第四十一話 決意
明けましておめでとうございます。
この作品は完結まであと少しですので、短い間ですが今年もお付き合いいただけると幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。
そしてすぐにもみじの叫び声も聞こえて、二人は部屋に帰ってきた。
「皆、パニックを起こしていたわ。これなら簡単に寮から出られそうよ」
もみじは満足した顔で言った。
桜が火計について二人に伝えた時、もみじはやる気満々だったが、恵は渋っていた。クラスメイトを傷つける事になるかも知れない、という事を忌避したのだ。
だが、最終的に恵は納得した。寮を安全に抜けだせる方法が他には思いつかず、桜の案に乗ったのである。
「恵、クラスメイトはどうだった?」
「……逃げていたよ。それとなく、裏口から逃げるように言ったけどよかったよね?」
「ああ、そっちに目が向いている方が逃げやすい。いい仕事だった」
「できればあの場で皆を誘導したかったけど、それだとパニックにならないから諦めたよ。こういう策略は匙加減が難しいね」
げんなりしたように言う恵。
「で、もう逃げるー? あたしの準備はオッケーよ」
部屋の隅に置かれた学生鞄を持ち上げる礼香。
四人は桜に言われて、クラスメイト達との話し合いの前に荷物を纏めていた。結果がどうなろうと、今日、この晩に帰るつもりだった。
桜は椅子から立ち上がってカーテンの隙間から外を覗き見た。だが、そこには先ほどと変わらず騎士たちが巡回している。これだけの火事が起こっても、クラスメイト達が逃げていたとしても彼らは持ち場から離れる気がないようだ。
「いいや、まだだ。まだ、外にあいつらがいる。今、逃げるわけにはいかない」
「そう、分かった。あたしはいつでもいいからね」
とても素直な礼香だった。
「ああ。分かっている。でも、まあ、こうやって五人が集まったんだ。この時間がある時に高校生らしく円陣でも組むか」
「どうしてだい?」
恵が訪ねた。
「俺達はこれから運命共同体となるんだ。元の世界に戻れなかったら、あの日記に書かれているような事になる。そうならないように、俺達は心を一つにするんだ。当然だろう」
桜の言葉に従うように四人は輪になって肩を組みあった。
礼香やもみじは渋っていたが、二人とも桜が手を引っ張ることで輪の中に加わった。桜から順に、もみじ、千里、恵、礼香だ。桜に掴まれたもみじと礼香は離れることができなかった。桜の力が強いからだ。
「これで掛け声でもするのですか?」
千里は赤くなった瞳で言った。既に涙は止まっており、目の端に後が残るだけだ。
先ほどの桜との会話で、これまで悲しんでいた感情などどこかに行ってしまった。
桜の言う通り、クラスメイトはこの世界に残ることを選択したのだ。それを説得できなかったのは力不足であるが、もうどうすることも出来ない。
いうなれば、苦渋の決断だったが、クラスメイト達の事を千里はもう諦めていた。
既に今は、現実だけを見ている。
「いや、どうして元の世界へと帰りたいかを言ってもらう。魅力的なこの世界を俺達は捨てるんだ。元の世界に悔いがあるんだろう?」
桜の言葉に、四人とも頷いた。
彼の言う通り、四人とも譲れないものがある。もしも未練がなかったら、例え危険であってもここの世界に残っていただろう。
「じゃあ、僕から話そうか――」
最初に切り出したのは恵だった。
「僕は以前にも言った通りだよ。僕の両親はなかなか子供ができなくてね。不妊治療などを行った末にやっと出来た子供なんだ。もちろん、僕は一人息子で、おじいちゃんやおばあちゃんにも可愛がられたよ。で、僕のおじいちゃんは大病院の院長で、お父さんが継ぐことが決まっている。で、次の跡取りは当然僕だ。そんな僕がいなくなったら、家族が悲しむ。だから僕は帰りたい。僕も家族を愛しているからね。ま、僕はこんなところさ。理由には十分だろう?」
恵はこの世界に来てから何度も口にして出したことを言った。
両親との関係は良好だった。そして自分がどれほど愛されているかも恵はよく理解していた。だからと言って両親は過保護ではなく、好きなようにさせてもらっている。
