第三十一話 会議
その日の夜、もみじの狭い部屋に五人もの人数が集まっていた。
織姫桜を始めとした赤雪もみじ、東雲恵、妻林千里といった元の世界に帰るために共同戦線を張った四人はもちろんのことで、もう一人が桜の策略に乗せられた摩那崎礼香である。
ベッドに腰かけるのは桜ともみじ、そして桜と背中合わせに足を崩して座っているのが礼香だった。
ここに礼香が居座るのに、桜は条件を出した。礼香は「また条件なの」とあきれ顔だったが、桜の一方的な態度にはもう慣れたのか特に反論もせずに受け入れた。
その条件が、礼香が目隠しをすることである。礼香はそれだと桜がいるかどうか分からないと抗議しそうになったが、桜が自分がいないことを思うと不安だろう、と先出しして言い、その解決策として礼香の目を隠す前から、彼女と桜は手を繋いで背中合わせになっていたのだ。
これでどう行っても、桜と礼香が離れる事はなかった。
最初は手を繋ぐことに礼香は協力的ではなく、羞恥から頬を赤くして照れた様子で顔をずっと伏せていたが、手を繋いで随分と経つのでもう慣れたように桜に体重を預けていた。
また桜はこの部屋での会話を、友人との大切な語らいの場、と嘘をついている。
もちろんいつものように、四人が“口で話す”のはたわいのない話である。昔から親しかった友人のように会話を楽しむのだ。
「今日の訓練はどうだったんだ?」
最初に声を出したのは桜だ。
彼の熱を背中で感じていた礼香は、いつもよりか優し気な彼に思わず暖かな顔になるが、その様子は背中を向けているため誰にも見えない。
「とても大変でしたよ! 今日は木刀を用いた練習ではなくて、実際に真剣を用いた練習でした。斬るのは魚でしたけどね。大きな魚です。私も持ってみましたけど、剣は重たいですね」
机の横にある椅子に座っている千里は今日の訓練の概要を教えてくれた。
よくよく聞いてみると、どうやら今日切った魚はまぐろに似た魚で、皮が固くて身が引き締まっていたらしい。多くの生徒が大きなまな板の上に乗った魚を切るのにてこずっていたようだが、神倉や桐原は一撃で魚を真っ二つにしたようだ。
「魔術の訓練はいつも通りだったよ。今日も魔術を高める為に新しい儀式を行ったよ。変な呪文を唱えたかな。僕たちにとって馴染みのない言葉だったよ」
恵は魔術についての事を教えてくれた。
なおスマホには、『僕はそんなことは言っていないからね』と書いていた。
もちろん地下室で見つけた二冊の本の内容は、恵にも共有してある。これまで何気なく行っていた儀式がどれだけ恐ろしいものかは、よく知っている。だから儀式を拒否したのだ。他の者に見つからないように。
「私たちはずっと寮で探しものよ。まだまだ時間がかかりそうだわ」
もみじはやれやれと言った。
彼女はまるで真実の様かに話しており、礼香ならきっと本当の事だと騙されるだろう。これはもみじにとって、ゾラに会った時の練習だった。
そんな世間話が、四人の間では繰り広げられる。
桜の背中から聞いている礼香にとって、それは友人同士の仲のいい会話だとしか思えない。
だが、四人はいつものようにスマホで会話をし始めた。
『こうやって四人で集まるのは初めてですね。とても珍しいです』
感慨深く千里はスマホに書いた。
この四人は今まで元の世界に帰るために協力しているが、こうして直に顔を合わせた事はない。
『そうだね。僕もそう思う。でも、ここに僕たちをここに読んだ、という事は、“指輪”は見つけたのかい?』
特に東雲はもみじと千里に会う事はなく、桜を通じてのみ情報を交換してきた。クラス内では何度も顔を会わし、魔術の授業、剣の訓練などでも顔を会わしていたが、実際に言葉を交わした事などほとんどなかった。
『ああ、当然だろう』
桜は指で指輪を弾いた。
『ということはこれで元の世界に帰れるのですね!』
千里は弾むように顔文字までスマホに打つが、桜は首を横に振った。
『だが、そう簡単な問題ではないみたいだ』
『指輪の使い方が分からないのよ』
もみじが深いため息をついた。
桜ともみじは指輪を見つけた後、指につけたり、言葉を適当に言ったりして元の世界への扉を開こうとしたが、全く開く様子がなく、指輪はうんともすんとも言わなかった。
念のため礼香にも指輪について聞いてみたが、何も知らないと言った。どうやら礼香も指輪を付けてみたみたいだが、何の反応も示さなかったらしい。
『理由はいくつか考えられる。呪文が間違っている。この場所では発動しない。魔術を使えない俺にはこの指輪は使えない、などだ』
『その理由を、今から探っていくわけだ』
東雲はふむ、と頷いた。
『もちろん、元の世界に帰るための準備も同時に行っていく。でも、この通り、俺は指輪を盗んだ犯人である摩那崎を監視しないといけないから、この寮からは出られない。だから情報収集はここにいる三人に頼みたい』
桜は三人の顔を順番に見つめた。
三人はそれぞれ頷き合った。
迷いはなかった。
『で、具体的に僕たちは何をしたらいいわけ? 勿論、そこまで考えているんだろう?』
『ああ、当然だよ』
恵の問いに桜は頷いた。
幾つかのアイディアは頭の中に浮かんでいる。
『私は何でもしますよ! 何でも私に任せてくださいね』
はい、と手を挙げて千里は宣言した。
『妻林さんは』
桜がそこまでスマホに文字を打つと、千里は頬を膨らませながら両手で勢いよくスマホへと文字を打ち、桜の目の前まで画面を持って行った。
