第一章・嘘つき狼
わかってる。こんなモノは幻でしかないことぐらい。
※
「堕天使てめえこら!さっさとその地図を渡しやがれっ!」
「やーですよっ♪頭の悪そうな猫さんに渡したらどうなることやら…」
言って、はー、っとわざとらしく溜め息をついてみせるジェノンさん。ぴき、と音がしたかと思うと車内にカインの怒声が響き渡る。
「そう言っといてさっきから道に迷ってんのがわかんねえのか!このピエロがっ!」
「もう、そんなに怒ってると疲れちゃいますよ?あっ!きっとこっちの道です!」
「そっちはさっきも行ったっつーの!!」
後ろでぎゃあぎゃあ騒いでいるカインとジェノンさんを放置して、僕は運転に集中する。この前の国でパクっ…いや、拾ってきた車なんだけど、いまいちよくわからないからかなり危なっかしい運転になっている。
てか、ジェノンさんとカインを後ろの席にしたのは失敗だった。案の定彼らは相性があまりよろしくないようで、ここ一週間程はもうケンカばっかり。
「エインセルさん…?次の国までどのくらいかかります?それよりも私たち、たどり着けるんですかね」
そんなことをさらっと言って、綜威さんは眠そうに目を擦った。
「大丈夫だと思います…多分」
自信なさげに、僕。横目で綜威さんを見ると、彼女は助手席の窓枠に頬杖をついて外を眺めていた。
「ティアデール国は現在隣国と戦争中らしいですからね…真っ只中だと、さすがにちょっと危ないかもしれませんね。」
「戦、ね…まあ、魔術師とかが絡んでない限りは大丈夫ですよね、エインセルさんたち」
どことなく、自分は関係ないと言ったような彼女の雰囲気に若干の気まずさを覚え、僕は肩をすくませる。
「綜威さんも、ちゃんと気を付けて下さい…やっぱり、怪我をしたら痛いと、思いますから」
「…」
僕は前を向いたまま、運転中。しかし、綜威さんが驚いたような表情をして僕を見ているのがわかった。
「ちょっと綜威さん!エインセルさん!?なあに二人で愉しそうなお話をしてるんですかぁ♪私も混ぜて下さいよぉ♪…て、ぉわっ!」
と、元気よく僕に敵意剥き出しで後ろの座席から乗り出してきたジェノンさんは、急停車した衝撃で思い切り額を板にぶつけていた。
「見事に囲まれてますね、エインセルさん」
そんな痛々しいジェノンさんをスルーして、綜威さんは無感動に青い瞳を細めて言った。僕も、溜め息をついて周囲を見渡す。
「どういうことでしょうね、これは…」
ざっと2、30人くらいの兵隊たちが、僕たちを囲うように散らばっている。中には、黒い長衣を纏っている者も数人。
「…あれらが魔術師なら、少々やっかいですけど…どうします?私たちの正体なんて簡単にばれちゃいますよ」
「僕だっていろいろ考えてるんですから、そういうことさらっと言わないで…」
軽く傷つくぞ。
ふと顔を上げると、黒い長衣の一人が口を開いた。
「貴様らは何者だ。微弱だが魔力を感じる…敵国、ティアデールが要請した魔術団か?」
やはり魔術師か…
僕は何とかこの場を穏便に済ませようと考えを巡らせるが、しかし一向にいい案が浮かばない。敵国とか言ってるから下手に魔術師と答えても戦闘になるだけだし…
「なんだなんだ!?敵襲か!?」
物凄いタイミングで、カインがまだ突っ伏しているジェノンさんの頭の上に飛び乗る。一瞬の沈黙の後、何やら兵隊&魔術師さんたちがざわついた。
「なっ…黒猫!?」
「しかも色違いの双眸…!」
一拍置いて、黒い長衣が低く呟くように言った。
「魔女か……!貴様ら…!」
ざわざわとした雑音が紛れる中、はっきりと聞こえる、魔術師の声。
魔女という言葉を合図にするかのように、綜威さんは一瞬で外へ飛び出た。それに反応するように、ジェノンさんも飛び起き、続く。そして、たん、と未だに僕たちが乗る車の上に綜威さんの靴音が鳴った。そして同じくして、ジェノンさんの靴音も。
「ばれてしまった以上、仕方ないですよね。私たちは貴方がたと殺りあう気満々ですが、どうでしょう?」
「ふん。人でないのならば…容赦はせん」
「うふふふふ…♪ずっと車の中で猫さんと同じ空気ばかり吸っていたので、気が滅入っていたところです♪少しくらいは楽しませてくれるのでしょうねぇ?魔術師さんたち?」
