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令嬢フレイヤ・アステリオは屈しない  作者: やまだのぼる@アルマーク4巻9/25発売!


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覚悟

 ロイスの迅速な手配により、練兵場の一角に作られた高い柵の内側に、三匹の草原狼が放されると、フレイヤは毎日そこへ通い、飽きることもなく三匹の様子を眺めた。

 手ずから餌を与えてみようともしてみたが、キルドラの言った通り、狼たちは決して寄っては来なかったし、人に心を許すこともなかった。

「精が出ますな」

 業務の合間に姿を見せたロイスは、柵の前に佇むフレイヤにそう声をかけた。

「毎日、姫様の姿をお見掛けしている気がしますが」

「ええ、彼らのところに日参しているの」

 フレイヤは狼たちから目を離すことなく、そう答える。

「キルドラも、一度だけ来たわ」

「そうでしたか」

 ロイスは微かに目を見張った。

「あいつめ、私のところには顔も出さずに」

「あなたの仕事の邪魔をしちゃ悪いって言っていたわよ」

 フレイヤが言うと、ロイスは苦笑する。

「姫様のお気持ちは嬉しいですが、それも嘘ですね。あの男にはそんな気遣いはできません」

「あら」

 シェナイに帰ってきたときにも、ロイスから嘘が下手だと指摘されたことを思い出し、フレイヤはばつの悪い顔をした。

「だめね、私は。あなたにはすぐに見破られてしまう」

「姫様が悪いのではございません。気遣いをせぬキルドラが悪いのです」

 冗談めかしてそう言った後で、ロイスは表情を改めてフレイヤの隣に立ち、柵の中を見た。

「いかがですか。認めさせるための策は見えてまいりましたか」

「少しずつね」

 フレイヤは頷いた。

「と言っても、策、なんてものじゃないのだけれど」

 そう言って、柵の奥でうずくまっている灰色の獣を見る。

「彼らに認められるのに、小賢しい知恵は要らない気がするの」

 フレイヤは自分に言い聞かせるように言った。

「人の知恵を彼らが評価するとは思えない。必要なのは、策じゃなくて覚悟なのだと思う」

「覚悟、ですか」

 ロイスはその言葉に顔を曇らせる。

「姫様はいつも正面突破ですな。しかし、相手は道理の分からぬ獣。あまりに危険であれば、私は止めます」

 それも私の役目ですから、とロイスは言った。

「ありがとう、ロイス」

 フレイヤは微笑む。

 ごめんなさい。

 そう心の中で付け加える。

 ロイスに止められても、私はやるだろう。

 新月が近付いていた。あまり時間はかけられない。



 フレイヤから突然に呼び出しを受けたロイスとキルドラが練兵場にやって来たのは、それから二日後の夜のことだった。

 二人は、松明の灯に照らされたフレイヤが一人で柵の前に立っているのを見て、目を見張った。

「姫様」

 ロイスが不審そうに声を上げる。

「こんな時間にお一人ですか。しかもそのお姿は」

 ロイスがそう言うのも無理はなかった。フレイヤはアステリオ騎兵隊の騎乗服姿だったのだ。

 長い赤毛を、頭の後ろできつく縛ったフレイヤは、まるでこれから戦場に赴くかのようだった。

「ごめんなさい、ロイス。やっぱり正面突破することにしたわ」

 フレイヤは言った。

「まさか」

 その言葉だけで、ロイスはフレイヤの意図を悟った。

 今は主従の関係とはいえ、やはりそこは幼馴染の二人だった。

「いけません、お待ちください」

 慌てて駆け寄ってくるロイスにフレイヤはちらりと微笑むと、柵に引っ掛けてあったロープを掴んだ。

 二人が来る前に用意しておいたそのロープを伝い、フレイヤはキルドラさえも驚くほどの敏捷さで柵を乗り越えた。

「姫様!」

 ロイスが叫ぶが、フレイヤは彼がたどり着くよりも早く、そのロープを内側に引っ張り込んでしまった。

「何とばかな真似を。危険です、早く外へ」

「そこで見ていて、ロイス」

 フレイヤは言った。

「彼らには言葉が通じないんだもの。私の命を晒さなきゃ、信頼なんて得られるわけがない」

「それを見届けろと言うのですか、この私に。姫様の喉笛に狼が食らいつくところを」

 ロイスは柵に手を掛けた。

「力づくでも、お戻りいただきます」

 だが次の瞬間、ロイスの身体は背後から羽交い絞めにされた。

「お前は過保護なんだ、ロイス」

 キルドラはそう言って、旧友の身体を強引に柵から引き剥がす。

「俺は、いい線いっていると思うぞ。フレイヤ」

 ゴルルパ族譲りの剛力でロイスを押さえ込みながら、キルドラはフレイヤに言った。

「その騎乗服は、お前の覚悟の表れだ。そうなんだろ?」

