第六話 誘惑
桜ともみじがそんな会話をしながら二日ほどが経った。
現在、午前の訓練が終わり、昼食を食べた桜は城内の赤い絨毯の上を歩いていた。城など大阪城しか見たことない桜にとって、異世界の城はとても興味深かった。中の殆どが大理石で作られており、壁には幾つものランプがぶら下がっているので暗くはなかった。平均身長が高い異世界人に合わせているのか、天井も通路も大きく、平均身長より少し高い程度の桜にとって、まるで自分が小さくなったように錯覚する。
また通路の端にある調度品は見た事のないものばかりだった。貝殻を合わせて作られたような壷、見た事のない異形の魚らしき絵画。青く光る珊瑚のような不気味な置物。それら一つ一つを視界に入れるたびに、やはりここが異世界だと嫌でも桜は感じる。
そんな中、桜の目を引いたのは、青を基調とした絵で火山が描かれていた。他の絵と比べて海底ではなかったので雄々しいように思えたが、詳しく見る事はなかった。
「その絵に興味を持ちましたか?」
一人ではなったからだ。
桜より一歩前に出て、背筋を伸ばしたすらっとした女性がいるのだ。とても美しい女性である。水色の髪をショートで揃えたメイドである。また、桜も立派な日本男子なので、油断すると視線が大きな胸へと吸い込まれそうだった。
彼女は王女たちの――つまり国からの厚意で迷わないように、わざわざ城内を案内してくれる使用人を付けてくれたのだ。
断る理由もなかった桜は、可愛らしいメイドとおしゃべりも楽しんでいた
「あれだけ珍しい絵だと思っただけだよ。海の中じゃないみたいだ」
「桜さん、あれも海の中ですよ、海底火山って言うんです。火山は地上だけではなく、海底の中にもあるのです」
多少砕けた口調で言うメイド。
口を押せてくすくすと笑う姿はとても可愛らしく、桜は誤魔化すように頬をぼりぼりとかいた。
油断すると惚れそうだったからだ。
「へえ、なるほど。ということはあの青い色彩は海の中、ということか」
「そう言う事です」
メイドは胸を張って頷いた。
「それにしても海の中のものが多いんだな」
「ええ。ここは海に面していますから、風景と言えばやはり海に関するものになります」
なるほど、と桜は頷いた。
メイドと話している間に桜は城内にある様々な施設を見て回った。入ることは殆ど許されなかったし、詳しく調べるような時間もなかった。幾つかの部屋を訪れる事ができた桜は、想像以上に城の中は入りこんでおり様々な部屋があることを知った。
その中でも最も入りたいのは図書室だったが、どうやら一般人にはタブーとされてある危険な魔術書があるらしく、中に入って調べものには魔術師の許可がいるらしい。桜は魔術の訓練をまだ受けておらず、メイドも魔術師ではないため中へ入ることは叶わなかった。
それから桜は多くの場所を回った。
桜たち二年二組の生徒達の食事を作る調理場では、見た事のない大きな肉をステーキにしてもらってつまみ食いした。
国宝級の武具が収められた部屋。そこには宝剣、や大鎧、聖剣など様々な者があったがガラスケースの中に収められている者が殆どであり、手に取ることは出来なかった。
また騎士たちの訓練場も覗かせてもらい、普段どのような事を行っているのかも拝見することが出来た。
彼らの訓練と比べると、騎士が自分たちクラスメイトに課した訓練はおままごとのようである。
桜たちが受けた訓練はぬるかった。
最初はランニングから始まるのだ。用意された訓練場をゆっくりと走り、疲れたら途中で休んでもいい。ノルマも用意されてはいない。中には全くは知らず休んでいる者がいても、怒られることは全くない。
渡される武器は木で作られた軽い剣であり、それを数回素振りしてから騎士たちと剣を重ねる。重ねると言っても事前に動きは決まっており、どのように剣を振れば相手を倒せるかの確認だ。だが、騎士たちは殆ど棒立ちのままで、桜たちクラスメイトしか剣を動かしていなかった。そんな訓練は一人十分程度続き、あとは他の者の見学か自主練である。
そんな桜たちとは違い、騎士たちは金属の模造剣を振るっていた。お互いに激しく剣をぶつけている。金属の鎧は着ているが、その上からでも衝撃が殺せるわけではない。きっと騎士たちの体はよほど鍛えていない限り青あざだらけになるだろう。中には骨が折れている者もいるかも知れない。
「どうでしょうか、桜様? 私たちの国の騎士は? 彼らがこの国を守っているのです」
桜の隣にメイドは興奮したように言った。
「精鋭ぞろいみたいだね」
「ええ。そうです。彼らのおかげで魔族からの侵攻にも何とか耐えています。最も将来的には桜様は、彼らよりも強くなられるみたいです!」
「俺が彼らに勝つの?」
勝てない、とは桜は言わなかった。
そもそも桜は剣術を学んでいる。
剣に関してはずぶの素人ではない。もしも彼らと同じ条件で戦ったら一対一ならいい勝負になるほどの実力は持っている、と自負している。
最もそんな事はおくびにも出さないが。
「はい! 異世界から来た方々は、例外なく強力な強さを持っていると聞きますので!」
「……そうみたいだね。まだ実感はないけど、精いっぱい頑張るよ。彼らの姿を見て気合も入った事だし」
「はい! それはよかったす。私も案内した甲斐がありました。ところで桜さん……」
彼女は桜の服の裾を掴みながら甘ったるい声を出した。
顔が紅潮しており、とても色っぽい。
思わず桜は唾を飲み込んだ。
「何だい?」
桜の出した声は震えていただろう。
彼女の吸い込まれそうな青い瞳に桜はくぎ付けだった。
「少し歩き疲れたのではありませんか?」
「そうでもないけど……」
「城に用意してもらっている私の部屋がこの近くにあるのです。よかったら少しだけ休憩していきませんか? 美味しいお茶も淹れますよ」
桜の耳に魅力的な息が吐きかけられた。
思わずくらっと彼女の言うがままに動き、二人きりになって豊かな胸に飛び込みたい気持ちが生まれたが、断腸の思いで桜は言った。
「ところでさ、今って何時なの?」
きっと心の中で桜は血の涙を流していただろう。
彼女は腰にあるポケットから取り出した懐中時計を見た。
そこには8つの文字盤が描かれており、言語自体は地球と大きく違うが、時間に関しては地球とあまり違いはなく24時間のようだ。最も時間の区切り方は違い、八時間の周期が三回繰り返される。また秒分も違う。
「残念ながらもう少しで午後の訓練が始まるお時間ですね。では、そろそろ皆様の元に戻りましょうか。次にお時間のある時は期待していますよ」
彼女は勢いよく前を向き、また桜を先導する。
いい匂いのする髪が桜の記憶に残った。
「そうだね。そろそろ帰ろうか」
もったいなかったか、という後悔は当然ながらあるが、桜は拳を握りながら我慢した。
彼女の事は置いておくとして、一つだけ後悔があるとすれば、桜は出来れば情報取集の為にもう少し城内を見て回りたかったが、ここで不信感を抱かれるわけにはいかないので彼女の指示に従う。
この日に城内の探索で収穫があったとすれば、場内は極めて広く似たような景色ばかりが続くので迷いやすい、という事だった。部屋の中に関しては殆ど探索できていない。