第二章・橙色
何が間違いで、何が間違いじゃないわけ?
※
「――――あたしの名はシャーロット。傭兵団、餓狼のリーダーだよっ」
シャーロットと名乗るその少女は不敵に笑む。
「――――――、」
被った。
一瞬、《あいつ》と―――――!!
僕は灰色の瞳を見開き、橙色の瞳を睨むように見つめる。
「おっ、やあっと戦り合う気になった?でも、あんたが魔術師じゃないんだったら―――あたしに戦う意味はないの」
「どういう、意味だ―――?」
珍しく、本当に珍しく、女の子に向かって敵意剥き出しの僕。僕はす、っと懐の短剣に手を伸ばす。
「ねえ―――あんた、もしかして魔女??」
ざわ、と風が唸る。
笑うシャーロットに僕は―――短剣を、投げつけた。
しかしその短剣は少女の横をすれすれに通り過ぎ、背後の木にすとんと刺さった。
「応えない。黙秘権を行使する。」
「…」とシャーロットは燦々と輝く橙色の瞳を見開く。僕とシャーロットの間に数瞬の沈黙が流れる。そして沈黙を破ったのは、シャーロットの高らかな笑いだった。
「あはっ!あははははっ!ははっ…!――――まあ、いいや」
言って、シャーロットは右手に携えていた漆黒の長剣を同じく漆黒の鞘におさめると、橙色の瞳を僕に向ける。
「警戒しなくていいよ。あたしだって、あんたたちと同じようなモノだかんね。なんであんたたちが魔術師のフリしてこの国に来てるかなんて興味ないけど、あたしたちの邪魔さえしなければ―――殺さないでいてあげる」
「…」
僕はただ、シャーロットを睨む。この目の前の――――橙色の、狼を。
再び降りる沈黙に、突然の怒声が鳴り響いた。
『隊長――――――っっっ!!!何してやがるんですか早く帰ってきて下さいっっ!!』
「う、うげっ、シュゼット??」
慌てふためくシャーロット。どうやら無線で部下に怒られているようだった。
てか、部下に怒鳴られる隊長ってどんだけだよ、と冷静に突っ込みつつも僕の心の内に留めておく。
「…」
哀れな目を向けると、シャーロットがこっちに気付く。
「な、何よっ!」
「別に…」
僕はわざとらしく目を逸らした。
『ちょっと隊長聞いてます!!?これから緊急の宴会があるとかで召集令を受けてるんですっ!!なんでも、隊長が殺したはずの魔術師たちが…しかもさっき、私彼らを見かけたんですけど…あの人たち、明らかに人間じゃないですよねぇ…!?』
だだ漏れだった。
僕はこの傭兵団―――餓狼の隊長を見やる。
魔力制御をしているはずの僕らの正体がわかるってことは―――こいつらも、少なくとも人間じゃないということは確かだった。
「ああもうっ…!とりあえず城に戻るからっ!じゃーねっ!!」
『あっ、たいちょ』
ぶつん、と無理やり通話を切断し、シャーロットは僕に向き直った。
「ま、そーゆーことでっ!あたしのことは影狼って呼んでいいわよ魔術師さん」
言って、シャーロットは僕に背を向ける。
撫でるように風が吹き、僕とシャーロットの長衣が靡いた。
「シャーロット」
僕は睨んだまま。
橙色の少女は、振り向かない。
「僕は―――君が嫌いだ」
振り向かずに「あっそ」と短く言葉を切ると、シャーロットはすたすたと歩き始める。
「ちょっとっ!いつまでついてくんのよこの似非魔術師っ!!」
「五月蝿いな。僕だって城に行くんだよ」
さっきからずっとこの調子で僕とシャーロットは街の人々の目をひいていた。そりゃあそうだろう、ティアデールの傭兵と魔術師が、かなり低レベルな言い争いをしながら街中をずかずか進んでったら誰でも気になるよな。
「あたしと違う道進みなさいよっ!」
「僕がいつどこで何しようが僕の勝手です」
本来道に迷ってたから城への道がわからないなんてことは口が裂けても言えない僕だった。シャーロットはぶつくさ文句を言いながらも違う道は行ったりしないので、もしかして意外といい奴?とか思ったりする。
嫌いだけどね。
横目で、僕は僕よりもだいぶ背が低い橙色を見る。
「何よ、魔術師さん」
「いや、背低いなーと思って」
「んなっ!失礼ね、こう見えてもあたしは17ですっ!!」
マジかよ。
傍目から見てもわざとらしい程の僕の驚きの表情に、シャーロットは顔を真っ赤にして憤慨した。
「あんただって大体背高い方じゃないじゃないっ!!あんまり調子に乗ってると斬るわよっ!!」
「はいはい」
軽くあしらうように流すと、僕は見えてきた城に目を向ける。何だかうざいくらいにちらちらこっちを見てくるシャーロットに、僕は一言「何だよ」と灰色の瞳を向けた。
