襲撃
闇夜に火の粉が舞った。
ゴルルパ兵たちの叫び声。その手に持つ松明が揺れる。
闇の中でフレイヤは弓に矢をつがえた。
こうなってしまった以上、ためらうことは許されない。
一人も生かしては帰してはならない。
それはこちらの計画が露見してしまうことを意味しているのだから。
フレイヤは先ほどの己の失態を思い出す。
昼の間潜んでいた茂みを出て、三人を乗せた三匹の草原狼は夜の草原をひた走った。
微かな煙の臭いには、草原狼たちはとっくに気付いているようで、自分を乗せたリオが時折鼻を動かすのがフレイヤにも分かった。
目指すレゴウの谷はその方角だ。
そっちに向かうわよ。
手綱を持つ手に力を込めて、フレイヤは煙の方向に向かって真っすぐに突き進む。
やがて、遥か彼方に赤い炎が見えた。そこにちらちらと黒い影が見え隠れする。
フレイヤは目を凝らした。
「……四人だ」
いつの間にか近くに自分の草原狼を寄せてきていたキルドラが、フレイヤに囁く。
「ゴルルパの巡察隊だ」
だがそう言われても、フレイヤにはまだ彼らの人数は判然としなかった。
王都での生活に慣れてしまったせいで、視力が衰えたのだろうか。
「巡察隊?」
だからそう訊き返すしかなかった。
「間違いないのね?」
「街で暮らすと、じきに目が利かなくなるんだ」
キルドラは吐き捨てるように言う。
「王都ともなれば、なおさらなのだろうな」
「端的に話せ、キルドラ」
後ろから追いついてきたロイスが低い声で言った。
「姫様、あれはこの辺りを巡回しているゴルルパ騎兵です。武装しています。ご決断を」
ロイスにも見えている。ということはやはり自分の目が衰えたのだ。
巡察隊か。
騎兵ではなく、ただのゴルルパの一家ででもあったのなら、捨て置いて先を急ごうと思っていた。一般のゴルルパに見付かったところで、どうということはない。
だが、巡察隊であれば話は別だ。
今あそこにいるのがわずか四人であっても、彼らは火や煙や草や、そのほかフレイヤも知らないあらゆる手段と方法で、仲間である別の巡察隊に急を告げる。
情報を受け取った巡察隊は、また次の巡察隊へ。
この広大な草原に散っている無数の巡察隊に伝わっていく。
その情報受信の速さは驚くほどだ。
「私たちが草原狼で動いていることが知られれば、こちらの利点を失うわ」
フレイヤは言った。
「迂回して行きましょう」
「分かりました」
ロイスが頷き、二匹の草原狼が離れていく。
フレイヤはリオを大きく右へと進ませた。
火が近付くにつれ、フレイヤにも彼らの姿が見えた。
向こうからは見えていないだろうが、彼らの囲む焚火のおかげで、こちらからははっきりと見えた。
火の周りで酒を飲む大柄の男たち。
黒い革の鎧。炎に反射してきらめく剥き出しの剣。
ゴルルパ騎兵だ。
それを目にした瞬間、フレイヤの血は滾った。
あいつらが奪ったのだ。
突発的に、そう思った。
我らアステリオ家の、そしてシェナイの民の誇りたる“ソレータルの夜空”を、あいつらが。
もちろん、この巡察隊の男たちが“ソレータルの夜空”を奪っていった賊と同一ではないであろうことは、フレイヤにも頭では分かっていた。
だが、ゴルルパ騎兵のあの武装。
かつて父に率いられ、血で血を洗うあの大会戦を戦った相手。
フレイヤは、彼らが王国の街道に押し寄せ、家宝を運ぶアステリオ家の一行に向けて雨のように矢を降らせる様をまざまざと想像してしまった。
おのれ、ゴルルパ。
自分の血の中に流れるシェナイ人としての。代々、王国の最前線を守ってきた誇り高き一族としての。ゴルルパへの怒り。
その殺気が、一瞬自分の身体から矢となって放たれたような気すらした。
無論、それは単なるフレイヤの錯覚に過ぎなかったのだが。
しかし言葉に出さなかったフレイヤのその激情に、強く反応した者がいた。
職務に忠実な幼馴染のロイスでも、フレイヤと最も対等に付き合っている幼馴染のキルドラでもない。
