第十章・姫君たちの眠り
教えてください。みんながシアワセになれる方法があるというのなら。
※
僕が息せき切ってやっとたどりついた瞬間には、総てが終わっていた。いや、今この瞬間に終わりを迎えようとしていた。噎せ返るような血の匂いの中、この地獄絵図の中で立っているのは最早数人だけ。そして今、その中の一人が――――倒れようとしていた。
「―――――。」
倒れる。
ゆっくりと。酷くゆっくりと。
まるで僕の瞳にだけ映る―――スローモーションのように。
赤い。
橙色のはずのあいつが、真っ赤に染まっていく。
あんな眩しいくらいだった橙色の瞳が―――虚ろに。
「―――シャーロットぉぉおおおおおおッ!!!」
瞬間、僕は駆け出していた。
シャーロットのもとに、行かなければならない気がした。
もしかしたら―――もしかしたら、まだ助かるかもしれない。
嘘だ。見ろよあの出血量を。
心の奥底では致命傷の傷だとわかってはいても、僕は駆け寄らずにはいられなかった。
僕の視界に、アルスとリオンが映った。当たり前だ。自分たちの隊長が心配じゃないわけがないから。
「おいっ!おいシャーロット!!」
「隊長!いやぁ、隊長死なないで―――!!」
ぴり、と空気が凍りつく。
アルスは目に涙をため、次の瞬間には自身の剣を構えてシュゼットさんに向かっていた。微かに意識を取り戻したシャーロットがアルスを止めようとしたが、弱弱しい、今にも消え入りそうな声など、殺意の塊になってしまったようなアルスには届かなかった。
「許さない!!よくもみんなを!!隊長を―――!!!」
「遅いですわ…動きが丸見え」
本当に、それこそ一瞬だった。
殺意が高ぶっていたとはいえ、アルスの動きに無駄はなかったはずだ。なのに、それにも関わらずシュゼットさんは―――それを遥かに凌駕する実力だっていうのかよ。
僕は灰色の瞳を見開く。
また目の前で、赤い華が咲き誇る。
血飛沫が―――また噎せ返るような匂いの中に。
どしゃ、と溢れ出た大量の血と共に、アルスは崩れた。
彼女の自慢だったはずの見事な金髪も――――真っ赤な血溜まりの中に。
「…っ…」
やめてくれ。
嫌だ。これ以上目の前で命が散っていくのは。
まるで――――まるであの時のようじゃないか。
「ちょーっと遅かったなあ?<雪兎>君?」
「……イザヤ、」
にやにやと、その銀髪は嗤っている。
たとえ猫の仮面で素顔が見えなくとも、イザヤは嗤っていた。
死んでいった彼女たちを―――そして、僕を。
「わかっただろ?ちゃんと再確認できただろ?だってお前に関わったら―――みんなみんな死んでいくんだから」
ずきん、と脈打つ。
僕はなんでこんなにも―――イザヤの言葉に揺れてしまうのだろう。
「ずっと前もぼくは言った。お前は呪われているんだってなァ!そうだろ?お前に関わるモノ総てが!総ての物語がお前を軸に狂っていく!!はははははっ!傑作も傑作だ!!大傑作!!ひゃははははははははっ!!」
最早沈黙すらも無意味なこの広間に、高らかなイザヤの嗤い声が響く。
そして死が充満し切ったこの空間に、また違う魔力が広がっていくのがわかった。
「ずいぶんこのガキにいじめられてるみてえだなァ、エインセル」
「あっ、綜威さんご無事でしたか♪」
堕天使と悪魔が、姿を現した。
まあもうこんな状況じゃ、何が出てきたって意味なんてないのか…。
「なーんか嫌な匂いがすると思って来てみれば…てめえ、なぜ生きてる?」
金と赤紫のオッドアイを忌々しそうに細めて、カインは低く唸るように言った。猫仮面ののぞき穴とカインの両目とが、静かに視線を交わす。
「あーあ、邪魔が入っちゃったか。まあ今回のところはゴアイサツってことで〜。いくぞ、シュゼット」
「!待ちやがれ!このっ…!」
言ってるうちに、イザヤもシュゼットさんも溶けるように消えていた。見渡すとちらほらいたはずの魔術師たちも消えている。
しかしただ広いだけの空間に成り果ててしまったこの大広間に、高らかなイザヤの声が反響するように響く。
「じゃあな、魔女・エインセル。また遊んでくれよ?ひゃははっ!はははははははははははっ!!!」
重い沈黙の中に、ただただゆっくりと鉄錆びにも似た血の匂いが漂う。まだ微かに息のあるシャーロットの弱弱しい息使いが、僕の頭に響き続けていた。もうほとんど虫の息の状態の自身の隊長をリオンは無表情に見つめ、仲間なずのアルスたちの死でさえ一瞬一瞥するだけの様子に、僕はどこか言い知れぬ恐怖を感じた。
「………セ、ル」
