婚約破棄ネーター
僕は、悩んでいた。
「はぁ……」
絢爛たる王太子の私室にて、だが、もれる溜め息は何とも憂鬱。
ため息の主は、当然この僕。
この国の王太子である、アレックだ。
今、僕は悩んでいた。
いや、ずっと悩み続けている。――彼女について。
僕の婚約者である、公爵家令嬢のレティシアに関して、ずっと。
僕と彼女は、それこそ生まれる前から結婚が決まっていた間柄だ。
初めて会ったのは五歳のとき。
薄紫色の髪がとても綺麗な女の子、というのが第一印象だった。
でも、そんな印象はすぐに消し飛ぶこととなる。
何故なら、レティシアは腹にドス黒いモノを抱える悪役令嬢だったからだ!
見目麗しく、礼儀作法も完璧な彼女だが、その本性はとんだ悪女。
しかし、本性を表すのは僕と彼女の二人きりのときだけ。
誰か、他に第三者がいるところでは、徹底的に猫をかぶって正体を表さない。
そのやり口からして、彼女が俗にいう悪役令嬢であることが知れると思う。
そんな彼女に、僕はずっといじめ抜かれてきた。
二人きりになると、途端に横柄な態度で、僕に対し色々と命令してくるのだ。
何という不敬だろうか。
僕は、一応、この国の次期国王なんだぞ。
と、口答えしようものなら、百倍で返ってくるので僕は言わない(経験則)。
「う~ん、どうしようか……」
部屋で一人、僕は悩む。
腕を組みながら、頭をひねって、う~んう~んとひたすらに唸る。
悩んでいるのは、レティシアとの関係をどうするのか、だ。
というのも、彼女との婚約発表が目前に迫っているのだ。
これまでは内々でのものでしかなかったが、来週、僕は十六を迎える。
この国では、王太子は十六になると同時に内外に向けて婚約者をお披露目する。
それをもって、婚約は確かなものとなり、王太子は成人したことになる。
だが同時にお披露目には法的拘束力も発生し、婚約者は原則変更不可となる。
つまり、僕の一生があの女に握られることが確定するのだ。
ああ、考えるだに恐ろしい。これまで、どれほど陰でいじめられてきたことか。
それが一生涯続くなんて、それこそ僕にとっては悪夢でしかない。
この状況で僕が採りうる手段は一つだけ。
婚約破棄だ。
お披露目してしまえば婚約者は変えられなくなる。
ならば、その前に婚約をなかったものとすればいい。実に冴えたアイディアだ。
しかし本当に婚約破棄などしてしまっていいのか、というのが僕の悩み。
外から見れば、レティシアは完璧な公爵令嬢だ。
見た目は美しいし、楚々とした態度で周りからも実に受けがいい。
僕に言わせればそれは、タコが周りに合わせて体色を変えるのと同義だが。
さらにいえば、レティシアの御父上は実にデキた人である。
基本、娘に甘いところはあるものの、公明正大で父上からの信頼も厚い方だ。
あの方には、僕も大変お世話になっている。
僕が考えている婚約破棄は、公爵に対する裏切りでもある。
さらには、国の運営に与える影響もかなり大きい。それは無視できない。
それらを加味すると、やはり簡単には踏ん切りがつかない。
かといってあのレティシアに一生いじめ続けられる人生なんて、お断りだ。
さぁ、板挟みだぞ、アレック。
未来を慮っての私情優先か、それとも過去からの恩義を選んでの義理優先か。
どちらも、僕にとっては等しく重く、等しく大きな意味を持つ。
「…………仕方がない」
しばらく悩んで、僕は再び息をつく。
やはりどちらも選びきれない。
これは、僕だけでは解決しない問題だ。そう判断した。
正直、予想していた通りだ。
僕は僕という人間を知っている。
判断力はそれなりに持っているつもりだが、人が関わると途端にそれが鈍る。
いやぁ、関係者がレティシアだけだったら、婚約破棄一択なんだけどね。
でも、やっぱり公爵とか、公爵夫人にはお世話になってるし。
というワケで、奥の手だ。
こうなることはわかっていたから、決断するための手段も用意してある。
自慢ではないけど、僕の国は大陸でも最も長い歴史を持っている。
そのため、古くは数千年前に栄えた魔法王国の宝物なんかも収蔵しているのだ。
その収蔵数も、おそらくは大陸一を誇る。
というのも、僕の父上、つまりは今の王からさかのぼること五代前。
蒐集王の異名で呼ばれたご先祖様の趣味が、宝物のコレクションだったからだ。
そして僕は、その中から、悩みを解決するのに最適な宝物を発見した。
その名も――、婚約破棄ネーター!