医者になることも両親や祖父母から強制された事はない。だが、自然と人を救う彼らに憧れて、いずれは自分もそうなるのだと恵は思っていた。
だから強く思うのだ。
この世界にはいられない。
両親はどんな手を使っても、どれだけお金を使っても、また例え病院を手放すことになったとしても自分を探すだろう。大切な両親の為にそんな事を恵は望まないからこそ、今すぐに帰りたいのだ。
「じゃあ、次は言うわ。恵君と似たようなものよ――」
次に口を開いたのはもみじだ。
「私も家族に会いたいのよ。お姉ちゃんにも、妹にも。他にも会いたい人は大勢いるわ。それだけ。それに――私はお姉ちゃんに“まだ”勝ててない。勝ちたいの。だから帰る。こんなところでのんびりしている暇はないの」
桜の肩を掴むもみじの手に力が入った。
もみじは実の姉と仲がいいが、確執がある。年齢も近く、性別も同じ。そして同じく祖父が開いている道場の弟子でもある。年齢的なハンデの差なのか、それとも生まれ持っても才能の差なのか、もみじは一つとして姉に勝ったことがなかった。
もみじの姉は完璧超人なのだ。天が二物も三物も与えている。
そんな彼女に勝つためには一秒とて、この世界に留まるためにはいかない。この世界の訓練はぬるく、もみじの糧にはならないのだから。
「あと、桜が帰るのに私が残るわけにはいかないわ。桜がおじいちゃんから怒られるだろうから」
「ああ、そうだな」
桜はげんなりとした顔で頷いた。
もみじの祖父は桜の師匠の一人であり、人柄はよく知っている。特に孫娘である三姉妹を分け隔てなく可愛がっているのだ。
そんな師匠の事なのだから、もみじを連れて帰らないといけず、彼女だけは引きずってでも桜は連れて帰るつもりだった。
「では、次は私です!」
次に元気よく声をあげたのは千里だった。
「私が一番帰りたい理由は簡単です! 私には夢があるんです! 簡単な夢ですよ。私は獣医さんになりたいのです! ですけど、この世界だとこの夢は叶いそうにありません。だから帰るのです!」
千里が元気よく言った。先ほどとは違って、少しずつ元気を取り戻している。
桜は知らなかったことだが、千里の夢には強い意思が感じられた。
そう言えば、と桜は思い出す。
以前に道で千里とすれ違った時、多くの犬を連れながら歩いていた。もしかしたらあれが彼女が獣医になりたいという理由の一つなのかもしれない。
「次はあたしでいいわね」
そして意気揚々と言ったのは礼香である。
「あたしが帰りたい理由は簡単よ。あたしには妹がいるの。とても可愛い妹よ。あたしには幼い頃からママしかいなくて、妹の面倒はいつもあたしが見ているの。あたしはあの子の為に帰る。帰らないといけない。ママは仕事があるからずっとは一緒にいられない。でも、まだ妹は幼いからあたしが付いていないと!」
礼香の瞳に燃えるのは、淡くそれでいて力強い炎だ。
この世界でどれだけの誘惑があっても、常に胸に秘めていた思いだ。
きっとだから彼女はこの世界の男たちに出された手を受け入れなかったのだろう。一度彼らの手を取ってしまえば、きっと言いようのない幸せに包まれて元の世界に帰りたくなくなるから。そうなるのを本能で恐れたから、彼女はこの世界の人とは距離を取っていたのだ。
いつか帰るその日の為に。
「で、最後が俺だな」
桜はにやにやとしながら言う。
「気味の悪い顔ね」
辛辣にももみじはそう言った。
「まさかお前たちがそんな強い思いで元の世界に帰りたいとは思わなかった」
「どういう意味よ、それ」
「確かに俺も会わなければいけない人もいるし、元の世界でやり残したこともある。だけど、そんな事よりも俺は強く思うんだよ」
桜は言葉を止める。
溜めたのだ。
「俺は――カレーライスが食べたい。だから帰る。この世界にはカレーライスなんてないからな」
桜の目は本気だった。一点の曇りもないほどに真剣なまなざしをしていた。
「また、こいつは――」
もみじは頭を抱えたくなった。
