課金ヒロイン
没頭できる趣味に優劣など存在しない。
周りからの評価に左右されるな。
安っぽい言葉や知ったかぶりの態度に価値なんて、無いのだから。
「またゲームですか」
だぼったいパーカーに膝上スカート。
DJよろしくツバ付き帽子を斜めに被った女性が店内へ入ってきた。
「よく飽きませんね。私だったら――」
「お前、今日は非番だぞ」
「知っっってますよそれくらい! 先輩が一人で可哀そうだと思って来てあげたんです!」
彼女の名前は絵馬恵美。
俺が通う県立長月高校の一年生であり、しがない書店のアルバイト見習い。
「必要ないが」
「こんな可愛い後輩捕まえて、よく言えますね」
「お前がここで働きたいって言ったんだろ」
「女子高生の日常は何かとお金が掛かりますし、ここって暇な割に時給良いじゃないですか」
田舎の書店に来る客は大体決まっている。
月曜日、水曜日の週刊誌目当てサラリーマン。子供に新しい絵本をせがまれた親子。テレビ等で取り上げられた作品を一通り買いに来る教師。応募可能な間違い探しシリーズだけを買っていく老婆。
ここでアルバイトを始めてまだ一年半だが、通った年数は五年ほどになる。
店の入り口で仰向けになりながら駄々をこねていた子供が、今では立派な小学生になっているのだから驚きだ。
「なんか爺くさい顔してますね」
「この顔は生まれつきだ」
「はいはいそうですかそうですか」
手提げ袋から取り出された弁当箱。
ファンシーな熊さんがデザインされた少女趣味は彼女の好みだろうか。
「今日のお弁当は唐揚げです」
「いつも言っているが、別に作ってこなくて大丈夫だぞ」
「私の弁当が不味いって言いたいんですか?」
「いや、これだって金が掛かってるだろ。金稼ぐためにアルバイトしてんのに、わざわざバイト先の先輩に弁当作らなくても――」
「前にも言いましたが、これは練習なんです」
彼女の言い分だと、この弁当は試作品で、本当に渡したい人が出来た時の練習だとか。
一回分の食費が浮くと安易に考えていた当時の俺は、ゲテ物料理じゃないことだけを祈って承諾した。
だが蓋を開けてみれば、家庭的な弁当をほぼ毎日もらっているではないか。
俗に弁当は一人分も二人分も変わらないと言うが、それは手間の話であって経費の話ではない。
俺に渡す分を夜や翌日の朝に回せばいい。そうすれば、少なからず家計は助かるはず。
「経験はお金で買えないですからね」
「俺は美味しいか不味いかくらいしか言えないぞ」
「それで良いんですよ。寧ろ味評論家みたいに”この素材の味がどーだこーだ”とか言われても困りますから」
料理人を目指している訳でないので。
彼女はそう言いながら、自分で作った唐揚げを美味しそうに頬張る。
ちょっと味薄いかな、と独り言を零しながら。
もっと濃い方が好みかも、と更に付け加えて。
「てかまだそのゲーム続けてたんですね」
「面白いからな」
「たしか先輩って課金してましたよね? ひと月どれくらい使ってるんですか?」
「四万」
「……は?」
「四万五千くらいだ」
「いや別に万未満の単位が無い事に驚いた訳じゃないんですけど……えっ? まじですか?」
「嘘を付く理由がない」
「いやいやいやいや、だって四万ですよ? 交渉次第でオプション付きの援交出来ちゃう金額ですよ?」
「突然なに言い出すんだこのビッチ」
ガチャを回して手に入るのは何も武器や防具だけじゃない。
季節折々の服装やマイルームに設置できる家具、仲間との共有スペースで一緒に聞ける音源だって買える。
「強い武器や装備のためですか?」
「いや、ぶっちゃけそういうのには興味ない」
「まさか可愛い女キャラ使ってネカマプレイ、とか?」
「俺のキャラは男だ……って、ネカマプレイなんてよく知ってんな」
「はぁ、だったら何に使ってるんですか」
しつこい後輩にスマホの画面を見せる。
幸か不幸か、今のところ客は来ていない。
多少の休憩は大目に見てもらおう。
「なんですか、この女キャラ」
「俺のキャラの相棒」
桃色の髪の毛に真っ黒な眼帯が特徴的な豊満な女性キャラ。
立ち絵はポニーテールを靡かせた凛々しい姿で二刀流の武器を構えている。
「”アスイ”?」
「相棒キャラの名前」
「”シレット”ってのは?」
「俺のキャラの名前」
「なんか、二人の名前の所にハートマークが付いてるんですが……」