遠くに見えるゴルルパの四人の男たちでもなかった。
それは、フレイヤの跨る草原狼、リオだった。
フレイヤの殺気をそのまま体現するかのように、リオは草原の乾いた土を蹴って向きを変えた。
「リオ、だめよ」
思わずフレイヤは手綱を引く。
だが、リオは止まらなかった。
そのまま一直線に、ゴルルパの炎目がけて突っこんでいく。
「おい、フレイヤ!」
背後から押し殺したキルドラの叫び。
「違う」
フレイヤは首を振る。
私じゃない。
これは、リオが勝手に。
だが、ゴルルパが目の前に近付くとフレイヤは己の心の声を訂正した。
いや。
やはり、これは私の意志だ。
身を低くして、腰の剣を抜く。
私が、こいつらを斬りたかったんだ。リオはそれに応えただけだ。
その殺気に、人よりも獣の方が敏感に反応した。
ゴルルパの馬が一斉にいななく。
ようやく異変を察知した男たちが立ち上がった。
フレイヤたちの方を見て、叫び声を上げる。
「ユエンロウ」
彼らの言葉の中に、その単語が聞き取れた。
「リオ」
フレイヤは自分の跨る草原狼の耳元に口を近付け、ささやいた。
「そのまま突っ込んで。速度を落とさずに」
草原狼は吠えることでそれに応えた。
フレイヤの乗る太陽は、敵の真っただ中に突っ込んだ。
男たちは転がるようにして草原狼を避ける。
フレイヤの振るった剣も空を切った。
ゴルルパ語の罵声が飛び交う中に、月と星が突っ込んできた。
キルドラの蛮刀がゴルルパの肩を切り裂く。呪いの言葉を吐きながら、その男は走って逃げだした。
ロイスの強烈な一撃が、別のゴルルパの首を斬り飛ばす。
「逃がすな」
フレイヤは叫んだ。
「一人も生かして帰してはならない」
たちまち半分の仲間を失ったゴルルパの残り二人は、戦うことなく馬の方へと走った。
「リオ!」
フレイヤの叫びに応じて、巨大な草原狼が跳躍する。逃げようとするゴルルパの、そのすぐ後ろまで。
背後から獣にのしかかられたゴルルパ兵が足元で悲鳴を上げた。
その手に持っていた松明が地面に落ち、火の粉が舞う。
フレイヤはそのまま身体を捻って弓に矢をつがえた。視線の先に、キルドラの討ち漏らした男が走っている。その背中に向けて矢を放つ。
追いかけていたキルドラの目の前で、男はフレイヤの矢を受けて倒れた。
あと一人。
フレイヤは最後の敵を探す。
最後の男は仲間に目もくれずに馬に飛び乗ろうとしていた。
だが、その胸を矢が貫き、男は弾かれたように馬から転げ落ちる。
ロイスだった。
「ロイス」
弓を下ろしたロイスにフレイヤが声を掛けた時だった。
「姫様!」
「フレイヤ!」
ロイスとキルドラが同時に叫んだ。
「足元!」
フレイヤはそれと同時に、身体をよじって足元からの一刀をかわす。
虚しく剣を振ったゴルルパが、血にまみれた顔を歪めた。
フレイヤが剣を突き出し、その喉を貫く。
戦いは終わった。
背中からフレイヤに矢を射られた男だけが、まだかろうじて息があった。
「お前ら、シェナイ人だな」
荒い息をつきながら、男はゴルルパ語で言った。
「草原で我らを敵に回して、生きて帰れると思うなよ」
「生きて帰るつもりなんて、俺には最初からない」
キルドラがゴルルパ語で答える。
「それより知ってるんだぜ。お前らの頭のウルグクは軍を率いて北に向かったそうだな。いまやレゴウの谷はもぬけの殻だろう」
キルドラが冷たい笑顔で言うと、ゴルルパ兵は末期の青ざめた顔に嘲りの笑いを浮かべた。
「ばかめ。大敵ヴォイドならいざ知らず、その息子ごときの挑発に」
喋りながら、ごぼりと血の泡を吹く。
「我らの大族長が簡単に乗ると思うか。谷は堅牢だ。この草原で路頭に迷うがいい」
そう吐き捨て、男は最期に呪いの言葉を口にして息を引き取った。
「……何て言ってたの」
フレイヤが尋ねる。フレイヤもロイスも、簡単なゴルルパ語なら聞き取れるが、この速さで喋られるとさすがに無理だった。
「朗報だ」
キルドラは答える。
「ウルグクは、まだレゴウの谷にいるぞ」




