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或るミュゲの葬送

作者: 式十

 聖母が描かれたステンドグラスが、古めかしい燭台のロウソクが、宙に舞う埃を美しい光で照らしている。

 だが、照らされているのは埃だけではなかった。

 ……端正な顔立ちの少女が、祭壇の上で静かに瞼を閉じている。純白のケープコートから伸びる足は、なんと素足である。しかし、それも当然かと思わせるモノが、彼女の背中には付いていた。

 真っ白な翼だ。

 小さな身の丈をすっぽり覆えるほど大きな翼が、光の寵愛を受けて輝いている。雪原を思わせる頭上からは角の様な毛が一本伸び、そこにガラスの輪が吊り下げられていた。

 こういった存在は、一般には「天使」と呼ばれる。

 目下の男は、そんな神々しい天使の目が開かれるのを神妙な面持ちで待っていた。

 黒い礼装に包まれた身体は、死神と見紛うばかりに痩せ細っている。齢三十になってまだ間もないというのに、髪にはおびただしい数の白髪が混じっていた。銀縁眼鏡の奥に鎮座する青い瞳は、どんよりと天使の姿を捉えて離さない。

 ヒトと、そうでない者。

 小さな教会の中では、二人分の呼吸が続くばかりであった。

 ……やがて、男がごくりと唾を飲む。とうとう天使の目が開かれたのだ。

 それは鳩の血の様に赤く、透き通っていた。

「キミの娘の病を治す方法はある。でも、教えない」

 彼女の声は水の様によく通る。発された冷たい言葉は、男の胸に突き刺さった。

「どうしてですか!?」

「さぁ、どうしてだろうね」

「質問に質問で返すのはやめてください!」

 天使は肩をすくめてから宙を舞うと、壁際にあるオルガンの前に降り立つ。そして男の訴えをかき消す様に、鍵盤を叩き始めた。

「ともかく。来るべき時が来るまで、ボクは教えないつもりでいるよ」

「そんな……天使様は我々を救わないと言うのですか!?」

「道を示すのも救いのうちだ。だけどそこに進むか進まないかは、人間の自由」

 明るい旋律とは裏腹に、どこか突き放す様な言葉を投げ掛ける天使。その表情は、翼に隠れて見えない。

「ボクはここで「祝福の子」を探すから、キミも示された道を見つける事に専念するといい」

 それっきり、天使が男の言葉に耳を貸す事はなかった。彼女はそのまま日暮れまでオルガンを弾き続け、夜になると祭壇の上でうずくまる様に眠った。

 男は月明かりが天使を包み込む様を悲しげな目で見届けてから、肩を落として教会を去った。彼の喉は娘の救済を無意味に訴え続けた末に、じんじんと腫れて痛んだ。



 小さな田舎町の朝は早い。牛飼いや農家達は鶏の声で目を覚まし、仕事を始める。

 男はそのどちらでもなかったが、それと同じ時間には目覚め、籠に入れていたパンと果物を皿に乗せると、愛する娘のいる部屋に向かった。


 町長である彼には愛すべき妻と愛すべき娘がいて、愛する町があった。

 十年に渡る幸せを終わらせたのは、妻の死だ。一昨年の春、心臓の病が彼女を殺した。

 悲しみの洪水に飲まれながらも、男は残された娘を精一杯幸せにしてやろうと誓った。

 娘が欲しいとねだったモノは何でも買い与え、たまの休日には二人で散歩に出掛けた。

 それに面白い顔をしなかったのが、彼の両親である。

 厳格な二人は男の緩い教育方針に口を出し、早々に彼の意志をへし折った。

「よい学校に進ませ、よい職に就かせなさい。それがよい親というモノです」

 そんな言葉が男にとどめを刺し、娘は規範と勤勉を重んじた教育を受ける事になった。

 その結果が、こうだ。


「……おはよう」

 壁一面を本棚に囲まれた空間に、彼女はいた。

 唯一本棚のない窓際から届く朝焼けが、白いベッドで眠る娘の姿を神秘的に彩っている。その寝顔は、とても安らかだ。傍らの机では、僅かにかじられただけのパンが放置されている。

