私情
「兄上はアガート第一王子のお人柄をご存じですか」
フレイヤの問いに、カークは首を振る。
「知るわけがない。私が数えるほどしか王都に行ったことがないのは、お前とて知っておろう。それも全て短期間の滞在に過ぎぬ。第一王子の人となりなどに接するほどの時間が、あるわけがない」
「誤解を恐れずに、端的に申し上げれば」
フレイヤは言った。
「アガート王子のお人柄は、エルスターク第二王子と大差ございません」
「なに」
カークは眉を顰める。
「大差ないと。それはどういうことだ。あまり良い意味には聞こえぬぞ」
「今、シャーバード王国の次期王座を巡って争っておられる王位継承権者は、アガート第一王子とエルスターク第二王子、それにバルクーク第四王子の三人です。私の見たところ、そしてまた王都での評判を聞きましても、この三人はいずれ劣らぬ拮抗した能力の持ち主であり、性格もまた王家にふさわしく、みな計算高く冷徹であるということです」
「それゆえ、王座争いも過熱しているということか」
「はい。良く言えば、いずれも甲乙つけがたい方々。悪く言えば」
フレイヤの顔にやや意地の悪い笑みが浮かぶ。
「いずれもこれといった決め手に欠ける方々」
「ふうむ」
フレイヤの皮肉に触れず、カークは腕を組んだ。
「それにしても、現王は穏やかなお方として知られておるが、その息子たちは皆、父に似ず冷たい人間に育っておるのか。それも帝王学の賜物というやつであろうか」
そこまで言ったところで、まあ私とて、と苦笑する。
「剛毅な父上に似ぬ惰弱な性格に育った。親子など、そういうものなのかもしれぬがな」
「兄上は惰弱ではございません。それは無用な卑下」
そう前置きして、フレイヤは説明を続ける。
「今の国王陛下のご気性を最もよく引き継がれたのは第三王子のヤハロム様でしょう。けれどヤハロム様はまさにその性格から、自分は兄弟と争うのは向かぬとさっさと継承権を放棄なさってしまいました」
「王位などというものは、争うにも才覚が要るのであろうからな」
カークはため息をつく。
「私は長男というだけで、特に何の争いもなく城主代理など務めているが。フレイヤ。お前が男であったならば、俺は喜んでその配下となったぞ」
「おやめください。私こそ、今回の旅で父上と兄上の偉大さを改めて思い知ったところでございます」
「父上はともかく、私に偉大さなどと。最も似合わぬ言葉だ」
カークはそう自嘲した後で、「続けろ」と続きを促す。
「はい」
フレイヤは頷く。
「とはいえ、私自身の私情を排して三人を平等な目で見比べてみれば、王位継承争いは今のところエルスターク王子が他の二人よりもやや優勢といったところでしょう」
それは、エルスタークがほかの二人よりもなお冷徹であるということを意味してもいた。
「長子のアガート王子は出遅れたか」
「シャーバード王国の長子相続は二代前の国王陛下の代で否定されました。長子であることは、王位継承に有利に働いてはおりません」
「そうか。今の国王陛下も確か元は第三王子か第四王子であったな」
「はい。様々な勢力と結んで兄と弟に先んじたエルスターク王子は、自分の優位を確実なものとするためにも、異民族討伐の証である“ソレータルの夜空”を欲していたのです」
「護国の三宝の一つを有することで、王国の守護者としてのイメージも高まるであろうからな」
そうだ。
フレイヤは、あの夜のパーティーのことを思い出す。
「フレイヤ・アステリオ。私は本日をもって、そなたとの婚約を破棄する」
自分に向かって浴びせられた、エルスタークのどこまでも冷たい声。
エルスタークは、護国の三宝が喉から手が出るほど欲しかった。
だからこそ、それが手に入らなかったことに激怒したのだ。自分の怒りを制御できず、ほかの貴族たちの面前で婚約者を辱めねば収まらぬほどに。
「アガート王子は今、逆転する材料を探しています。“ソレータルの夜空”献上の話を持ち掛ければ」
