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カーク

 

 シェナイの城を遠くに望む小高い丘の上。

 そこに、アステリオ家の歴代当主やその一族の眠る墓地がある。

 フレイヤがこの墓地の、かつて通い慣れた一角に足を運んだのは翌日早くのことだ。

 その墓碑に刻まれた名は、ファナ・アステリオ。

 それはヴォイドの妻であり、フレイヤとその兄カークの母であった女性の名だった。

 墓碑の前には、まだ枯れていない花が供えられていた。

 きっと、兄上だろう。

 清掃の行き届いた墓地を見まわしながら、フレイヤは思った。

 兄上は、こういう気配りの出来る人だから。

 それからその花の隣に、自分がここへ来る途中摘んできた花をそっと供える。

 フレイヤは墓碑の前に立ち、目を閉じた。

 母上。帰ってまいりました。

 心の中で、そう母に語りかける。

 三年前、ここに来た時には、もう二度とシェナイには帰らぬつもりでおりましたが。

 その日の自分の覚悟を思い出し、フレイヤは自分が今ここにいることに奇妙なめぐり合わせを感じる。

 私だけがおめおめと帰ってまいりました。父上はまだ、あの王都に。

 フレイヤは、母ファナの透き通るような白い肌と、その内に籠った熱を思い出す。

 手を繋ぐと、柔らかな母の手はいつもひどく熱かった。

 それは母の宿痾だった。結局は、その熱が母をこの世から連れ去っていってしまった。

 ヴォイドの後妻のルーシアのことを、フレイヤは母と思ったことは一度もない。それは兄のカークにとってはなおさらだろう。カークがルーシアと顔を合わせたのは王都でのヴォイドとルーシアの結婚式が唯一だったからだ。

 だが、お互い様だった。ルーシアの方でも、フレイヤに対しては己の野望のための駒という以外の感情は抱いていなかったはずだから。

 ファナがいなくなってから、アステリオ家の家族の形は、変わってしまった。

 母上。父上はゴルルパを打ち破りました。けれど、王都の貴族たちの策謀にはなす術もありませんでした。

 所詮は、向いていなかったのです。私も、父上も。

 フレイヤは目を開けて、墓碑を見つめた。

 私がこれからやろうとしていることをお知りになれば、母上はきっとお止めになることでしょう。

 けれど、私には思い付かないのです。

 敵のど真ん中に分け入って、奪われたものを奪い返す以外の方法が。

 だからどうか、見守っていてください。

 フレイヤはそこにいるはずの母の姿を思い出し、そう祈った。



「フレイヤ」

 城主代理だというのに、フレイヤが城門をくぐったところまで駆けつけてきた兄のカークは、妹の顔を見て呻くような声を上げた。

「ロイスから、お前が帰ってきたという報告は受けていたが」

 カークは妹の姿を周囲の兵士たちから隠そうとするかのようにマントを広げながら、言った。

「全く姿を見せないので心配していたのだぞ。一体どこをうろついていたのだ、そんななりで」

 きょろきょろと周囲を気にして早足で歩き始めながら、声を潜めてそんなことを言う。

 それがフレイヤにはおかしかった。

 フレイヤが目立とうとしなくても、城主代理が大慌てで城門まで迎えに来れば、それは目立つに決まっているだろう。それなのに今さら周囲の目を気にしている。

 カークは、そういうどこか抜けたところのある男だった。

「キルドラのところに行っておりました」

 その隣を歩きながらフレイヤが言うと、カークは難しい顔をした。

「街を素通りして、そんなところまで行ったのか」

 それから、ついでのように付け加える。

「キルドラは元気だったか」

「ええ」

 フレイヤは頷いた。

「兄上はしばらく会っていないのですか」

「キルドラが私を避けているんだ」

 カークは言った。

「街を出るときも、何の相談もなかった」

 その言葉に拗ねた少年のような幼い感情が滲んでいて、フレイヤは頬を緩める。

 カークとキルドラは、幼い時とても仲が良かった。フレイヤとキルドラよりも、よほど。

「キルドラに会ったときに、叱られました。まずは兄上を訪ねろと」

「当たり前だ」

 カークは即答した。

「キルドラでなくともそう言うだろう。三年ぶりに帰ってきたのに、城にも顔を出さずにこの妹は」

 カークはそう答えたが、キルドラが自分の名を出したことにまんざらでもない顔をしていた。

 この分かりやすさ。

 兄の誠実さと気さくさは人としては間違いなく美点だが、それはゴルルパという凶暴な敵と向き合うこの城の主としてはやはり危うい側面を持つ。領民にとっても、頼りなく映ってしまう面もあるだろう。

「申し訳ありません」

 そう謝った後で、フレイヤは付け加えた。

「それと、母上のところに行っておりました」

「それはよい」

 カークは答える。

「母上への挨拶は欠かしてはならん。私も日を置かず、お伺いしている」

「はい」

 やはりあの花はカークのものだったのだろう。

 二人は城の中を並んで歩く。

「最近は、ゴルルパの動きはいかがですか」

 フレイヤは尋ねた。それはシェナイの人々にとっては、天気の話をするようなものだった。

「それを聞くか」

 しかしカークは顔を微かに歪める。

「大規模な襲撃はまだないが、こちらを探るかのような小さな襲撃がぽつぽつと始まっているところだ」

「父上にあれだけやられたのに」

 フレイヤは唇を噛んだ。

「大族長ウルグク自らが父上と、二度とシェナイを侵さぬと誓約を交わしたではありませぬか」

「その父上がもういらっしゃらぬからな。連中の誓約など、そんなものだ」

 カークは自嘲気味に笑う。

「父は強かったがさて息子はどうだ、と見定めているつもりなのだろう」

 偵察がてらの強襲というわけだ。

「騎兵隊での反撃は」

「していない」

 カークは首を振る。

「騎兵隊が出るまでもなく、逃げ去っていく。今のところはな」

 今のところは、という言葉にカークの心境が現れていた。

「それでは終わりませぬか」

「終わらぬだろう」

 カークは答える。

「いずれまた、一戦せねばならぬかもしれぬ」

「……そうですか」

 ちょうど会話がそこまで至ったところで、二人はカークの執務室に着いた。

 几帳面なカークらしい、良く整頓された部屋だった。

「さて」

 カークは日当たりのいい窓際に立ち、フレイヤを振り返る。

「聞かせてもらおう、フレイヤ。どうしてお前ひとりで帰ってきたのだ。父上はどうされたのか」

 そう言って腕を組む。領主代理としての威厳を見せようとしているようだった。

「端的に申し上げますので、どうかあまり驚かれませぬよう」

 フレイヤが言うと、カークは、ふん、と鼻を鳴らす。

「これでも父上とお前が王都に行ってから、ここでシェナイを守ってきたのだ。今さら大抵のことでは驚かぬ」

「それでは」

 フレイヤは、こほん、と咳払いした。

「“ソレータルの夜空”が賊に奪われましたでしょう」

「む」

 カークは苦い顔をする。

「その件は、すまなかった。だが、手を尽くして賊の行方を追っているところだ。必ずや取り戻して再度」

 カークの弁明を皆まで聞かず、フレイヤは言った。

「そのせいで、エルスターク王子と私の婚約は破棄されました」

「なに」

 カークが目を剥く。

「今、何と言った。お前とエルスターク王子との婚約が」

「だめになりました。王子は、“夜空”を持たぬ私に価値はないと。父上はそのせいで寝込んでしまわれ、義母上はその日のうちにご実家へ」

 フレイヤが言い終わらないうちに、兄は真っ青な顔で膝から床に崩れ落ちた。





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