 男は黙ってそれを下げた後、持っていた皿を代わりに置いた。

「ここに置いておくから。……今度は全部食べてくれると、嬉しいな」

 乾ききった父親の言葉に、娘が答える事はなかった。白い寝間着で眠る彼女の姿は、焼かれる前の死体に似て物悲しく、美しい。

「お父さんな、天使様に会ったんだ。お前の病気は治るって言われたよ。……治す方法は教えてもらえなかったけど、いつか教えてもらえるから。それまでの辛抱だぞ」

 娘のくすんだ金髪を撫でた後、男は家を出た。

 

 娘の身体には、特に悪い所はない。だが、とても長い間眠り続けている。たまに起き出してパンや果物を少しだけかじっている様だが、男はその姿を見た事がなかった。

 池の魚に細かくちぎった食べ残しをやってから、彼は町外れの教会に足を向けた。本来ならば今日取り壊される予定だったが、急いで取り止めさせたのだ。

 春になって間もないせいか、風は未だに冬の気配を覗かせている。男は身震いしながら中に入った。

「こんにちは」

 天使は祭壇の上で白い足をばたばたさせていたが、男を見ると穏やかな笑顔で挨拶した。手には金色の小さなラッパを持っている。

「娘の病はどうすれば治りますか」

「昨日言った通りだよ」

 男の問いに即答した天使は、下手くそなラッパを吹き始めた。そして夕方までに曲というにはめちゃくちゃな音の塊をいくつか作り、月が出るのと同時に拗ねた様な顔で眠った。


 また次の日。

「天使様、お受け取りください」

「どうもありがとう」

 男はハーモニカを天使に買ってきた。天使はそれを受け取ると珍しそうにぺたぺた触り、最後に小さな口を開けて食べようとした。

 男が慌ててこれは楽器です、と説明すると、彼女は大喜びで演奏を始めた。上手に吹く事はできなかったが、昨日のラッパよりはずいぶんましな音色だった。

「ボクは音楽が好きなんだ。その理由もまた、キミに示された救いかもしれない。教えないけど」

 その答えに気を良くした男は、それから毎日天使に楽器を買い与える様になった。娘と自分の食事以外を買うのはとうの昔にやめていたので、金はたくさんあった。仕事を秘書に任せきりだったため、彼の評判は刻一刻と悪くなっていくばかりだが、そんな事はどうでもいいと男は思った。


「やぁ、おはよう」

 ある日彼が目を覚ますと、今まで教会にいた天使が家の床でちょこんと座っていた。椅子とテーブル、台所だけの質素な居間だが、彼女にはやや窮屈だった様だ。時折翼をぱたぱたと動かし、つまらなさそうにあくびをした。

 男は寝ぼけ眼をさっと見開くと、白い足に縋りつこうとする。しかし、それは軽々と避けられた。

「娘を治してくれるのですか!?」

「そのうちに、ね」

 ガラスの輪を鳴らし、彼女はふわりと宙に浮かんでいた。ただ、男を見下したその目は冷たく澄んでいる。

「探し物は見つからなかったよ。でも、手ぶらで帰る訳にはいかない。ボクらは天に帰る時、キミ達に何かしらの施しをしないといけないんだ」

「ありがとうございます……娘はとうとう救われるんですね、天使様……!!」

「これはキミが招いた結果でしかない。だから礼なんて言わなくてもいいんだ」

 天使は家の窓をすり抜けると、教会のある方に飛んでいった。飛び散った羽根がきらきらと陽光を散りばめていく様を見て、男は上機嫌になる。娘が目を覚ました時の事を考えるとじっとしていられず、服やケーキを買いに行った。