「ええ」

 フレイヤは頷く。

「今の私の命を晒すなら、この服が相応しいと思ったの」

「どけ、キルドラ」

 ロイスが喚いて身体の力を振り絞った。

「そんなことを言っている場合か」

「だからロイス、お前は大人しくしていろと、うおっ」

 身をよじったロイスの、予想外の力の強さに、キルドラの腕は振りほどかれた。

「姫様、前!」

 ロイスは叫んだ。

 練兵場の隅の暗がりに、草原狼の青い目が光っていた。

 土を蹴る微かな爪音。

 二匹は後方に控えたままだったが、先頭の一匹がフレイヤに躍りかかってきた。

 フレイヤはとっさに身をかわす。

 だがフレイヤの予想よりも草原狼の攻撃はさらに速かった。よけきれず、鋭い爪が騎乗服をわずかに引き裂く。

 フレイヤは転がるようにして距離を取った。草原狼が唸り声をあげてフレイヤに向き直り、体勢を低くする。フレイヤは丸腰のまま、強大な獣に向き合った。

「姫様!」

「静かにしていろ、ロイス」

 柵をよじ登ろうとしたロイスは、キルドラにまた羽交い絞めにされる。

「お前が叫ぶと、フレイヤの気が散る」

 フレイヤは二人の方に目を向ける余裕もなかった。

 鋭い殺気を孕んだ草原狼の目。それと真正面から向き合っているだけで、全身がびっしょりと汗で濡れた。

「ばかな、姫様が殺されてしまうのだぞ」

 ロイスは叫んで身をよじった。

「俺の目の前でフレイヤさまが。そんなことが耐えられるか」

 家臣としての立場を忘れたように叫ぶロイス。

「ありがとう。ロイス」

 草原狼の挙動から目を離すことなく、フレイヤは言った。

「でも、そこで見ていて。あなたが私を、自分の主だと思ってくれているのなら」

 息を吐き、恐怖と緊張で強ばった全身の力を抜く。

「お……」

 キルドラが目を見張った。

 次の瞬間、短い咆哮を後ろに置き去るほどの速度で、草原狼が突っ込んできた。

 フレイヤは前に踏み込みながら、身をよじる。牙をかわしざま、右手で首の毛皮を掴むと、オオカミの顎を思い切り地面に叩きつけた。

 凄まじい力で顔を上げようとする草原狼の鼻先を、体重をかけた左腕で押さえ込む。

 全身の筋肉が千切れるほどの力を込めて、草原狼の抵抗を押さえ込むフレイヤ。

 声を発する者のいなくなった練兵場に、フレイヤと草原狼の荒い息遣いだけが響いた。

 やがて、勝ったのはフレイヤだった。

 草原狼が、諦めたように全身の力を抜いて地面に伏せたのだ。

「姫様」

 ロイスが呆然と呟く。

 草原狼の目から敵意が消えたのを確認して、フレイヤはそっと両手を離した。

「フレイヤ!」

 キルドラの鋭い叫び。

 その時にはもう、草原狼は身を翻してフレイヤに飛びかかっていた。

 フレイヤの肩口から鮮血が舞う。

「ずるい子ね」

 次の瞬間、草原狼は再びフレイヤによって地面に押さえ込まれていた。

「何度試してもいいわ。私があなたの背に乗るに値する人間なのかどうか、気の済むまでやればいい」

 そう言いながら、フレイヤがまた両手を離す。

 怒りの唸り声とともに、草原狼が躍り上がった。

 フレイヤは、今度はもう自分の身体にも触れさせなかった。フレイヤの両腕が草原狼の大きな身体を地面に強かに叩きつける。

「ははは」

 普段滅多に表情を崩さないキルドラが、声を上げて笑った。

「さすがはフレイヤだ。じゃじゃ馬姫というあだ名さえ可愛く聞こえる」

 フレイヤが手を離すと草原狼が跳躍し、フレイヤは再びそれを押さえ込む。

 何度も同じことが繰り返された。そして東の空が白み始めた頃、ついに草原狼は抵抗をやめた。

 フレイヤが両手を離しても、草原狼はその場から動かなかった。

 かといって、じっとそれを見つめる兄弟たちの方へ逃げることもしなかった。

 命を懸けた者同士にしか分からない、互いの力に対する畏怖がそこにはあった。

 静かな眼差しで自分を見上げる草原狼に、フレイヤは汗まみれの顔で微笑むと、乱れた赤毛をかき上げた。

「あなたに名前を付けなきゃね」

 フレイヤは、東の空に昇り始めた朝日に目を細める。

「リオ」

 フレイヤは太陽の古名を口にした。

「あなたの名はリオ。夜の草原を走る私たちの太陽よ」





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― 新着の感想 ―
[気になる点] リオに乗るのはフレイヤ? リオより小さい2匹の弟妹?にフレイヤより重そうなロイスとキルドラが乗るんですか???
2022/10/28 11:50 退会済み
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