第四十話 作戦開始
桜が戻ってきたのは、自分の部屋だった。角部屋である
そこには待っていたかのように、四人の者がいた。
もみじ、恵、千里、礼香の四人である。四人とも学生服を着ていた。これは桜の指示だ。元の世界に帰るのだから、元の服のままで帰ろう、と。礼香は少しだけ渋っていたが、元のドレスのままだと目立つと言われれば、納得したように制服になっていた。
そんな中で千里は只一人、意気消沈した様子でベッドの上に小さくなりながら座っていた。彼女を慰めるように横についているもみじと礼香がいた。
恵は椅子に座りながら本を読んでいる。読んでいる本はどうやら宮沢賢治であった。裏に桜の高校のシールが貼ってあるから図書室から借りたものなのだろう。
「よう。調子はどうだ?」
そんな四人へと軽い様子で桜は話しかけた。
「ああ、それなりだよ」
四人を代表して恵が答えたが、残る三人の表情は暗かった。きっと先ほどのリビングでの事を思い出しているのだろう。
特に千里は無力を味わった時だった。
今も目から涙を流している。
どれだけ言の葉を紡いでも彼らの心に響かせることはできず、味方になるどころか彼らは敵へとなった。千里は礼香からあの後どうなったかのあらましを聞いていた。恵の機転によって元の世界へと帰るための助力を取り付ける事はできたが、多くのクラスメイトはあの場では神倉の威光によって頷いただけであり、多くの者が千里を排除しようとしている。その事にまた千里は心を痛めていた。
「そうか。じゃあ、そろそろ実行に移そう。もみじ、恵、手はずは分かっているな?」
「はいはい」
「もちろん」
もみじと恵は桜の言葉を聞くと、大人しく部屋から出て行った。
その様子に礼香と千里は戸惑ったかのように二人がいなくなった扉を見つめていた。
「なに、あれ? あたしは聞いていないんだけど」
礼香は拗ねたように口を尖らせた。
「言っていないからな。敵を騙すにはまず味方から。言わない事にも意味があると思って欲しい」
桜はすました顔で言った。
そんな桜のいたずらっ子めいた顔を暫く見つめたが、やがて玲子は桜はこういう男だと納得した。
そんな二人の様子を見ていた千里が、目から溢れた涙を手で拭っていた。
「桜さんは……私を……責めない…………ので……すか?」
「しねえさ。どうして俺がその事を責めると思ったんだよ。そもそも許可を出したのは俺だ」
桜は先ほどまで恵が座っていた椅子を千里の前へと移動させて、腰かけた。目の前にいる千里を真っすぐに見た。
「だって、私のせいで、クラスメイトの皆さんが、桜さんの邪魔に……」
千里は目から涙が止まらないのか、こぼれる大きな雫は膝の上のスカートも濡らす。隣にいた礼香も彼女の涙をハンカチで拭くが、それよりも溢れ出す涙のほうが多い。
彼女は決して自分がクラスメイトを説得できなかったことを嘆いているのではなく、自分のしでかした事でクラスメイト達が敵に回ったことを嘆いているのだ。表面上は手助けしてくれると言ってくれたとはいえ、寮の現状を見るに彼らの多くが敵となった。今も寮内で目を光らせている。
城内の事を嘆く暇はなく、寮から出る事すら難しくなった。
「安心しろよ。あんなのごときが、俺の邪魔になるわけねえだろうが」
「でも、私は……」
「何について嘆いているんだ?」
桜はゆっくりと言った。
それは千里を慰めるものではなく、彼女の真意を聞き出すためだった。桜に千里を慰めるつもりなど毛頭ない。
「全てです。皆を説得できなかったことも、私のせいによって元の世界へ帰ることが難しくなったことも、ゾラ様たちにだって目を付けられたかもしれません。私の行動は無駄でした! 私のせいで、元の世界に帰る事すら難しくなったことを思うと――」
「そうか」
だが、桜は千里の言葉を聞いたとしても、表情を一つも変えなかった。それどころか、千里の顔に指を一本突き付けた。
「なっ、何ですか?」
「まず第一に、皆を説得できなかったことは仕方がなかった。最初から王女たちを疑っていた俺らとは違って、あいつらは最初から王女たちを信じていた。そんなあいつらの心情を変えようと言うのが無理な話だ。なんせ寄る辺がなかった俺たちに、全てを与えたのはあいつらだ。そんなあいつらを疑え、といった方が難しいよ」
「でも、私は救えませんでした」
「救う? それは少し、自意識過剰なんじゃないか?」
桜はもみじを嘲笑った。
「え?」
「あいつらは別に不幸な目には会っていないぜ。食事は満足に与えられてるし、住居や衣服だってただでくれる。それだけではなく、色や魔術、目的、元の世界では与えられない全てをくれるんだ。そんな幸せに会っているあいつらを救うって? その前提が間違えているんだ。あいつらから見れば、あんたはそんな幸せを奪う悪魔なんだぜ? そりゃあ恨まれて当然さ」
「…………そうですね。客観的に見れば、彼らは幸せなのかも知れませんね」
「第二に、元の世界へ帰るのが難しくなったことはない」
