第1話その6
空をぼーっと見ていたら、里桜名が窓の方を見たまま俺に話しかけてきた。
「何を見ているの?」
「何も。強いて言うなら空の青さを見ている」
「空の青さ?」
「そう。こういう空を青空って言うけど青一色っていうよりは青と水色が混ざってできているでしょ。しかも所々その色の混ざり方や色の深さが違うと思うんだよね」
「色の深さって何?」
「色の濃さって意味だよ」
「へぇー」
里桜名は感心したように言った。
「里桜名は何を見てんの?」
「雲」
「雲?」
「うん」
静かに頷いて指差した。
「あの雲は寝っ転がっているクジラ」
その隣の雲を指差す。
「あの雲は耳が長い犬」
さらに隣の雲を指差す。
「あの雲はマリモが三つ合体したやつ」
「あー、なるほど」
『雲の形を見て楽しんでいたのか』
確かに言われてみればそう見えなくもない。
「さっきはもっと違う形をしてた」
「雲って意外としょっちゅう形変わるからね」
「うん。みんなどんどん変わっていくの」
雲の流れをじーっと見る。
『感性が豊かな子なんだな』
こんなに空を眺めたことは無かったけど、まぁまぁ悪くないかも。
それからも里桜名は淡々と雲の説明をする。
「あれは大きな鈴のついた猫」
「首のあたりに鈴あるね。顔と同じくらいの大きさのやつ」
「あれは鯛と鮎がケンカしているところ」
「死闘……ものすごく戦っているね」
「あれは手の生えたどんぐり」
「足も生えてない?」
「生えてる」
ずっとこんな感じの会話を重ねた。気付けば12時をとうに過ぎていた。
『やっば、昼飯食べさせないと!』
「里桜名、お昼ご飯食べよう」
「うん」
里桜名はそのまま宙を飛びながら自分専用のダイニングチェアに座った。
俺は里桜名の分と自分の分のピラフを取り出しレンジで温めた。ピラフにはエビとグリンピースとコーンが入っている。そして茹でた人参とブロッコリーのサラダ。人参は花形に切られてあった。
里桜名の前の席に座り二人で手を合わせて「いただきます」と言ってから食べ始めた。里桜名は器用にフォークとスプーンを使い料理を口に運び咀嚼する。ちょっとご飯を零したりするかと思ったけど一切ない。
『手が掛からないって、英さんは言ってたけど本当だったわ……』
ゆっくりと味わうかのように口をもぐもぐして飲み込み……を繰り返す。俺は思わず聞いた。
「おいしい?」
「ん」
口の中に物が入ってるからか口を開けずに頷いて答える。
『マジ賢いわ~』
こんなにできた子はそうそういない。ベビーシッターは大変って聞いたけどそんなことは無さそうだと安心した。
……と思っていると、里桜名はスプーンを置いて宙に飛ぶ。
「え?ちょっと!どこに行くの!?」
里桜名は数メートル先の自分の後ろの方に飛び、そして戻ってきた。ウェットティッシュボトルを持って。また自分の席に戻るとそれを隣に置いて、ウェットティッシュを一枚取り出し手を拭き始めた。丁寧に拭いてからまた後ろの方に飛んで、ゴミ箱にさっき拭いた物を捨てて戻ってくる。そして、再び食事を始めた。
『マジ賢いわ~』
これは本当にできた子だな。
俺たちはお昼ご飯を食べ終えて「ごちそうさま」をした。俺は自分たちが使った食器を洗いながら、里桜名の様子を見た。里桜名は一人で右隣の部屋に入っていくところだった。
『え?何しに??』
食器を急いで洗い終えて部屋に向かう。部屋の中を見たら里桜名は布団の中に入って寝ていた。
『お昼寝も一人でできるのか!?』
あまりのすごさに驚愕する。
『もう俺いる必要なくね?俺いなくてもなんでもできるじゃん!』
まぁ、でも三歳児に一人でお留守番をさせるわけにはいかないか……。
すやすや寝ている里桜名を起こさないようにゆっくり近づいて寝顔を見る。
『英さんにそっくりだな』
英と違うところはものすごく落ち着いているところだ。三歳児にしては全然我儘も言わないし。
『いやぁ、本当によくできた子だな』
午後3時まではお昼寝をさせてあげてくださいって言ってたし、このまま寝かせておくか。
ゆっくり立ち上がってリビングの方へとゆっくりと歩く。
『起きるまで2時間弱か。遊べるな』
スマホでゲームをしよう。今日の日課はまだできていないしね。
俺は五つのゲームの日課を終えて、その内来月から始まる二つのゲームのイベントを走るための準備をする。
『やることたくさんあるからバイトしている暇ないんだよな』
週5日で8時間労働すらキツイのに、週6日で12時間労働は無理過ぎる。引きニート志望にとってはありえない労働時間なのだ。というか、普通にブラックだと言っても差し支えないだろう。
俺がゲームに熱中していると里桜名が声を掛けてきた。
「ゲームしているの?」
「え!?」
急に話しかけられて必要以上に驚く俺。時計を見ると3時を過ぎていた。
『一人で起きれるの!?』
内心、「本当にすげぇなこいつ」と思いながら、
「うん、ゲームしてた。おやつ食べようか」
と答えた。
おやつは市販のクッキー。それは「どうぶつクッキー」という名前のお菓子で、動物を模したそのクッキーは老若男女問わず大人気だった。
お皿にクッキーを載せてマグカップに牛乳を入れる。そしてウェットティッシュとゴミ箱も里桜名の近くに置く。里桜名を見ると俺をじっと見ていた。
「何?何か変??」
「ううん」
里桜名は小さく首を振る。そして、
「ありがとう」
と、お礼を言ってくれた。
お昼の時と同じように座り、一緒におやつを食べる。
ゆっくり、ゆっくり咀嚼する里桜名。それを見て俺は「おいしい?」と聞いてしまったけど「うん」と小さく頷いて答えた。英さんから俺もお菓子を食べていいって言われたけれど、
『この家、あまりお金がないのに俺がお菓子食べて良いのか?』
昼ご飯とは違い、お菓子は食べなくても生きていける。そこにあれば食べるし、無ければ食べない。自分はお菓子についてはそこまで執着していない。そう考えていると里桜名が、
「食べないの?」
と、聞いてきた。
「うーん……うん、食べない」
「ふーん」
あと2時間弱で英さんが帰ってくる。それで俺の今日の労働は終わる。……なんて、時計を見ながら考えていた。ぼーっと考えに耽っていたら、
「食べようよ」
という声が聞こえた。視線を動かして里桜名の方を見る。
「ねぇ、一緒に食べようよ」
いつものポーカーフェイスで俺にお願いしてきた。
『え!?お願いするの初めてじゃね!?』
いや、まだ残りのお菓子あるけどさ……。
キッチンから取りに行くか悩んでいたら、
「ねぇ、食べようよ」
と再び催促された。
『そんなに言うなら食べるか……』
キッチンの方に行って皿の上にビスケットを載せて再びリビングに戻ってくる。心なしか里桜名が嬉しそうにしていた。