



――ああ、この惨劇が夢だったらいいのに。




 …………………………

 ………………

 …………

 ……




「……ん?」



 うっすら開いたまぶたから、光が入り込んでくる。

 だけど、全然嫌な光ではない。

 まるで朝焼けみたいに優しい光だ。


 まぶたを開けると、青空が目に入った。

 外みたいだけど、オレは今どこに立っているのだろうか。


 確認しようとした矢先――


 

「あの、今日からこのマンションでお世話になる二本松なんですけど」

「へ?」



 振り返ると、大人しそうな少女が立っていた。

 どこかで見た顔――といより、気を失う直前に見た顔だ。


 だけど、違和感がある。

 彼女は明らかにオレに警戒心を向けている。

 まるで、初めて会ったみたいに。


 強烈なデジャヴに、視界が揺れた。


 とっさにスマホを取り出して、待ち受けに表示された数字を確認する。


 そこに表示されていたのは、マンションが燃える1か月前の――。



「……なんで?」



 自然と冷や汗がにじんでくる。

 さっきまで感じていた火災の熱が実感を伴い蘇ってきて、喉と唇がみるみると渇いていく。


 あの光景は夢だったのだろうか。

 ただの妄想だったのだろうか。

 


「――っ!」



 突然、スマホを持っている手に痛みが走った。

 舌打ちしたい気分を抑え込みながら指先に目をやると、また頭が真っ白になった。

 ヤケドで(ただ)れていたのだ。


 この時間帯にヤケドをしていなかった。

 指先をヤケドしたのは、1回だけ。

 マンションが火事になった時。



「まさか――」



 信じられない。

 さっきから信じられないことばかりで、心が全くついていけない。



「あの、さっきから大丈夫ですか?」

「うおっ!?」



 彼女から見たら、オレはかなり挙動不審に見えているのだろう。


 オレは必死に舌を回す。



「ええっと、オレたち、会ったことがありませんか?」

「あ、えっと、すみません。多分、初対面だと、思います……」



 怪訝そうな目を向けられて、オレは思わず目を丸くした。

 全く演技とは思えないし、本当に初対面と認識されているのだろう。



「……ぁ」



 カチリ、と。

 頭の中で最後のピースがハマった。


 信じられない考察が、信じるしかない確信へと変わってしまった。



――時間が、巻き戻ってる。



 振り返ると、2棟のマンションが目に入った。

 完成したばかりの、ピカピカのマンション。

 想いのありったけを込めて完成させた、命よりも大事なものだ。


 次に脳裏に浮かんだのは、住人達の顔。

 かなり癖が強くて、時々トラブルを起こす厄介な人達。

 どれだけ振り回されて、迷惑を掛けられただろうか。


 だけど、本当に楽しい日々だった。


 マンションの火事を前にした、彼らの反応はまちまちだった。


 呆然自失した人。

 倒れそうな人を支える人。

 気が狂ったように踊る人。

 ブツブツと何かを呟き続ける人。

 ゲロを吐く人。

 

 だけど、この感情は共通していただろう。



 絶望と失望。

 

 

 もうあんな想いは2度としたくないし、させたくもない。


 マンションが火事になって、時間が巻き戻った。

 今でも信じられない。

 いや、信じなくてもいい。

 これが夢だってかまわない。


 今が現実でも夢でも、オレがやるべきことを1つ。


 


 絶対に、このマンションを守るんだ。

※リアルで起きた炎上をそのまま取り扱うことはありません

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