明日結婚するはずの虐げられブサイク公爵令嬢は、妹に一度殺され死に戻る。幸せを掴むため、もう二度と死にたくないので、復讐します。
「では、明日の式を楽しみにしているよ。バレッタ」
「えぇ、私こそ。アルフレッド様と無事に結婚できること、本当に嬉しく思います」
「僕も同じ気持ちさ。
じゃあ、うちの従者たちに送らせる。彼らは、そこそこの魔法が使えるから、万が一には頼るといい。じゃあ気をつけて帰るんだよ」
「ありがとう。大丈夫よ」
結婚式前日の夜。
婚約者であるアルフレッドの腕の中で交わしたこの会話は、私にとって最後の言葉となるはずだった。
なにせその少しののち。
彼の実家から私の家へと向かっていた馬車が夜襲を受け、乗っていたものはみな殺しにされたのだ。
男も女も身分も関係ない。
全員、消されてしまった。
魔法を扱えるものが数人いたところで、不意をつかれたうえ数で圧倒的に劣れば、どうにもならない。
私も例外じゃなかった。
基礎を覚えた程度の魔法で抵抗するが、風の魔力で鋭利さを増した長槍で胸を貫かれ、ほとんど即死だった。
口やら胸やらから大量に噴き出る血を見るや意識を失い、そのまま命の綱も手放した。
待っているのは、天国か地獄か。
いずれにせよ死後の世界に違いない。
そう思っていたところへ淡い光が差し込む。
その眩しさに重たい瞼を開いてみると、
「気をつけて帰るんだよ」
私の前には、アルフレッドがいた。
それも、さっきと全く同じ台詞を、全く同じ柔らかい表情で彼は述べる。
戸惑った。
でも、それはほんの一瞬だった。
理屈などは抜きにして、体が直感的に理解したのだと思う。
これは死に瀕して幻想を見ているのでも、走馬灯を見ているのでもない。
そこに広がっているのは、たしかな現実だ。
私が変えることのできる世界に違いない。
どういうわけか、私は死に戻ったらしい。
「どうかしたか、バレッタ」
アルフレッドは信頼できる男性だ。
こんな私にたくさんの優しさを分け与えてくれた、最愛の人。
全ての真実を口にして助けを乞えば、わけのわからない話でも信じてくれて匿ってくれるかもしれない。
でもそれじゃあ、頼るだけの婚約者になってしまう。
今までの私は、彼に寄りかかってばかりだった。その優しさに甘え、問題が起きるたび、彼を頼ってきた。
でも明日、彼と夫婦になるにはそれじゃ対等とは言えない。
最後くらい、自分の問題は自分で片付けよう。
「ありがとう。大丈夫よ」
あえて、死ぬ前と全く同じセリフを繰り返す。
けれど、私はよく知っている。
間違いなく、大丈夫ではない未来がこの先に待ち受けていることを。
この胸に今はまだない激しい痛みを、私は知っている。
意識を失うまでの短い時間が永久のように感じられた。
それは、泣いて叫んでも終わりはしない。やめてくれるわけでもない。
痛い、苦しい、憎い、そんな気持ちだけが渦を巻く。
抜け出したいともがけど、待っているのは、終焉だけだ。
体の柔らかいところを鋭いもので抉られるというのは、そういうことに他ならない。
もう金輪際痛いのはごめんだ。
それに、彼と幸せになることは私にとって譲れない。必ず回避してやる。
そう心に決め、私は動き出すのであった。
♦
襲撃犯の正体は、わかっていた。
そもそも私の周りには、明白な敵がいたのである。
それは異母妹であるエライザ・レニスだ。
幼い頃から私は、彼女と比べられては劣等感を覚えさせられ続けてきた。
『あぁ、妹のエライザ様は可愛らしい顔立ちで愛嬌もあるというのに。バレッタ様は、なんて平凡……いいえ、それ以下のお顔なんでしょう』
『しっ、聞かれたら首が飛ぶわよ! でもまぁ、平民や下人の中に混じってても分からないレベルよねぇ』
昔から何度、周りの貴族からこんな評価を聞いたことか。
本人からも、何度も馬鹿にされてきた。
姉妹と思われたくないから、近寄るなと手を払われ目をすがめられたことさえある。
たぶん、流れる血からして違うのだろう。
エライザは、身分こそ低いが容姿の美しい側室の子である。
幼い頃から私より容姿端麗で、そのぶん、周りから愛されやすい少女だった。
父であるレニス公爵も、彼女のことを明らかに溺愛していた。
他の兄弟たちと比べても、その愛情の注ぎ方は異常だった。
そして、醜い私には逆にほとんど向けられなかった。
私の母が既に亡くなっていたということもあろう。
構ってやる理由がなかったのかもしれない。
子供だった私は、それが不服で仕方なかった。
ただ、私は僻むだけで終わるような性格ではなかったらしい。
そこから愛されるための努力を始めた。
身だしなみや所作、言葉遣いを必死に学び、令嬢としてふさわしい振る舞いをするよう常に心がけた。
もちろん、美しさの追求も例外ではない。
綺麗になるため化粧の技術や、身体のラインを美しく見せる工夫を、使用人のメイドから教わって磨き上げた。
「エライザ様と変わらぬくらいに美人になられて!」
だなんて、社交の場で褒められるまでになったのだけど。