…てか、こうして傍観者側として聞いてると、めっちゃ悪役じみてるんですけどこの二人…。
いや、実際僕たち悪役なんだけどさ。人間じゃないわけだし。
なんだか悲しくなってきた。
「それでは」と綜威さんの凛とした、しかしほんの少しだけ悪意が入り混じった、そんな声が頭上から聞こえた。
ひうんひうんひうん、と超高速の糸が動く音がする。
「戦争を、始めましょう」
※
「へぇ、この糸でアクラス国の魔術師たちの死体を操ってたんですかー…」
周囲を見渡せば、輪切りや引き裂かれた肉塊ばかり。そんな見るも無惨な死体たちに囲まれた車の屋根で、僕は綜威さんの持つ銀色の糸に感心していた。
「昔、知り合いの技術屋に造ってもらったんですよ。扱いはかなり難しいらしくて、相性がよくないと扱いにくい武器ですけどね」
「でも、会得してしまえば便利なんじゃないですか?」
聞くと、綜威さんは青い瞳を微かに伏せる。
「ま、エインセルさんの空の力の前では無意味でしたけど」
言って、何かの気配を察したかのように彼女は顔を上げた。僕は首をかしげ、彼女の視線を追う。
「…っ、また兵ですかね…」
「…でもあの国旗は…ティアデールじゃありませんでしたっけ。確か」
灰色の瞳を細め、遠めに見る。
「とにかく、自分たちの魔力を最小限に抑えてください。次は魔術師で通しましょう。ほら、カイン隠れて」
と言いつつ、僕はカインを肩から下げたカバンの中に押し込んだ。「ふぎゅっ!」と何だか可哀想な奇声が聞こえたけどこの際仕方ない。
「…」
だんだんと、彼らは僕たちとの距離を縮めていく。人数は4、50人くらいで軍用バイクを走らせている。
先頭を走っていたリーダーみたいな男は、バイクを下りて周囲に散らばっている死体すれすれまで近つ゛くと僕たちに頭を下げた。
…は?頭を下げた??
「自分はティアデール第17番隊小隊長、ギガと申します!…ところで、ここに転がっている死体はセルギオンの兵や魔術師と認識できますが……もしかして、要請していた魔術団の方々ですか?」
まだ状況整理ができず口篭っている僕に対して、ジェノンさんの行動は素早かった。一瞬で僕たちが休んでいた車の屋根から消えたかと思うと、次の瞬間にはギガさんの目の前で闇紫の瞳を輝かせていた。
「そうですそうですそうなんですぅ♪私たち魔術団は全力でティアデールの勝利に貢献する次第ですよ♪」
「おお!それは実に頼もしいです!ぜひ城でおもてなしさせて下さい!」
ジェノンさんの、人間からは到底ありえない素早い動きを見せ付けられて、後ろの兵たちもなんだかざわざわと士気が上がっているようだった。
…それにしても、あっさりジェノンさんに乗せられすぎじゃね?
「…」
僕は頭を抱えると、いつものように溜め息をつくのだった。
「…なんでこんなことに…」
安全運転を心がけながらも、絶望している僕。ギガさんたちは護衛のつもりなのだろうが、悪いが今の僕には獲物を逃がさないように囲いながら移動しているようにしか見えなかった。
「まあまあエインセルさん♪いいじゃないですかあ、せっかくお城で休憩できるんですよ?ね、綜威さん♪」
「ジェノンさんわかってるんですか?僕たちは人間の戦争に参加させられるんですよ?怪我したらどうするんですか!」
「大丈夫ですよぅ♪綜威さんは私が全力で守りますから♪」
僕のモロヘタレ発言に、ジェノンさんとの会話は最早成り立ってすらいなかった。僕は一瞥するように綜威さんを見る。しかし彼女はいつものように窓枠に頬杖をついて外を眺めるだけで、僕たちのアホな会話なんて耳に入ってないようだった。
「…」
彼女たちと一緒に行動するようになって一週間程経つが、彼女が何を考え、何を想っているのかが、正直僕にはよくわからなかった。まあそんなの、わかるはずもないのだが。
「あ、見えてきましたねぇ♪」
僕の気なんか知るはずもなく、ジェノンさんは愉しそうに言った。仕方なく、彼が指し示した方を見やる。
「…!」
僕の灰色の瞳に映ったのはどこにでもあるような光景…ではなく、いや、普通の光景なのだが…なんか、どこか変だった。