「エルスタークが手に入れようとして果たせなかった神聖な唯一無二の宝だ。それは大いに喜ぶであろうな」
カークは頷く。そこに、キルドラが口を挟んだ。
「フレイヤ。第四王子のバルクークではなく、第一王子のアガートである理由はなんだ。お前の話ではエルスタークだけが頭一つ抜けていて、あとの二人は拮抗しているという。それなら相手はバルクークでもよいのではないか」
「アガート王子とエルスターク王子は、異母兄弟」
フレイヤは答えた。
「でも、エルスターク王子とバルクーク王子は同母兄弟。母親が一緒なのよ」
キルドラは眉を寄せて、その言葉の意味を考えた。
「……アガートの方が、エルスタークへの対抗心が強いということか」
「うーん」
フレイヤは曖昧に首をかしげる。
「単純な対抗心だけなら、もしかしたらエルスターク王子と母親の血も繋がっているバルクーク王子の方が強いかもしれない。でもお二人の実母であるジョセリン妃は王位継承について、今のところ二人の息子どちらの支持もしていないのよ。だからバルクーク王子は、最悪の場合、ジョセリン妃からもう兄弟げんかはおよしなさいと丸め込まれる恐れがある」
「せっかく家宝を献上しても、手打ち代わりにそれがエルスタークに渡る可能性もあるということか」
「ええ。でも、母親が別であるアガート王子なら、それはない」
「なるほどな」
キルドラは頷いて引き下がる。代わりにカークが口を開いた。
「だがアガート王子に“ソレータルの夜空”をただ売り渡すだけでは、それで終わりだ。まとまった金は手に入るかもしれんが、落ちたアステリオ家の威信は戻らぬ。それどころか、先祖累代の家宝を失い、あとは落ちぶれていくだけということになりかねんぞ。だからこそ父上は、ただ家宝を献上するのではなく、そこにお前とエルスターク王子の婚約という条件を付けたのであろう。お前を妻として、王家の楔にするために」
「はい」
フレイヤがすぐに頷いたのを見て、カークは目を見開いた。
「まさか、フレイヤ。今度はアガート王子に嫁ごうと思っているのか」
「それなら俺は反対だ」
キルドラが素早く降参するように両手を上げた。
「お前がまた王都の女になるつもりなら、俺はこの話は下りるぜ」
「二人とも落ち着いて」
フレイヤは苦笑した。
「王子との結婚なんて、義母上ではあるまいし、私にそこまでのことを画策できる力はありません。何よりアガート王子はすでに結婚しております」
「おう、そうか」
カークがほっと息を吐き、キルドラも決まり悪そうに手を下ろした。
シャーバード王国では、第二夫人や第三夫人など複数の妻帯を許されているのは、家長だけだ。それは、王家であっても変わらない。
「だが、それならどうする。“夜空”を売り渡して、それで終わりか」
「いえ」
フレイヤは首を振った。
「“夜空”を手放すのは、まず王都の人々にしっかりと思い出していただいてからです」
「思い出してもらう?」
カークとキルドラは顔を見合わせた。
「何をだ」
「アステリオ家が、誇り高き武門の一族であるということをです」
フレイヤの浮かべた笑みが、まるで獲物を前にした肉食獣のように見えて、カークはごくりと唾を飲み込んだ。急いで“ソレータルの夜空”が入った木箱を抱え直す。
「フレイヤ。お前、いったい何を企んでいる」
「我らの武威を示すために、エルスターク王子にも協力していただきます」
フレイヤは笑顔のままで言った。
「“ソレータルの夜空”を手に入れるためであれば、エルスターク王子は相当にあくどいことをやってくるという確信はあります。ですが、ロイスの遺してくれた我らの宝には、決して触れさせはしない。あんな男になど、その指一本たりとも」
そこまで言ってから、二人の表情に気付いたフレイヤは、失礼、と言った。
「少々、私情がこぼれてしまいました」