努力むなしく、父の愛はやはりエライザだけに注がれ続けた。
そればかりか、
「妙なことはやめろ、バレッタ。お前の美しさは所詮、作りものだろう。エライザとは違う」
こう断じられてしまった。
以来、化粧道具などの諸々を取り上げられた私は、再び不細工令嬢と蔑まれるようになった。
まるで見せ物のように、嘲笑われる。
家の中でも、その扱いは変わらない。
妹・エライザだけが、宝のように大事にされ、お姫さま扱いを受けていた。
私にはほとんど発言権もないのに、エライザの願いはその大体が聞き入れられる。
成長して婚約話が出るような歳になっても、それは全く変わらなかった。
彼女は、見目も身分も麗しい結婚相手を求め、父はそのために奔走した。
彼が取り付けた中には、王子や地方辺境伯子息との縁談もあったと言う。
一方の私は、エライザよりふたつ上の歳ということもあった。
その頃には既に、アルフレッドとの婚約が決まっていた。
むろん、私にはなんの発言権もなく、決定事項として突然に与えられたのだ。
アルフレッドは、ソリアーノ公爵家の第七子息である。
家柄こそ高いが、その中での序列は低い。
たぶん私の残念な容姿を鑑みて、ちょうど釣り合うと考えられたのだろう。
結婚は、家のためにするもの。
そう思っていた私は、特に反抗することもなくその縁談を受け入れた。
むしろ、向こうから断られないかが心配だった。
私にあるのは、公爵家の長女だと言うこの身分だけ。
他のものはなにも持ち合わせていないし、誇れるような妻には、きっとなれっこない。
これまで蔑まれ続けて生きてきたせいだろう。
わずかの自信すら持たなかった私は、たぶん全く可愛げがなかった。
心を閉ざし殻に閉じこもった、お世辞にも見目の良くない令嬢。
厄介な存在でしかなかったろう私を変えたのは、
「あなたと、ちゃんと話をしてみたい。ずっとそう思っておりました」
婚約者アルフレッドの包み込むような優しさであった。
顔合わせの場でも、事務的な対応ばかりしていた私に彼は常に笑顔をくれた。
ある時などはお固い茶会の場から連れ出して、二人きりのコテージで踊りに誘ってくれた。
アルフレッドは、美男美女の揃う社交の場においても、秀でて格好いい。
なのになぜ私なんかに構うのか。
ある時、どうしても気になって、
「本当に私でいいのですか? もっと他にいい方がいるのでは?」
と、いらぬことを聞いてしまった。
すぐに後悔した私だが、時既に遅し。
口から出ていった言葉は、もう返ってきてはくれない。
アルフレッドは、簡単なことさ、とあっけらかんに笑った。
「はじめは義務感だったよ。婚約者と仲良くしないわけにはいかないだろう」
「……やっぱり」
「落ち込むのは、早いよ、バレッタ。でもそうやって接しているうちに今はどうだ。
君に惹かれて仕方がない。君の謙虚さにも、揺らがない優しさも、芯の強さも。
なんて、なんだか抽象的なことばかり言っていると、嘘っぽくなっていけないな。ほら、そういうのも」
彼が指差したのは、私の手元だ。
癖で、ついつい両の人差し指を絡めあってしまっていた。
「心配なとき、君はいつもそうやって指を捏ねる。でもそんな仕草まで、俺の心を掴んで離さなくなった。理由は、分からないよ。
でも、だからこそ嘘はない。心から好きだ、バレッタ」
私の心を閉じ込めていた殻は、その言葉で、完全に壊された。
アルフレッドは、分かってくれている。
そのままの私も、努力する私も、すべてを知った上で好意を寄せてくれた。
涙が込み上げ続けて止めどころがなくなるほど、それは嬉しいことだった。
生きててよかった。
心底思ったのは、はじめてのことだった。こんな日がくるとは、思いもしなかったのだから。
婚約しているだけで、これほど幸せなのだ。
結婚したならば、どうなるか。
それを妄想するだけで、毎日が人生でもっとも幸福な日だと言えるような時間だった。
しかし、それは唐突に壊されかける。
「ねぇパパ。アルフレッド様を、あたしのものにしたいんだけどぉ、いいでしょ?」
あろうことか妹のエライザは、彼を自分の婚約者として欲しがったのだ。
父はあろうことか、その願いを叶えようと奔走した。
正直、驚いた。
他の公爵家との間でもう決まった婚約を動かす真似までするとは、あまりに思いがけない。
メイドに探りを入れさせて判明したのは、二人がそういう関係も持っていたことだ。
「あたしの結婚相手は、なにもかも完璧でなくっちゃ。でも、本当にあたしが好きなのは、お父様だけ」
だなんてエライザの艶めいた声が、父の寝屋から漏れ聞こえたらしい。
最低としか言えない。
でも、どうにもできない。家の中では、父の力はあまりに大きく誰かが逆らおうものなら、追放いや処刑も考えられる。
それでも、どうしようかと私は必死で考えた。
その結果、アルフレッドにだけ内密の話として彼らの企みを伝え、結婚を急いでもらったのだ。