『千里でいいですよ』
どうして、と桜は言いそうになるが、それよりも早く千里は自分の手元にスマホを引き戻して、新しい言葉を打った。
『だって私たちは仲間ですよね? これから一緒に危険を冒すんです。名前で構いませんよ。もちろん東雲さんも私の事は千里、って呼んでくださいね。勿論ちさちゃんやちさぽん、って呼んでくれても構いませんよ』
千里はおどけながらスマホへと文字を打った。
そんな彼女を褒めるように、東雲は勢いよく文字を打った。彼女の提案に賛同するようだ。
『いいね。それ。僕たちの信頼の証として、名前で呼び合うと言うのは。僕の事もぜひ恵って呼んでくれ。その代わり、他の皆の事も名前で呼んでもいいかな?』
東雲が真っ先に千里の事を受け入れたのは、この四人の中で桜としか絆を紡いでいないからだ。桜を伝ってもみじと千里と連絡を取っていたとはいえ、二人と直接会って話をするのは今回が初めてだった。
二人の人柄は桜から聞いているため信用しているが、まだ自分が信用されているかが分からない。だから少しでも絆を深める為に、名前で呼び合うと言うのは賛成だった。
『はい。分かりました。なら私は恵さんって言いますね』
『なら僕も千里さんって言うよ』
『はい。仲良くしましょうね』
『そうだね』
恵と千里は強く握手をした。
まるで自分たちの信頼を試すかのように。
千里は恵の事を微塵も疑っていなかったが、恵は千里の事を訝しむように見つめていた。彼女は本当に信頼に値する人物なのか、それとも能天気そうな皮を被った切れ者なのかをじっくりと見定めるように。
『私の事も勿論もみじって呼んでくれていいわよ』
『俺だって桜でいいさ』
桜ともみじも二人の案に乗る。
桜は三人とも信じているとはいえ、こういった形で見る絆も悪くないものだと思うのだ。これから先、元の世界に帰ろうと思えば、他の三人とは一蓮托生となる。桜だけではどう考えても、一人だけで戻るのは無理なのだから。
四人はここに集まった縁を再度確かめるかのように、手を合わせた。数秒お互いの目を合わしてから、桜が切り出した。
三人に説明するのは、今後の調査の課題だ。
『まずもみじには、ドーム状の空間の場所を調べて欲しい』
『ドーム状の空間? どこ、それ?』
もみじは首を捻った。
どこかが分からないようだ。
『覚えてないのかよ。俺達がこの世界に来て、最初にいた空間だ。緑色の大理石の場所だ』
桜が教室で意識を失った後、目覚めた空間を思い出す。
無機質な緑色の空間。それは城や寮、他の場所と比べて明らかに異質だった。
今となってはだが、あそこに呼び出したのは何らかの理由がある可能性が高い。例えば神殿や儀式場など、だ。
もしかしたら指輪もあの場でしか動かない可能性もある。
だが、桜はあの場所を知らない。それだけではなく、場内にある多くの部屋の場所を知らない。メイドの案内で目的地にはたどり着けるものの、目的地までの到着時間、経路などは毎回違う。複雑な道を歩かされ、決して城内の構造を教えてくれないのだ。
『なるほど、あそこね。いいわよ』
もみじは桜の案に納得したが、千里が不満そうに手を大きく上げた。
『なんだよ?』
『はい。その案は私が適任だと思います』
『どうしてだ?』
『城内を探してもあの場所は見つかりません』
『そうだな。あれは外にあった。だが、城内を通ってだ。どうして千里が適任なんだ?』
そもそもあの時に城内に入ったのは普段使っている入り口と別の場所だ。あれ以来、見た事すらない。
複雑な通路を右に左にと歩かされたので、桜の自慢の方向感覚も意味をなさず、緑色のドーム状の場所は桜でもはっきりとした位置は分からない。
『実は私、あの場所に繋がる手掛かりを持っているんです』
千早は自信満々だった。
『なに?』
桜が身を乗り出すようにして食いついた。
『これです』
千早は自分のスマホの画面を見せたまま、指差した。
『それ?』
『はい。実は私、あの部屋で目覚めてからすぐにスマホのカメラを起動したんです。不思議な出来事だったので、後で動画サイトに投稿しようと思っていたんです。今のスマホって便利ですよね。ビデオカメラがあるんですから』
『つまり?』
桜はにやあと緩んだ。
あの時は気が動転してそんな気は回らなかったが、まさかそんな方法があるなんて気づきもしなかった。もしも過去に戻れるのなら、桜は千早と同じ行動をするだろうが、今となっては後の話だ。
『私、あの場所から城内までの道を知っています。胸ポケットに入れたスマホでこっそりと撮っていましたから。どうですか? 私が適任だと思いませんか? 城内もビデオカメラで撮っています。この映像と、城内を調べれば、あの場所まで辿り着けると思いませんか? それに私、昔から道にだけは迷わないのです。父は地理学の教授ですし』
『いいね。それ、サイコーだよ』
桜は心の底からそう言った。
声に出せるのなら、きっと声はとても弾んでいただろう。
『決定ですね』
『ああ、城内を調べてくれ』
桜は有能な舌とへと、少しの疑いも持たず打った。
『でも、一つ、聞きたいことがあるんです』
『なんだよ?』
『どうやって城内を調べればいいんでしょうか? 理由もなく城内を調べれば怪しまれますよね』
あはは、と頭をかく千早に、桜は深いため息をついた。