「い、いや、あのさ…名前、」
「はい?」
「…っ、名前っ!あたしがわざわざ聞いてやるって言ってんでしょっ!!」
きーっ!とシャーロットは僕を指差して真っ赤に怒っている。普通にしていればただの女の子なのになーとぼんやり考えながら、僕は僕の名を告げた。
「…エインセル。職業は似非魔術師さ」
そう軽快に答えると、シャーロットは一瞬驚いたような表情をした。
僕は気にせず、ティアデールの城門をくぐる。
「遅いっ!影狼もエインセルも一体どこをほっつき歩いておったのじゃっ!!」
宴会が開かれている蝶々の間の扉を開くと、やっとたどりつくなり少年王のぷんすか怒る声が耳に入った。既に宴会は開かれていたようで、バイキングのように並べられた豪華な食事に、僕は息を飲む。
「まあよいっ!今宵は宴じゃっ!たくさん飲んでたくさん食うがよいぞっ!!」
しかし少年王、次の瞬間には骨付き肉を頬張って至極満面の笑みだった。僕は「はは…」と苦笑いして一礼し、綜威さんとジェノンさんを探す。シャーロットと言えば、宴会に遅れた非礼など気にも留めず、恐らく無線で怒られた部下に走り寄っていった。相当慌てているようである。
「あ、ジェノンさん…綜威…さん」
近くのテーブルで二人の姿を確認し、しかし僕は表情をひきつらせた。
「あ、エインセルさん…今までどこ行ってたんですか」
そう自分のことは棚に上げ、綜威さんはもくもくと食事を続ける。テーブルには様々な料理を乗せた皿が並び、その横に綜威さんが平らげたと思われる皿が山積みにされたいた。
「よく食べますね…」
言って一瞥するようにジェノンさんを見ると、ジェノンさんもがつがつと料理を消費し続けていた。この二人に遠慮という言葉はないんだろうか。
「エインセルさん♪傭兵団、餓狼を抱えるだけあって料理も豪華ですねえ、超美味しいですぅ♪」
「……」
餓狼という言葉に、僕は眉を顰めた。そんな僕の様子に、綜威さんは思い出したように聞く。
「そう言えばどうしたんですか?…さっき、餓狼の隊長と一緒に城に来てたようでしたけど」
「少しだけ…ひと悶着。」
言って、僕も席につく。飲み物を配っていた近くのボーイからワインを貰うと、ことりとテーブルに置いた。説明するように、綜威さんは僕を見る。
「この北大陸に名を馳せる傭兵団・餓狼…なんでも、一見風変わりな集団のようですよ」
「…どういうことですか?」
「メンバーは女・子どもばかり。しかし実力は確かで、深紅の碧空や人食い狼とか呼ばれて彼女たちが通った後は、死体どころか肉塊ばかり…だとか」
フォークを持つ手を休まずに、綜威さんは続ける。
…僕、お腹すいてきた…。
「でも、それぐらいなら普通ですよね。何せ傭兵ですし、強くなければ意味がありません。でも、私が言っていることはそういうことじゃないんですよ―――。」
きん、とフォークを置き、綜威さんは最早氷水状態になった中身のグラスを手に取る。
「彼女たち餓狼は―――――私たちの属する闇の世界でも噂になるって、エインセルさん知ってました?」
悪戯っぽく笑むと、綜威さんはからん、とグラスの中の氷を響かせる。
「噂?それって、どういう―――。」
「どうやら、彼女たちは既に私たちの正体に気付いてるみたいですね。何やらあちらのテーブルからの視線が、さっきから気になりますから。まあつまりは――――私たちと同じか、或いは同じではあっても違う存在なのだと思いますよ?」
言って、さくさくとストロベリーアイスの乗ったスコーンを頬張る。
僕は低く声のトーンを落とした。
「餓狼の隊長さんに、同じようなことを言われました。なんでも…僕たちの前に来るはずだった魔術団を殺したのに、なんでこの国に魔術師がいるのかと問い詰められまして」
「…」
一瞬青い瞳を細めて、綜威さんは次にストロベリータルトのケーキに手を伸ばした。
苺が好きなのだろうか。
「…まあ、ある程度の力を持つ魔術師なら、魔力を持つモノに敏感ですからね。ほら、セルギオンでしたっけ?あそこの魔術師だって、私たちの魔力に反応してましたし。」
「それは多分、ジェノンさんと綜威さんの力が強すぎるんだと思いますよ…」
僕の空腹感はついに限界に達し、手近な皿に手を伸ばした。しかし綜威さんはそんな僕の行動を見逃さず、僕の手をぺち、と叩く。
「……」
「まあ魔術団を殺害したのは、彼女たちの正体がティアデールにばれないようにするためでしょうね、恐らく。よかったですね、殺されなくて」