父がソリアーノ公爵家に直接話を持っていく、ほんの少し前のことだった。
これにより、作戦は無事に成功した。正確には、そのはずだった。
ソリアーノ家の主導により、結婚式への準備は急ピッチに進められ、本番を明日に控えたのが今日だ。
この夜に、私を葬ろうとする人間など身内以外に顔が浮かばない。
馬車は着々と、先ほど惨事が起きた地点へと近づいていく。
このまま進めば、同じことの繰り返しになってしまう。
どこか別の場所へ馬車を走らせるというのも一つの手だが、それでは仕留めるまで追いかけてくるに違いない。
戻る場所のない私は、かなり不利だ。
ただ、ひとつだけ残る秘策には自信があった。
自分だけじゃなく同乗者たち全員を守ってみせる。
それを必ずやり遂げるだけの、覚悟があった。
♦
先ほどと同時刻、同じ場所。
巻き戻しているだけだから当たり前だが、やはり襲撃は決行されようとしていた。
なにもかも知っていた私は、馬車から顔を出して、誰よりも先に彼らと対面する。
それまでは籠ごと串刺しにせん勢いで槍を向け、こちらへ駆けてきていた夜襲一団だったが、私を見るなりその鉾を下ろした。
「な、なぜエライザ様がここに!? たしか、バレッタ様、いいえバレッタが乗っているという話じゃ……」
「あなたたち、場所を間違えてましてよ?」
「た、大変申し訳ありません! ですが、私どもは確かにこの馬車を襲うように命じられたのですが」
「なーに、あたしが間違ってるとでも?」
私は、にこりと冷ややかな笑みを浮かべる。
すると、彼らは「滅相もない!」と地面に膝をつき反抗の意志がないことを示した。
「あたしは、アルフレッド様と秘密の逢引をしていたの。これ以上首を突っ込むのが野暮なことくらい分かるでしょ?」
「も、も、もちろんでございます!」
「きっと姉は、婚約者さえ自分を裏切ったことに、傷心して森にでも逃げたのでしょう。草の根を分けて探し、殺しなさい。いいこと?」
「は、はっ、すぐにでも!」
敬礼してから、兵たちは馬車から離れて見当違いの方角へと進み始める。
それを姿が見えなくなるまで見送ってから、私はすだれを下ろして、やっと一息つく。
馬車籠の中が、白くけぶった。
もう秋口だ。夜はかなり冷え込む。今ばかりは、肝も冷えたが。
「…………まさか、本当に夜襲をかけてくるなんて。バレッタ様がいなければどうなっていたか」
「買い被らないでください。
あなた方、女性の使用人が一人も乗っていなかったら、この作戦はそもそも実行できませんでした」
そう、彼女らが化粧道具を持っていたおかげで、変装することができたのだ。
似ても似つかぬほど美しい妹とはいえ、パーツ自体は似ている部分もある。
なにより、だ。私はエライザの美貌に憧れて、化粧を覚えた。
その彼女に殺されかけたのだから皮肉極まりないが、私は他の誰より彼女をよく見てきた身だ。
暗いところから、明るいところははっきりと映る。
相手の視界に私がいなかったとしても、私の瞳の中心にいたのは、いつも彼女だった。
だから、その口ぶりを真似るのも造作ない。
「それで、これからどうされるのですかバレッタ様」
アルフレッドの従者が額に汗を浮かべて声を詰める。
当然だが、一度危機を逃れた程度で終わるような話ではない。
根本を断たねば、今夜を乗り切ったとして、延々と危険な影に怯え続けなければならない。
もちろん、それも御免被る。
「ちょうど考えていたところです。みなさんは、このままレニスの屋敷に戻ってください」
「しかし、それではお父上や妹君に狙われてしまうのでは……。私たちは、アルフレッド様にあなたを任された身。そのようなことはできません」
「心配なさらないで。アルフレッドにも言伝は不要です。策はありますから」
私は、屋敷からは影になっている小道で下ろしてもらう。
アルフレッドの従者たちは、アルフレッドには黙っておくよう告げて、馬車ごと送り返した。
私に付いていた侍女たちにも、今日は街で寝泊まりするよう言って金を渡し、そこで別れた。
侍女たちは、常に私と行動を共にしてきた信頼できる者たちだ。
最後まで私を気遣って、残るとくれていたが、これはレニス家の、いいや私の問題に他ならない。
不用意に巻き込むわけにはいかないと、固辞した。
♦
時刻は、もう夕飯時を大きく過ぎていた。
屋敷の警備は厳重になされていたが、今の私は憎きエライザそのものだ。
ちょうど警備の兵が入れ替わった頃合いを見計らって、
「少し散歩に出ていたのよ」
「たしか、湯浴みに行かれたと聞いていたのですが」
「気が変わったの。悪い?」
それ以上詮索してこようものなら、処刑する。
そう言わんばかりの目で萎縮させ、
「い、いえ! お帰りなさいませ!」
堂々と屋敷へ戻った。
我が家の雰囲気に、気を休めている場合ではない。
今からここは敵の根城そのものだ。
少しでもしくじれば、明日はやってこない。まだ見ぬ幸せな明日は、泡と消える。
影に身を隠しながら、まず私が探ったのは、エライザの動向だ。