「でも! 寮内では他のクラスメイトが目を光らせているんですよ。城に近づくことは元より、ここから抜け出す事さえ!」
「それは別にクラスメイトがいても同じことだ。ほら、カーテンから覗いて窓の外を見てみろよ」
千里はカーテンからそっと外を眺めた。興味を持った礼香も同じように外を見る。
そこにあったのは、いつもと同じ光景だった。巨石で出来た開けた場所。木々の一本もなく、身を隠す場所さえあまりない。そんな場所を幾人もの騎士やメイド、執事たちが巡回していた。数は少ないが、けっして一人や二人だけではない。
クラスメイトの目から逃れる事ができても、寮から出た途端に彼らに見つかるだろう。
「見えたか? あいつらの姿を。クラスメイトよりあいつらの方がよっぽど厄介だ。ちなみにだが、あいつらはこの寮に俺達が泊まるようになってからずっといる。あいつらの目を逃れて城に行かないといけないんだ。そっちの方がよっぽど厄介だろう?」
「そうかも知れませんが……」
「そして三つ目にゾラからは元々目を付けられている。この前の調査の時に、王女がもみじの元に行ったことが最も多かったのがその理由だ。またもみじや千里があの場から逃れる理由に俺を使ったんだ。そりゃあ、俺を疑っているさ」
桜は背もたれに体重を預けた。
不安などない。
疑われるのも計算の内だ。いや、疑われないならそれに越したことはないが、三人のミノ無事を考えれば、あの時はああやって抜けるのがベストだったと思う。
「そうね。あたしでもそんな怪しい行動をする人は疑うし」
礼香も納得したように頷く。
「最後に、千里がしたことは無駄じゃあないさ。千里のおかげで――クラスメイト達がこの寮に集まった」
「え?」
千里は目を大きく見開いた。
もう既に彼女の涙は止まっていた。
「俺はずっと考えていたんだ。外を見張っている目をどうやって欺くか。その策を今実行しようとしている」
「策?」
礼香が首を捻った。
「ああ。もみじと恵に頼んでいる」
「だから二人は部屋を出て行ったのね」
「ああ、そうだ。二人にはその準備を頼んでいる――」
「それって勿論あたしたちにも教えてくれるのよね?」
「もう隠す必要もないからな――」
礼香が凄く知りたそうにしていたので、桜は一から説明を始めた。
この寮から安全に脱するためには、外を見張っている騎士たちの目を奪う必要がある。
その策として、桜は“火”を選んだ。城などとは違い、この寮は木製の為よく燃えて、油と火種もランタンなどを使うため入手しやすいからだ。だから桜はこの寮を燃やして、避難するクラスメイト達に騎士の目を集中させることを選んだ。
また暗闇に火を炊くことによって、暗闇に紛れやすくなる。人の目は明るい物を見る事に向いているからだ。
「燃やす、のですか、この寮を?」
「あんた、私が思ったよりも外道の様ね」
千里は信じられない顔をし、礼香は桜へと吐き捨てた。
「誰を殺すつもりも、ましてや傷つける気もないさ。逃げ道はちゃんと残してある。燃やす場所は二つ。この寮の入り口と、リビングだ。裏口は燃やす気がない。そしてこの部屋はリビングや表口からは一番遠い場所にある。騎士たちは入り口のほうに目を取られて、救助に勤しむ。そうなったら俺達が逃げやすくなるさ」
きっともうすぐ声が上がるだろう。
それは恵ともみじの声によって、大きな声で火事だ、と叫ぶのだ。わざとパニックを引き落とし、クラスメイト達を騒がせるためである。
「……桜に比べると千里ちゃんのした事なんて可愛いものだわ。一歩間違えればクラスメイトが死ぬことだし。罪悪感はないの?」
「持たない。どうやら俺は人でなしのようだ。罪悪感なんて欠片もないさ」
「酷い人」
だが、礼香は口では桜を非難していても、口調は柔らかかった。きっと心のどこかで彼の策を受け入れているのだろう。
外を騎士たちが見守っている状態で、寮から逃げ出すのは簡単な事ではない。それこそ彼のような策がなければ騎士たちに捕まるだろう。
だが、桜は嗤うばかりであり、否定する気もないようだ。
「――火事だあ!!」
そして、恵の大きく叫ぶ声が聞こえた。
「始まったな――」
桜は怪しく微笑んだ。
この時、礼香には桜の姿がゾラと同じく、いやゾラよりも恐ろしく怖い姿に見えた。只の学生であるはずなのに自分たちとは違う世界に住んでいるようにも思えて、これまでどんな経験をしたのか、どんな教育を受けたのか。ゾラの底にも暗い側面が見えたが、彼の底のほうが見通せないような気がする。
いや、同郷である筈の為のクラスメイトを使うなんて、礼香には想像すらできなかったことだ。どんな闇をかかえれば、そんな策を思いつくのか礼香には想像すらしたくなかった。
だが、それは一瞬だけであり、すぐに桜は優しい笑顔になった。
その姿がまた礼香には不気味に見えたが、恐ろしい見方程頼もしいものはないため、このまま桜に付いて行くことに迷いはなかった。
今年もこの作品を読んで下さり、ありがとうございました。
これからも更新を頑張りますので、来年もどうぞよろしくお願い致します。




