第九章・見えない狗
どうすればよかったってんだよ
※
「ふざけんなッ!!出せ!出せよッ!!ここからぼくを――――――!!!」
こだまする。かつての少年の叫び声が。
響き渡る。僕の嘆きと《あいつ》の悲しみが。
「なんでだよっ!!一緒に、一緒にここから出ようっていったじゃねえか!!」
止まらない。
あのあふれ出るような苦しみが。
「なんで、お前たちも、ぼくを置いていくってのかよ…!!」
違う。
違うと言いたかったのに。
そう伝えたかった、はずなのに。
「結局お前は、ぼくから何もかも奪い去っていくんだ…!!」
でもそんな理不尽さは、揺るぎようがなくて。
どうしようも、なくて。
「許さない、ぼくは絶対にお前たちを許さない!!ぼくを殺そうとした人間たちも!ぼくをここに閉じ込めた魔女たちも!そしてぼくを裏切ったのは何よりお前たちだ!!殺してやる、殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる――――!!!
バルドウェイン博士えええええぇぇええええッッ!!!」
ああ、なんで
「………」
僕は冷めた灰色の瞳で、君の死体を見下ろすだけだ。
※
「…た〜い〜ちょ〜っ!」(アルス)
「……」(シャーロット)
「……」(リオン)
既に暗闇に包まれた夜の時間。
ティアデールの長衣を纏いし三人の少女は、用意されているであろう晩餐を目指して城に向かっていた。
「もう隊長ってば!聞いてます?」
「え?ああ、うん…」
ぼーっと少しだけ虚ろな目から、呼びかけられたことによってシャーロットの瞳はいつもの橙色の輝きを取り戻した。しかし既にこの呼びかけは何回か繰り返されていて、何回か呼んでやっとアルスに気がついたという様子だった。さすがにアルスも呆れたように、また物思いにふけようとするシャーロットに目を向ける。
「しっかりしてくださいよ隊長…大戦だって近いんだから」
「わかってる…もう、あんたまでシュゼットみたいなこと言わないでよアルス」
言って、シャーロットは橙色の瞳を微かに伏せ、いつも口うるさく言う自身の右腕とも言える副隊長のことを思い浮かべた。
「隊長、もしかしてあんな得体の知れない異能者の男に惚れたなんて言い出しませんよねぇ?」
「ばっ!何言ってんのよっ!!そそそそんなわけあるはずがあるわけないでしょっ!!」
混乱気味だった。
シャーロットは慌ててアルスから顔を背ける。
「この前、あの男の仲間がぼろぼろになって帰ってきたのを見ました。淡い青の女性だって、人間とは思えないしそれに―――それにあの男は、魔女でしょう」
一瞬、空気が冷めたモノに変わる。
シャーロットの橙色の瞳が瞬間殺気を帯びたかと思うと、アルスは自身の体中に電撃が迸るような怖気を感じた。
「そんなふうに相手を卑下するような言い方はやめなさい。あたしたちだって、彼らとは変わらないのだから。それに、そんな言い方をしたらあたしたちを今まで蔑んできた奴らと一緒になっちゃうわ。アルスにはそんなふうになってほしくない…わかってくれるわね?」
「…っ、以後気をつけます…」
しゅん、としたアルスに、次の瞬間には「よろしいっ!」とシャーロットは満面の笑みを浮かべた。ばしばしとアルスの背を叩く。そうしているうちに、自身の長衣を微かに引っ張っているリオンに目を向けた。
「ん?何よリオン。お腹すいたの?」
ふるふるとリオンは静かに首を振るだけ。何も含めない無感情な黒曜石の瞳が、橙色の瞳を見つめる。
「…ね、血の匂いがするよ。お城の方」
その言葉に、アルスとシャーロットは一気に神経を集中させた。人間とは格段に違う嗅覚と戦闘本能で、確かに城での戦闘の気配を確信すると、駆け出す。その瞬間の少女たちの瞳に、一切の迷いなどありはしない。それがたとえどこであろうと、戦場こそが彼女たち傭兵の舞台。
「しかしどういうことでしょうね隊長…まさか傭兵同士の決闘でなければいいんですけど…」
「そう、ね…餓狼ならそれだけはありえないと思う…それなのに、」
「……」
この中でも一際嗅覚の強いシャーロットには、その流されたはずの血が自身の仲間のモノであるという事実に不安と焦りを感じていた。
駆けるスピードが、加速する。
※
「きゃああああああああああああああっ!!」
こぼれるようにあふれ出る、幾多の悲鳴と真っ赤な血。
たった今まで晩餐が行われていたその広間は、猫の面を付けた男が登場した瞬間から最早戦場に成り果ててしまっていた。いくつもの金属音がぶつかる音と、次々に血がふきだし倒れていく生々しい効果音ばかりがその閉じられた空間を包んでいく。
「なぜじゃっ!なぜ宮廷の魔術師たちがここにおる!?それにあやつは――――餓狼の副隊長ではないかっ!!」
首元に押し当てられた両刃の長剣を横目で睨みながら、エレスは必死にそう言った。隣では、にやにやと銀髪の猫仮面がせせら笑っている。
「さっきも言ったろう?小さな王様…ぼくたちは危険すぎると上から判断された化物たちを潰しにきたんだよ!なに、あの副隊長さんは最初から狼たちの監視役だったってわけだ!ほんっと傑作だぜこりゃ――――!!」
高らかに、イザヤの笑い声が響き渡る。
そしてシュゼットとその他の魔術師たちに殺されていく傭兵団の少女たちをただ見つめるしかない自分に、エレスは唇を噛むことしかできなかった。こんなにも、大陸中で名を馳せた傭兵団が宮廷の魔術師たちに倒されていく光景など、信じたくはなかった。
「……」
危険すぎるから?