婚約破棄を悩む若人の話を聞き、代わりに判断してくれる精霊を召喚する。
まさに、今の僕のためにあるとしか思えない、魔法の宝物である!
……自分で言っておいてなんだけど、用途がニッチすぎないか?
昔の人は、一体何を思ってこれを作ったんだろう。
悩みとは別に、僕は強い学術的好奇心に駆られかけたが、まぁ、置いておこう。
婚約破棄ネーターは、東方で使うランプの形をしている。
この国では見ない、独特の平べったい形をしているランプはそれだけで面白い。
悩める若人が念じながらこれを三度手でこすると、精霊が現れるという。
「――やるか」
一人で悩んでいても埒が開かない。
それを実感として知る僕は言葉に出して決断し、古びたランプを手に取る。
婚約破棄するべきか否か、どうか、僕に最善の判断を!
願い、想って、念じながら、ランプの底をキュッキュッキュッ、と三回こする。
「お、おお!?」
すると、ランプの口からモワモワといかにもそれっぽい煙が立ち上って、
「出てくる、ランプの精が……!」
そのとき、僕が想像したのはターバンを巻いたヒゲの大男。
東方から伝わるお伽話に出てくる精霊といえば、それが定番だからだ。
しかしまさか、この目で実物を見るコトになるなんて。ちょっと興奮しそう。
『よぉ』
――現れたのは、ゴツい顔のムキムキマッチョなおっさんだった。
「…………」
僕はフリーズする。
え、何、何これ。想像してたのと全然違うんですけど?
髪の毛ないし、眉毛もないし、目つき怖いし、大胸筋がピクピクしてるし。
うわ、怖ッ! 組んでる腕が太すぎる! 肩とか何あれ、頭?
あ、でも下半身はモワモワしててランプと繋がってる。
じゃあ、これ本当にランプの精なのか。……夢って、あっさり壊れるんだなァ。
『……座れ』
「え?」
『正座をせい、っちゅーとるんじゃ!』
ひぇぇ!?
いきなりすごい低い声で叱られた!
「え、すいません、あの、セイザ、って……?」
『あァん? 何じゃあ、正座がわからんのか。おォ? フカシちゃうやろな?』
ひぃぃ、睨まれた! ものすごい睨まれたよ!
いや、でもわからないものはわからない。何だよ、セイザって?
