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ゴルルパ

 翌朝早くに、フレイヤは屋敷と父のことをエスコットとミリアに託し、王都を発った。

 さすがにアステリオ騎兵隊の騎乗服姿のままではなかったが、長い髪を縛ってフードに隠し、口元にはマフラーまで巻き、すっかり男装したフレイヤは、一人、供も連れずに西へと馬を走らせた。

 すでにシェナイに向けて早馬は出してある。故郷への道を急ぐ必要はなかった。

 旅の途中、人気のない道でフレイヤは、肺の中に溜まった王都のくすんだ空気を吐き出し、新鮮な空気と入れ替えるかのように、馬と戯れ、時には馬から下りて共に駆けた。

 そうすることで、本来の自分に戻っていくような気がした。




 シェナイと呼ばれる、古くからアステリオ家が治めるその地域は、シャーバード王国の西端に位置している。

 シェナイのことは、ゴルルパ抜きにしては語り得ない。

 そこは、異民族ゴルルパの盤踞する外法の地と境を接しているからだ。

 たびたび国境を侵して略奪を働いていくゴルルパ族は、勇猛な騎馬民族だけあって一人ひとりが剽悍な騎兵であり、代々のアステリオ家当主はその対処に頭を悩ませてきた。

 戦にはめっぽう強いが絶対的に人口が少ないゴルルパ族が、王都の近くまで侵攻することはまれだったが、彼らの本拠と隣接するアステリオ家領のシェナイは、格好の略奪場であったのだ。

 かつて、時の当主が王家に要請し、国軍の主力を差し向けてもらったこともあった。

 だが、相手は逃げ足の速い騎兵だ。主力の到着を察した敵がたちまちに逃げ去った後、アステリオ家はようやく到着した国軍に対する饗応で破産しそうになった。

 結局は、ゴルルパによる被害が主にシェナイにしか及ばないので、王家も本腰を入れた対策を打たないのだ。

 王家にとっての宿敵は昔からずっと、東の強大なアシュトン帝国であって、数十年に一度しかシェナイを越えて攻め寄せてくることのない西の異民族ではないのだろう。

 そう悟ったアステリオ家の当主たちは、知恵を尽くし、和戦、硬軟の両面を使い分けてこの厄介な宿敵に対処してきたのだが。

 そこに、一代の英傑が現れた。

 それがフレイヤの父、ヴォイド・アステリオだった。

 彼には卓越した軍才があった。

 歩兵主体のアステリオ軍は草原ではゴルルパ族に絶対に敵わない、というのはシェナイに住む者にとっては常識だった。

 かつてヴォイドの祖父に当たる先々代当主が、度重なる略奪に業を煮やしてゴルルパの地に攻め込んだ結果、多くの兵士とともにその首を敵の族長に獲られるという大敗北を喫して以来、誰もその常識を疑うことはなかった。

 ゴルルパの獰猛な騎兵どもを止めるには、城壁のある砦に籠るか、騎兵がその力を発揮できない森や沼地に拠るしかないのだ、と。

 だが、その常識を覆したのがヴォイドだった。

 異民族に学ぶことを良しとしない歴代当主たちと違い、ヴォイドは積極的にゴルルパから学んだ。そして、独自の手法で精強な騎兵隊を作り上げた。

 かつての苦い敗北を知る古老たちは、騎兵隊など作ったところで、馬上の民であるゴルルパに敵うはずはない、先々代の二の舞になるばかりだ、と囁き合った。

 しかしじきに、彼らが自分たちの誤りを認めなければならなくなる日が来た。


 ある時、ゴルルパ族の大集団が略奪に現れ、各地を荒らしまわった後で、城塞に籠ったアステリオ軍によってようやく撃退された。

 戦利品を抱えたゴルルパ兵たちが悠々と引き上げていく、ヴォイドはまさにそのときを狙った。

 ゴルルパ兵たちは油断しきっていた。シェナイが見えなくなるくらいまで離れてしまえば、もう彼らに追いつけるような部隊は、アステリオ側には存在しないはずだったからだ。

 はち切れんばかりの戦意を漲らせた騎兵隊の戦士たちは、これまで積んできた厳しい訓練が全てこの日のためであることを理解していた。

 そして彼らを直接率いたのは、ヴォイドその人だった。

 領主自らが先頭に立ち、駆けに駆けた騎兵隊は、ゴルルパ軍を背後から切り裂いた。油断に加え、それまでの連戦で馬が疲弊していたゴルルパ兵たちは、まともな反撃もできずに総崩れとなり、多くの戦死者を出した。

