幕間 セオドア
グリーンランド社は、もともと祖父が高ランク冒険者向けに始めた宿屋だ。お金に余裕のある冒険者や富裕層が旅行の際に利用する居心地の良いホテルを展開し、いつしか国内に何店舗も構えるようになり、父が飲食店のグループ会社を設立した。
ただ事業を継ぐだけではなく、時代の流れを読み新しい事業を始めることで、どこかが傾いても会社を維持できるようにというのは父の教えだ。
兄弟は姉と弟がいるが、俺が継ぐのだというプレッシャーがあった。姉はいつか結婚して家を出る。弟は俺にもなにかあれば継ぐが、何もなければグループ会社を継ぐことになるだろう。
俺は産まれたときからずっと、次期社長として育てられてきた。俺が物心ついたときには母親は他の男と出ていっており、父親は仕事で忙しいことを理由に専属の使用人に育てられた。親から教育されることはあっても、愛情は知らない。
お金に不自由はしなかったが、生活は不自由だった。社長になるからには部下のまえで弱気になってはいけない。皆がついていきたくなる人間にならなくてはいけない。相応しい振る舞いが求められた。「次期社長」の肩書きは、俺が生きる基準となった。
会社の後継ぎとして入社した頃から、俺のもとには縁談が舞い込むようになった。
同じような会社を経営する財閥のご令嬢や下位貴族のご令嬢、次期社長になると見込んでの縁談だ。
親の手前、会わずに断ることが出来ない相手だけ顔合わせを行ったが、どのご令嬢も家庭で支えますと言うばかり。母も家庭に入ったが、父が仕事ばかりで不満を抱えて他の男と出ていったことを考えると、家庭に入るというのがよくわからない。家庭に入り、そこで何をしたいのかが見えなかった。仕事をする俺を支えると言ってくれるなら、家庭に入らず共に戦う妻が欲しい。
ある日、瓶詰保存食を販売したいと支店から連絡が入り、話題が本社にあがった。どんな保存食かと聞いてみれば冒険者向けに作られる肉の油漬けだ。常温で柔らかい肉が2ヶ月も持つと人気が出て、供給が追いつかなくなり町中の宿屋や飲食店でも販売することになったと聞いた。開発者から保存するための方法を教えてもらう代わりに売上げの2%を支払う契約をしたいと要望が出たのだ。
まだ町の中でしか販売されていない瓶詰保存食を、グリーンランド社が展開する全店舗で導入したいと部下を向かわせる。すると、契約をしてきた部下から聞いた報告の中で興味深い内容物があった。
瓶詰保存食の開発者はまだ15歳にも関わらず、さらに新たな保存食開発のため、護衛をつけて自らダンジョンに潜る女性だ。
話を聞いたとき、そんな女性がいるのかと驚いた。妻にするならそんな女性が良い。ダンジョンに潜るような勇ましい女性なら、一緒に戦ってくれるだろうか。
好奇心で身辺調査を行った。特に悪い噂もなく、両親の宿屋も借金などのトラブルもない。ダンジョンに潜るときの護衛依頼を受けた男性が求婚しているという噂話があるくらいだった。
軽量化に成功した新たな保存食販売に関する講習会が開かれると聞いて、直接会いに行った。開発者の女性は情報提供のみで会社は持っていなかったため、引き抜きできればわが社で立ち上げる保存食部門の監督を任せたかった。しかし、こちらは難しいのはわかっている。雇われて責任者になるくらいなら、自分で会社を立ち上げるだろう。
もう一つの提案であった縁談の申込みは、まさか断られるとは思ってなかった。自分で言うのもなんだが、夫としてかなり好条件だと思っていたのだ。しかも断った理由が結婚には愛が必要だからだと言う。
愛が条件ならば愛そう。しかし、愛とはなんだ。知らないものを、どうやって示せば良いんだ。
プレゼントを贈れば送り返され、嫌でも会いたくなるように迷惑は承知の上で贈り続けた。会いに来たクレアは今までに出会ったどのご令嬢よりも綺麗だった。俺に媚びるどころか、怒った顔をしていた。