「この世界の料理も確かに美味しいけど、俺はカレーライスが食べたいんだ。あの香辛料のぴりっとした辛み、ごろごろとした野菜の甘み、肉のジューシーさ。それに炊いたご飯と合わせれば何倍でも食える。どこだって食えるさ。それがない世界なんて考えられないね」
「呆れた。こいつの前であたしの本音を語ったのが馬鹿みたいだし」
礼香は突き放すように言った。
「あはは、桜さんってユニークな人ですね」
千里は乾いた笑いを浮かべる。
「でも、それはいい意見だ。元の世界に帰ってカレーライスを食べる時は、是非とも僕も呼んで欲しい。元の世界に帰ったという実感が欲しいからね」
恵は桜の案に乗り気だった。
きっと彼は悪乗りが好きなのだろう。
「はあ、それなら私の家を使うといいわ。私の家は道場もあって、庭も広いわ。練習生の為にご飯を出すときもある。数人のカレーライスを作るなんて簡単な事よ」
もみじはため息をつきながらその提案に乗る。
彼女は知っているからだ
人は大層で最も正しい理由よりも、桜のような些細で身近な事の方が頑張れることを。
「はい! なら私がお米を持って行きます! 私の家はコメ農家で、とても美味しいお米を作るのですよ」
千里は弾んだ声で言った。
「じゃあ僕は野菜なんかを用意するよ。無農薬の野菜を作っている親戚がいるんだ。ついでにお肉もいいお店を知っている。僕の家の行きつけの店だ。沢山用意するよ」
恵は笑いながら提案する。
「言っておくけど、これでもあたしはカレーの味にはうるさいわよ。いつも妹のご飯を作っているから」
礼香も来る気は満々である。
「じゃあ決まりだな。礼香に調理を任せよう。得意らしいから」
「ちょっと待ってよ! あんたらも手伝いなさいよ!!」
礼香は大きな声で言ったが、それをかき消すように――桜たちの頭上で大きな音がある。
轟音だ。爆発音でもある。それは五人の体を揺らし、部屋に置いてある椅子が揺れた。桜以外の四人は小さく悲鳴を上げた。
「さ、じゃあ、そろそろ行こうか」
「あの音は何なのよ!?」
もみじは天井を指差しながら言った。
「ああ、あれか。三階の空き室に俺が用意した物だ。もみじと恵のだけじゃあ火力が足りないと思って、油を少々多めに用意しておいたんだ。くすねるのは大変だったけど、役に立ってよかったよ」
桜はつまらなそうに言う。
「……」
四人は桜を無言で睨んでいた。
だが、桜はそんな視線を無視したようにカーテンの隙間から外を覗き見る。そこには騎士たちの姿はあったが、彼らは慌てて寮の裏口や入口へと向かっていた。
クラスメイトやメイド達が叫んでいることから察するにきっと人手が足りないのだろう。 だからこの辺りの持ち場を離れて、クラスメイトの安全を優先したのだ。
「さあ、行こうぜ。準備はいいか?」
桜の言葉に四人とも頷いた。誰もが鞄を持っている。この世界に持ってきたものをまとめたものだ。
「あと、恵には俺の鞄を持ってもらう。大切にしてくれよ。その中には俺が一番大切にしたい物が入っているんだから」
「重たいな! これは一体何が入っているんだい?」
「内緒だ」
「じゃあ、桜は何か持つの?」
「ああ、俺はこれを持つ。いざと言う時、武器の一つでもないと抵抗出来ないからな」
桜がベッドの下から取り出したのは、カタカナのトの字をした木製の物だった。それを左右で一本ずつ持ち、ふりながら感触を確かめる。
「トンファーね」
当然ながら実際に手を取り使ったこともあるもみじは桜の持つ武器が何なのかは一目でよく分かった。
「ああ、そうだ。部屋にある椅子を使った。思ったよりもいいものができた」
できれば模造剣でもよかったので練習用の剣を借りたかったが、どうやらあれは国で管理しているらしく訓練場でしか使わせてもらえなかった。
その場から持ち出そうとすれば、騎士たちが止めてくるのだ。
桜は武術を習っているため素手でも戦えないわけではないが、武器があった方が何かと安全である。だからちょうどいい椅子が部屋にはあったので、それからとんがーを作ったのだ。
手作りであるので、切断面は荒い。
「なるほど。それならこのかばんは喜んで僕が持つよ」
「ああ、助かる。じゃあ、行こうか。スリリングでドキドキな逃避行に」
桜はそうワクワクしながら窓を開けて、寮から飛び出した。




