第五話 幼馴染
もみじの部屋は自分の2つ隣にあった。
1階の部屋は人気があまりなく、その中でもリビングなどから遠い部屋はもっと人気がない。そんな部屋をわざわざ選ぶもみじに、桜はやはり自分とよく似ているな、と思った。
もみじは古武術道場の一人娘だ。
彼女自身も小学校の頃は、剣道の大会でよく上位の成績を取っているほどの腕前を持っている。
そんな道場に桜も幼き頃から通っていた。だからスキルに“古武術”があったのだろう、とすぐに納得したぐらいである。
桜は最もお世話になっている師範――つまりもみじの祖父から、屋内にいる時は常に脱出する方法を考えるべき、との教えを受けていた。
それを守った結果、入り口からは遠く窓から脱出しやすい1階だったのだ。
お互いに考える事は同じだな、と桜は苦笑する。
「もみじ、いるかー?」
桜は気の知った中なので扉をどんどんと叩いた。
もちろん自分が誰か名前も言わない。彼女ならきっと自分の事を声で分かるからだ。
「――入っていいわよ」
返ってきたのは当然のように了承の返事であった。
桜は遠慮もせずに勢いよく扉を開けた。
「よう」
「ふふっ、随分と大変な事になっているわね」
もみじはベッドの腰かけたまま優しく笑った。
彼女は細身の理知的な女性だった。眼鏡をかけた目は切れ長であり、手元にブックカバーがされてある本を読んでいた。
制服のワイシャツを着ている桜とは違い、もみじは白のネグリジェを着ていた。後から知った事だが、執事などに頼めば寝間着なども用意してくれるようだ。
「ちょっと話があるんだけどいいか?」
「ええ、いいわよ。私もちょうど誰かと話したいと思っていたところなの」
もみじは自分の横に本を置いてから言った。
彼女はよく図書館に行くほど本が好きなのだ。それは異世界に来ても変わらないようだ。
「それはよかった」
女性の部屋といっても、幼いころからお互いの家を行き来するような仲だ。遠慮などない。桜は中に入ると自分の部屋と同じようにある椅子を移動させて、もみじの真正面に座った。
改めてもみじの顔を見ると、今の状況に戸惑っている様子はない。
顔色はいつもと変わっておらず、頬は桃色が指してある。血色がいいようだ。図太いな、と桜はと笑う。
「どうなの、桜にとって初めての異世界生活は?」
「もみじも初めてだろうが……別に何てこともねえよ。出来れば早く帰りたい、と言うのが正直な気持ちかな」
やはり幼馴染相手だと他のクラスメイトよりも正直に話せる、と桜は思っていた。慣れ親しんだ彼女との会話は心が落ち着く。
「私もそこは変わらないわね。早く帰りたいわ。私のお父さんは過保護だからどんな手を使うかも分からないし、きっとお母さんやお姉ちゃんが困っているもの」
桜は慌てふためいているもみじの父親を想像し、ため息を一つ吐く。
彼が騒いでいる様子はすぐに想像がついた。
厄介そうである。
「そうだな。でも帰るには魔王を倒さないといけないらしい」
「そうみたいね。よくある展開だわ」
もみじは優しく笑った。
「……よくある話なのか? この話の展開って?」
秋山からもテンプレなることを聞いた桜。彼自身はあまりそう言った小説を読まないため、今の状況になじみがない。
「ええ。私も嗜む程度だけど、友達が好きでね、私も勧められて読んだことがあるわ。殆どがネット小説だけど、その中から出版されたものもあって私はそれを読んだわ。私が気に入るような小説ではなかったけど、悪くはなかったわ」
「じゃあ、よくあるんだな」
「そうね。それに似ているわ。本の展開と。今流行っているこのジャンルはね、序盤の展開がどれも似ているのよ。その展開と今の状況は似ているわ。まるで――本の中に入ったみたいだわ」
「本の中かよ。なんと幻想的な。ちなみにだが、その本だとどうやって元の世界に帰るんだ?」
「さあ? 知らないわ」
もみじは面白おかしそうに首を横に振った。
「どうしてだ?」
桜は首を傾げている。
「完結しているものが少ないのよ。元の世界に帰っているところまで書かれている小説は殆どないわ。殆どが未完。完結まで書かれてある作品を私は殆ど知らないわ。魔王と仲良くなっている小説もあるし、そもそも主人公が魔王になった小説もある。終わり方なんて想像すらも出来ないわ」