今の私は、彼女の姿をとっている。
ならば彼女と鉢合わせたり、同じ人にまったく別の場所で出くわすことがあってはならない。
先ほど警備隊が言っていた通り、エライザはこの時間、いつも長い湯浴みを行っている。
その行為は、自分磨きのためと思っていたが、最近になって真理にいたった。
彼女はそうして長く身を清めたあと、必ず父の寝屋へと向かうのだ。
後のことは、推して量れよう。
吐き気を催したくもなるが、これは好機といえばそうだった。
風呂場へと近づき控える侍女たちの声を伺う。
「いつもに増して機嫌がいいですね、エライザ様は」
「バレッタ様が嫁いで行くことに清々してるのかもね。お世辞にも仲が良かったとは言えなかったし。いつも、目の敵にしてたじゃない?」
「そうですねぇ……。私はバレッタ様の方が私たち目下の者にも細かく気を遣ってくれて、好きだったなぁ。
エライザ様の長風呂のせいで、今日もこれから1時間以上はここで立ちっぱなしで待機だなんて、ほんと疲れちゃいます」
エライザの動向を掴むだけのつもりだったから、思いがけない高評価だった。
私のことを好いてくれる人もちゃんといた。それだけのことに、今は背中を押される。
エライザがいつも召している寝巻きの中から一着を拝借して、忍び足で湯屋を離れた。
残された時間は多いようで少ない。
人目から隠れながらの行動は、当然制限も伴う。
どうにか着替えを済ませた私が辛々たどり着いたのは、ひときわ立派な寝屋の前だ。
ここまで来れば、むしろ堂々とエライザになりきらなければいけない。
「あたしが出てくるまで、ここには誰も通さないでもらえる? どんな人も、よ」
警備隊にこう言いつけ、彼らが敬礼して答えるのを見てから、扉を三度叩いた。
「早かったじゃないか、エラ。そんなに、ワシが恋しかったか?」
奥から父が現れる。
やはり今日も、妹は父と一夜を明かす予定だったらしい。
ぞわり寒気がするが、私は笑顔のお面を貼り付ける。
その後ろでは、さまざまな感情が渦を巻いていたけれど、全て無用の長物だ。皮膚一枚、そこから先には絶対に出さない。
「えぇ、お父さま。今日はどうしても、早く会いたかったものですから」
はじまりだ。
素晴らしい明日を迎えるための大勝負に、私は打って出た。
「さぁまずはいつものごとく、布団でともな温まろうか、エラ。なにをするにも、まずはそれからだ」
「はい、この時間を楽しみにしておりましたわ」
昔は、父の腕の中に憧れた。愛されたくて、仕方なかった。
でも今は、いっそ吐き気がする。実際、嗚咽も漏らしてしまった。
娘を手篭めにするばかりか、その禁忌の愛に犯され、私を一度は亡き者にした男に手を引かれ、ベッドへと入るのだ。
鞭打ちにされる方が、いくらか軽い刑だと思える。
「ほんとお父様のお布団は温かい。それを思うと、醜い姉は、無惨ねぇ。今ごろ地面に転がって冷たくなってる頃かしら」
だが、もう後には引けない。それに、覚悟だってとうに決まっていた。
「あぁバレッタも運が悪かった。あいつも可愛く生まれていれば愛してやったものを、あぁも不細工になるとは」
「あたしと同じ娘なのに、酷い言い様ねぇ」
「あれを我が娘と思ったことがないものでな。俺の愛するのは、お前だけだ、エラ」
父は私の首に手を回し、ぐっとのしかかるように顔を近づけてくる。
照明が蝋燭数本と室内がほの暗かったため、気付かれなかった。
ただこれ以上近づかれては、変装がバレてしまう可能性もある。
私は恥ずかしがるふりをして、顔を背けた。
そのままベッドを降りて、
「お父様。今日は少し変わったことをしましょ?」
寝巻きの襟に手をかけながら、提案した。父が生唾を飲む音が聞こえる。
「なにをするんだ、エラ。君の望みならば、付き合おう」
「さすが、お父様。あたし、今日はちょっと攻めたい気分なの。憎い姉が死ぬ日だもの。ちょっと気が昂ってるの」
服を脱いで、とそう懇願した。
エライザの格好で、エライザが社交の場で男性を誘惑していた仕草と目づかいで。
不審がられる可能性も考えていた。
しかし父はよほどエライザに首ったけらしい。
もしくは、彼が散々に偽物とこき下ろしてきた私の化粧姿に、迸る衝動を止められなかったか。
「面白いことを言うものだな、エラ。ふふ、たまにはそう言うのもよかろう」
彼はいそいそと腰元の結び目を解き、あっという間に裸になる。
残すは、上下ともに肌着一枚の姿となった。
私はそれを見るや、頬を緩める。口端だけで笑い漏らしながら、彼の後ろへと回った。
「今度はいったいなんだ、エラ」
「さっきも言ったわよね、お父様。今日のあたしは攻めたい気分なの」
彼が脱ぎ捨てた寝巻きを紐がわりにして、彼の手首を縛る。
きつくきつく、と精一杯の力を振り絞った。
レニス家の家系は、その身体に風の魔力を宿す。
私はそれを利用して、結び目の外側から内側へ向けて、常に圧力が働く魔法を仕掛けた。
「ちょっと暗くなるわよ」
持ち合わせていた布で持って、目隠しもする。