僕の腕で抱えられている状態のシャーロットが、静かに口を開いた。
「エイン、セル…!」
「…シャーロット、きついだろ?喋らないほうが…」
しかし僕の灰色の瞳を見て、シャーロットは首を振る。つらいはずなのに、今にも死にそうなはずなのに、そのはずなのに…僕の目の前のこいつは、精一杯の笑顔をつくろうと必死だった。その間にも、傷口から止まることのない血が流れ続ける。
「あの、さ…あたしの…っ、剣、影狼、…貰って、くれない……か、な…?」
「あの妖刀を…僕が…?」
途切れ途切れのシャーロットの言葉を聞き逃すまいと、僕は必死にその声音に耳を傾けていた。傍にいるリオンも、その黒曜石のような瞳でシャーロットを見つめている。
「…あんた、さ…短剣しか…持ってないでしょ…っ、そんなんじゃ、この先…やってけない、よ…?それに、あんたなら…っ、影狼も、認めてくれる…!」
「…シャー、ロット…」
静かに力がなくなっていく橙色の瞳に、僕は何もできなかった。僕にできることなんて、何もない。なんで、どうしてこんなにも息苦しいと感じるのだろう。今まで誰が死んだって、今まで誰を殺したって、僕は泣いたことなんてないはずなのに、他人がいくら死んでもどうでいいはずなのに。
どうしてこんな死にかけの少女一人を目の前にして、僕はこんなにも泣きそうなんだよ
「だから…影狼を、あげる代わりに…一つお願い、聞いてくれないかな…」
静かに、僕は頷いた。
苦しそうなシャーロットの表情が微かに緩む。
「この子…リオンをね、一緒に…、連れてってほしい、の…っ…お願い…!」
「…隊長…?」
少しだけきょとんとした顔で、リオンは首を傾げる。この少女は、仲間たちの死をちゃんと理解しているのだろうか。それとも理解したくないだけなのか、理解した上での無表情なのか、僕には判断できなかった。
「ごめんね、リオン。…あんたたちの居場所、守ってあげられなく、て…っ、ごめ、ん…っ…!!」
シャーロットの頬に、酷く透明な涙が伝った。頬に付着していた血が流れ落ちていくくらいに、涙がこぼれ落ちていく。
「もっといろんなセカイ、見せてあげたかった…もっと、いろんなもの…感じてほしかった、のに」
震える手で、シャーロットは僕の頬に触れた。
酷く冷たい。人形のように体温がないその冷たさに、僕は声が出せなかった。
死にかけていく身体。
死に向かっていく身体。
僕がよく見知っているはずのその状態は、何だかこの瞬間だけ特別なもののように感じる。
それはこの身体が、シャーロットだからなのだろうか
「ワガママばかり言って…ごめん。」
「…なんで、」
僕の中の何かが、こみ上げる。
「…死ぬなよ、なんでだよ…っ…!死んし゛まったら、夢も何もないんだぞ!…大切なもののために、仲間を守るために!最強になるんじゃなかったのかよっ!!」
馬鹿みたいだ、こんなの。
死にいく少女を困らせるだけだとわかっているのに、止まらない。
「ふざけるなよ…こんな…!!リオンはちゃんと生きてるし、影狼だってお前のものだ!なんでだよ、置いていくなよ…僕を、独りにする気かよ…!
死なないでくれ、シャーロット……!!」
必死だった。
それなのにこの少女は、酷く優雅に、酷く悪戯っぽく笑むだけ。
「へえ、あんたも…そういう顔、するんだ…」
本当に、僕の気なんか知らずに。
「あはは、…んじゃ、ね」
突然に力を失ったかのように、僕の頬に添えていた手が床に落ちる。次の瞬間、それらは本当に最初からそうなっていたかのように、シャーロットの身体は崩れ始めた。しだいに細かくなっていき、砂のようにさらさらと消えていく。
そうこれが、僕たちの最後。
異形と闇をその身に宿したモノの定め。
周囲にあった餓狼メンバーの少女たちの身体も、さらさらと流れるように消えていく。
「……」
しかしそんな光景に、リオンは微かに寂しそうな表情をした気がした。
ほんの一瞬だけ。
僕の手の上からも、シャーロットだった砂は消滅していく。
それが無性に悲しくて、悲しいなんて気持ちはとっくの昔に忘れてしまったはずなのに、その感情を奮い起こされる。
どうしても、いなくなってほしくなかった。
「………」
ただの感傷。わかってる。
でも僕は、僕がどういう時に泣くのか、思い知ったんだ。
(「あの子たちはみんな、何よりも大切な仲間だからさ」)
人にもなりきれず、しかし化物にもなりきれなかった少女たちの物語は、静かに幕を降ろした。
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