第1話その1 引きニートの俺、働きます
とあるマンションの下に辿り着く。他人の家に訪れるのは小学生以来のことだった。少しだけ緊張している。でも、あくまでも少しだけ。思ったよりも緊張しなくて逆に驚く。
『人生で初めてのバイトだというのに』
今日行って仕事を続けるのが無理そうだと思ったらもう行かない。だって、「バイトした」という事実が欲しいだけだから。
『だって元々働きたいと思っていなかったし』
エレベーターに乗り9階に辿り着く。外に出て辺りを見渡した。
『909号室は奥の方か?』
左側の外廊下を歩いて進んだ。
『905、906、907、908、909…』
ネームプレートを見て「909号室 英」であることを確認してチャイムを鳴らした。
するとインターフォンから若い女性の声が聞こえた。
「はい、どちら様でしょうか?」
「先日お電話いたしました、君塚結介と申します」
「君塚さんですね。ちょっと待っててくださいね」
しばらく経ってからドアが開いた。
「初めまして、英です。今日はお越しいただきありがとうございます。中へどうぞ」
そう言った女性は美しく可愛らしい人だった。腰まである長い黒髪は艶やかで、ぶかっとしたニットを着ていても分かるほど胸が大きく、足も長くてスタイルが良かった。でも……
……頭に羊の角のような黒い角があり、鳥のような黒い翼が背中に生えているけれど…………。
それは遡ること1週間前、俺は中学校を卒業し引きニートライフを満喫していた。父からは働かないのか、母からは高校に行かないのか
と聞かれたけれど働かないし高校にも行かない。だって労働も勉強もしをなくても生きていけるから。
121年前の戦争で人類は魔族に勝利した。それ以降魔族の人たちは人類の分までの労働を課されたのだ。それにより人類は何をしなくても遊んで暮らせるようになった。だから俺のように小中学校の義務教育を終えたらニートになる人も結構多かった。
もちろん、勉強したかったら進学する人もいたし働きたかったら企業に就職する人もいた。でも俺はそんなかったるいことはしたくない。「人生気楽に生きていきたい」という気持ちは人間として当然の欲求だと思う。
だから俺はウッキウキニートライフを楽しんでいた。「ゲーム→ネット→動画」を永遠ループして家から一歩も出ない生活。
雨の日も雪の日も嵐の日も家から出なくていいなんて最高すぎるだろ。元々運動苦手だったしインドア派だったからずっと家の中にいるのは苦じゃない。むしろ、大変良い。引きニートは不健康になりがちだが、俺は違う。ピザデブじゃないし、痩せている方。禿げていない。汗をかかないし、臭くない。清潔感のあるフツメン。
それもそのはず、俺は人として最低限の努力をしているからだ。毎日ランニングマシンで一時間走り、食生活はスマホアプリで管理して体型をキープ。汗をかきにくくする薬剤を服用、飲むと体臭が良くなるサプリメントも愛用。自分に合ったシャンプー、リンス、コンディショナーを駆使して頭皮を丁寧に洗い丁重にケアをする。もちろん、肌のスキンケアも欠かさない。
背は低いからチビだけどチビの存在が人に不快感を与えることはほぼ無いだろう。そもそも外に出ないから人に会わないしな。ハハハハハ!!
……そうやって引きニートライフを楽しんでいたあの日までは。