「手がかりはなしか――」
がっくりと肩を落とす桜を前にもみじは自分のスマホを弄って画面に文字を打った。
「……そうね。全くないわ」
『一つ、あるの』
そこに書かれてあったのは彼女が喋った事とは真逆の事だ。
「そうか」
桜は頷いた。
おそらく誰にも聞かれないための彼女の工夫だと思ったのだ。
『ここは騎士たちに囲まれているわ。何を聞かれているか分からない』
続けてのもみじからのメッセージ。
カーテンで閉ざしてある窓の向こうにはきっと騎士たちがいるのだろう。
「ねえ、本当にどうしようかしら。私はとっても不安。怖いわ、桜」
『この部屋に一つ手がかりを見つけた。タオルが落ちていたの。そこに紙が挟まれてあって、英単語で“doubt”と書かれてあったわ。意味は――疑えよ』
彼女は顔色を変えずに真っすぐにこちらへとスマホの画面を見せる。
桜はその画面を見つめながら考えた。
メイドは言っていた。過去にここに止まっていた勇者達が元の世界に帰った時から、この屋敷の中には入っていないと。もしかしたら自分の部屋にも何か手がかりがあるかも知れないと思った。
そう言えば、と桜は自分の部屋に黒いジャケットがあることを思い出した。
埃を払っただけで何も探ってなどいないが、もしかしたらあの中には以前にこの屋敷に住んでいた勇者の手掛かりがあるかも知れない。
「……俺も不安だよ。ああ、なんか駄目な考えばかり頭に浮かんできたから、冷静になる為に“一度自分の部屋に戻る”よ」
「そうね。それがいいと思うわ」
「落ち着いたらこの部屋にまた来ていいか?」
「いつでも待っているわ。その時は私を慰めてほしいの」
「分かっているよ」
桜はもみじと少しだけ戯れてから、すぐに自分の部屋に戻って黒いジャケットを漁った。
桜の場合は黒いジャケットの内ポケットの中であったが、確かに胸の中に紙きれが入っている。
書かれた板野はもみじと同じくシンプルな言葉だった。
――think
考え、と書かれてあった。
これがヒントだとして、何を考えればいい?
いや、もみじの紙には疑えと書かれてあった。
おそらく他の部屋の中にも、このようなメッセージがあるのだろう。全てが同じメッセージとは桜には思えなかった。もしかすると全ての紙を集めたら何かのメッセージになり、それが元の世界へと戻る手助けになる。
「いや、ないな」
だが、その案はすぐに桜は諦めた。
自分は最初、この黒いジャケットを捨てるかどうか悩んだのだ。
もしかしたらクラスメイトの中には捨てている人もいるだろう。何十人もクラスメイトがいるので、そのような者が一人ぐらいいてもおかしくはない、と桜は思った。
だとすればこのメッセージにもう意味はない、と思いまながらも二つのメッセージを頭の中で反芻させながらもう一度もみじの部屋へと向かう。
――疑え、考えろ。
桜は今の状況をゆっくりと考えた。
ああ、一つ、考えた事があった。
疑うべき点があったことに桜は気づいた。
「少しは気分がよくなった?」
部屋に入ると彼女は明るく出迎えてくれた。
「ああ、少しは落ち着いたよ」
『俺の部屋にあったメッセージは“think”。考えろだ。でもこれには意味がないと思う』
桜はもみじと同じようにスマホのメモ帳へと、文字を打って彼女へと見せた。
それから椅子へと座って、また物憂げな表情を桜は作る。
「それはよかったわ」
『どうして意味がないと思うの?』
もみじはスマホへと打った文字を俺へと見せながら首を傾げた。
「もみじと話していると本当に落ち着くなあ」
『もしもこのメッセージに意味があるなら、他のメッセージも集めなければいけない。それから意味を推測するんだろうけど、中にはこの紙を捨ててしまった人もいると思うし、隠している人もいると思う。それに全て手に入れたところで、俺にこの謎が解けるかどうか分からない』
例え名探偵であってもだ。
「そうね」
彼女は短く言った。
『で、だ。一つ――気が付いたことがある。勿論、このメッセージとは殆ど無関係に』
『何?』
もみじが身を乗り出すように聞いた。
興味があるようだ。
『あいつら、特に俺たちをここに呼び出したという王女――あいつは嘘をついている』
桜は自分の考えを話し出した。
『詳しく教えて頂戴』
