第1話その7
ラクダのクッキーを摘まんで口に運ぶ。口の中に素朴で甘く優しい味が広がった。
『これ、意外とうまいな』
さすが幅広い層に支持されてるだけある。食わず嫌いだったことを少し後悔した。
「おいしい?」と、里桜名が尋ねる。
「うん、おいしい」
俺は頷いた。
「これ、いつも食べてるの?」
「うん、よく食べてる」
「これ、好き?」
「うん」
「そっか」
三歳児をも虜にするクッキー。さすがベストセラー商品、伊達じゃない。
「この猫、かわいいでしょ?」
「うん、かわいい」
「馬も」
「うん」
「羊も」
「うん、みんなかわいいね」
猫、犬、馬、羊、ラクダ、チンパンジー、ゴリラ、コアラ、ナマケモノ……
『どんだけいるんだよ』
確か、三十種類ぐらいいるんだっけ?
『こんなにあると見ていて飽きないな。どれもかわいいし』
「どれが一番好きなの?」
「ラクダ」
「さっき俺が食べたやつじゃん!」
「うん。私、今日はまだ一個も食べてない」
「え!?マジ?探そう!」
「うん」
俺の皿の中には……あった。
「ほら、あげるよ」
ラクダを里桜名の皿の中に入れる。
「……ありがとう」
そう言ってラクダを手に取り眺めていた。
クッキーのラクダについて二人して語る。
「このラクダは目を閉じてて笑っているところが良いの」
「確かに心安ら……なんかに安心したように笑っているね」
「うん。長い睫毛も生えてる美人さんなの」
「ほんとだ。睫毛長いね」
「ここに乗りたい」
こぶの一番上を指差す。ヒトコブラクダなのでそこが一番座るのに適している場所だった。
「ここに乗って旅でもするの?」
「うん。オアシス見に行く」
「砂漠の中にあるオアシスかぁ。いいね。俺、バナナ食べるよ」
「私、マンゴー食べる」
「魚も捕れるよね」
「鮭、食べる」
「オアシスに鮭っているかな?」
「オアシスだったらなんでもある」
「そうなのかぁ」
鮭があるかは懐疑的だったけど、三歳児の考えるオアシスなんてファンタジー。深く考えるのはやめとこ。
それからしばらく俺たちはどこかにあるかもしれないオアシスについて思いを馳せて語り合ったのだった。
意外に里桜名は喋る子だった。
『でも三歳児だったらこれぐらい話せられるよな』
会うのが二回目の俺でさえこんなに話す。
『人見知りしない子なのかな?』
それとも……、
『本当はもっと色々話したい子なのかな?』
「ねぇ、英さん……ママとはどんな話してるの?」
「今みたいな感じ」
「そうなんだ」
「うん。でも……」
「……ママとはそんなに話せられない」
「ん?なんで?」
「そんなに時間がないから」
それを聞いて俺は黙ってしまった。
『英さんは朝早く出かけて夜遅くに帰ってくるもんな』
丸々一日休みなのは日曜日だけって言ってたし。
『しかも、その日曜日ですらヘルプで呼ばれたら行くっていうね』
親子水入らずの時間はかなり少ない。
本当はもっと話したいかって聞こうとしたけどやめた。そんなの、答えはイエスに決まっている。
『ママが好きなのに一緒にいられないってかわいそうだな』
自分にはどうにもできないのが、少し歯がゆかった。
夕方5時になると英さんが帰ってきた。
「ただいま~」
と、彼女がリビングに入ってきたとき、里桜名は母親の方へ飛ぶ。英さんは飛んできた娘をそのまま抱きしめた。
「君塚さん、今日一日本当にありがとうございました」
笑顔でお礼を言われた。
「いえいえ。俺は特に何もしてないですよ」
「ううん、色々してくれた」
里桜名は小さく首を振った。そう言う娘に、英さんは「何をしてくれたの?」と尋ねた。
「お空を見てお話ししたし、おやつの時間にどうぶつクッキーのお話をした」
「へぇ~そんなにお話ししたんだね」
「うん」
大きく頷く。俺はそれを見て少し驚いた。今までこんなに大きく頷いたのは見たことがなかったから。
「それはよかったね~」
ぎゅーっと、抱きしめながら英さんは里桜名の顔に頬を寄せる。ちょっと照れる里桜名を見て、微笑ましい気持ちになった。
「ねぇ、あだ名無いの?」
唐突に里桜名が聞いてきた。
「あだ名?」
『俺、だいたいいつも君塚って呼ばれるからなぁ』
あ、でもそういえば……、
「小学生の頃、『君くん』って呼んでくる人がいたな」
「私も君くんって、呼んでいい?」
里桜名は期待に満ちた眼差しで俺を見る。
「え?良いけど……」
特に断る理由もないし。
「じゃあ、私もそう呼んでいい?」
「え?英さんも?」
英さんは期待に満ちた眼差しで俺を見る。……里桜名もそうだった……。
『こうして見るとめちゃくちゃ似てるな』
瓜二つといっても過言ではないぐらいめちゃくちゃ似ている。いや、今そんなこと考えている場合じゃないか。
「……もちろん、良いですよ」
と、少し間を置いて答えた。
「本当?ありがとう!やったね、里桜名」
「うん」
二人ともすごく嬉しそうにしている。
『好感度を上げて申し訳ないが、俺はこの仕事、1か月で辞めますからね』
だって俺は引きニート志望の男。引きニートになることを俺は絶対諦めない!!