戦い
フレイヤと連れ立って寝室を出たヴォイドの元に、エスコットが駆け戻ってきた。
抱えるようにして持った剣を、ヴォイドに差し出す。
「大殿」
「おう」
ヴォイドは片手でそれを受け取ると、すらりと鞘から抜いた。
「……ふむ」
刀身の輝きを確かめ、ヴォイドは目を細めた。
「エスコット」
「はっ」
「よく手入れが行き届いている」
その言葉に、エスコットは皺だらけの顔を子供のように輝かせた。
「いつか、こういう日が来ると思っておりましたゆえ」
「そうか」
ヴォイドは老執事の肩を、大きな手で叩く。
「やはりお前を王都に連れてきて、正解だった」
「もったいなき」
エスコットは言葉を詰まらせた。
「もったいなき、お言葉」
「行くぞ、フレイヤ」
ヴォイドは言った。
「エルスタークの手下どもに、戦の何たるかを教えてやらねばならんからな」
「はい」
またこの背中の後ろを追うことができるとは、思わなかった。
醜く太り、かつての引き締まった背中はもはや見る影もない。だが、それでもその身体にまとう空気は変わらなかった。
王都の真ん中で、戦場の空気をまとうことのできる男は、多くはない。
そしてヴォイド・アステリオとは、そういう男であったはずだ。
「アステリオ家の戦を、ここに」
フレイヤは父の後に続いた。
扉の開け方はさすがに手慣れたものだった。
厳重な鍵の掛けられた扉が、ゆっくりときしみながら開くのを、キルドラは驚嘆の目で眺めた。
いつの間にか合鍵が作られていたのか、それとも特殊な技術を用いているのか。
いずれかは分からないが、とにかく扉はあっさりと開いた。
黒装束の男たちが、夜の闇とともに忍び込んでくる。
アステリオ家は、賊の侵入を許した。
だが柱の陰でそれを窺っていたキルドラは、まだ合図を出さなかった。
守る側として最も恐れるべきは屋敷に火を放たれることだが、攻める側に“ソレータルの夜空”という明確な目的がある以上、その心配は不要だった。
キルドラは、二十五人の賊全員が屋敷の中に入るのを、きっちりと待った。
誰一人として、逃しはしない。
屋敷に侵入した順に、賊がばらばらと屋敷の各所へ散っていくのを、キルドラは敢えて見送った。
この屋敷の中、どこへ行こうが騎兵隊の精鋭が控えている。
最後の刺客が屋敷に足を踏み入れたことを確認したキルドラは、柱の陰から飛び出した。
闇の中での完全な不意打ちだったが、賊はさすがの手練れだった。
不意を衝かれながらもよく反応して、キルドラの攻撃を剣で受けようとした。だがキルドラの分厚い蛮刀は、その細い剣ごと賊の身体を叩き割った。
床に崩れ落ちる賊の脇を駆け抜け、キルドラは扉を閉める。
ばあん、というその大きな音が戦闘開始の合図だった。
たちまち屋敷のあちらこちらで騎兵隊と賊の斬り結ぶ激しい物音が聞こえ始めた。
キルドラも、血に染まった蛮刀を引っ提げて走った。
「一人も逃がすな!」
キルドラは叫んだ。
その時だった。
一階のホールを見下ろす二階のバルコニーに、大きな身体の男が姿を現した。
「賊どもよ、お前たちの望みは分かっている」
ずしりと腹に響くような声。
「な」
思わずキルドラは目を疑った。
「殿様」
何をしに出てきた。
「当主ヴォイドは“ソレータルの夜空”とともにここにいるぞ」
ヴォイドはそう言うと、木箱を高々と掲げる。
馬鹿な真似を。
キルドラは舌打ちした。
当主と、家宝。最重要のその二つのありかを自ら晒すとは。
これでは考え抜いた配置が水の泡だ。かつては変幻自在の勇将とまで呼ばれた男が、たかがこの程度の賊に怯えて我を忘れたか。
たちまちいくつもの黒い影が階段を駆け上がり、ヴォイドに迫った。
「ふん」
ヴォイドは贅肉のたっぷりと付いた顎を揺らして笑うと、腰を落とした。
その手に握られた短くも太い剣に、キルドラも見覚えがあった。
「あれは」
ばきゃっ、という、およそ剣を振るったとは思えない鈍い音がした。
二階から降ってきたものをキルドラはとっさにかわし、それからそれが賊の上半身であることを知る。
二階からもう一度、ばきゃっ、という音がして、それと同時に血が雨のように一階の床を叩いた。
「やはりなまったな」
ヴォイドは荒い息を吐いた。
「この程度で息を切らすとは」
だが、その動きは衰えていなかった。闇の中に火花が散り、そのたびにばらばらと賊の身体が一階に降り注いだ。
「俺の記憶と同じだ」
キルドラは思わず呟く。
シャーバードの西の槍。それは、キルドラがかつて目にした、ゴルルパ騎兵を切り崩していく勇将ヴォイド・アステリオの姿と一致した。
「帰ってきたのかよ、殿様」
「フレイヤ!」
ヴォイドが叫んだ。
「いいぞ、来い!」
それとほとんど同時に、騎乗服姿のフレイヤがヴォイドに群がろうとしていた賊たちの背後に現れた。
騎兵隊の戦士二人が付き従っていた。