『正座ってのはなぁ、こうして!』
あ、おっさんがランプから抜け出てモワモワしてた部分が足になった。
『こうじゃあ!』
そして、僕が見ている前で、おっさんは膝を曲げて背筋を伸ばし、床に座った。
これがセイザ、というものらしい。
『せぇい!』
おっさんは勢いある掛け声と共に、ランプに飛び込んでいく。
そして、ランプの口からまた出てきた。足の部分は、モワモワに戻っていた。
「何でランプから出てこれるのに、わざわざ戻るんですか?」
『そんなモン、ワシがランプの精だからに決まっとるじゃろうがッ!』
また睨まれた。
「……ランプの精じゃなくなったら、どうなるんです?」
しかし僕は、ついつい興味本位でそれを尋ねてしまう。
『ランプの精がランプから出たら、精になるわい!』
「精」
『精じゃ!』
青少年の僕には、若干イケない意味を伴った響きに聞こえてしまうな……。
『ンなこたぁ、どうでもいいんじゃ! さっさと正座をせんかぁ!』
「ひぇっ」
おっさんの大声に驚いて、僕は反射的におっさんがやった正座をしてしまう。
あ、これ足痛い。体重が思いっきり足にかかる。
「あの、足が痛いんですけど……」
『よぉ~し、悩める若人よ、おまえの婚約破棄についてワシに話してみぃ!』
ガン無視されたよ。
聡明な僕は、これ言うだけ無駄だなと悟って、即座に諦めた。
この辺り、レティシアにいじめられてきた僕のいじめられっ子洞察力が冴える。
「えっと……」
腕組みをして筋肉に血管を浮かせているおっさんへ、僕は悩みを打ち明けた。
見た目こんなでも、伝承通りランプの精ではあるっぽいので。
『ほぉほぉ、ふ~ん。なるへそ~』
なるへそて。
今日び、相槌を打つのになるへそとか使う人、見たことないよ。
これが数千年前に存在したといわれている魔法王国のセンスだというのか……。
「――と、いうワケでしてー」
おおよそ、僕は語り終えた。
あ、痛い。足痛い。痛い痛い! 何これ、拷問? 僕、実は拷問受けてる!?
『ふ~ん』
そして、おっさんのこの、いかにも興味なさげな気のない返事!
ちょっと待って、僕、王太子。この国では結構偉い方なはずなんだけどなぁ!
『よっしゃ、そんじゃ婚約破棄診断するかいのう!』
必死に痛みに耐える僕の前で、おっさんは景気よく両手を打ち鳴らした。
何だよ、婚約破棄診断って。何をしようっていうんだよ。
『ええかぁ、若いの。これから、このワシがおまえさんが婚約破棄するべきかどうかをきっちりと診断してやるわ。大船に乗った気で安心せい!』
大船に乗った気どころか、針山の上に乗せられた気になるくらい足痛いです。
か、感覚が、足の感覚がなくなってきてりゅう……。
『で、じゃ――』
ふと、おっさんが言った。
『おまえさん、いつまで床に座っとるんじゃ?』
さすがにブン殴ってやろうかと思った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
十分くらい、痺れた足に悶えてた。
そこから何とか復活した僕は、腕を組んだままこっちを睨むおっさんを見返す。
「……それで、婚約破棄診断っていうのは?」
『悩める若人が婚約破棄するかどうかを決めるための診断じゃ!』
「なるほど、よくわかりました」
何の説明にもなってないってコトがな!
『これからワシが質問するから、おまえさんはそれに答えるんじゃ』
おっと、やること自体は非常にシンプルっぽいぞ。
ふむ、はい・いいえで答えていって、自分の本心を改めて確認する感じかな。
『解答は、はい・いいえ・わからない・多分そう、部分的にそう・多分違う、そうでもない、の五つの中から一つを選ぶんじゃ、わかったな!?』
思ったより選択肢多いな!
『それじゃあ、診断を始めるぞ! ワリャア、覚悟せんかい! オウ、コラ!』
気合を入れるのはいいけど、その気合の入れ方は違う気がする。
言ったら殺されそうだから絶対に言わないけどね!
『――人間?』
「は?」
……え、いきなり何?
『――――』
だが、僕が聞き返しても、おっさんは何も言わなかった。
何だよ、さっきとは打って変わっての、その『すンッ』って感じのすまし顔は。
「…………」
『――――』
僕は、おっさんの反応を待つ。しかしおっさんは完全に無反応。
顔は『すンッ』な無表情で、まるでこっちの反応を待っているかのような――、
「……今のが最初の質問かッ!!?」
気づいた僕は、思わず声を荒げていた。
何だよ、その簡潔きわまる質問のしかたは! さっきまでの雄弁さ、どこ!?
っていうか、単語だけで質問と気づけと?
何、ニュアンス?
語尾を軽く上げるだけのかすかなニュアンスの違いで気づけって!!?
無理ッッッッ!!!!
