第四十二話 城門
石の上を走って五人は城を目指す。
身を屈み、足音を消して、出来るだけまとまりながら進む。他の者たちに見つからないように。幸いにもこの辺りは光源が全くなかった。寮が燃えていることもあって、五人の姿は暗闇に紛れる。
ふと寮の裏口を見ているとクラスメイトやメイド、騎士たちが集まっていた。ある者は絶望したように、ある者は嘆くように、またある者は無心に燃え盛る寮と舞い上がる火の粉を見つめていた。
そんな光景に千里は足が止まりそうになったが、もみじが手を引っ張るので足が止まることはない。
城に続く石の道は遮蔽物が見当たらないので、身を隠す物が何一つとしてなかった。だからこの辺りに人が来たら見にくいとはいえ桜たちの姿はすぐに見つかるだろう。
幸いにも今のところ騎士と出会う事はなかったので、五人は城への道を急ぐ。もちろん寮から城までの道は他の者に見つからないように大周りをしながら。
「――待って」
だが、そんな五人をもみじが止めた。
もみじは先にある一点を見つめている。桜もそれに習うかのように目を凝らした。
闇の中でうごめく物が一つあった。人だ。騎士である。鎧を黒く塗りつぶしており、ゆっくりと歩くためこのまま行けばきっと見つかっていただろう。
先ほどまで桜たちの寮を見張っていた騎士たちと同じ部隊に――おそらくこの国の暗部のようなものに所属しているのだろう。
こちらを見ていないためまだ桜たちは見つかっていないが、騎士は城へと向かっているためこのまま進めば見つかるだろう。
「どうするんだい?」
そう恵が言う前に、桜は動いていた。
身を屈めながら男に素早く近づく。トンファーは持っていない。桜は素手だった。そのまま男の背後まで近づくと、男の背中に飛び掛かる。両足で男の腹を挟み、右腕を男の首へと回した。左手で肘の裏を押さえて背筋で引き絞るように体を反らしながら、全力で男の首を絞める。
俗に裸締めと呼ばれる絞め技だ。
男は急な動きだったので桜の攻撃に対応することができず、小さな唸り声を上げながら桜の手を剥がそうとするが、もう完璧に“決まって”いる。桜の腕と首の間に手などを挟んでおけばまだ抵抗は出来たかもしれないが、そんな猶予さえない。男は膝を崩し、全力で抵抗するが、すぐに力尽きて地面に横になりながら倒れた。
桜はそれでも腕を止める事はない。相手が死んだふりをする可能性もあるため、桜の腕を掴む力がなくなってからようやく離した。
桜は僅か数十秒で男を倒すと、手招きで四人を呼んだ。
「凄い……ですね――」
桜の手際を見た千里が驚いたように言う。
「慣れているからな。それより、もみじ、紐を出してくれ。持っていただろう?」
「縛ればいいの?」
「ああ」
桜の指示通り、もみじは意識を失っている男を縛り始めた。手慣れた手つきで。もちろん持っているガムテープで口を塞ぐことも忘れない。
そのまま道から外れた場所へ男を転がすと、桜は男の腰についている剣を抜いた。刃を少しだけ見た後、鞘にしまった。
「もみじ、こいつをやる。お前が使え。この中で一番うまく使うだろう」
桜はもみじへと剣を投げた。
もみじは受け取った剣を少し抜くと、顔をしかめながら言った。
「なるほど。この剣はそう言う事ね。でも、私が使うにはぴったりだわ」
「そうだろう?」
「ええ」
「じゃあ、行くぞ――」
桜たちは騎士と言う障害を越えて、また慎重に先を進む。
城まで着くのにそう時間はかからなかった。
だが、異変に気付く。
最初に気付いたのはもみじだった。
「ちょっと待って。何かおかしいわ」
足を止めて五人はその場で城の入り口を見つめた。
桜の耳にも城の中から揃った音が聞こえる。一つや負圧ではない。幾つもの足音が同じタイミングで床を踏みしめるのだ。
軍靴の音だ。
桜とは恵と礼香の頭を、もみじは千里の頭を押さえて五人は地面へと突っ伏した。出来るだけ地面と平行になるように。
「……なんなのよっ!」
礼香は急な桜の様子に文句を言おうとするが、口をもみじに塞がれた。
「黙ってみていて」
もみじは小さな声で礼香へと注意する。
五人が城の入り口を観察していると、二人の騎士が守っている扉が勢いよく開いた。その中から数多くの騎士が現れた。見知った姿である。だが、持っているのは剣ではなく、槍だ。長い槍である。剣は腰につけているだけだ。
それに騎士だけではなく、ローブを着た幾人もの魔術師の姿もあった。
まるでどこかに
「へえ――」
桜は彼らの姿を見て、興味深そうに感嘆した。
“槍”と言うのは、人類最古の武器の一つである白兵戦で用いる武器の中で最も活躍したものだ。そのため種類も数多く存在し、世界中であらゆる国で使われている。
戦いと言う場においてで語るのなら、剣よりも槍のほうが幾分も優れているだろう。何故ならリーチが槍の方が長く、振り回すだけで有効な武器となるからだ。剣道三倍段と言う言葉もあるほど、剣も槍の方が優れている。
また集団で横に並び突き刺すのも有効だろう。古代においてはファランクス、日本においては槍衾と呼ばれる非常に強力な作戦もあるほどだ。
――だから、彼らが槍を持ち出すのは、戦闘に対して本気になったということ。