さらには口を開けてもらい、頭の裏から巻いてきた布を咥えさせた。
父はそれでも、何の違和感も持たないらしい。
「なるほど、こう言うのもたまには面白いじゃないか」
と、口髭をぴくぴくさせていた。
正面に回り込んでみれば、なんとも情けない格好だった。
大の大人が騙されているとも知らず、ほとんど半裸の状態でベットに座っているのだ。
まるで目の前に虎がいるとも知らず、草をはみ続ける草食動物そのもの。
いつもいつも私を笑い物にしてきた彼のその無様さに、思いがけず溜飲が下がった。
つい笑いこぼしそうになって、手を口に当てる。
それから室内を見渡し目をつけたのは、彼が護身用に持っていた小刀だ。
獲物はすぐそこですでに罠に嵌っている。私は決して悟られぬよう慎重に、それを手にする。
「ここからどうするのだ? ワシはなにをすればいいんだ」
いまだ禁忌の欲望に溺れ、寝ぼけたことを宣う父。
「そうね、寝てればいいと思うわ」
「……え」
私はそんな無防備な頭に、思いっきり刀を叩きつけた。
万が一を考え、鞘は付けたままにしていた。
となれば、所詮は女の力である。一度では足りないかもしれないと、今度は首を狙う。
父は抵抗しようと暴れるが、身動きはすでに封じてあった。
手首を縛った布を強引にちぎろうとしているが、そう簡単にはいかないらしい。
「な、なにをする、エラ……!」
「めでたい人ね、あなた。最後まで何にも気づかないなんて」
積年の恨みを、一撃ごとに込め続けた。
父は悶え喘ぐが、口は封じていたので、ただの嗚咽にしかならない。
殴打の衝撃でベッドが軋むが、それが外に聞こえたところで何の問題もない。
警備員たちは、ただの激しい情事だと思い込むだろう。
父はやがて気を失い、うつ伏せに倒れた。
虫よりも、浅くひ弱な息とはいえ、息はある。
意識だけを落とすことに、無事成功したようだった。
よっぽど殺してやりたかったが、それで自分の明日が暗転するのは馬鹿らしい。
生かして、国の刑吏に引き渡し牢に突っこむつもりだ。
せいぜいそこで、重い罰に苦しむがいい。
最後に一発、横腹に殴打をくれてやりそれでやめにした。
これ以上は、ただの私怨になってしまう。
♦
残す獲物は、大本命一人。
だがそれも、狩りまでは時間の問題だと思えた。
父と夜伽の約束をしていたのなら、エライザ本人がここにくるのは間違いない。
さながら、縄張りにやってくる魚を身を潜めて待つ鮫の気分だ。食らうための用意は、周到に整えた。
「あなたたち、今日はもういいわ」
部屋の外を警備兵はこう告げる。
「エライザ様、しかしこれは任務で……」
「お父様の命令よ。それにあたしも、恥ずかしいところ見られたくないの」
わざと乱した寝巻きから、右肩だけをのぞかせる。
さも行為が激しくなったことが理由かのように見せかけ、人払いした。
これで、エライザがやってきて不審に思う者はいない。
あとは、扉が開く瞬間を待つだけだ。
そう決意して私は、廊下側の壁の横で息を顰めて張り付く。
切りかかるまでの流れを何度も頭で反復していたら、やがて、外から足音が聞こえはじめた。
基本的に父の寝屋に来れるのは、彼が許可したものだけ。
間違いない。エライザのものだ。
決着の時が、刻一刻と迫ろうとしている。
胸の中で毒蛇がのたうち回っているのかと思うくらい、心音がうるさく駆け上がっていった。
必ずや全てを白日の元に引っ張り出して、世間に晒してやる。これまで散々されてきた分、今度は私が踏み台にしてやる。
そんなふうに思い詰め、自分との戦いに必死になっていたからか。
もしくは、これが終われば全てが叶うという、ほんの少しの油断からか。
直前まで気づけなかった。
足音が、一つだけではないことに。
不思議なことに一度分かると、いくつも聞こえてくる。
不測の事態だった。
こうなる可能性そのものを考えなかったわけじゃない。
けれど動揺で身体の動きが鈍くなることまでは、考えが回っていなかった。
「やっぱり、来てたのね。この不細工女」
殴りかかるどころか、だった。
一歩も動けず、しゃがんで壁に張りついたままの姿勢で、見つかってしまった。
エライザは、私の周りを兵隊たちに囲ませる。鼠一匹抜け出せぬ包囲網だ。
万にひとつも、逃がしてくれるつもりはないらしい。
「……エライザ」
「風呂に入ってる間に、あたしが外に散歩に出ていただなんて、ありえないもの。
すぐ、誰のことだか分ったわ。あんたの変装だってね。昔あたしを真似て、よくやってたでしょ。
なんで、あんたがここにいるの。なにを企んでーー」
そこで、怒りの声が悲痛な叫びへと一変した。
無残にも縛られ気を失った父の姿に、彼女はやっと気づいたらしい。
私が決して逃げ出せないのをいいことに、彼女は父の側に寄る。
必死の形相で何度も揺らすのだが、目が覚める気配はない。
許さない、そうエライザは言った。許さない、許さない、そう彼女は繰り返す。
狂気を詰め込んだ一叫を放ったのち、その眉間に雷を刻む。
