良い策
翌朝、アステリオ家の屋敷前を通りかかった市民たちが目にしたのは、凄惨な光景だった。
門の前に掲げられた、二十四個の首。その下に無造作に積まれているのは、剣や短刀といった彼らの武器。
『これはゴルルパの走狗となって屋敷に侵入し、家宝を強取せんとした恥知らずな賊どもの首である』という説明書きの紙まで貼り出されていた。
アステリオ家の屋敷前は、たちまち見物の群衆でごった返した。
庶民も、貴族もいた。
誰もがその残酷さに眉を顰めながらも、これだけの人数の賊を平然と殺戮してのけたアステリオ家の異質な強さに息を吞み、恐怖を抱いた。
そして、思い出した。
アステリオ家が、そもそもどういう一族であったのかを。
辺境の地シェナイで、恐ろしい騎馬民族ゴルルパと何代にもわたり戦ってきたというのは、つまりこういうことなのだと。
当然、この報せはすぐにエルスターク王子の耳にも入った。
「全滅だと?」
エルスタークは己の耳を疑った。
「二十五人もの手練れが、一人残らず返り討ちにあったというのか」
「はい」
マレリーはうなだれた。
しかも、その首はアステリオ家の門前に晒されているのだという。
刺客とは言え、エルスタークは王子だ。素性も分からない人間は使わない。
彼の使嗾する配下の男たちの多くは、小貴族の息子たちだった。今回刺客に選ばれたのも、鍵開けの技能を持つ数人を除いては、もはや貴族の家督を継ぐ芽のない庶民と貴族の中間のような荒くれ者たちだった。
だから、生首を晒されれば、その顔を見て気付く者も出てくるだろう。
これはエルスターク王子の手の者だと。
「ふざけた真似を」
エルスタークは怒りに顔を歪めた。
無論、賊についての捜査が行われたとて、その追及がエルスタークに届くことなどない。下の者が勝手に何をやったのかなど私は知らぬ、と突っぱねればいいだけのことだ。
だが、分かる人間には分かる。エルスタークが下手をうったな、と。そしてその中には、ライバルのアガート王子やバルクーク王子も含まれるのだ。
彼らに、エルスタークはアステリオ家ごときに後れを取って意趣返しをされたのだ、と嗤われること。それがプライドの高い第二王子には我慢ならなかった。
「おのれ、アステリオ家め。辺境の防人ごときがこの王都で舐めた真似をしおって」
マレリーによれば、王都の治安を守る衛兵隊がアステリオ家を訪ね、賊の首を晒すなどという野蛮な真似はやめるよう申し入れたところ、当主のヴォイドから、
「あくまで自分の屋敷の敷地内でやっていることである。我が家の門前に勝手に集まる野次馬にはこちらも迷惑しているので、衛兵隊はそれらを解散させるのが筋であろう」
と突っぱねられたのだという。
さらには、「栄えある王都でこれだけの数の賊を今まで野放しにしていたという、自分たちの怠慢こそをまず責めるべきではないか」と皮肉まで言われたという。
今までのアステリオ家にはない、強気な態度だった。
まるで自分の領地に戻ったかのような傍若無人ぶりだ。
「どこまでも生意気な」
エルスタークは怒りに震えたが、今のところどうすることもできなかった。
王子とはいえ、自由に使える影の戦力はそこまで多くはない。二十五人もの手練れをいっぺんに失ってしまったのは、アステリオ家や“ソレータルの夜空”のことを抜きにしても、大きな痛手だった。
しかも、二十五人というのは、この王都で隠密に動かせる最大限に近い人数と言えた。
人の目の多い都でそれ以上の人間を一度に動かそうとすれば、さすがに目立ちすぎる。
エルスタークはそれだけの数をもってして、完膚なきまでに敗れたのだ。
それでもなお、アステリオ家を滅ぼしたいのであれば、数百人単位の軍隊を動かすしかないが、もはやそれは戦争である。
エルスタークがいくら第二王子とはいえ、王都で大きな瑕疵のない貴族相手にできることではなかった。
「私が王になったら、アステリオ家は真っ先に取り潰す」
エルスタークはそう宣言することで自分の怒りを紛らわせるしかなかった。
「殿下、ひとつ気になりますことが」
マレリーが気遣わしげな顔で言った。
「なんだ」
エルスタークは不機嫌に応じる。
「これ以上、何かあるのか」