『――――』
しかし、変わらずおっさんは『すンッ』なすまし顔。そして無反応。
僕が答えない限り反応しない感じっぽい。そして質問は『人間?』の一文だけ。
そんなの、はいって答えるしか――、いや、待てよ?
仮にも、出てきたのは『こんなの』でも、これは伝説の魔法王国の宝物。
そんな大それたものに宿っている精霊がこんな単純な質問をしてくるだろうか。
……うわ、ヤバ、途端に答えがわからなくなった。
えてして『~に決まってる』と思っているものは、ただの思い込みでしかない。
自分は常識だと認識しているそれは、疑い出すと一気に怪しく思えてくる。
今がまさにそうだ。
確かにレティシアは人間だ。しかし、僕にとって彼女は一体、何なのだろう。
ずっと陰で僕をいじめてきたあいつを、ただの人間と思っていいのか。
そんな疑念が、僕の中でどんどんと大きくなって、常識が壊れていく。
それはたった一言の『人間?』という質問からもたらされた認識の崩壊だった。
ふ、深い……!
これが、魔法王国の遺産、婚約破棄ネーター!(ネタバレ:考えすぎ)
「……………………はい」
長い熟考ののち、僕はそう答えた。
フ、フッフッフッフ、心の底から感謝するんだなレティシア!
おまえのことをギリギリ人間扱いしてやった、この僕に!
普段から、二人きりのときはアホック、アホックと、変な名前で呼ぶおまえを!
この、寛大に過ぎる僕が、かろうじて人間と認めてやったんだぞ!
と、一人、勝利の愉悦に浸りかけていたところ――、
『――実在する?』
…………何て?
「え、実在? 誰が?」
レティシアが?
いや、レティシアなんだろうなぁ。これまでの流れをみるに、多分。
「いや、そんなの実在するに決まって――」
言いかけて、僕はハッとなって言葉を切った。
待て待て、いきなりあんな深い質問をしてきた宝物の精霊だぞ、こいつは。
この質問だって、何か測り知れない意図があるに違いない!(ネタバレ:ない)
そうとわかると、途端に僕は答えに窮した。
一体、このすまし面のおっさんは、何を考えて僕にそれを問うたのか。
レティシアが、実在するかどうか。一体どういう意味なんだ。
僕にとってのあいつは、悪魔そのものだ。
別に何も変わってないのに「何か気づきませんか?」とか言ってくるし。
適当に誤魔化すと「髪の毛を少し切ったの!」とか言って怒り出すし。
わかるかよ、そんなの。普段からどんだけ観察しろっていうんだ!
酷いときには、二人でのお茶会のときにしつこく「あ~ん」を要求してくる。
僕からあいつに食べさせたり、あいつから僕に「あ~ん」してと言ってきたり。
何なんだそれは、どういう辱めだ!
僕は一国の王太子で、あいつはそれに連なる公爵家の令嬢だぞ!
もっと、こう、節度をもって接するとかしてほしいんだよ!
毎度毎度「あ~ん」に恥ずかしがってる僕を見て、ニヤニヤしやがって!
すぐ怒るし、僕見て笑うし、少しツンケンするとすぐ泣きそうになるし。
ああ、ちくしょう、何なんだあいつは。
普段は、目の前のおっさんみたいにすまし面でいるクセに!
僕の前だと、ことあるごとにその表情をコロコロ変えて――、はッ!
――レティシアが実在するかどうか。
この質問の意味が、やっとわかったぞ。(ネタバレ:わかってません)
そうか、そういうことか。
何ていう深い意図を持った問いなんだ……!(ネタバレ:そんな意図ないです)
「……はい!」
僕は、若干溜めたあとで、力強く答えた。
そう、確かに実在している。公爵令嬢ではない、レティシアという人間は。
きっと、この質問の意図はこうだ。
公爵令嬢としてではない、一人の人間としてのレティシアは実在するかどうか。
令嬢としてだけの、中身のない人形だったなら、ここはいいえと答えるべき。
しかし、僕は知っている。
あいつは根性ねじ曲がったいじめっ子の悪役令嬢という人間性を備えている。
それはとても許しがたい、実に歪み切った人間性だが、しかし、人間性だ。
きっと、婚約破棄を考える上で、まずは相手をしっかり見つめる必要がある。
そうした意図が込められているに違いない!(ネタバレ:違います)
「……さすがは婚約破棄ネーター、古代の宝物!」
僕は戦慄と共に、目の前の腕組んで得意な顔をしてるおっさんを見返す。
一見すると、完全なドヤ顔にしか見えないツラだ。
しかし、これまでの二問で理解した。このオッサンが持つ、古代の叡智を!
