第二十五話 魔法陣
この日は朝から寮内を探索するはずだったが、その前に寮で食事を取っていると神倉から桜は話しかけられた。
どうやら王女のゾラから一対一での話があるようだ。
神倉はその事を桜に話すとき、少しだけ嫌そうだった。ゾラのお願いなので聞いたようだが、出来れば桜とゾラを会わしたくようだ。
去る時も桜に楔のように言っていた。
「いいか? 妙な気をゾラさんに起こすんじゃないよ。彼女はとてもきれいな人だけど、きっと君には何の興味もないと思う。彼女が君を呼ぶ理由は一つ。ゾラさんの大切なものが盗まれたからだ」
「ああ、そう――」
最初からゾラに興味がない桜としては、神倉のゾラに対する執着心はなんとも思わなかった。むしろこのタイミングでゾラから呼び出された事が、桜にとっては邪魔だった。できれば無視して寮の調査を進みたいが、目を付けられて調査が滞るのも困るため彼女の威光に従う事にする。
ゾラが指名した場所は図書室だった。
桜はメイドの案内のもと、一人でそこに向かった。もみじにはいつものように授業に出るように言ってあるので、この場にはいなかった。
「ねえ、文字や絵を書いて発動する魔術ってあるの?」
図書室に行くと、いたのは司書だけだった。まだゾラは来ていないようなので、メイドに頼んで“とある魔術”についての情報を探す。
それは魔法陣や紋章に関する魔術だ。呪文を唱えて発動する魔術を覚えているクラスメイトの中でそのような使える者はまだ一人もいないのだ。桜は昨日見つけた紋章についての知識が欲しかった。
「そうですね。そのような魔術は数多くありますが、その中でもどのような案術にご興味がありますか?」
「それらの一覧が書かれたものってある? 特に文字や図がそのまま書いてある本がいいかな。俺はこの世界の文字がまだ読めないからね」
「畏まりました」
ショートカットの美しいメイドは桜の求める本を出してくれた。
「サンキュ」
桜は大きな図鑑のような本を受け取ると、机の上に広げて一つずつ模様を流し読みしていく。
桜が注目した絵は五芒星で書かれた物、もしくは雷や電気に関係する魔術だった。だが、五芒星で描かれた魔法陣は一つも存在せず、丸や三角、もしくは四角のものが大変だった。中には変わった魔法陣もあったが、それも丸や三角、資格を複雑に組み合わせたものだ。
また中に書かれてあるのも絵と言うよりは、文字が多い。漢字やアルファベットとは違うもので、この世界特有の文字だった。ちなみに桜はまだ読めない。
注意深く一つ一つ流し読みしていくが、同じものはおろか、似たものすらない。
またこの本に書かれている紋章や魔法陣を見つめても一つとして気分が悪くなることはなく、形が変化することもなかった。
「面白い物をみていますわね」
桜が熱心に一つ一つの紋章を見つめていると、隣から甘い吐息が聞こえた。
桜は見知った声だったので、ゆっくりと振りむいた。
隣に座っていたのは予想通りゾラだった。彼女の美術品のように整った顔が、桜の目と鼻の先にある。彼女の色香を嗅ぐだけで頭がくらくらと酩酊し始めて、彼女のピンク色の唇にむさぼりつきたくなるような気分になるが、桜はそれをおくびにも出さなかった。
「そう?」
桜はとぼけたように言った。
「ええ。魔法陣の魔術とは、それは発動条件が難しい物ばかりなので、桜さん達にひつようないと思って教師にお願いして教えていませんでしたが、どうしてご興味を?」
いつもと変わらないゾラの表情。だが、どこか怪しんでいるように見えるのは、きっと桜の気のせいではないだろう。
「単なる興味本位だよ。俺はまだ魔術を発動できないからね。もしかしたら呪文を使う魔術との相性が悪いだけで、こういう魔術なら発動できるかもしれないと思ったんだよ」
「なるほど。周りの皆さんは次々と魔術を成功していますからね。そう焦るのも無理ありませんわ」
「そうでしょう?」
「それで、魔法陣に目を付けたと――」