「あんた、ふざけないでよ。この落とし前、その命でつけなさい」
言わせておけば、好き放題言ってくれるものだ。
一気に感情が沸点に達する。
おかげで、動揺とのバランスがうまく取れた。
「そもそも私を暗殺しようとしてきたくせに。どの口が言うの、エライザ。
私をあなたと勘違いして、襲ってくるこの変態がいけないのよ」
皮肉をたっぷり込めて、言い返す。
「そこまで知っちゃったのね、不細工。私とお父様のことも、あんたを殺す計画も。あっそう」
「だったらなに?」
「その口、悪いけど塞がせてもらうわ。
状況分ってるの、あんた。いつでも殺せるのよ、あなたのことなんて」
エライザは、鮮やかな赤のリップが乗った唇を、ほんの少し吊り上げた。
勝利を確信している顔だ。実際、幾つもの刃物が私に向けられている状況だから、無理もない。
死ぬ、また死ぬ。
感情の激しい上下の結果、変に落ち着いているが、それはもう目と鼻の先に迫っている。
また死に戻る可能性が、ちらついた。でも、そうなる保証はないし、あの悍ましい痛みはもう味わいたくない。
刺された時の痛切な痛みが、胸に蘇ってくる。
身体がじわじわ血生臭くなり、自分のものではなくなっていく、あの感覚が襲いくる。
「嫌だ、嫌だ、嫌だ……」
「は、はぁ? なに言ってんの、選択権なんてないのよ不細工女」
「嫌だ、嫌だ」
途端に気が狂いそうになり、私は頭を抱えた。
強迫観念に押しつぶされそうになって、髪をかきむしる。
「気持ち悪いから、とっとと殺しなさい」
妹が顎先で命じた。
兵士らの握っていた槍が数本、私の首元に狙いを定めたまま、すうっと後ろに引かれる。
それが喉元に刺されば、また終わりだ。また人生の幕が閉じる。
ごめんなさい、アルフレッド。
私は愛しい婚約者の顔を思う。彼が明日に味わうだろう哀しみを悔やむ。
馬鹿な強がりだったろうか。
素直に彼を頼っていれば、こうはならなかったかもしれない、
でも、すべては後の祭りだ。もう遅い。
「死になさい。恥じらしなのよ、あんたみたいなのが姉だとね」
私の喉を抉り取らんと、ぎらつく槍の穂先が迫りくる。
その時のことだ。
廊下が、にわかに騒がしくなって、ぴたりそれが止まった。
慌てた風に、一人の兵が飛び込んでくる。
「エライザ様、ご報告です。アルフレッド様が攻め込んできました!! もう、ここに着くとのことです!!」
エライザが私を睨みつける。
援軍を呼んだと思われたのだろうが、違う。
それは、私にも思いがけない知らせだった。
エライザのこめかみには、一筋の汗が浮かんでいた。
ぎりっと歯軋りを立てる彼女は、冷静さを失っているようだ。
彼女は自分の顔を、両手覆う。
「……まぁちょうどいいわ。いい遊びを思いついたかも」
やがて指の隙間から、にやりと吊り上がった口角が覗いた。
「槍隊、一度下がりなさい。邪魔したら、処刑しますよ」
白目をひん剥いて、ふふ、と笑う。
一体なにをするつもりだろうか。
我が妹ながら、計り知れない。可愛い顔の裏で、残虐性や暴虐性を魔女の顔でひたすらそれらを煮詰めている。
それがエライザだ。
「無事か、無事であってくれ。バレッタ!」
そうとも知らぬだろうアルフレッドが、部屋へと飛び込んでくる。
あろうことか、単身。周りに護衛の者はいない。
なんで、どうして。
その疑問が口をつく前に、
「あぁん、アルフレッド! ひどい。ひどいのよ、エライザったら! 明日あなたと結婚する私が羨ましくなったのでしょうね。私を殺そうとしたの!」
耳をつんと刺したのは、こんな声だった。
まるで私の台詞。でも、私ではない。私はただただ言葉を失い、息を呑む。
エライザだ。
そこで、はっと思い出す。
今の私は、エライザと見分けがつかないのだった。
彼女が思いついた、いい遊びとはこれだったようだ。
エライザは、アルフレッドの足元に崩れ落ちる。彼に縋るようにして、そのお腹あたりに頭を埋める。
その途中、嘲けるような笑みをふっとこぼしたのを私は見逃さなかった。
「アルフレッド、違う。そいつは、そいつが、エライザよ」
「なにを言ってるの。あれがエライザよ。さぁ早く殺してください。あんなのを野放しにしていては、危険です」
「アルフレッド、私が バレッタよ。ほら二人でコテージで踊った記憶だって、私しか」
「盗み見してたのね、この子。なんて卑しい妹なの! あぁこわいこわい。早く処刑してよ」
自分で聞いていても分からなくなるほど、声も私のものに似せてきていた。
そして姿形は、ほとんど同じ。見分けがつかない可能性もある。
「アルフレッド、違う。私が。だってほら、私なんて本当は不細工で……」
自分の言葉が、ぐさりと胸に突き刺さる。
他人に何度言われて、もう慣れっこだと思っていたのに。自分で認めるのがこうも辛く、悲しいことだとは思わなかった。
涙が出そうになりながら、私は顔をこすりにかかる。
その手首が優しく掴まれていた。
アルフレッドは腰を落として、私に顔を寄せる。