そう無感動に言うと、綜威さんは思い出したように言った。
「それに、バイキングの料理はあちらですよ。私の獲物に手を出さないで下さい」
にっこり笑むと、綜威さんは何事もなかったかのように食事を続ける。僕は「…」と自分で料理を取りにいくしか道は残されていないようだった。
食事も一段落したところで、周囲は酒盛りムードに突入。僕も綜威さんもお酒を飲んでいたが、ジェノンさんはまだ食べていた。
「この前エインセルさんにかなりの魔力を持ってかれましたからねえ、お腹がすくんですよ♪」
らしい。
僕は若干ジェノンさんに申し訳ないと感じつつも、気にせずお酒をついだ。
「エインセル!さっきは何だかあたしたちのことを話してたみたいだけど、一体何をお話してたのかしら?」
「…」と僕はあからさまに迷惑そうな表情で橙色の少女を見た。どうやらシャーロットは少し酔っているようで、声のトーンがなんだかおかしい。しかも酒瓶片手に、
「相席、いいわよねっ?」
「無理。」
ときっぱり言っても、シャーロットは聞こえていないかのように僕の隣に座った。灰色の瞳を細める僕に、シャーロットの部下なのか、眼鏡をかけた女性が申し訳なさそうに僕を見る。
「あの、私餓狼の副隊長で、シュゼットと申します。先程は隊長がご迷惑をおかけしたとかで…本当にすみませんでした。お怪我などありませんでしたか?」
「別に大丈夫ですよ。立ち話もなんですから、シュゼットさんも座ってください」
促すと、シュゼットさんは一礼して綜威さんの隣に座った。声からして、恐らく無線の彼女がシュゼットさんなのだろう。こんな上司を持って大変なんだろうなと思い、僕はちら、とシャーロットを一瞥する。
「何よ、何か文句でもあるわけっ?」
そう言って、僕を橙色の瞳で睨む。しかし頬はお酒のせいで赤らんでいて、持っていた酒瓶をごと、とテーブルに置いた。
「この酔っ払い。そんなに飲むと吐くぞ」
「るっさいわねー…あたしはお酒には強いんだからっ!」
明らかに強くないだろ…と思いながらテーブルにふにゃふにゃと突っ伏すシャーロットを見る。シュゼットさんは「あわわわわ」とどうしたらいいか非常に困っている様子だった。
「このオレンジ色のお嬢さんが餓狼の隊長さんですか?」
人のテーブルで寝始めたシャーロットを横目に、綜威さんは青い瞳を細める。外見からはシャーロットと五つも差がないように見えるが、綜威さんは不老不死。シャーロットのことをお嬢さんと称するのを見るなり、僕よりもだいぶ年上なんだということを思い出した。
人の人生の三倍は生きているであろう―――人魚から呪いを貰った少女。
僕は静かに、息を飲む。
「あはは…何だかお邪魔しちゃうカタチになってしまって本当に申し訳ないです。でも私、驚きました。出会って間もない方々に、隊長がもう気を許してるなんて…エインセルさん、一体何があったんですか?」
「何…と言う程たいしたことがあったわけじゃないんですけど…殺されかけた?かな」
「すいません…そのことについては、後でちゃんと叱っておきます。」
シュゼットさんは瞳を伏せ、声を低くした。この人が怒ると恐そうだなーと思いつつ、僕はグラスに口をつける。
「ずいぶんわけありのようですね…ま、僕らも同じようなモノですが。」
言って、僕はジェノンさんを見る。なんか静かだと思ったら、ジェノンさんはいつの間にか酔いつぶれていた。シャーロットと同じようにテーブルに伏せ、ぐーすか眠っている。
「隊長は、餓狼のメンバーを家族のように大切に想ってらっしゃる方ですから、私たちに戦闘以外での危険が及ぶような可能性があるなら、どんな手段でも行使するおつもりなのでしょう。…今回の隊長の非礼、どうかお許し下さい」
言って深々と頭を下げると、シュゼットさんはシャーロットを揺する。
「ほら隊長、ほかの餓狼メンバーはとっくに部屋に戻りましたよ。私たちも帰りましょう?」
まだ酔っているのか、シャーロットは虚ろな橙色の瞳を擦る。シュゼットさんの肩をかりて、やっとテーブルから離れるのだった。
「では、おやすみなさい」
「…おやすみ、シャーロット、シュゼットさん。」
言って、僕もジェノンさんを揺する。
綜威さんは、もうとっくに彼女たちが消えた扉を、青い瞳を細めて見つめ続けていた。
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