舞踏会
王子たちが華やかな笑顔の裏で血みどろの政争を繰り広げているのを知ってか知らずか、国王はやはり、相変わらずの柔和な表情で参加者の貴族たちの前に現れた。
王の挨拶は、よく言えば簡潔、悪く言えばそっけないことで知られていた。
この日も二言三言お決まりの言葉を話すと、主役を舞踏会の踊り手たち――すなわち独身の男女に譲った。
第一王子のアガートは、王の傍らで愛想のいい笑顔を浮かべて立っている。代わりにホールの中央に歩み出たのは、第二王子のエルスタークだった。
第四王子のバルクークが、それを面白くなさそうに見守っている。
王位争いから身を引いた第三王子のヤハロムの姿はない。彼はもはやこういった席に顔を見せることはほとんどない。
舞踏会で一番最初に踊るのは、最も身分の高い者と決まっている。
アガート王子が踊らないのは、彼が既婚者だからだ。
だから、この場で最も身分の高い独身者は第二王子のエルスタークなのだ。
エルスタークは長い脚でつかつかとホールをそのまま横切ると、居並ぶ令嬢たちの中で最も華やかなドレスを纏った女性の手を恭しく取った。
サンテル家のベジュワ嬢。エルスタークの新たな婚約者となる女性だった。
人形のように美しいベジュワ嬢は、その一つ一つの可憐な所作まで含め、王都の女性の一つの完成形といってもよかった。
二人がホールの中央で踊り始めると、周囲からは、ほう、とため息が漏れた。
エルスタークは、内面はどうあれ、外見には一分の隙もない。王子らしい高貴さと優雅さを兼ね備えた美丈夫だ。ベジュワ嬢と踊るさまは、まるで一幅の絵画のようですらあった。
そのダンスを、アガート王子は笑顔で、バルクーク王子は苦虫を噛んだような顔で見つめる。
やがて、二人が一曲を踊り終えると、そこからいよいよ本格的に舞踏会が始まった。
男女が声をかけ合い、ペアを作ってホールに出ていく。
かつては男性から声をかけ、女性はそれをじっと待つのが習わしだったが、今では女性から声をかけても無作法ではなくなっていた。
それでもフレイヤは自分から誰かに声を掛ける前に、たちまち数人の男性に囲まれた。
「音に聞く王都の戦女神殿。どうか、この私と一曲」
「いえいえ、フレイヤ嬢。アステリオ家と同じく誉れ高き武門のこの私と」
「いいえ、フレイヤ嬢。ぜひ、この私に一手御指南を」
ダンスの申し込みなのか、それとも剣闘試合の申し込みなのか分からないような誘いばかりだったが、フレイヤは快くそのうちの一人の手を取った。
王子の婚約者となるために磨いたダンスの技術は、半年ほどのブランクで衰えることはなかった。それどころか、ルーシアから直々の薫陶を受け、さらに磨きがかかっていた。
モーグすら仕留めたという女丈夫の野性味あふれるダンスを期待した男たちは、ベジュワ嬢にも引けを取らないその優雅なダンスに目を見張った。
アステリオ家のフレイヤ嬢は、こんなにも美しかったか。
エルスターク王子に婚約を破棄されて以来、まだ次のお相手はいないらしいぞ。
フレイヤを囲む男たちの視線が熱を帯びる。
フレイヤはそれを気にする素振りもなく、優雅に、可憐に振る舞った。
ダンスの相手は途切れなかったが、不意に次の相手のはずの男が身を引いた。
「……!」
フレイヤに手を差しだしたのは、エルスタークだった。
「フレイヤ嬢。一曲踊ろうか」
エルスタークがにこりと笑う。
「はい。喜んで」
フレイヤも笑顔で答えた。
二人がホールに出ると、さすがに小さなどよめきが起きた。
おい、見ろ。エルスターク王子が、婚約を破棄したフレイヤ嬢と踊っているぞ。
アステリオ家を襲撃させた黒幕は、エルスターク王子ではなかったのか。
その噂を払拭するために、わざと踊りに誘ったのではないか。
だが、王子がもしも本当にアステリオ家を滅ぼそうとしていたのなら、フレイヤ嬢があんな自然な笑顔で踊れるだろうか。
そんな囁きが、貴族たちの間で交わされる。
けれどエルスタークもフレイヤも、周囲のざわめきなど聞こえないかのように優雅に踊った。
ベジュワ嬢が顔を曇らせるほど、この二人が踊るさまも美しかった。
だが、曲の途中で、不意にエルスタークがフレイヤの耳元に口を寄せた。
「私にこれ以上敵対するなら」
笑顔のまま、エルスタークは低い声で囁いた。
「本気で潰すぞ、アステリオ家を」
フレイヤは、音楽に合わせて優雅に首をかしげてみせた。
エルスタークも微笑みを浮かべたままだった。
そのまま曲は終わり、二人は身体を離した。
「殿下、どうかお相手を」
近寄ってきたどこかの令嬢に、
「すまんな。一曲休ませてくれ」
と笑顔で答えて去っていくエルスタークの背中を、フレイヤは優しい眼差しで見つめた。
エルスターク王子。やはり、実際にその目でご覧にならなければ、分からないようでございますね。
アステリオ家を本気で潰す?
笑わせないで。こっちは、とっくの昔に本気なのよ。
舞踏会も終盤に差し掛かった頃、曲と曲の合間を狙って、アガート王子が王の前にひざまずいた。
「父上。本日は一つ、余興を用意してございます」
「ほう」
王は目を細める。
「アガート、そなたが準備したのか」
「若い者たちのダンスを眺めるのも良いものですが、そればかりでは少々刺激が足りぬかと思いまして」
アガートは快活な笑顔を浮かべる。
「きっと、父上にもお喜びいただけるかと」
アガートは、会場の後方に向かって腕を振り上げた。
それと同時に、打楽器の大きな音が鳴り響く。
皆、何事かと後方を振り返った。
先ほどまで、ダンスの音楽を奏でていた楽隊ではない。新たな、見慣れぬ楽隊が、聞き慣れぬ異国調の音楽を奏でていた。
「アステリオ家のフレイヤ嬢による、ゴルルパの舞をご覧に入れます」
アガートは言った。
「ほう」
王が興味深そうに身を乗り出す。
アガートめ。このような場で、何を始めた。
エルスタークは次の相手の令嬢の手を邪険に振り払うと、眉をひそめて壁際に下がった。
甲高い笛の音が響くと、フレイヤが入って来た。
おお、とどよめきが上がった。
フレイヤは先ほどまでの青いドレスではなく、ゴルルパの騎乗服を模したドレスに着替えていたからだ。
音楽に合わせて軽やかに異国のステップを踏みながら、フレイヤはホールの中央に歩み出た。