愛せば良いだろうといえば、そんな愛はいらないと言う。相手を決めれば愛せるわけじゃないらしい。ならば愛とはどうやって出来るのか。
このままだと本当に会ってくれなくなる。俺はまだクレアのことを知りたいのに。焦ってどうやったら会ってくれるのかと聞けば、次期社長とは関係なく、ただのセオドアとしてならと言う。
「ただのセオドア」とはなんだ。クレアの話すことは難解過ぎる。俺から次期社長を取り除けば何が残ると言うのか。それは俺の姿をしたナニかだ。
愛とはなんだ。ただのセオドアとはなんだ。頭の中を疑問が埋め尽くす。そして気付いた。次期社長の肩書きがなければ、俺には何もないことを。俺自身は空っぽの人間なんだと。いくら考えても何も残らない事実に愕然とする。
クレアに会いに行ったのは、執着心だ。
次期社長の肩書きを取り除いて俺を見てくれるのはクレアしかいない。俺はどんな人間だ。愛するとはなんだ。愛を求めるからには、クレアは人を愛することが出来るんだろう。クレアに俺を愛して教えて欲しい。空っぽの虚無感を埋めて欲しい。その時の俺はクレアしか見えなかった。だから会いに行った。ただの客なら断られないだろうと計算して。
クレアは講習会やホテルに会いに来たときと違い、化粧もせずお世辞にも綺麗な姿だとは言えない素朴な町娘の姿だった。髪は無造作にまとめられ、アホ毛が飛び出てる。綺麗な格好は女の装備品だと言ったが、素がこれなら確かにあれは装備品だと納得した。
無愛想に接客しながら働くクレアは、保存食のクレアだと言われなければ気がつかない。クレアには保存食のクレアと、宿屋の娘のクレアの顔があるのだろう。俺には次期社長の1つしかない。
子供じみているのはわかっている。部屋で休めと俺を置いていこうとするクレアを抱きしめて好きだと言ったが、クレアを愛しているのか本当はよくわかっていない。ただクレアに執着していた。ただの俺として見てくれる人を手放したくなかった。なんとしてでも俺のものにしたかった。
お茶する時間ならと、少しだけ会う時間をもらえるようになり、夕方のチェックインで忙しくなる少し前の時間にたまに宿屋へ行くようになった。
俺に対して迷惑そうにしながらも、なんだかんだお茶を入れてくれたり、休憩に付き合ってくれたり、自分がどんなものが好きか探すのに読書が良いんじゃないかと教えてくれたりする。俺に対して無愛想なだけで、本来は優しい性格なんだろう。
最初から嫌われているので、俺も気を遣わず話す。ただの俺に友達がいたなら、こんな風に言い合ったり、無言でも居心地の悪くないただ一緒に過ごすだけの時間が過ごせたりしたんだろうか。
ある日、休憩中に俺が読んでた本を舞台で見たと言う。大人気の悲恋ものだ、求婚されていると噂のシミリスとデートで見たのかと察すると、もしかしたらあの番犬だろうかなどと余計な思考が邪魔をして本の続きを読めなくなった。続きを読むのは諦めてクレアに渡すことにした。
その日クレアは珍しく不安そうな表情で自信が持てないとぼやいていた。新しい食品のジャンルを開拓して自信がないなんて何を言ってるのか理解できないが、協力してくれた周りの人間のためにも自信を持つよう話せば、俺が励ますなんて思ってなかったと失礼な感想が返ってくる。本当に可愛くない。
それから俺が協力者の中にいないことも不満だった。もっと早く出会えていれば、協力者として知り合えていればクレアは番犬と話すときのような笑顔を俺に向けてくれただろうか。
俺には愛がわからない。クレアは俺に対して無愛想で可愛げもなく、他に綺麗な女からの縁談なんて山程ある。それでもクレアがいい。クレアがたとえ他の人を想っていても、俺のそばにいて欲しい。
そしていつか、もし俺を少しでも愛することが出来たなら、俺にも笑顔を向けてくれ。
セオドア(CV:逢坂良太さん)




