街外れ
城主代理であるカークの承認を得て、フレイヤはごく密かに“ソレータルの夜空”奪還の準備を始めた。
ロイスとともにキルドラのテントを訪れ、族長ウルグクのいるレゴウの谷までのルートを何度も検討する。
それとともにカークもフレイヤの要望通り、わざとゴルルパを刺激するように、軍の訓練を活発に行い、近々ゴルルパ討伐の軍を北に展開するという噂を流した。
「ゴルルパがうまく騙されてくれるといいのですが」
こちらの軍の動きがあまりに筒抜けで、少しわざとらしかったかもしれない。
フレイヤはそれを心配してそう言ってみたが、カークはむしろ自信たっぷりだった。
「確かに父上がここにいた頃であったら、連中も警戒したであろうな。だがはっきり言って、ここ数年のやり取りの中で、私は連中から見くびられている。だから、あの二代目のやることならまあその程度だろう、と勝手に推し量って騙されてくれるさ」
それは堂々と胸を張って言うようなことではなかったが、不肖の二代目の名もたまには役に立つ、などと自嘲するでもなく言うカークに、フレイヤも何も言えなかった。
ロイスがキルドラを伴ってシェナイ城のフレイヤを訪ねてきたのは、そんな時だった。
キルドラはともかくロイスまでもが、まるで草原を駆けまわるときのような質素な格好をしていたので、フレイヤは目を丸くした。
「どうしたの、二人とも」
急いで二人を自室に招き入れ、フレイヤは声を潜める。
「申し訳ないけれど、出発はもう少し先よ。前にも言ったと思うけれど、ゴルルパに軍の情報が浸透した後で、月のない夜を選んで出たいの」
「ええ、分かっています。我らも姫様を急かしに来たわけではありません」
ロイスはそう言って、隣に座るキルドラの肩を叩いた。
「今日はこの男が珍しく騎兵隊の兵舎を訪ねてきたのです。姫様のところへ行こう、と」
「えっ、キルドラが」
フレイヤは、ロイスの隣で退屈そうに壁に目を向けているキルドラを見た。
「それは確かに珍しいわね。私はてっきり、ロイスが連れてきてくれたものだとばかり」
「ほら、キルドラ」
ロイスはキルドラの脇腹を肘でつつく。
「お前から話せ。お前の持ってきた話ではないか」
「別にお前の口から言ってもらっても、一向に構わなかったが」
キルドラは肩をすくめてそう言うと、ようやくフレイヤに目を向けた。
「フレイヤ。旅は馬で行くつもりだったな。予定に変更はないか」
キルドラの言葉に、フレイヤは頷く。
「ええ、もちろん。徒歩で行けるような距離じゃないもの。私は霧雨号に乗るつもりよ。二人も自分たちの一番の馬を」
「これから街に出るぞ」
キルドラはフレイヤの言葉を皆まで聞かず、顎をしゃくった。
「その格好ではだめだ。お前だと分からん格好で来い」
それだけ言うと、椅子から立ち上がり身を翻す。
「おい、キルドラ」
ロイスがキルドラの背中に声をかけるが、キルドラは振り返りもせずに部屋を出ていってしまった。ロイスはぽかんとした顔のフレイヤを見て、取りなすように苦笑する。
「申し訳ありません。キルドラはああいう男ですから」
「ええ。それは分かっているけど」
フレイヤは頷く。
「でも、どうして街に?」
「さあ」
ロイスは首を傾げた。
「私にも言わないのです。姫様を連れ出して街に行くから、目立たぬ格好をしろ、としか」
そう言ってロイスは自分の上衣の袖を摘まんでみせる。
「けれど、あのキルドラがわざわざここまで来たのです。何かあの男なりの考えがあるのでしょう」
「そうね」
不愛想で、容易に人と打ち解けない男だったが、フレイヤはキルドラの人物を信頼していた。
“ソレータルの夜空”を取り戻すという目的が明確である以上、無駄なことをする男ではない。
「いいわ。行きましょう」
そう言って、フレイヤは肩に羽織っていたショールをひらりと脱ぎ、椅子の背もたれに引っ掛ける。
「着替えるわ」
「姫様、しばしお待ちを」
フレイヤの露わになった肩に、ロイスは微かに顔を赤くして、慌てて椅子から立ち上がった。
「私の前で、それ以上脱がれてはなりません」
王都からシェナイまで旅してきたときと同じ男装姿で現れたフレイヤを見て、キルドラは微かに口元を緩めた。
「分かってるじゃないか」
「分かっていないわよ」
フレイヤは言い返す。
「どこまで行くの」
「街の外れだ」
キルドラの答えに、ロイスが眉をひそめた。
「おい、キルドラ。何か無茶なことをする気ではないだろうな」
「無茶なことか。さあて」
キルドラは涼しい顔で、ただでさえ細い目をさらに細めて笑う。
「無茶をするかどうかは、俺の決めることではない。フレイヤの決めることだ」
「姫様の? ますます不安だぞ、あまり姫様を煽るような真似はするな」
心配そうにそう言い募るロイスの腕を、フレイヤは引っ張った。
「いいわよ、ロイス。行ってみれば分かるんでしょ」
「ですが」
「あなただって、ついてきてくれるんでしょ」
「無論です」
「じゃあ大丈夫よ」
そう言ってフレイヤがにこりと笑うと、ロイスはまぶしそうに目を瞬かせる。
「まあ、姫様がそうおっしゃるのであれば」
渋面を作って、ロイスは引き下がった。
「もういいか。ほら、行くぞ」
キルドラはそんな二人の様子を面白そうに眺めながら、顎をしゃくる。
「相手を待たせてるんだ」
「相手だと?」
ロイスはますます心配そうな顔をした。
「誰だ、それは」
「私は大丈夫だってば、ロイス」
フレイヤがロイスの背中を押して促すと、ロイスは渋々歩き出す。
三人は城を出ると、キルドラを先頭にシェナイの街を馬で駆け抜けた。
街の中心部を過ぎ、いかがわしい商店が立ち並ぶ街外れを抜け、キルドラがようやく馬を止めた場所はすでに城門の外だった。
「あそこだ」
キルドラが指差した先に、行商人の大きなテントがあった。
街から街へと旅をする行商人の中には、いちいち街の中まで入らずに城門の外で店を広げる者も多かった。だが、それにしてもそのテントは大きかった。
しかも、他の行商人たちのテントから、明らかに距離を置かれている。
馬を下りたフレイヤは、辺り一面に立ち込める不穏な獣臭に眉をひそめた。
乗馬も不安げに足踏みをしている。
「ねえ、キルドラ。この臭いってまさか」
だが彼女の言葉に構わず、キルドラはテントに近付いていく。
テントの前に佇んでいた商人と二言三言言葉を交わし、それからキルドラは二人を振り返った。
「来い。こっちだ」
フレイヤとロイスは顔を見合わせ、それからさっさとテントに入ってしまったキルドラに続いてテントの入り口をくぐった。
テントの中央に、どっしりとした巨大な檻が置かれていた。それを見て、フレイヤは自分の予想が当たっていたことを知る。
「草原狼」
フレイヤがその名を呟くと、檻の中にうずくまっていた獣が首を上げ、低く唸った。