そこまでわかれば、あとは簡単だ。
おっさんの質問の裏にある意図をしっかり考えて答えればいい。
「来い。婚約破棄ネーター、どんな曖昧で抽象的な質問でも答えてやるぞ!」
僕が意気込むと、おっさんが腕を組んだまま、平たい声で告げてきた。
『――長い黒髪で冒険者学院に通ってて剣を持って歌いながら竜に乗って戦う?』
やけに具体的かつ公爵令嬢に微塵もかすってなァァァァァい!!?
「……………………いいえ」
考えるまでもなく、僕はそう答えた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
どれだけの時間が過ぎただろう。
『――狡兎死して走狗烹らる?』
婚約破棄ネーターからの質問は、相変わらず一筋縄ではいかないものばかり。
これとか、どういう意味だよ。ってかなり調べちゃったモン。
ちなみに東方の国の格言らしい。
意味は、あんまりいい感じのものじゃないなぁ。う~ん。
「いいえ」
一応、そう答えておこう。
国のことを考えれば、部分的にそう、なのかもしれないけど。
しかし今は婚約破棄についての診断中、レティシア以外を考える必要はない。
それにしても、随分とたくさんの質問に答えてきた。
これまでの問答によって、僕は改めてレティシアについて考えさせられた。
改めてあいつのことを考えてわかったことは、やっぱ許せないな、ってこと。
思い返される記憶はいずれも僕にとって苦いものばかり。
僕が王太子であることを差し引いても、あいつの振る舞いは居丈高で生意気だ。
以上のことから、僕の中では現在、天秤がかなり傾いていた。
当然、婚約破棄するべきである、という方に向けて、だ。
しかしそれが早計である可能性も拭えない。
だから、婚約破棄ネーターの診断の結果を見て、最終判断を下そう。
そう思いながら答え続けていたら、ついに、最後の質問が来た。
それは『――おっぱい大きい?』という問いに「はい」と答えたあとのこと、
『――婚約破棄したい?』
来たな! と、思った。
婚約破棄ネーターという名前なんだから、そりゃあるよね、っていう質問。
僕の本音だけを言えば、ここでは迷うことなく「はい」と答えるべきだ。
しかし、おっさんとのやり取りの中で、僕には一度考える癖がついていた。
この質問も、額面通りに受け取っていいのかどうか。
一応、考えてみる。そして答えを出す前に、レティシアについて顧みてみる。
結局のところ、問題は僕があいつを受け入れられるかどうかなのだ。
というわけでレティシアへの最終評価を、ポイント制で決定することにした。
――僕に対して常にマウントを取ってくる。マイナス2点。
――人の名前を勝手に「アホック」にする。マイナス3点。
――お茶会における「あ~ん」の強要という辱め。マイナス7点。
――レディファーストとか言って色々命令してくる。マイナス8点。
――細かい部分に気づけと言ってすぐにブチギレる。マイナス10点。
――僕が少しでも怒ったら速攻で泣いてブチギレる。マイナス20点。
――「手料理」と称して僕に毒を食わせようとする。マイナス50点。
総合計マイナス100点。
う~ん、何という悪役令嬢。非の打ちどころしかないよ。
特に最後のアレなんて、僕に対する暗殺疑惑が濃厚すぎるんだよなぁ。
あのときのことは一生涯忘れない。
黒い煙を上げる、料理と称する不定形流動体を僕に食わせたあいつの顔は。
瞳には、とても大きな期待の光が輝いていた。
口元には、隠し切れない笑みが浮かんでいた。
きっと、苦しみ悶え、のたうち回る僕の様を想像していたに違いない。
そんなあいつの期待を裏切りたくて、食べたけどね。
