ダンス
ガラザドとフレイヤ。二人の振るう白刃が篝火に照らされ、時折きらりきらりと光った。
「ふっ」
鋭く息を吐きながら、ガラザドが蛮刀を振り下ろす。
まともに受けたら、身体ごとなぎ倒されてしまう。
それほどの威力であることは、フレイヤにも分かっていた。
だから、飛び退いてかわす。
ガラザドは、フレイヤの反撃など恐れてもいないかのようにぐいぐいと踏み込んでくる。
そして事実、フレイヤの方にも反撃する余裕などなかった。
連続で繰り出されるガラザドの攻撃を、必死に飛び退きつつかわしていたところで、ウルグクから声がかかった。
「おい、どこまで行くつもりだ」
その言葉に、ガラザドが動きを止める。
フレイヤの背中にテントの幕が触れた。いつの間にかフレイヤはテントの隅に追い詰められていた。
「興が削がれる」
ウルグクはそう言って杯を呷った。
「俺から見えるところでやれ」
「もう一撃もあれば決まっておりましたぞ、父上」
ガラザドは苦笑してそう言うと、蛮刀を無造作に下ろし、フレイヤに背を向けた。
そのまま、父の方へと歩き出す。
ガラザドの剣の速さもその力強さも、先ほど渡り合ったウルグクよりもさらに上だった。
だが、それでもここまであっさりと無防備な背中を晒すとは。
舐められている。
それに気付いたとき、フレイヤは逆上しかけた。
激情のままにこの男の背中に飛びかかりたい衝動に駆られたが、必死でそれを抑える。
ガラザドの態度は実力に裏打ちされたものだ。
おそらく飛び掛かったところで、待っていたとばかりの振り向きざまの一刀を浴びせられるのが落ちだ。
自分達にはそれだけの実力差があると、ガラザドは思っているのだ。
落ち着きなさい、フレイヤ・アステリオ。
たくさんのものを犠牲にして、あなたはここまで何をしに来たの。
フレイヤは剣を下ろし、深く息を吸い込む。
目的のものを前にしてつまらない感情に流されるくらいならば、そんなもの、最初から欲しがるべきではなかったのよ。
自分の、自分たちの誇りを取り戻す。あなたはそのために来たのでしょう。
「来い、フレイヤ」
ガラザドが、座るウルグクの前に立ち、フレイヤを振り返った。
「ここで、俺と楽しもう」
わざと卑猥にも聞こえる言い方をしていることが、フレイヤにも分かった。
遊んでいるつもりなのだ。
さっき、ウルグクもこれを余興だと言っていた。
“ソレータルの夜空”。
ゴルルパたちの言う“悍馬の瞳”。それはフレイヤたちにとってはかけがえのない誇りの象徴だけれど、ウルグクたちにとっては、嫌がらせで敵から奪い取ってやったという程度の宝石なのだ。
余興の景品。
上手く踊れたら、これをくれてやろう。さあ、踊ってみせろ。
今、フレイヤはそう言われているのと一緒だった。
本当に、舐められたものだわ。
胸いっぱいに吸い込んだ息を、フレイヤはゆっくりと吐き出す。
ダンス。
王都で、自分をどれだけ殺して、血の滲むような努力を重ねて、王子の婚約者として恥ずかしくないだけのダンスを身に付けたことか。
フレイヤはそのダンスを楽しいと思って踊ったことは一度もなかった。
けれど、自分の誇りを懸けて踊っていた。
父のため、アステリオ家のため、シェナイのために。
フレイヤは、先ほど自分が地面に投げ出した荷物を見た。
ここまで、あれを持ってきたのは何のためだ。
フレイヤの目に、新たな炎が宿る。
私のダンスを余興と思っていると、死ぬぞ。
ゆっくりと歩み寄って来るフレイヤの変化に気付いたのはウルグクだった。
