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キルドラ

「ありがとう、ロイス。あなたならそう言ってくれると思っていた」

 心からの感謝を込めて、フレイヤは言った。

「でも、命に代える必要はないわ。生きて帰れなかったら、意味がないもの。命懸けの旅になることは間違いないけれど」

「無論、私も死に急ぐつもりはありません」

 立ち上がったロイスは、穏やかに答えた。

「ただ、その覚悟でお供させていただくと、そういうことです」

「……ありがとう」

 フレイヤはもう一度、幼馴染の青年の顔を見上げた。

「やっぱりあなたに会いに来てよかった」

 そう言うと、ロイスは思いがけず、はにかんだような笑顔を見せた。

 首尾よくロイスの協力を得たフレイヤには、もう一人会いたい人物がいた。

「キルドラにも会いたいの」

 フレイヤは言った。

「彼は今どこにいるのかしら」

「キルドラでございますか」

 ロイスは少し躊躇う素振りを見せた。

「あの男は……今は、この街にはおりませぬ」

「え?」

 フレイヤは眉をひそめる。

「どういうこと?」

 ロイスは答えづらそうに顔を曇らせた。

「……“夜空”が賊に奪われたという報せが、あの男の立場を危うくしてしまったのです」

「“夜空”が奪われたことと、彼に何の関係が」

 怪訝な顔をするフレイヤを、ロイスは少し悲しげな表情で見る。

「“夜空”を王都へ運搬するという計画は、内密に進められていました。しかし、ゴルルパの賊どもは的確に襲撃してきた。まるで、その日そこを通ることが分かっていたかのように」

「まさか」

 ロイスの言わんとすることを察して、フレイヤは息を呑んだ。

「そんなばかなこと、あるわけないじゃない。いくらキルドラがゴルルパとの」

「そうです、キルドラにはゴルルパの血が流れている」

 ロイスはフレイヤの言葉を継いだ。

「だから、疑われたのです。ゴルルパに内通して、情報を流したのではないか、と」

「くだらない」

 フレイヤは言下に否定する。

「キルドラがそんなことをするわけがないわ。アステリオにゴルルパ騎兵の技術を教えてくれたのはキルドラのお父上じゃない」

「ええ。理屈で考えればそうだということは、誰にでも分かるのです」

 ロイスは聡明そうな顔を微かに歪めて答えた。

「ですが、この地の人々のゴルルパに対する嫌悪はやはり根強い。それだけのことをゴルルパにされてきたということなのです」

 シェナイの人々の心に抜きがたく残る恐怖と嫌悪。それは一度や二度の勝利で消えることはない。

 この地で生まれ育ったフレイヤにも、そのことはよく分かっていた。

「でも」

 フレイヤは言った。

「でも、キルドラは私たちの仲間よ」

「私もそう思っています」

 ロイスは頷く。

「それでもキルドラは街を出ました。もうこの街に、あの男を引き留めておくものがないからでもあるでしょう」

 その言葉にフレイヤは、キルドラの両親がすでに故人であることを思い出す。

「そうか、お母上はもうずいぶん前に亡くなられていたのよね。エンドラ様の逝去の報は王都で聞いたのだけれど」

「急な病気でしたからな」

 ロイスは頷き、それからちらりと探るようにフレイヤを見た。

「大殿は、何と」

「大事な客将だったもの。もちろん、父上も惜しんでいたわ」

 フレイヤは目を伏せて頷く。

 騎兵隊を作るための礎となった男とも言える、キルドラの父エンドラの死去は、フレイヤにとっては大きな衝撃だった。

 だが、父ヴォイドは。

 ロイスが微かに笑ったので、フレイヤは彼を見た。

「変わりませぬな、姫様は」

 ロイスは翳のある笑顔を浮かべていた。

「嘘をおつきになるのが、下手だ」

「嘘なんかじゃ」

 そう言いかけて、それからフレイヤは諦めたように笑う。

「そうね。私は嘘が下手」

 だから、王都でもきっとうまくは生きられなかった。

 あそこは、嘘を嘘とも思わずにつきながら生きていける人々の都だ。

「驚きはしませぬ。大殿は、王都に行かれてから変わってしまわれた」

 さばさばとした表情で、ロイスは言った。

「家宝たる“ソレータルの夜空”を、姫様の結婚と引き替えに王家に献上するとおっしゃられた時から、それには気付いておりました」

 ロイスの口調に、含むものはない。だが、フレイヤの胸は痛んだ。

 そしてそれは、ロイスを含むシェナイの人々の真意なのだろう。フレイヤにはそう思えた。

 “ソレータルの夜空”は、アステリオ家の家宝ではあるが、アステリオ家だけのものではない。

 あの宝石は、王国の西の要たるシェナイの人々全ての誇りだったのだ。

 だが、王都での華やかな暮らしに心を奪われた父の目には、もう故郷の人々の姿など映らなかった。

「ごめんなさい」

 フレイヤは言った。

「王都では、見えなくなるの。あなたたちの顔も、気持ちも」

「姫様が気になさることではありません。大殿がそうお決めになったのであれば、我らはそれに従うまで」

 ロイスは静かに答える。

 それから、その顔に浮かびかけた哀しげな表情を隠すように明るい声で言った。

「キルドラは街を出た南の草原で、一人で暮らしています。といっても、別に人を避けているわけでもありませんので、早馬の報せも届いていることと思います。姫様も会うことはできるかと」