そして、平気な顔をして、レティシアの悔しがる顔を見てやろうと思ったんだ。
苦しかったよ。
悶えた。
のたうち回ったね。
霞む視界の中にあいつがいて、さぞかし笑ってるんだろうなって思った。
悔しかったよ。結局、あいつの思い通りになったんだから。
でも、レティシアは笑ってなんかいなかった。
泣いてた。
その、綺麗な顔を涙でグシャグシャにして、ごめんなさいって何度も謝ってた。
綺麗な猫かぶりだよね。
そんな、涙まで自在に流せるなんて、さすがは悪役令嬢だよ。
でも僕は騙されない。僕は、そんな涙なんかに騙されたりはしないぞ。
……ちょっとだけ、減点を軽くしてやるだけだ。
レティシアの最終評価を少しだけ修正する。
最後のマイナス50点を、マイナス30点に。ほんの少しだけ、軽減してやる。
でも、それでも最終評価はほとんど変わらない。
マイナス100点が、マイナス80点になっただけだ。そう、それだけ。
とはいえ、減点方式だけで評価と言い切るのも公平性に欠ける。
だから今度は、あまりにも少ないあいつの美点を加点方式で数えていこう。
そうして総計がマイナスになれば、晴れて婚約破棄を決断できる。
ま、絶対にプラスになることなんてないだろうけどね!
――顔が可愛い。プラス1点。
――声も可愛い。プラス1点。
――ドレスとアクセサリーのセンスがいい。プラス1点。
ふふん、どうだ。この辛辣な評価基準。
婚約者だからって、ずっと僕をいじめてきたあいつに甘い顔などするものか。
――笑顔が咲いた花みたいに可愛い。プラス2点。
――怒ったところも少しだけ可愛い。プラス2点。
――僕に会ったら嬉しそうに笑うのが可愛い。プラス3点。
オイオイ、自分で言うのも何だけど、ちょっと評価が辛すぎないか。
マイナス要素がひとつにつき10点とかなのに、こっちは1点2点ばっかりだ。
あ~、これはもう決まったな。これは決まった。
これは婚約破棄だろ。決まったな。でも一応、最後までやってみるか。
――頭がよくて、僕の言いたいことにすぐ気づいてくれる。プラス4点。
――泣きそうになってる顔を見ると心の底から守りたくなる。プラス5点。
――お茶やお菓子の趣味が合う。オススメに絶対ハズレがない。プラス5点。
お~、最後の最後になってやっとプラス5点かぁ。
でも残念だったな。
今のでプラス要素もいよいよ終わりだよ。もう、これ以上は増えないんだよ!
さぁ、年貢の納め時だぞ、レティシア。
この王太子である僕に対していつまでも不敬でい続けたことを後悔しろ!
で、え~っと、プラス要素は、合計何点だ、これ。
むむ、ちょっと数が多いな。紙に書き出しておいてよかった。計算、計算、と。
「よし、計算終わった! え~っと、プラス要素の合計は――」
……180点?
「…………」
あれ?
これ待って、マイナス要素の合計が80点だから――、
「総合計、プラス100点?」
…………え?
「…………え?」
思考と行動が見事に重なった。
そうして呆気に取られている僕を、ふよふよ浮いてるおっさんが見下ろしてる。
おっさんは僕に婚約破棄したいかどうかを尋ねてきた。
それに対し、僕は今、こう答えるしかない。
「……わからない」
いや、したいはずだ。
僕はあいつとの婚約破棄を望んでいるはず。
でも――、
じゃあ何でマイナスよりプラスの方が多いんだ。これはどういうことだ!?
僕は、一切の偽りなしにこれまで答えてきた。考えてきた。
おっさんからの問いに対しても、今のポイント評価についても。それなのに!
ああ、わからない。
これは一体、どういうことなんだ。
僕が、レティシアとの婚約破棄を望んでいない? むしろ、婚約を望んでいる?