化物だから?
本当に彼女たちがそうなのだとしても――――宮廷のやりかたは酷すぎる!!
「…っ…」
しかしまだ、希望はある。
餓狼の隊長と、それにエインセルたちが来てくれれば―――!
静かに大広間の扉の向こう側で、綜威は息を殺していた。
たった壁一枚しか隔てていないのに、どんな惨劇が繰り広げられているのか想像がつく程の叫び声と戦闘音。しかしそんな乱戦など興味もないように、綜威はただただ静かに自身の気配を消しているだけだった。
そう、興味なんかない。
他人が殺されたって、私は何も思わない。何も感じない。
自分の護れるモノしか私は護ろうとはしないんだ。
いつだって。
「……最低、私」
そう呟いて、しかし綜威は自身が思っていたのと違う行動に出た。
目の前の扉を静かに押す。
いいの?まだ間に合う――――まだ面倒ごとは、避けられる。
しかし自身に問いながらも、扉を押すのをやめない。きぃ、と渇いた音を立てながら、その扉は静かに開いた。数人の魔術師とイザヤが、綜威の存在に気付く。
「はァん…<雪兎>の今のお仲間?あんた…」
「……」
イザヤの突き刺さるような視線に、綜威は返さない。
周囲に広がる殺し合いに無感動な瞳を向けながら、静かに歩を進める。
エインセルさんは、いない…それに餓狼の隊長さんも。
放っておけば、このままじゃ全滅――――か。
そう思った瞬間、この場の誰もを凌駕する殺気が広間を支配した。
ゆっくりと、しかし怒りをこめた詩が染み渡る。
「<幾多にも終わりのない空腹の殺意、見えない黒き影たちよ、忌まわしき封を解かれし時、その牙をもってして喰らい尽くせ――――影狼っ!!!>」
瞬間、大きな影たちが少女たちに刃を向ける魔術師たちに襲い掛かる。その有様は、まるで獣に肉を食いちぎられていくかのように肉が裂け、血飛沫が上がる―――。そんな誰もが目を逸らしたくなるような光景を、綜威は淡い青の瞳で見つめる。
…成る程。見えない狗というわけか。
この隊長の通り名である影狼というのは、自身が持つ妖刀の名。
自分の出る幕はどうやらなさそうだと、綜威は壁に寄りかかる。
「よくも大事な仲間たちを殺してくれたわね…!!シュゼット、どういうわけなのか、ちゃんと説明してくれるんでしょうね……!!」
橙色の瞳は怒りと憎しみで燃え、握っている刀の柄には強く握りすぎているためか血が滲んでいる。背後のアルスとリオンも、静かにホルダーから剣を抜いた。
「隊長…いえ、餓狼傭兵団・団長、シャーロット。わざわざ殺されにきたのですか?」
「…なんで、シュゼット…!!」
怒りに震えるシャーロットを、シュゼットは冷え切った瞳で見つめる。それを合図にするかのように、シャーロットとシュゼットはぶつかった。激しい金属音が大広間に鳴り響く。
「どうしてよ―――裏切ったの!!?」
「いいえ。裏切ったのではありませんわ―――最初から、私はこういう立ち位置だったというだけのお話です」
アルスもリオンも、怪我を負った仲間をかばいながら魔術師たちと戦っている。餓狼を統べるシャーロットは、仲間を守り抜く責任感をこの瞬間ひしひしと感じた。
死んでいった仲間のためにも――――この戦いだけは負けられない!
「なんで今頃…!宮廷は、あたしたちを認めてくれたんじゃないの!?」
「それは…」
剣と剣がぶつかり合う中、一瞬だけシュゼットの表情が揺らいだ。
どこか寂しそうな――――しかし最早諦めてしまったかのような、そんな表情。
「人でもなく、しかし闇の世界でも生きていく術がないあたしたち異形は!結局は戦ってでしか生きていけないって…ずっと一緒にいたあんたが一番わかってるはずでしょ!?なのに、それなのにあんたは――――!!」
戦いながら、殺気を放ちながら、しかしシャーロットの橙色の瞳からは涙が止まらなかった。
ずっと守ってきたはずの仲間。そして自分の手が届かずに死んでいった仲間。
シャーロットにとっての世界の総てが崩れかけていると言っても、過言ではなかった。
ちゃき、
「…貴女は、優しすぎるんですよ…!隊長っ……!!」
シュゼットは、持っていた剣を投げた。
そしてその剣は真っ直ぐに―――――まだ息のある、部下へと切っ先が向かう。
「―――――――――――っ!!」
一瞬だった。
綜威が息を飲んだ瞬間、その少女をかばうようにシャーロットは立っていた。
そして飛び散るように、赤が舞う。
ぱたた、と生暖かい血が床に落ちた。
シャーロットの輝くような橙色の髪も、まるで赤の絵の具をなすりつけたかのように汚れていた。
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