「はい」
主人の怒りを恐れるように顔を伏せ、マレリーは言った。
「アステリオ家に差し向けた配下は、二十五人でございましたが、門前で晒されていた首の数は、二十四なのです」
「……なに?」
一つ足りない。
それが何を意味するのか。
エルスタークは考えた。
「生き延びて、どこかに潜んでいるということか」
「あり得ないことではございませんが」
マレリーは首をかしげる。
「今まで何の連絡もないことを考えると、可能性は低いように思います」
「それでは、何だ」
「その一人だけは、生かしたのではないでしょうか」
マレリーは言った。
「アステリオ家に寝返ったのではないかと。それで、まだ屋敷に留まっているのです」
「寝返っただと」
エルスタークは青ざめた。
「それは、我が方の情報が筒抜けになったということか」
「あの二十五人の中にそこまで重大な情報を持つ者はおりませんが、ある程度のことは知られたと考えるべきかと」
「どこまでも」
エルスタークは歯軋りした。
「舐めた真似を」
斬った賊の首を、屋敷の門前にこれ見よがしに並べること。ただし、一つを除いて。
それが、フレイヤとキルドラの考えたシェナイ流の策だった。
これだけの数の屈強な男たちの首を平然と晒すことで、アステリオ家の底知れぬ強さを平和慣れした王都の人間たちに思い出させる。
そして、わざと一人分の首を出さないことで、エルスタークを疑心暗鬼に陥らせる。
裏切りが当然の権謀術数の世界で生きてきたエルスタークだからこそ、この策は効果がある。フレイヤはそう信じた。
ヴォイドもフレイヤも、政治的に純朴なアステリオ家はこの王都で今までさんざんそれに苦しめられてきた。だから、今度はそれを逆手に取った。
エルスタークはその意味を勝手に勘ぐり、自縄自縛に陥るはずだ、と。
そして、その狙いは当たった。
「“ソレータルの夜空”など、もはやどうでもいい」
エルスタークは言った。
今まで苦労して築き上げてきた精緻な石積みの塔を、道理も知らぬ野蛮な子供に土台から乱暴に揺さぶられているような気持ちになっていた。
それは、恐怖と怒りのないまぜになった感情だった。
アガートが、バルクークが嗤っている。エルスタークはつまらぬ小さな石に、勝手に躓きおったと。
許せぬ。そんなことは、絶対に許さぬ。
「アステリオ家をこのままにはしておけぬ」
その目に、偏執的な光が宿っていた。
「マレリー、何でもいい。案を出せ」
こうなってしまうと、エルスタークには自分の感情を抑えることはできない。
それは、“ソレータルの夜空”をゴルルパに奪われたと知ったときと同じだった。
あのときもエルスタークは、マレリーの諫めも聞かず、わざとパーティの席上でフレイヤを辱めるように婚約破棄を宣言して憂さを晴らした。そして、後で父王から叱責を受けている。
そんなことをすれば叱責を受けると、聡明な彼に分からないはずはない。だがそれでも、そうしなければ収まらない性格なのだ。
だからマレリーも、これ以上アステリオ家に関わることは得策ではないと知りつつもそう進言することができなかった。
「我が方の手元には、もはやあの一族をどうにかできる戦力はありませぬ」
マレリーは苦しい顔で言った。
「そのままにせよと言うのか!」
エルスタークは叫んだ。
「辱めを受けたのだ! 第二王子たるこの私が! 次期シャーバード王たるこの私が! 馬糞臭い田舎貴族ごときに!」
エルスタークが机を叩き、蹴る音が部屋に響いた。
「どうしてもとおっしゃられるのであれば、一つだけ心当たりが」
「何だ」
エルスタークは乱暴に急かした。
「言え。もはや悪魔との取引でも構わぬ」
「それに近いかもしれませぬ」
マレリーは声を潜めた。
「北の蛮族モーグの傭兵を扱う商人を知っております」
モーグ。
その名に、エルスタークは目を見張る。
西の騎馬民族ゴルルパと並び称される、北の戦闘民族モーグ。
あの強大なアシュトン帝国とも互角に渡り合う、恐れを知らぬ狂戦士の集団。
「野蛮には、野蛮を当てるのが上策かと」
マレリーの言葉にエルスタークはしばし考え、それからゆっくりと頷いた。
「良い策だ」
その口元に、ようやく笑みが浮かんだ。