今まで見せなかった槍を見せたのだ。きっと戦う事に本気になったのだろう。
桜は最初、自分たちへと向ける為にあの槍を持ち出したのかと思ったが、彼らが真っすぐ進む方向はどうやら寮ではない。火事に対処するわけでもないようだ。
では、一体どこに、何をしに行くと言うのか。
「……あの方向は亜人たちの宿舎なので、何も起こっていないんですけど」
千里が小さな声で言った。
今大変なのは寮である。あの火事に対処するには一人や二人では足りない。クラスメイトは全員救助されただろうが、あの火事はそう簡単に消せるようなものではない。あのあたりに水源はなく、消すには魔術師が生み出す水が必要だ。
だが、それを見過ごすほどあの方向に大変な事が起きているのだろうか。
桜には一つだけ心当たりがあったが、ここで聞かれるのも面倒なので他の四人には何も言わなかった。
騎士たちの姿はすぐに桜達には見えなくなった。夜の闇の中に消えたからだ。
彼らに自分たちが探されないのは僥倖だと、桜は思った。もしもあの人数でローラー作戦で探されたら見つかるのも時間の問題だ。逃げ切る方法など思いつかない。こればかりは天が味方についてくれたのだ。
「でも、まだ、騎士はいるし。城に入るのも簡単じゃない」
礼香が先ほどと同じく門を守る二人の騎士を見ながら言った。
彼らの姿は他の騎士とそう変わりはしない。
身に着けた動きづらそうな銀色の鎧。兜は被っていない。顔は露わなままだ。二人とも凛々しい顔をした騎士である。お姫様が憧れるような二枚目だ。槍は持っておらず、目に見える武器は腰につけた剣だけだ。
もみじが持っているのと同じもの。
「もみじ、やれるか?」
トンファーを両手に持った桜が聞いた。
「当然――」
もみじは無言で剣を抜いた。
持っていた鞄と鞘は千里に預ける。
「三人はそこでまっている。二人を片付けたらすぐに呼ぶ。こっちへ走ってこい。いいな?」
反論はなかった。
桜ともみじは身を低くしながら騎士たちに近づいて行く。出来るだけゆっくりと慎重に、それでいて二人ともある程度の距離を保ったまま。
二人は騎士の近くまで来た。
騎士の目が、桜ともみじを見つけた。
――瞬間、桜ともみじは動いた。
桜は一人の騎士へ襲い掛かる。相手に剣を引く暇すら与えない。トンファーを強く掴み、警棒のように騎士の頭へと振り下ろした。
「がっ!」
いきなり襲われた騎士は桜の攻撃を手で受けようとするが、とっさの事だったので反応できない。鈍い音が響く。騎士の頭が下へと揺れる。落ちた顎を狙いすました蹴りで、上へと騎士の頭を跳ね上げた。そしてがらあきになった騎士の喉仏へ遠慮なく桜はトンファーで突いた。
息もつかぬような猛攻。桜の攻撃には遠慮がなく、全てが必殺の一撃。相手に情けを掛ける様子もなく、騎士が地面へと倒れそうになった時も手心を加えるつもりはなくも防備な首へトンファーの連撃を叩きこんだ。
また一方でもみじも騎士へと攻撃していた。
鎧の上など当然狙わない。抜身の剣で狙うのは相手の首だ。横薙ぎで相手の首を斬り飛ばすかのような一撃。体を回転させて、ばねを使って渾身の剣を叩きこんだ。
だが、騎士の首が胴体から離れる事はなく、騎士は横へと体が倒れただけだった。もしかしたらこの一撃で騎士の意識を刈り取ったのかも知れないが、もみじは桜と同門である。手負いの獣が一番危険な事を知っている。相手が戦闘不能になるまで油断せず、こんな騎士相手に遠慮する気もない。
地面に突っ伏したいる騎士の頭へ何度も剣を振り下ろした。鈍い音が鳴るが、その程度でもみじの顔色が悪くなることはなかった。
「来ていいぞ――」
桜は二体の騎士が倒れた事が分かったので。三人を呼んだ。
三人は顔を青くしながら入って桜達に追いつく。
「はあはあ、お二人は凄いですね。怖くはないんですか?」
追いついた千里が二人を心配していた。
「大丈夫よ。知っている? この国が持っている剣は全て模造剣なの。切れる事はないわ。ただの鈍器よ」
「え、そうなんですか?」
「ええ。そうよ。だからこれで切っても死ぬことはないし、斬られても死ぬことはないわ」
「そうなんですね!」
誰も殺していない事を安堵するかのように、千里は胸を撫で下ろした。
「すぐに人がやって来る。早く城の中に入るぞ」
桜が一足先に城内に入ると、残る四人は追いかけるように城の中へ入った。
城内に入れたと言うのに、桜の顔は優れないままだった。それはもみじも一緒である。
先ほどもみじはこんな剣では何も切れないし、誰も殺せないと言ったがそれは本当ではない。例え只の金属の棒であっても人は殴られたら死ぬ。
だからあれほどまで執拗に叩いたのなら、死ななくても重症なのは間違いないだろう。
だが、桜ともみじの手に残る感触は人を殴った感触ではない。肉と骨を叩いた感触ではない。もっとやわらかくて弾力があり滑るようなもの。人とは違う感触だった事に、いったい自分たちは何を殴ったのか。それを知りたくなくて、二人は一刻も早くこの場から逃げたかった。
そして桜は好奇心のままに一瞬だけ振り返ると、気絶させたはずの騎士が手を付いて立ち上がろうとしている。
「もっとスピードを出せ!」
彼らから逃げるように桜は足の回転を速めた。