頬を親指でちょっと撫ぜて、やっぱり可愛いな、なんて呟く。
「もうやめるんだ、バレッタ。君は可愛いよ。どんな化粧をしてようが、してなかろうが、君は君だ」
「…………へ。なんで、私だって」
「わかるものはわかるさ。今その話はやめよう。すぐに逃げるよ、バレッタ。あとはうちの兵に任せてくれ」
私は、まだ戸惑いのなかにいた。
ぺたりと腰を下ろしていた私の手を取り、アルフレッドは立ち上がる。
「どうして私だと分かったんだ、アルフレッド!! ちっ、ばれたものはしょうがない。お前ら、こいつらは必ずここで殺しなさい!」
そこでやっと、妹は遊びとやらを諦めたようだ。
舌打ち混じりに、配下らへと命じる。
「し、しかし、ソリアーノ家と問題になるのでは……」
「つべこべ言わないの。ソリアーノ家が攻めてきたから、返り討ちにした体にすれば問題ないわよ! 早く殺しなさい。あなたの殺人は、この家の栄誉になるのよ。殺した者には、一生困らないだけの金をやるわ。殺しなさい」
「は、はっ! かしこまりました!」
再び槍や刀が構えられるのだが、アルフレッドの方が早かった。
彼は、私の首下、膝下にそっと手を入れる。エライザの薄手な寝巻きを召していたのが災いした。
肌に触れられる感覚に肩をいからせていると、そのまま抱えられる。
「悪いけど、ここで死ぬわけにはいかないんだ。明日を迎えなくちゃ、俺は死んでも死なきれない」
とたんに視界が全面、煙で包まれた。
なにかと思えば、アルフレッドが煙幕玉を投げつけたらしい。
騒ぎになる寝室をあとにして、彼は駆け出す。
すぐに煙の中から追っ手が出てくるが、それらは彼の連れてきた兵士たちが相手をしてくれていた。
喧騒を背にして、アルフレッドは迷いなく屋敷の外へと駆けていく。
私はその胸元に抱えられながら、驚きっぱなしだった。
実感に欠けるが、何度瞬きしても、目を開けると真上には彼がいる。
「無事でよかったよ、バレッタ」
「えぇ、それはそうですけど。アル、なんでここにこられたの?」
まだ屋敷の中だけれど、追手は完全に振り切ることができたようだ。
普段はあまり使わない別棟に踏み入れていたこともあり、辺りに人の気配はもうない。
もう、これくらいは聞いても良かろう。
「部下に聞かされたんだよ。君の乗った馬車が襲われた話をね。口止めしていたらしいね? でも、もしバレッタが死んだら俺がどれだけ悲しむかを考えて、彼女たちが教えてくれたのさ」
「……あの子たち。そうだったのね」
「それから聞いたよ、化粧をして襲撃を回避した話。全く勇敢だな、俺のお姫様は」
「えっと、後先考えずに動いてごめんなさい、私ったら」
「いいよ。……と言いたいところだけど、正直頼ってくれなくて悲しいよ」
「えっと、頼らなかったんじゃなくてーー」
言う前に、
「頼りたくなかった、って言うんだろ。結婚するから夫に借りを作りたくなかった、とかそんなところだろう? 分かるよ」
言葉尻を攫われる。
「そんなことまで分かるのね」
「あぁ、俺が一番君を見てるからね。どうせ『もし俺を頼った結果、家同士の抗争になったら、俺がソリアーノ家から追い出されるかも』とか考えたんだろ」
図星のど真ん中だった。
そうやって、彼の重荷になるのだけは、どうしても避けたかった。
そうなってしまっては、何のために生きているのかもわからなくなる。
彼の迷惑だけにはなりたくない。なりたくなかったのに、
「気にすることはなかったのに。迷惑なんていくらでもかけてくれ。
君さえいてくれれば、僕はどんな形でもよかったんだ。例えば、この先ずっと誰かに追われるのだとしても。愛しく可愛い君と過ごせたら、それで十分さ」
彼はこんなことを言うのだ。
この人のターコイズブルーの瞳には、一体なにが写ってるのだろう。
目が悪いわけでも、暗くて見えないのでもないだろうに。
私はどうしたって、可愛くはない。そんな当たり前を、当の私すら認めざるをえないと思っていたそれを、彼はあっさり否定する。
不細工だから、何かを望んではいけない。不細工は黙って陰にいればいい。
そんな呪印が、また一つ解けた。
代わりに、大きなわがままが一つ水面下から浮き上がってくる。
この人の瞳にだけはどれだけ年老いても、ずっと輝いて写っていたい。
そんな身分不相応な願望が、じりじりと胸を焦がした。
♦
「うん。ここまでこれば、ひとまず大丈夫かな」
「……ありがとう」
屋敷の勝手は、住んでいたからよくわかっていた。
別棟の裏口から二人、無事に屋敷を抜け出す。
隣接する雑木林の中に飛び込み、そこで下ろしてもらった。
念のため忍び足で林を奥へと進んでいく。
抜けたところに、馬車を控えさせているらしい。
死がそこまで迫っていたことを忘れさせる一秒一秒だった。
落ち葉を踏みしめる音も、空から淡い光をくれる月光も、繋いだ手から伝わる彼の温もりも、私を死から遠ざけていく。
小さな池を横切った。
その水面に、エライザそのものの自分の顔が写っていて思い出す。