彼女は身を乗り出しながら俺の目を見つめる。
それから桜は気づいたことを順番に彼女へと説明しだす。
『そもそも教室にいた頃を覚えているか?』
『ええ、覚えているわ』
『どんな風に意識を失った?』
『チャイムが鳴って、皆が席についたら、ふっと意識を失ったわ。詳しいことは覚えていないの』
どうやら桜ともみじの意識の失うタイミングが違うようだ。
『つまり、教室に入った王女の姿は見ていないんだな』
桜は教室に入った王女の姿をうっすらとだが覚えていた。
間違いなく王女は教室に来ていた。桜たちが平凡な日常を送っている教室に。
『ええ、見ていないわ』
『だとすると、俺よりも早く意識を失った時が違うみたいだな。俺は見ているんだよ。教室に入ってくる王女の場所を――』
『つまり、どういう意味?』
もみじは頭に疑問符を浮かべていた。
王女のついている嘘と、教室に現れたという事実が結びつかないのだろう。
『ここで一つ思い出して欲しいんだ。我らが学級委員長の東雲はこう言った。――僕が元いた世界に行くことは可能でしょうか? と。これに対して王女はこう答えた。元の世界に戻る方法は知りませんと』
『なるほど。そういうことなのね』
どうやらもみじも気づいたようだ。
元の世界に戻る方法は知らなくても、行く方法を知らないわけがない。
彼女は実際にあの教室に足を踏み入れたのだから。
『ああ、おそらく東雲は王女が教室に入ってくる姿を見ていた。だからわざわざ王女にも分かりやすいように言ったんだ。元の世界に戻る方法と聞くのではなく、元いた世界に“行く”方法と。こちらの世界の人間に分かりやすいように』
『でも、王女は戻る方法は知らないとわざわざ言い換えた』
『本当に知らないのなら言い換える必要もない。そもそも本当に神様が俺たちを呼び出したのなら、教室に王女が姿を見せる必要もない』
『つまり王女は元の世界に行く方法を知っている、と桜は言いたいわけ?』
桜は頷いた。
『ああ。絶対に知っていると思う。どのような方法かは分からないけど。もしかしたら王女の言ったように神がかり的な何かなのかも知れないけど、確実に王女は元の世界に行く方法を知っている。だって、実際に行ったんだから。じゃないと嘘をつく理由にならない』
これが桜の気づいた王女の嘘だった。
きっと東雲も同じ事実に気づいたのだろう。
『でも、どうして東雲君はあの場で王女を問い詰めなかったの?』
『理由は分からないけど、王女が隠すほどの事実なんだ。きっとあの場だとうやむやにされてごまかされる』
『そうなれば東雲君の立場は微妙になるわね。もしかしたらこの国に目を付けられるかもしれない』
『ああ、そうだ。だから隠したんだと思う。俺たちの命は今、この国に握られている。騎士は剣を持っていて、殺すのは簡単だ。始末されるのを恐れたんだろう』
東雲は思慮深い男だと、桜は感じた。
きっとあの場で真実を追求することのリスクとメリットを瞬時に考えて、気づいていないふりをする事の方がメリットが高いと思ったんだ。
自分でもそうする、と桜は思った。
この異世界で何も考えずに国を敵に回すほど愚かではない。もしかしたら他にもこの事実に気付いているクラスメイトもいるのだろう。彼らはきっと胸にこの真実を抱えているのだ。
『なるほど。この国が怪しいのは私も分かった。でも、現状として元に変える方法は分かるの?』
『分からない。分かるわけがない。どんな方法を用いてここに来たのかが分からない』
例えば全員を眠らせて移動させるという案も思いついたが、それだと大掛かりすぎるしきっと学校の誰かに見つかると思うので現実的ではなかった。
そもそも自分たちが今いるような場所は日本には存在しない。太陽が昇らない場所など日本には聞いた事がなかった。仮にここが日本だとすればここから逃げ出すだけで話は住むのだが、どうやらそうでもない模様だ。
『じゃあ、暫くは情報集めね』
『ああ、出来れば城の図書館に入りたいけど……』
『入れない。もしくは入れたとしても元の世界に戻る方法は置いていないでしょうね』
桜は頷いた。
きっとこの国の人間もそこまで馬鹿ではないと思う。
『もしも手がかりがあるとすれば――』
桜は部屋のクローゼットに隠されていた紙を見つめた。