いやいやいやいや、ないないないない!
あり得ない。それは絶対あり得ない。はずだったんだけどなー!
うおお、自分のことがわからなくなってきた。
どうしたんだ僕は。
おっさんと喋りすぎて頭の中が壊れちゃったのか。それ、国の一大事じゃ!?
と、頭を抱える僕に、おっさんが次の質問をしてきた。
質問は、極々短い一文。
『――好き?』
……何だって?
僕は、頭を抱えた体勢のまま、おっさんを見た。
おっさんはすまし顔。腕を組んだまま、一切何も変わっていない。
そんな顔で、こいつは今、何と尋ねた。
好き? 好きかだって? 何が? おっさんが? いやそれはないわ。
と、すると、思い当たる顔は当然一つだけ。
この問いはつまり、僕がレティシアを好きかどうか、ということだろう。
「そんなの――」
言いかけて、僕はまた言葉を切る。
レティシアを好きかどうか。
そんなの、そんなの――、それは、えっと……。その……。
すぐには答えられなかった。
だって、考えたことすらなかったから。
レティシアは親が決めた婚約者で、彼女と結婚するのが当たり前だと思ってた。
婚約破棄についても、公爵や国に与える影響ばっかり考えてた。
じゃあ、もし婚約破棄したら、レティシアはどうなるんだろう。
僕という子分がいなくなって怒るだろうか。それとも、悔しがるだろうか。
……いや、きっと泣く。あいつは泣く。
そう思った理由は、自分でもわからない。
これまでの付き合いから、何となく、そんな風に思っただけだ。
確信できるくらいの強さで。
それに、ふと、思い出したことがある。
僕が死にかけた、例のレティシアの『手料理』に関することだ。
数週間後、再びレティシアが僕に『手料理』を振る舞ってくれた。
そのときに出てきたのは、王宮の料理長にも負けないような美味しい料理。
僕は美味しいと言うと、レティシアは自慢げに胸を張った。
しかし、前回のこともあって疑念に囚われていた僕は、誰が作ったのか聞いた。
泣かれた。
怒られた。
グチャグチャに泣かれて、メチャクチャに怒られた。
ああ、でも、もしあれが本当にレティシアが作った料理なら――、
彼女はどれだけ反省し、どれほど努力したのだろうか。僕なんかのために。
「僕は……」
僕は、僕の前でだけ生意気になるあいつを、どう思っているんだろう。
自分の胸に問いかけたら、答えはあっさりと出た。
何だ、最初からこうしてればよかったのか。
ここまでの遠回りを思い返し、迂遠に過ぎるよと、自分に呆れる。
そして僕は、おっさんを見上げ、最後の質問への返答を口にしようとする。
はい。
いいえ。
わからない。
多分そう、部分的にそう。
多分違う、そうでもない。
「僕が選ぶ答えは――」
ガチャッ。
「アホックー、遊びに来たわよー。お茶飲みましょー」
「はい。僕は、レティシアが好きだよ」
「は」
「え」
声がしたので振り向くと、ドアを開けた格好のレティシアがいた。
振り向いた僕と固まった彼女の目が、バッチリと合った。
「…………」
レティシアの顔が、みるみるうちに赤く茹で上がっていく。
その可憐な唇が、小さな動きを見せた。
「ア、」
「ア?」
「アホックの、アホォォォォォォォ――――ッ!」
ドバタァン!
ものごっつい音を立てて、ドアが閉められた。
そして聞こえる、レティシアの走る足音。ドレス姿なのに、器用だな!
「って、待ってレティシア! ちょっとー!」
僕は、大慌てで彼女を追いかけに走り出す。
部屋を出る去り際、僕はチラリと自分の部屋を振り返った。
おっさんの姿はなく、床に古びたランプが落ちている。
それを確かめて、僕は小さくうなずくと、レティシアを追った。
自分の気持ちと二人のこれからを、しっかりと伝え、話し合うために。
「待ってよ、レティシア――――!」
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