「いつの間に」
キルドラは目を見張る。
「かかれ!」
フレイヤの凛々しい声が響いた。二人の戦士が賊に突っ込んでいき、一拍遅れてフレイヤもそれに続く。
フレイヤが舞うように剣を振るい、不意を衝かれた賊たちは、なすすべもなくばたばたと倒れていく。
そうか。
キルドラは悟る。
わざと自分の姿を晒すことで、賊を一か所にまとめてしまった。その数を一人で受け止めるだけの自信があったということか。
「言いたくはないが、さすがだ」
キルドラは、二階へ駆け上がろうとしていた賊に飛びかかると、その背後から剣を突き刺す。
「誰一人逃がすな」
キルドラは叫んだ。
「残りはそう多くはないぞ」
それからほどなくして、勝負はついた。
全身を汗でびっしょりと濡らしたヴォイドが、どすん、と床に座り込む。
「ああ、くそ」
ヴォイドは苦しそうに喘いだ。
「身体が重い。肉が邪魔だ」
だが、そう言いながらもヴォイドはその剣で六人の賊を斬り、一つの手傷も負ってはいなかった。
「さすがでございます、父上」
これも血で濡れた剣を提げたフレイヤが、父に歩み寄る。
「久しぶりに、その豪剣を拝見いたしました」
「豪剣なものか」
ヴォイドは自嘲した。
「最後は剣に身体を振り回された。昔はこんなもの、いくら振ってもどうということもなかったというのに。とてもゴルルパには見せられぬ、無様な戦だった」
それから、ぐい、と汗を拭ってフレイヤを見上げる。
「賊は」
「今、死体の数を検めております」
「二十五人だったな」
「はい」
フレイヤは頷く。
「扉も窓も全て厳重に閉めております。外には逃げられません」
「こちらの被害は」
「二人ほど手傷を負いましたが、今のところはそれだけです」
「そうか」
アステリオ家の完勝だった。
そこに、キルドラが歩み寄ってきた。キルドラの顔も騎乗服も、返り血で赤く染まっていた。
「二十四だ」
キルドラの言葉に、フレイヤは首を振る。
「一人足りないわ」
「ああ。どこかにまだ」
キルドラが言いかけたときだった。
廊下の奥で悲鳴が上がった。
「ミリアの声だわ」
フレイヤが顔色を変える。
戦闘員以外の屋敷の使用人たちは、前もって奧の部屋に避難させていた。悲鳴はそちらの方から聞こえた。
「あそこは施錠してあったのに」
「大扉も易々と開ける連中だ」
そう言いながら、二人は廊下を駆けた。
騎兵隊の戦士が取り囲む中、賊の最後の生き残りが侍女のミリアの肩を抱き、その首筋に短剣を押し当てていた。
「ミリア!」
フレイヤが声をかけるが、ミリアは恐怖で声も出ないようだった。
「どけ、道を開けろ!」
顔の下半分を黒い布で隠した賊が、血走った目で叫ぶ。
「外まで、この女を連れていく。俺に手を出すなよ」
ミリアを抱えたまま、じりじりと前に出る賊に、騎兵隊の戦士たちも手を出しかねて後ずさる。
賊の狙いは、フレイヤにも分かった。
襲撃に失敗した以上、せめて自分だけでも生きて帰って、顛末の報告をしようというのだろう。
だが、させるわけにはいかない。
「たかが侍女一人」
キルドラが氷のような声で言った。
「人質の価値があるとでも?」
それを聞いた賊の目が険しくなる。
「だめよ、キルドラ」
フレイヤはキルドラの腕を叩く。
「ミリアは、私の大事な」
馬鹿正直に、そんなことを言うな。
キルドラは顔をしかめて口をつぐむ。
その時だった。フレイヤとキルドラの間を、何かが凄まじい速さで通り過ぎた。
それはそのまま賊の顔の真ん中に突き立ち、身体ごと後方に弾き飛ばした。
「きゃああっ」
床に投げ出されたミリアにフレイヤが駆け寄る。
「ミリア、大丈夫!?」
「お嬢様」
フレイヤの腕に縋りつき、ミリアは身体を震わせた。
「おう、今度は当たったな」
そう言いながら歩いてきたのはヴォイドだった。賊の顔面に突き立っているのは、ヴォイドが先ほどまで振るっていた剣。
「あのときもこのくらいまで近付いていれば、ウルグクに当たったかもしれんな」
こともなげに言い、ヴォイドはまた汗を拭う。
「なあ、エスコット」
「はい。あれは惜しいことをしました」
とエスコットも頷く。
それは、三つ首岩の会戦でのこと。
フレイヤも覚えていた。
ゴルルパとの激しい戦いのさなか、腰に佩いていたあの剣を突然抜き放ち、敵兵のど真ん中に投げつけた父の姿を。そして、間一髪それをかわしたウルグクの引きつった表情も。
「これで二十五人」
倒れた賊がもう動かないのを確かめて、キルドラが言う。
「全員だ」
「それじゃあこれからもう一仕事ね」
フレイヤはミリアを助け起こす。
「ミリア。これから私たちのする作業は、あなたたちにはちょっと刺激が強いから、元の部屋に戻っていてね」
「は、はい」
青ざめた顔で頷くミリアに、フレイヤは優しく微笑んだ。
「怖かったでしょう。でも、もう大丈夫だから」