考えろ、と書かれてある。
もみじの紙には、疑え、と書かれてあった。
この紙を書いたものがどんな意図でこれを部屋に残したのかは分からないが、もしかしたら手がかりの一部なのかも知れない。王女たちがいたずらで置いたという可能性もあるので確証は出来ないが。
『できれば協力者が欲しいわね。この秘密を守ってくれて、元の世界に帰る事を望んでいる人がいいわ』
『一人心当たりがある』
桜が胸中に思い描く人物は一人だった。
「ねえ、私ね、本当にこの世界に来て不安がいっぱいなの。魔族? 魔王と戦うのが怖いの。だって戦争でしょ? 死ぬかもしれないじゃない。それに私は相手の命を奪うなんてとてもじゃないけど出来ないわ」
『誰なの?』
急にもみじは話し出した。
もしかしたら男女がずっと無言で部屋にいる事で、誰かに勘繰られる事を避けたのだろう。
だけど、彼女の言葉に桜は吹き出しそうになる。
もみじは決して戦うのが怖い、だなんて言うような女ではないからだ。
様々な武術を教える道場で桜と一緒に稽古に励んだ彼女は、町の不良の三人程度なら一人で倒すほどの実力を持っている。相手の骨を躊躇なく折っていたので、その様子を桜はよく覚えていた。
その時の喧嘩を止めたのが桜だが、きっと止めなければ不良たちがもっと凄惨な目にあっていたかと思うと本当に彼女は恐ろしい女である。
「そうだな。俺だって怖いよ。でも大丈夫さ。俺がもみじを守るから」
『一人しかいないだろう。学級委員長の東雲だ』
桜の歯の浮くような言葉にもみじは思わず吹き出しそうになるが、口を両手で必死に抑えている。
「とっても、嬉しいわ。ねえ、私ね、桜に昔から言いたいことがあったの……」
『彼なら頭もとてもいいし、口も堅そうね』
「いや、その言葉は俺から言わせてくれよ」
『おかげに頭もいい。もう手がかりをつかんでいるかも知れない』
桜ともみじが喋っているのは、所詮は与太話だった。
長年の付き合いによるアイコンタクトで、お互いにおもしろおかしく演技を続けているのが分かっており、二人とも楽しみながら話している。
「ええ、聞きたい。とても聞きたいわ」
『なら決まりね。東雲君に話を通すのは桜に任せるわ。私は女だから周りから変に疑われても嫌だし』
「なあ、もみじ。実はな、俺、もみじの事……昔から好きだったんだ」
『そうだな。俺が話しかけるよ』
「本当? 私もなの! とっても嬉しいわ。私も好きなの! 私たち相思相愛ね!」
『他にできるのは……今のところないわね。この屋敷の中も調べたいけど、他の人の部屋まで探す口実がないわ。後から探すのが妥当ね』
「ああ、なんだか夢がかなった気分さ」
『そうだな。で、この話はいつまで続ける?』
桜はこの演技が面倒臭くなったのか、鬱陶しそうな顔をしながらスマホに言葉を打つと、もみじは薄っすらと笑う。その姿はまるで魔女のようであるが、酷く妖艶で魅力的だった。クラスの誰も知らない彼女の一面だ。
『決まっているじゃない。この世界にいる間よ。私たちは付き合っている、という事にする。誰かが今の私たちの会話を聞いているかもしれないし、この世界の男たちが声をかけて来たら断る体のいい言い訳が出来たわ。彼ら、私たちに目を付けているみたいだから』
『なるほどな』
桜も心のどこかで気づいていた。
この世界の人間が自分たちクラスメイトを誘惑していると。おかしいと思ったのは、自分たちへ給仕する執事やメイドが全員異性だった事だ。
もしかしたら色恋でこの世界に縛り付けるのも、彼らの役目の一つなのかも知れない。
この考えが妄想だったとしても、彼女たちの色仕掛けには気を付けたほうがいい、と桜は思った。
「じゃあ、とても名残惜しいけど、俺は自分の部屋に戻って休むよ。一緒の部屋で寝たいところだけど、気恥ずかしいからね」
「うん。分かった……でもね、明日も来てね。私、桜と二人で喋りたいから。“他に予定”があれば、それを優先していいわよ」
「分かったよ」
桜はもみじの部屋から出ようと思った時に彼女から肩を叩かれた。
先ほどまでと同じようにスマホの画面を見せられる。
『気を付けてね』
彼女からの優しい言葉。
そんな忠告を桜は胸に刻みながら自分に部屋に戻り、今日は明日からの勇者としての訓練に備える為に休むことにした。