包囲
翌朝、日の昇る前にフレイヤたちは出発した。
ゴルルパ騎兵は姿を見せなかった。
一度、遥か遠くに数名の騎馬の姿を認めたが、そちらを見やったキルドラは、
「子供がいる。普通の家族だな」
と首を振った。
彼らの方でも、三騎の騎馬に興味を示すことはなかった。
日が昇り、朝の光が真っ直ぐに駆ける三人の姿を照らし出す。
それから二度、ゴルルパの民の騎馬とすれ違った。
いずれも遠くにその姿を認める程度だったが、ゴルルパの人々との接触が増え始めていた。
彼らの現在の本拠であるレゴウの谷にもうそこまで近付いているのだから、それは当然のことだ。
ゴルルパの民も特別に警戒しているようには見えなかった。
巡察隊の追撃は、撒いたのではないか。
このまま、谷までたどり着ければ。
フレイヤのそんな内心をまるで見透かしたかのように、キルドラが顔をしかめた。
「風に、匂いが混じっている」
「えっ」
フレイヤは自分の周りを吹き抜ける風の匂いを嗅いでみるが、草と土の香りがするばかりだ。
「私には分からない」
「俺にも、これが何の匂いかは分からん」
キルドラは言った。
「どこかで普通の一家が変わった食い物でも作っているだけかもしれん。だが、気を付けるに越したことはない」
キルドラの言う通り、確かにここまで来れば一般のゴルルパの民の生活臭というべき匂いが漂ってきて当然だろう。
それでも周囲に最大限の警戒を払いながら、三人は進んだ。
足もとに、ごろごろとした岩が増え始めた。
道など何もない広大な草原は、この辺りから岩場によって徐々に狭められていき、やがて数本の道となる。
道の続く先が、レゴウの谷だ。
そこまで行けば、馬鹿正直に道を通っていくわけにはいかない。それは自分たちを見付けてくださいと言っているようなものだ。
だからフレイヤたちは、馬を捨て岩場を踏破して谷に侵入するつもりだった。
しかし、岩場がずいぶん増え、そろそろ馬を捨てようかという頃、キルドラが舌打ちした。
「囲まれたぞ」
その言葉に、フレイヤは周囲を見回す。
岩場の陰に、微かに動くものが見えた。
「ここまで来て」
「ここまで来させたんだ」
キルドラは低い声で言った。
「茫漠とした草原を探し回るよりは、岩場によって狭くなった場所で待ち構える方が確実だからな」
「私たちの目的地がレゴウの谷だと気付かれていたってこと?」
「そう見た方がいいでしょうな」
ロイスがそう言いながら、フレイヤの前に出る。
やはり、二度目の戦いで討ったゴルルパの中に生き残りがいたのか。それとも、追手の中に勘の働く鋭い人間がいたのか。
「だが、ここだけに的を絞っていたわけではないようです」
ロイスはすでに敵の数を確かめていた。
「突破できぬ人数ではありません」
ロイスの言う通り、周囲の岩場の陰から三人を包囲するようにばらばらと現れた敵の数は、二十人にも満たなかった。
正面から全員を討ち取るのは至難の業だが、囲みを突破するだけなら、三人の技量をもってすればできないこともなさそうだ。
「やるしかないわね」
瞬時に、フレイヤは決断した。
「突き抜けましょう」
「おう」
「はっ」
三人の馬が同時に速度を上げたのを見て、自分たちに気付いたことを察したのだろう。ゴルルパ騎兵たちはゴルルパ語で何か叫びながら、一気に包囲を狭めてきた。
だが、走りやすい土の上を走っているのはこちらだ。
ゴルルパたちは岩場を駆けてくる。
馬の速度の利は、フレイヤたちにあった。
先頭をロイス。中央にフレイヤを挟んで、後方にキルドラ。
それでもやはり、ゴルルパは馬上の民だ。岩場をものともせずに駆け抜けてきた騎兵二人が三人の前に立ちふさがる。
ロイスが馬の上で、フレイヤの盾になるかのように身体を起こした。
ここで速度を落とせば、たちまち囲まれるのは必定だ。
一気に突破するしかない。
「ロイス!」
「お任せあれ」
フレイヤの声に応えるように、ロイスが剣を抜く。
そのまま、馬を敵の馬にぶつけるように寄せていく。
剣の唸る音が二度。
黒騎士とあだ名された豪剣によって、敵は二名とも一合も斬り結べぬままに馬から弾き落とされていた。
「さすが」
このまま抜けられる。
地に這う敵兵の脇を駆け抜け、そうフレイヤが思ったときだった。
無数の風切り音が耳をつんざいた。
周囲から駆け寄ってくるゴルルパ騎兵が、三人に向けて一斉に矢を放ったのだ。
「くっ」
フレイヤはとっさに身を伏せたが、厚手の外套に矢が突き刺さる。ちくり、と鋭い痛みが走った。
まだ、この程度なら大丈夫。
次の瞬間、馬が跳ねた。
三人の乗る馬にも、幾本もの矢が突き立っていた。
振り落とされないよう馬にしがみつくフレイヤとロイスとは対照的に、キルドラは一瞬の躊躇もなく乗馬を捨てた。
「乗り替えろ!」
敵兵の乗っていた馬二頭の手綱を捕まえて、キルドラは叫んだ。
「早く!」
次の瞬間、フレイヤの身体は強い力で持ち上げられていた。
自分がロイスに抱きかかえられたのだと理解するまで、わずかな時間を要した。
馬から馬へ飛び移るようにして、フレイヤを抱きかかえたままロイスは新しい馬を乗り替えると、そのまま走り出す。
「よし、いいぞロイス!」
キルドラの声に、フレイヤは振り向く。
もう一頭の馬に、キルドラは乗っていなかった。地面に立ったまま、弓を手にしている。
「あなたも早く!」
フレイヤが叫ぶ。
キルドラは、一瞬ちらりと白い歯を見せて笑った。
「俺はここで食い止める」
「何を」
「先に行っていろ。後で追いつく」
キルドラに、たちまち無数の矢が射かけられた。
馬の陰に隠れてそれをかわすキルドラの姿が、フレイヤの後方にたちまち遠ざかっていく。
ゴルルパたちが、フレイヤたちの方を見て何か叫んでいる。
放たれた矢が数本、ロイスとフレイヤの身体をかすめた。
ロイスはキルドラを振り返らなかった。
フレイヤを抱えたまま、前だけを向いて馬を走らせる。
「キルドラ!」
フレイヤの叫び声は、草原に飲み込まれるようにして消えた。