 それだけでも赫々たる戦果だったが、雪辱を期すためにゴルルパの大族長ウルグク自らが率いてきた大軍勢を迎え撃った時、ヴォイド・アステリオの名は不動のものとなった。

 城塞を出て、草原に陣を構えたアステリオ軍に、ウルグクは勝利を確信した。

 前回は不意を突かれたが、草原でまともに戦えば、敗れるはずはないと。

 しかし、ここでもヴォイドの育成した騎兵隊が勝敗を分けた。

 前回の勝利は、アステリオ騎兵隊に大きな自信を与えていた。

 俺たちでも騎馬でゴルルパに勝つことができた。騎兵はゴルルパだけのものではない。

 その勢いが、そのまま戦いの勢いにもつながった。

 歩兵たちの援護を受けて猛然と突撃してきたアステリオ騎兵隊の勢いは凄まじかった。アステリオの騎兵風情、と見くびっていたゴルルパ軍はその鋭鋒を受け止め切れず、算を乱して敗走した。

 草原での真正面からの会戦で、ゴルルパが敗れるのは初めてだった。

 その後に続く二度の戦いにも敗れたゴルルパの大族長ウルグクは、ヴォイドに休戦の和解を申し入れ、今後もうアステリオ領に侵入しないことを誓ったのだ。

 西の異民族を退けたどころか、その領地まで攻め込んで屈服させたヴォイド・アステリオの勇名は、シャーバード王国中に轟いた。

 ヴォイド将軍がシェナイにいる限り、ゴルルパはもう王国に指一本出すことは出来まい、とさえ言われた。

 と、ここまでがフレイヤの父ヴォイドの人生の絶頂期だ。

 物語ならば、そこで終わっておけばよかったのだ。

 勇敢なるヴォイド将軍は仇敵を退け、領地に平和をもたらしました。めでたしめでたし、と。

 そうすれば、英雄は英雄のままで死ねたというのに。

 だが、人の一生は誰かによって書かれた物語ではない。英雄が英雄のままで終わることは、極めて稀だ。



 宿敵を退けたヴォイドは、己の名声を頼りに王国中央の政界へと打って出た。

 早くに妻に先立たれていたヴォイドは、王都の屋敷を一新すると、中央の有力者の娘を後妻に迎え、それを足掛かりにして政界への進出をもくろんだのだ。

 俺は王国の西の端で一生を終えるような男ではない。中央で国を動かす男になるのだ。

 ヴォイドには、そういう野心があった。

 自領シェナイを息子――フレイヤの兄カークに任せ、ヴォイドは娘を連れて意気揚々と王都に乗り込んだ。

 けれど、ゴルルパの大族長すら屈服させたほどの軍才を持つヴォイドであったが、大貴族の間を遊泳して仲間を増やし、勢力を築くような才能は全くと言っていいほどなかった。

 長年にわたって国を動かしてきた海千山千の貴族たちにとって、ヴォイドなどは穢れを知らぬ純朴な乙女のようなものだった。

 笑顔で近付き、その勇名を褒め称えつつ、彼らはヴォイドの、ひいてはアステリオ家の財産を吸い上げ、それから簡単に裏切った。

 無様な失敗を重ね、日に日に酒量ばかりが増え、覇気を失っていくヴォイドにとって、頼みの綱は娘のフレイヤだった。

 フレイヤは故郷のシェナイではこっそりと騎兵隊に加わり、父の隣で先頭に立って敵陣に突撃するほどのじゃじゃ馬娘であったが、原石のような美しさを秘めていた。

 ヴォイドは王都で彼女に専門の家庭教師を付け、その美貌を磨くとともに令嬢としての教育を施した。

 フレイヤ本人はそれを望んではいなかったが、父のため、家のため、それも娘の務めと覚悟を決めた。そして血の滲むような努力の結果、三年が経った頃には彼女は生来の美貌と相まって、どこに出しても恥ずかしくない麗しい令嬢へと成長していた。

 そこで、ヴォイドの参謀役となっていた後妻のルーシアが画策したのが、第二王子エルスタークとの結婚だった。

 西方で勇名をとどろかせた猛将の娘とはいえ、王家の家格とはどうしても釣り合うはずのない話だったが、ルーシアには勝算があった。

 エルスタークを動かしたもの、それはアステリオ家の持つ家宝、“ソレータルの夜空”の存在だった。




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