「そういえば、どうして私だって分かったの。同じ見た目だったのに」
「見間違えるわけがないよ。だって君は君だ」
「……化粧くらいじゃお見通しってこと?」
それはそれで、少し堪えるものがあった。
けれど、
「そうじゃないよ」
こう言って、前を歩いていた彼は立ち止まる。
急だったものだから止まりきれず、手を繋いだまま彼の胸にぽふりと埋まる。
背中を抱かれた。
「俺は君の外見とか声とか、そういうのだけを愛しているわけじゃない。
だから分かったんだよ、なぜか。あの部屋に入った時から、分っていたさ。エライザの演技には、戸惑ったけどね」
これくらいのことは今までも何回もしてもらった。それこそ今日だって、抱きしめ合って別れた。
なのに、恥ずかしくて仕方ない。顔にのぼりくる熱の一切合切がままならないのは、なんのせいにすればいいのだろう。
気のせいでは、もう済ませられない。
「……アルフレッド。本当にありがとう。私を助けてくれて
「いいよ。夫婦になるんだ。貸し借りなんて、一つずつ数えてられないさ」
「……そっか、なれるんだね」
「うん。今ごろ、エライザも捕まっているはずさ。俺が連れてきたのは、普段は傭兵をやってる連中だからね。
それに、悪事の証言なら問題ない。警備隊の人たちは問い詰めれば口を割るさ」
思い返してみると、金に釣られて動いていたっけ。
そんな彼らが、保身と忠義どちらを重んじるかなど問うまでもない。
「なぁ、バレッタ。好きだ」
「…………また唐突に、どうしたの」
「言いたくなったから、じゃいけないか? 絶対もう一人であんな真似するんじゃないよ。どうしでもやるなら、俺も手伝うさ」
アルフレッドの手が腰から離れ、代わりに頬を優しく包み込む。
ほんのりと唇の皮がふれる程度のキスをした。
生きていないと味わえない、その痺れる甘さに、私はもう一度もう一度と求める。
今度は少し深いキス、唇の感触とか彼の熱とか全てが飛んだ。
確かな愛を感じて、体が浮かされる。
「ごめん、先走ったよ。明日するべきだったのにな」
「…………その、もう少し」
「俺もそうしたいと思っていたよ」
誰も見ていない真夜中の雑木林。
本来の結婚式より、ほんの一夜だけ早く交わされた愛の誓いを知るものは、この世で私たちだけだ。
♦
翌朝。
ソリアーノ家の兵らにより、父や妹が捕縛されたことを知ったのは、式場の控え室でのことだった。
「旦那様の横暴は日頃から目に余るものがありましたから、私どももどこか清々しておりますよ」
と、こう言うのはお付きのメイドたち。
昨日は無理を言って近場の街に宿泊してもらっていたが、私の無事を知るや式場まで駆けつけてくれた。
今は総出で、式へ向けてのセットアップをしてくれている。
ソリアーノ家からは祝い事を専門とするスタイリストの紹介があったけれど、辞退させてもらった。
日頃から、私の衣服や美容の管理をしてくれていたのはお付きの彼女らだ。
人生で一度きりの祝い事なればこそ、彼女らにお願いしたかった。
「エライザさまは、捕まってからもずっと自分は悪くない、この綺麗な自分じゃなくて姉を選ぶアルフレッドは気の狂った男だ、とか騒いでるんだそうです。
それが効かないとわかったら、色仕掛けまでやったとか。
でも貴族裁判院は、そのあたり厳しいから門前払いだったそうですよ」
我が妹ながら、呆れる。
安売りしすぎて、もう振りまく色香も残ってなさそうだ。
獄中で寂しく一人で慰めていればいい。
「旦那さま、いえ元旦那さまの方は、なぜか裸で目隠しをした状態で捕まったとか」
「ふふっ、それ私がやったの。エライザのフリをしてねぇ」
「あらあらバレッタさまも結構危ないことをしますね。でも、おかげで傑作な話を聞けましたわ。あと、元旦那さまの方は近親姦通罪と殺人未遂で、無期懲役だとか。傑作ですね。こっちも一人でマスかいてなさいって感じ」
父も妹も、使用人たちの中ではすこぶる評判が悪かったらしい。
下半身だけで生きてるのよあの二人、なんて発言を聞いた時には、はしたなくも、つい吹き出してしまった。
いけないいけない。結婚式の前なのだ。もっと凛として咲く花のようにーーなんて。
高望みはしない。
けれど、いつまでもアルフレッドの隣を歩ける女性であれるように。
せめて自分に胸を張って生きていきたい。
お衣装の着付けが終わる。メイクは自分でも少し弄って、あえてエライザに似ないよう気をつけた。
もう私の人生に、彼女のような歪んだ光はいらない。もう私は、暗闇だけを歩くのはやめたのだ。
準備が整い、時間がくる。廊下を伝っていけば、式場への扉が開いた。
一緒にバージンロードを歩く父はいない。
この手で切り捨ててきた。
けれど大丈夫だ。アルフレッドのところまでくらい、一人で歩いていける。
私はこれから、彼と幸せになるのだ。
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愉快かつ、ざまあありでスカッとする一作です。