普通、一般国民である平民と国を守る役目を負う兵や軍人というのは壁というか、隔たりのようなものがあるのが当たり前だ。基本的に、身分が違うから。なのにティアデールの国民たちは兵たちの帰還を知るなり歓声を送ったり手を振ったりしている。小隊長であるギガさんも、にこにことそれに応えているようである。
…いい国なんだなと思う反面、僕は―――、一瞬そんな光景に、吐き気がした。
そしてそれに気付くなり、僕は灰色の瞳を伏せて「歪んでる」と誰にも聞こえないように呟いた。
「彼らが要請していた魔術団の方々です。陛下。」
深々と頭を垂れるギガさんに、僕たちも続く。
「よいよい!よく顔を見せてみよっ!」
その声にも驚いたが、顔を上げ、僕はもっと驚いた。ギガさんが陛下と呼び、周りの兵たちの誰もが頭を下げるこの国・ティアデールを統べる王は…まだ年端もいかない少年だった。
「うむ!我の名はエレスチェイル=セント=ティアデール…エレスと呼んでくれてかまわぬぞっ!」
そうにこにこと満面の笑みを浮かべる少年、エレス君は聞き取るのも大変な程素早い舌捌きで続ける。
「話によればセルギオンの兵はおろか魔術師までも撃退したと言うではないか!しかも無傷で!素晴らしい!実に愉快だ!世界とは常に楽しくなるようにできてはいるが、こんなに楽しい気分は久々だ!これからの成果には期待しているぞっ!」
「は、はあ…」
一度にいろいろ言われて、しかも褒めちぎられて頭がついていかない。てか、僕は褒め殺しキャラに免疫がないのだった。
しかもまだ続ける。
「お主ら!今宵は雇っている傭兵たちも集めて宴会だっ!もちろん魔術団の本日の功績を称えてなっ!確か雇用期間は三ヶ月だったか?少し物足りない気がするが仕方ない、どこの国でも魔術師は重宝されるからなっ!忙しいのであろうっ!いやいやしかしこの国は最高だぞっ!肉も魚もお菓子も美味いのだっ!いくらでも滞在するがよいぞっ!!」
一気に喋り終えて、エレス君は輝かしいばかりの満面の笑み。この子の辞書に、はたして限界という言葉はあるのだろうか。
「それでは陛下、魔術団の皆様をお部屋にご案内させていただきます」
一礼して、ギガさんは僕たちに礼をするように促す。それぞれ頭を下げると、僕らはギガさんについていく。大広間・白鷺の間を出た僕たちの背後から「ゆるりと休まれよっ!」と高らかなエレス君の声が響いた。
「…」
かちっ、
部屋の鏡の前で僕は魔力制御装置の髪留めを確認すると、カインを残して部屋を出た。それはそれはいつもの如くぎゃあぎゃあと騒ぐカインを置いていくのが少しは可哀想だと思ったが、仕方ない。今の僕は、不本意ながらティアデールの雇われ魔術師。魔女の使い魔として一般的な黒猫を連れ歩くわけにはいかない。
とりあえず、この国の紋が入れられた長衣を着て、僕は街を散策してみることにした。綜威さんとジェノンさんも誘おうと思ったが、既に二人も部屋を出たようだった。大方、無言で出て行った綜威さんを、ジェノンさんが慌てて追いかけていった構図だろう。
「静かだな…」
城門へと続く道はいろんな花々や緑で埋め尽くされていて、それを数人の庭師が丁寧に手入れをしている。どこか幻のような、心地のいい静寂。
と、城門を出る際、門番に一礼された。とっさに僕も軽く頭を下げる。多分僕の纏っている長衣は、傭兵や魔術師など雇われている者が着るものなのだろう。
活気に賑わう街に出て、僕は紛れるように人ごみに入り込んだ。
「待って下さいよ綜威さ〜〜〜んっ!」
エインセルと同じくして、綜威もジェノンもティアデールの長衣を纏い街を出歩いていた。透き通る程の青い髪を隠すようにフードをすっぽりと被って、綜威は淡々と歩を進める。ただ前だけを見つめる冷めた青の視線が、道行く人々を射抜くように見つめた。
「…なんだか変な気配を感じませんか、ジェノンさん…」
「そうですかぁ?私たちより異質な存在なんて、なかなか人里にはこないと思うんですけど…」
そう言ってのけるジェノンに、「鈍感。」と一言呟いて綜威はジェノンに向き直る。
「ジェノンさん、この前まともにエインセルさんの空の力を受けたでしょう。そのせいで魔力を削がれたどころか、だいぶ本来の力を制限されちゃってるんですよ…」