 騎兵隊の兵舎に旅の荷物を預け、ロイスに教えられた草原の小さな丘の陰を訪ねたフレイヤは、そこに建てられた獣の皮のテントを目にすると、とっさに周囲を警戒した。

 それはゴルルパ式のテントそのものだったからだ。

 人の気配がないことを確認してから、そっとテントの中を覗く。

 大きなテントの中には、簡素な日用品など、ごく必要なものしかなかった。

 だが、フレイヤはこれがキルドラのテントであると確信した。

 麻紐で吊られた服の中に、見間違えるはずのない騎乗服があったからだ。

「何をしている」

 不意に背後から冷たい声がかけられた。

 テントから顔を出して振り返ると、がっしりとした体格の男が馬の上からフレイヤを見下ろしていた。

 シェナイ人とは明らかに違う、浅黒い肌。太い骨格。

 切れ長の細い目に、冷たい敵意が宿っていた。

 その手に提げた分厚い刃の蛮刀が、傾きかけた日の光を受けて輝いている。

「キルドラ」

 フレイヤはその男の名を呼んだ。

「久しぶりね」

「……フレイヤか」

 キルドラは馬上でその細い目をわずかに見開いた。

「本当に帰ってきたのか」

「ええ」

 フレイヤは頷いて、キルドラに歩み寄る。

「聞いたわ、お父上のこと」

「ああ」

 キルドラは不愛想に顎だけで頷くと、馬から飛び降りた。

 背丈はフレイヤよりもわずかに高い程度。だが、その身体にはシェナイ人にはない野性の力強さが秘められている。

「親父は街で死んだよ」

 キルドラはさらりと言った。

「本当は、草原で死にたかっただろうに」

「エンドラさまには、馬のことを全部教えてもらったわ」

 フレイヤはキルドラの顔に、在りし日のキルドラの父の姿を懐かしく思い出す。

「亡くなる前に、もう一度お会いしたかった」

「親父はそれを望まなかっただろう」

 キルドラの返答はそっけなかった。

「親父はお前の記憶の中では、逞しい草原の男のままでいたかったはずだ」

「病気は、そんなに」

「苦しんだな。長くはなかったが」

 キルドラはそう言うと、馬の手綱を取ってフレイヤに背を向ける。

「それで?」

 キルドラは馬とともに歩き出しながら言った。

「どうしてこんなところまで来た。お前も俺を疑っているのか、あの宝石を奪った賊を手引きしたのが俺だと」

「違うわ」

 フレイヤは言った。

「でも、“ソレータルの夜空”のことで来たというのは、合っている」

「知らないぞ」

 キルドラは冷たい口調で言いながら、振り向きもせずに歩き去っていく。

「俺は襲撃については、何も知らない」

「王子との婚約がだめになったの」

 フレイヤはその場から、キルドラを追うでもなく彼の背中に言った。

「“ソレータルの夜空”を持たない私とは、結婚する価値がないと」

「なんだと」

 キルドラが足を止めて振り向いた。

「王都の連中というのは、皆ばかなのか。そんな連中と付き合うことはない」

「でも、けじめだけは付けないといけない」

 フレイヤはきっぱりと言った。

「奪われたものは、取り戻さないといけないから」

「だから」

 苛立ったように、キルドラが言う。

「俺は賊とは何の関係も」

「さっきから、あなたは何を言っているの」

 思いがけぬフレイヤの強い瞳に、キルドラは一瞬眩しいものを見たような顔をした。

「奪い返しに行くのよ、ウルグクのところに」

 フレイヤは言った。

「私とロイスと、それからあなたの三人で。キルドラ。あなたの力が要るの」

 フレイヤは手を伸ばした。

「一緒に来て」

「ゴルルパと戦えと言うのか、この俺に」

 キルドラは言った。

「もう俺は騎兵隊ではないんだぞ」

「私も、もう騎兵隊ではないわ」

 フレイヤは答える。

「でも、あの騎乗服は捨てられなかった。あなたもそうなんでしょう、キルドラ」

 テントの中に掛けられた騎乗服。それはフレイヤには、王都の屋敷の木箱に入れられた騎乗服と同じに見えた。

 環境が変わっても、捨てることのできないかつての誇らしい自分の象徴。

「私、さっきからすごく簡単なことしか言っていないのよ。あなたには分かるはずよ」

 フレイヤは力を込めてそう言うと、もう一度、今度はキルドラに両手を伸ばした。

「奪われたものは奪い返しに行く。だから力を貸して」

 キルドラはしばらく黙ったまま、何とも言えない表情でフレイヤの顔を見つめていた。

「ああ、思い出した」

 ぼそりとそう言うと、キルドラは初めて薄く笑った。

「騎兵隊に勝手に加わったときもそうだった。お前はいつもそうやって自分の欲しいものを手に入れるんだ、じゃじゃ馬姫」

 それから、ゆっくりと馬の手綱を離し、フレイヤに向かって歩み寄る。

「そして俺は、そんなお前が嫌いではなかった」





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[良い点] 恐ろしいまでの安定感。ありがちなのっけから始まったものの、だがしかし、現状、オリジナリティがスゴい。とにかくフレイヤのキャラクター性が秀でていて、ほかにも魅力を語りだすときりがない。力のあ…
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