「ガラザド」
ゴルルパの大族長は、低い声で息子の名を呼んだ。
「この娘、戦をするつもりだぞ」
だがガラザドにはまだ父ほど鋭敏な感覚が備わっていなかった。
若さゆえの有り余る性欲が彼の目を曇らせたのかもしれなかった。
「そんな冷たい目をしたお前もまた良いな、フレイヤ」
ガラザドはにやけた顔でフレイヤにそう呼びかけた。
「腹の下がぞくぞくする」
左手で自分の下腹部をぴしゃりと叩く。
フレイヤは答えなかった。ガラザドの前に立つと、両足をぴたりと一直線に揃え、腰をすっと真っ直ぐに伸ばす。
直立。敵の目の前ですることなどおよそあり得ない姿勢。
フレイヤはそのまま両腕をしなやかに広げた。
それはまるで闇夜の草原に突如開いた一輪の花のようだった。
「お……」
ガラザドが気勢を削がれたように瞬きする。
ゆらり、と流れるようにフレイヤが動いた。
まるで優雅な踊り出しのような、ごく自然な動きだった。
「ガラザド!」
ウルグクの怒号で、ガラザドは我に返った。その時にはフレイヤの白刃が喉元まで迫っていた。
「くわっ」
とっさにのけぞってそれをかわし、ガラザドは奇声を上げた。
「フレイヤぁ!」
フレイヤがふわりと舞う。
地面を叩く、軽やかなステップ。
王都で身に付けたダンスの動きを、フレイヤは自分の解釈で再構築していた。
戦いのために。
ガラザドの剣を、華麗に身をよじってかわすと、フレイヤはくるりと回ってみせた。
まるで彼女自身とは別の生き物のように、意外なタイミングで剣が飛んでくる。
直線的な男性の剣とはまるで違う軌道。読めない。
ぎりぎりで受け止めたガラザドの目の前で、フレイヤが妖艶に微笑んだ。
「な…」
ガラザドが目を奪われた次の瞬間、その胸から血が噴き上がった。
「ぐうっ」
ガラザドはよろめいて剣を構え直した。
浅かった。
さすがにガラザドも手練れの戦士。ぎりぎりで身体を引いていた。
フレイヤはなおも追撃しようとしたが、ガラザドの目に本気の光が宿る。
「奇妙な動きよ。だが」
突き出されたフレイヤの剣を、ガラザドが弾く。
「剣だけを見れば、どうということはない」
剣の腕は、ガラザドの方が遥かに上だ。油断せず、落ち着いて剣をさばけばフレイヤに後れを取ることはない。
だが、その程度のことは、フレイヤにも分かっていた。
ならば、獲ってみろ。私の首を。
ここからは、二人の意地のぶつかり合いだ。
その時だった。
突如テントの幕を巻き込むようにして、何かが二人の間に飛び込んできた。
巨体の戦士が何者かに吹き飛ばされてきたのだ。
「くっ」
「うおっ」
とっさにフレイヤは身を引いたが、ガラザドはそうはいかなかった。
戦士にまともにぶつかられ、ひとたまりもなく一緒に倒れ込む。
ガラザドの身体の上で白目を剥いて失神しているのは、ロイスの迎撃に向かったはずのロウグバだった。それを追うようにして、漆黒の戦士が飛び込んできた。
殺気が、まるで蒸気のように全身から汗とともに立ち上っていた。
黒騎士ロイス。
その異名通りの武勇を、いま彼はゴルルパ相手に存分に発揮していた。
「姫様に触れるな」
額から鮮やかな血を流しながら、ロイスが吼えた。
「貴様」
ロウグバの下でガラザドが喚く。
「無粋な真似を。邪魔をするな」
だが、ロウグバの巨体をどかそうと上体を起こしかけたガラザドの首に、剣の切っ先が押し当てられた。
フレイヤだった。
「私の勝ちですね、ガラザド様」
ガラザドが歯を剥きだして唸る。フレイヤは冷たく微笑んだ。