「結婚してるからな」
「えっ、先輩、仮想空間で結婚してたんですか!? 現実だと彼女すらいないのに!?」
「結婚してるのは俺のキャラだけどな。あと一言余計だ」
キャラ同士の性別が異なる場合、一定の手順を踏むと結婚イベントを果たすことが出来る。
これは様々な相乗効果を生み出してくれるシステムで、ぶっちゃけソロでやるより経験値等の面で美味しい。
それに結婚していないと見れないシーンとかも存在する。
「俺の課金は殆ど”アスイ”宛てだな」
「この中二病女に四万!?」
「お前ボロクソ言うな」
「四万ですよ!? 下手すればJK買えちゃうんですよ!?」
「援交から離れろ。そして全世界の女子高生に今すぐ土下座しろ」
「だってデータに四万なんて……しかも操作相手は汗びっしょりのハァハァおじさんかもしれないのに」
「お前の価値観と偏見具合に脱帽だよ、俺は」
食べ終わった弁当箱を奥の流し台で洗い、水を切って彼女へ渡す。
残さず平らげ、綺麗になった箱の底を絵馬は嬉しそうに眺めた。
「別に”アスイ”の操作相手がお前の言う通り、汗びっしょりのハァハァおじさんでも俺は構わない」
「まじすか。画面に汗垂らしながら息切れしてるおっさんかもですよ?」
「情景描写を鮮明にしても答えは同じだ」
「はぁぁ……こんなおっさんのどこが良いんですかね」
「お前の中でおっさんは確定事項なのね」
彼女からスマホを取り戻し、内ポケットに仕舞う。
仕事中にゲーム画面を開いているところなんて、印象としては最悪だろう。
「そのおっさんに服や家具を買ってあげてるんですよね?」
「いや、俺の中では”アスイ”と操作相手は別で――」
「あ、そういうの今いらないので」
女性の突然の低い声ほど怖いものはない。
突き刺さる眼光は簡単に男の心をへし折る。
言葉の暴力反対。態度の急変にブレーキを。
「まあ、”アスイ”をおっさんと仮定するなら、そういうことになるな」
「ふーんっ、そうですか」
「意味深な”ふーんっ”だな」
「別にぃ? ただ、ちょっと、提案があるんです、けど?」
「言っとくが金は貸さないからな」
「はっ倒されたいんですか?」
時計の短針が三時に近づく。
あと十分少々で今日の勤務時間は終了。
珍しくも何ともないが、客は一人も来なかった。
「始めに言っておきますがこれは私が決してそうしたいって訳では無いんですただ顔も知らないおっさんにお金を使うぐらいならこっちの方が有効活用できると思ったから提案するだけですから間違っても勘違いしないでくださいね!?」
「善処しよう」
正直何を言っているか分からなかったが、一息で言ったことを蒸し返すのも悪いだろう。
「その課金対象ですが――私なんて、どうですか?」
熟したトマトと表現するべきか、はたまた高熱を出している病人に例えるべきか。
いずれにしろ、頬を真っ赤に染めた後輩が閑古鳥の鳴く書店に爆誕した。
「……何か言ってくださいよ」
「顔真っ赤だけど大丈夫?」
「先輩のせいですからね!?」
「え、俺のせいなの?」
「先輩が返事してくれないからじゃないですか!」
「だって返答に困る質問だったし」
ゲームキャラの代わりに後輩に課金するって、世間体的にどうなのか。
「でもまぁ、いいか」
「えっ、良いんですか」
「いつも弁当ご馳走になってるし、何かとアルバイトも助かってるし」
「あ、ありがとうございます! 今度料金表作ってきますね!」
「だから援交から離れろ」
見た目こそギャルっぽいが、実は頑張り屋で明るい彼女は人気がある。
本など然程興味が無かった人たちが、彼女をきっかけに読書家の道へ進んだケースも少なくない。
「あっ、この事は他の人に秘密ですからね」
「秘密?」
「当たり前じゃないですか。後輩に課金するなんて卑猥要素満載ですし」
自慢の胸を張って宣言しているところ悪いが、提案してきたのはお前だ。
「私に変な噂が立ったらどうするんですか」
「事実だけどな」
「”グヘへっ、おれっちも課金してあげるから生足ハァハァ”とか声掛けられたら怖いですし」
現実で”グヘへっ”だの”ハァハァ”だのを口に出す人間がそんなにいるとは思えない。
この後輩、絶対何かの影響を受けている。
「いいですか? 誰にも言っちゃだめですからね?」
そんな彼女に”課金”という名目で感謝を伝えるのも、まあ、悪くはないだろう。