「?ですが、戦闘だったから魔力を削がれたまではわかるのですが…なぜ私の力を制限する必要があるのでしょうか…?」
綜威は青い瞳を無感動に細める。
ざわ、と巻き上がるように風が鳴り響いた。
「これは私の単なる憶測ですけど…ジェノンさん貴方が悪魔に堕ちるのを、彼は止めようとしているのかもしれませんね」
同じくして、無感動な声音。
ジェノンの返答など待たずに、綜威は足を進める。
「貴方は元々かなり上位に位置する堕天使だった…アクラスで魔術師の魂を喰らった時点で、悪魔に堕ちるのは時間の問題でしたからね。ただ、《赤》の魔女を追う彼を私たちも共にするかぎり…きっと私もエインセルさんも、貴方の力を必要とする時が訪れると思いますけど」
前だけを見つめて歩く綜威を、横からジェノンは少しだけ寂しそうに笑んだ。しかしそんなこと綜威が知る由もなく、話だけが進む。
「つまりです。《赤》の魔女の眷属であるにも関わらず甘ちゃんな彼は、貴方が天使に戻れる可能性を残そうとしているのでは、ということです。確か、一応可能性はあるんですよね?」
そこでやっとジェノンの方を見た綜威の青い瞳と、ジェノンの闇紫の瞳が合う。
「まあ、普通の堕天使ならばまだ可能性はありますね…しかし私は、ほとんど例外な堕天使ですから。だから―――本当の意味で、私は天界を永久追放されたことになっています♪」
「……」
少しだけ怪訝な表情で、綜威。一瞬見せたジェノンの暗がりを覗こうとしたが、やめた。あまり、綜威は人間はおろか、怪異とも深く関わろうとはしない方だった。なぜなら、自分は人魚に呪いを貰った身。不老不死の身体を持つ綜威にとって、別れというものは淡白でなければばらなかった。
自分の心が傷つかないように―――自分を守るために、他人に深く関わらない。
ばかばかしいとは思う。しかし心の温度を下げて、今まで綜威は気が違ってしまいそうな程永い時を生きてきた。
でもこんなこと、口が裂けたって誰にも言いたくはない。たとえそれがエインセルでも―――ジェノンで、あっても。
「私の勘違いかも知れない憶測なので、エインセルさんには秘密ですよ?」
そう誤魔化すように可憐に笑んで、綜威は目的地へと向かった。
一瞬戸惑い、ジェノンも続く。
※
「う〜〜ん…」
街中の商い品をいろいろ見てるうち、気付いたら鬱蒼と生い茂る森の中にいた。なんでそうなるんだよという突っ込みはご遠慮願う。
しかし、こんな年齢にもなって迷子とか……とぶつぶつ考えているうち、僕はぴた、と足を止めた。
背筋に走る、怖気。
「っ―――!」
瞬間、僕は背後からの何かを避けるように、跳躍。適当な木に着地して、振り返る。
「へー。なかなかやるじゃん!あんた…やっぱり人間じゃないねっ!」
言って、不敵に笑む少女。
少女の髪は肩ぐらいの長さのショートで、目も眩むような橙色だった。燦々と輝く瞳も橙で、しかしその少女然とした印象とは裏腹に、彼女の右手には漆黒の長剣があった。その体躯には不釣合いな程の―――長さ。
冷や汗が―――伝う。
「君は―――何?」
じりじりと迫るような、圧迫するようなその少女の殺気に、僕は息を飲む。しかし少女は―――笑って、いる。僕と同じで、ティアデールの紋が施された長衣を纏った、橙色の少女。
「あはっ!可笑しい可笑しい…おっかしいのよねー…!どうして、魔術師がここにいるのかしら?」
ふざけたように、しかし心底不思議そうに、少女は首を傾げる。しかし体躯に似つかわしくない長剣のおかげで、少女の雰囲気に一層僕は恐怖を感じた。
「どうしてって―――どうして?」
「それをあたしが今聞いてるの!さあ応えて――――なぜ、ティアデールにたどり着けないようにあたしがきっちり殺したはずの魔術団が、今この瞬間、ここにいるのかを」
ぴりぴりと、
びりびりと、
橙色の殺気が、僕一点に集中する。
それはまさに、餓えた狼に睨まれているかのような―――そんな感覚。
ころした?
殺したはずの―――魔術団?
僕は、問う。
化物のような殺気を放つ、この橙色に。
「君は―――何だ?」
に――と、少女の口元が笑む。
「――――あたしの名はシャーロット。傭兵団、餓狼のリーダーだよっ」
かくして魔女と狼は――――邂逅した。
物語の、幕が上がる