常連の弁当発注
「チーズかけて焼いたら嬉しい野菜って何?」
「ナス」
「つまんねぇ奴だなぁ」
マスターはいつも私に新メニューや日替わりメニューのアイデアを聞いてくる。 が、料理人ではない普通の勤め人の私がそうそう突飛なことが言える訳がない。
訳がないが時たまに
「ズッキーニ」
2年だけのアメリカ留学経験と若かりし頃のバックパッカー時代の記憶からスルッと出てくることはある。
「あーあーあー。 なるほどね。 旬だし良いかもね」
マスターは旬を大事にする。 正月・節分・バレンタイン・ひな祭りなどなど、季節のイベントにちなんだメニューや催し物をHiMa Dinerで開く。催し物の時は常連だけ招待され、おそらくは儲けはほぼ無いコース料理などを出してくれるので招待された常連は特別感と料理に中てられ酒が進んでお店に還元する。
「価格改定せんの? チーズでもなんでも上がってるじゃん」
「んー……本当にねぇ。 やってられんよ、これ以上上がったら」
店側が値上げに踏み切るのに二の足を踏むのはこの三十年のデフレで経験不足からだろう。
「うちみたいな小さな店だとそのうちあげなきゃだけど大手が逆に値下げとかするとねぇ」
多少の値上げで来なくなる客ならそもそも合わないのだから来なくても構わないと思うのだけどあまり経営にズカズカ入り込むのも宜しくないのでこれ以上は突っ込まない。
「あーそうだ。 来週木曜日の昼、お弁当頼める? 1個2000円位で3人前。 実家のババアがお友達呼ぶんだわ」
母から頼まれていた件だ。 1個2000円は高いと言えば高いしスーパー等で買えば半額以下だろう。 だがお客様にスーパーの出来合い物を出す訳にもいかないし、近所の出前を受けてくれる店は大分淘汰されて大手チェーンのピザ屋かやはり大手チェーンの寿司屋だけ。 ウーバー等は配達員が手薄過ぎて使い勝手が悪すぎて最悪届かない地域。
「ありがとうございます。 何時ころ届ければいい?」
普通はお弁当の注文は受けても配達は受けてくれないのだが、車で私の実家まで往復約5分だから、といつも届けてくれるので助かっている。 坂があるので母には地味にきついのだ。
「昼前適当にお願い。 中身はお任せで良いからちゃんと利益取ってね」
「それは大丈夫。 ちゃんと計算してるし出来合いのもの使わないから原価はそんなでもないんだよ」
その分手間暇掛かっているやん、と思うのだがこういうところが個人事業主の悪いところかもしれない。 正直なところ、2000円で頼めば、倍以上の価格の弁当に匹敵するであろう満足感のあるものを仕上げるのがマスターだ。 確かに素材は高いものはあまり無いが原価率3割位。 料理の腕は一級品で比較対象はホテルや高級割烹が妥当だろうか。
「消費税別で良いからね」
「免税事業者なんで大丈夫」
個人事業主あるあるである。
「その日ちょうどオードブルも一件入ってるんだけどさぁ」
洗い物をしながらマスターは天井に視線を向ける。
「誰から?」
「初見さんでここで食べた後とかじゃなくホームページを見たって電話来てさ。 ちょっと心配かも。 うちは高いですよ、と言ったんだけどね」
「スーパーとかで3千円4千円なら倍だから安くはないよね。 でも食べれば納得だから大丈夫だよ。 初見でそれって中々裕福な人かもね」
マスターは「満足してもらえれば良いんだけどねぇ」と眉を寄せていた。
勿論、私は解っていたことだがマスターの心配は杞憂でしかなかった。
うちでも法要でマスターに昨年注文し参列者に振舞ったが大好評だったのだ。そして仕出し屋に頼むのと同じかちょっと安く仕上げてくれた。
「うちのバカ兄貴の法要でまた今年も頼んでいいかな?」
「勿論。 日時と予算と要望教えて」
昨年は兄が流行り病で他界した。 その際に駐車場を借りたり、お願いしてもいないのにジュースやお菓子を用意しておいてくれたり、急遽だったにも関わらず急遽人口密度が過密化した実家の食事の注文を受けた上に翌日の朝ごはん等もサービスで提供してくれたりした。 非常に助かり母も私も感謝しきりだった。
「私の分は値上げして良いんだからね」
「大丈夫。 ちょろちょろお会計ごまかしてるから。 ハハッ」
「つまんねぇ奴だなぁ」
糞バカ兄を連れて来たかったなぁ。 さっさと死ぬなんて、つまんねぇ奴だ。