第1話その3
「パパやってみない?」とはどういうことが聞いたらこんな話だった。
小田川がバイトしている喫茶店は店の営業と経営の他に、仲介業者として仕事の斡旋もしていた。依頼人から求人を受け付け、その求人を請負人に紹介する。その店で募集されていた求人のうちの一つがパパの代わり、つまりベビーシッターだった。
「なんでパパの代わり?ママの代わり…つまり、女のベビーシッターでも良くね?」
「三週間前に男の強盗に家に入られたことあってさ。それで警備員も兼ねてくれる人を探してるんだって」
「俺、腕力に自信ないんだけど」
「男が出入りしてるだけでもかなり防犯になるんだよ」
「というか、なんでそんなに依頼人のこと詳しいの?知り合い?」
「知り合いっていうか、バイト仲間」
「バイト仲間?今、働いてる喫茶店の?」
「そう」と、小田川は頷く。
「君塚、やれよ。暇だろ?」
「引きニートで忙しい」
「頼むよ。急募なんだよ。今すぐ来てほしいってさ」
「何でそんなに急なの?」
「さっき強盗に家に入られたって言っただろ?その時に前のベビーシッターが鉢合わせしてさ、トラウマになって辞めたらしい」
「それは辞めるわ」
俺は前のベビーシッターの人に深く同情した。
「今すぐ、そしてできれば週5日で9時から17時までいてほしいんだって」
「ハ!?拘束時間、長っっ」
「最終的には週6日で7時から21時まで延ばしてほしいって」
「長!!なにそれ、あまりにもブラックすぎる!!そもそも子どもは何人で何歳なんだよ?」
「女の子一人、三歳だって」
「なんで保育園に預けないの?」
「お金が無いんだってさ。ちなみに時給は700円」
「安っっ、今の最低時給2800円超えてなかった??」
「超えているんだよなぁ。だから人が来ないんだって」
俺は呆れたように溜息を吐いた。
「そりゃそうだよ。長時間拘束の上にそんな低賃金。人なんて来るわけないじゃん」
俺は机の上に用意していたアイスコーヒーを飲み、喉を潤した。
「だから、お願いしてんじゃん。お前、暇だろ?」
「暇じゃないし。引きニートやるのに忙しいんだよ」
「はぁ……やっぱりお前、自分が仕事できないという現実を受け入れたくなかったか……」
小田川は左手で頬杖を突き、明後日の方角を見ながら続ける。
「そうだよな……自分が仕事できないって分かるの悲しいもんな。自分はできないんじゃなくてやらないだけ。そうやって己の可能性を秘めたことにして、本当は無能だという現実から逃げたいんだよな?」
……ハァ????
「ハァ?俺、できるし!ベビーシッターくらい!!!!」
「じゃあ、よろしく」
……ん?
「は……?……え?……マ??」
こうして小田川の口車に完全に乗せられた俺はパパもといベビーシッターをやる羽目になってしまったのだった。
──……そして初めに戻る。
依頼主は魔族だと聞いた時はなおさら驚いたが「やっぱ、無理で〜す」と言って撤回できる状況ではなかったので(小田川がすでに連絡していた)、俺は腹を括ってここに来たのであった。
英さんは俺をリビングに通してくれた。手前はオープンキッチンでその向こう側にテーブルがあった。大人が4人くらい座れそうなテーブル。そのテーブルの端に、小さい子用のダイニングチェアに座っている女の子が見えた。英さんと違って髪の長さは顎の下くらいまで。でも、髪は英さんと同じ黒色だった。
「里桜名、君塚さんだよ。挨拶して」
里桜名と呼ばれた女の子は自分で椅子から下りて俺たちの近くに来る。
「初めまして、英里桜名です」
そう言ってお辞儀した。
「は…初めまして」
この年で礼儀正しくてビックリした。
「すごくしっかりしていますね」
「ふふ、そうでしょう」
嬉しそうに答える英さん。里桜名を抱え上げて抱っこする。
「里桜名はとても賢いんです。私の自慢の娘ですよ」
英さんはそう言って自分の娘の頭を優しく撫でた。
『すごく大事にしてるんだな……』
里桜名も英さんにぴったりくっついているし、お互いがお互いのことをものすごく好きなんだろうな。
「オーナーから話を聞いてると思いますが改めて自己紹介させていただきますね。そちらの椅子に座っていただけますか?」
英さんに促され、テーブルの前の椅子に座る。英さんと里桜名は俺と反対側の席に座るようだった。英さんは里桜名をさっきまで彼女が座っていた椅子に座らせて自身もその隣の椅子に座る。
「あ、お茶を出していなかったですね」
そう言って人差し指をくるくる回し始めた。すると台所の方から急須と受け皿に載った湯呑茶碗2つにマグカップ1つ、おかきが載ったお皿、電気ポットが連なって登場した。宙の上を滑るようにこちらに向かってくる。それらは俺たちの前に行儀よく静かに着地した。急須は自ら電気ポットからお湯を入れて、俺たちが飲む容器に麦茶を少しずつ入れていく。それら三つとも適量まで入れ終えたら、電気ポットの前に着地し静かになった。
俺は静かになったそれらを見て言う。
「いや、魔法かよ!!!!」