ゾラは目を閉じて少しばかし悩んでいるようだった。
「どうかしたの?」
「いえ、私達が考えた魔術の授業は先人たちが築いたもので、順序通りに行えば“必ず”魔術発動できるようになっております。もしかしたら発動することができないのは、儀式がうまくいっていないのかも知れませんね」
「そうなのか?」
桜はとぼけたように言う。
ゾラの言う事に心当たりがないわけではない。
魔術を覚えるための儀式を幾つか無視したのは事実で、あれが原因で魔術が発動出来ないのなら仕方がないとさえ思っている。
「ええ。あなたの為に私が時間を割きますわ。他の方が先生と授業を受けている間、マンツーマンで手取り足取りじっくりと教えますわ。いかがでしょうか?」
蠱惑的なゾラの流し目。桜の太ももの上にそっと右手を乗せる。
桜はそんな彼女の手を優しく払ってゾラの瞳を見つめながら言った。
「大変魅力的な話だけど、クラスメイトの中で魔術を一つも覚えていないのは俺だけじゃないんだよ。彼らにも同じように教えてくれると嬉しいかな」
「そうですわね。桜さんの言う通りですわ。まだ魔術を覚えていない方の為に新たな宮廷魔術師を呼ぶことにしますわ。でも、私の為に頑張ってくれている桜さんには、是非とも一対一で授業をしてあげたいですわ。いかがでしょうか?」
「とても惹かれるお誘いだけど、まだゾラ様の大切なものを見つけていないからね。授業はそれからにしてくれると嬉しいかな」
「そうですか。残念です」
ゾラは優しく微笑んだ。
桜はその笑顔を見てから、また本の読むページを進める。もう少しでこの本を読み終えるのだ。お目当ての魔法陣は全く見つかっていないが。
そんな桜の手に、ゾラは静かに手を置く。
「なに?」
桜はページをめくる手を止めた。
「桜さんに聞きたいことがあったのです――」
ゾラの表情は変わらない。声色も先程と一緒だ。
だが、先ほどまでとゾラの雰囲気が変わる。
桜の中で警鐘が鳴る。先ほどと同じはずなのに、まるで中を覗き見られているように思える。どろりとした粘質な何かが、体の中を這いずり回る感覚。気持ち悪かった。
「何だよ?」
「最近、秋山さんと喋りましたか?」
「ああ」
「どんな事を話されたのですか? どうやら彼は奴隷に酷く執着しているようですから――」
彼女の質問に、どう答えるのが正解なのだろうか。
下手にゾラから注目されたくない桜は、常時気に言う事にする。
「そうだね。ゾラさんの言う通り、とても彼女たちの事を大切に思っているようだ。ああ、そう言えば、ゾラさんへ秋山君は奴隷の開放をお願いしたんだっけ?」
「そうですわ」
「断られたって嘆いていたよ」
「そうですの。桜さんはどう思いますか? 奴隷解放のこと。この国では国法で彼らの人権は認められていませんわ。それについてどうお思いですか?」
どう答えるのが正解のなのだろうか。
いや、正解なんてないのだろう。
桜は正直に言った。
「秋山君の志は立派だけど、世の中にはどうしようもないこともあるからね。俺には何とも……。でも、奴隷のままでも、主人である秋山君が彼女たちの支えになれば、彼女たちは救われるんじゃないか、って言ったよ」
「そうですか。桜さんは素晴らしい考えをお持ちなのですね」
「で、実際彼女たちの解放は難しいんでしょ?」
「そうですね。前にも言いましたが、彼女たちは愛らしい容姿とは相反して、非常に凶暴な種族です。枷もなしに野放しにはできませんわ。国民の安全のためにも――」
「なるほど」
桜としては奴隷の扱いなどどうでもいいので、相槌を打っていた。
「あら、納得してくださいますの?」
「この国にはこの国のルールがあるさ。それを深く否定する気持ちはないよ」
「やはり桜さんは素晴らしいお方ですわね。私、桜さんに早く魔術を教えたいですわ。聡明な桜さんなら数多くの魔術を覚えられると思いますから。その為にも早く私のものを探してくださいね――」
「そうだね」
桜は曖昧に笑う。