 夕方、彼がプレゼントを抱えて家に戻ると、娘の部屋から小さな歌が聴こえてきた。……いや、歌だけではない。澄んだハーモニカの音色もだ。

 か細くも美しい声は、あの天使のモノではない。たまらず男は娘の部屋に飛び込んだ。


 ……ベッドに腰掛けた天使が、ハーモニカを口から離して顔を上げた。頭上にガラスの輪はなく、代わりにスズランの花冠が乗っている。それはもう一方の少女も同じであった。

「つくづく思っていたのだけど、キミはとことん救いようがないね」

 娘はいなかった。

 天使が二人、そこにいた。

「そんな……どうして」

「どうして殺したんですか、とでも言いたいのかな? だが、これはキミが招いた結果だ。町で一番哀れな子供が、「祝福の子」として選ばれて天使に成る。本当に哀れだよ」

 かつての娘は、父親を見て音もなく涙を溢した。天使はそんな彼女をかばう様に前に立つと、男に語り掛ける。

「本当によい親なら、病で弱った我が子を放って毎日出掛ける訳ないじゃないか。どうして側にいてやらなかった。どうしてボクに与えたモノを、ひとつでも彼女に与えてやらなかった」

 語気を強めこそしなかったが、天使の瞳は怒りで色を変えていた。琥珀の様になった右目から、神々しい光が溢れている。

 それでも、男は言葉を飲み込まなかった。自分が正しいと思い込まないと、自我を保てない。そんな弱い人間の(さが)に、逆らえなかったのだ。

「……あなたが娘を治す方法を教えていたら、こんな事には」

「なっていただろうね。この子が病んでいたのは身体ではなく、心だ。そして病んだ心を治すには、心からの慈愛を与えるしかない。言われた通りにやるだけ、そんな行為に慈愛は籠っているのかい?」

 天使は男を素早く遮り、責め立てた。それを見た娘は、嫌々と首を振る。

「天使様、やめて……私が悪いの。私が賢くなかったから、お父さんがおじいちゃんに怒られちゃった。だから、私が悪いの……」

「ボクはそう思わない。悪いのは人の言う事を聞くだけで、自分から動こうとしなかった彼だ」

「でも、お父さんも私と同じ気持ちだと思う……」

「そう。……キミはこれを見てもまだ、悪いのは何も教えなかったボクだと思うかな」

 男は何も言えなかった。何が正しいのか、分からなくなったのだ。あれほど自分が正しいと思い込んでいたのに、いざ娘に擁護されるとふつふつと疑念が湧いてきた。

 天使の言う事こそが正しいのかもしれない。

 自分を愛して育ててくれた親は、本当はよい人間ではないのかもしれない。

 だったら、自分は。

「もうすぐ迎えが来るよ。言いたい事があるなら、言うといい」

 娘は天使に促されると、小さな翼を広げてゆっくりと飛んだ。その姿は弱った雛鳥の様に痛々しく、悲しい生命力に満ちている。

「あのね、お父さん」

 生まれて間もない天使が、立ち尽くしている彼の前にそっと降り立った。骨張った手を小さな手で包み込み、ガラス玉の様な瞳から透明な涙を溢す。彼女はしばらくそうしていたが、ふと天使を振り返って名残惜しそうにその手を離した。

 もう何年も開いていない唇が、弱々しく別れの言葉を紡いでいく。

「……お父さんは悪くないよ。私がダメな子だから、こんな事になっただけ。ごめんなさい……元気でね」

 はっとした男は最後に娘を抱きしめようとして、できなかった。どういう訳か、温度は感じるのに伸ばした手が身体をすり抜けてしまう。

「汚れを持つ者からは触れないよ」

 天使は新たな仲間を彼から引き剥がすと、壊れ物を扱う様に翼で抱きしめる。

「時が来た。哀れで清らかな祝福の子に、天より救いを与える」

 人間には分からない言葉で、彼女は歌った。

 澄みきった歌声が部屋中に響き渡り、美しい光の柱がいくつも生まれては二人を照らしていく。

 彼女らの姿が見えなくなる直前、歌い終えた天使はこう言った。

「ボクはこんな形で彼女を救いたくなかった」

 男を睨む赤い目には、うっすらと涙が滲んでいた。

 部屋に満ちた光と共に天使達は消え、あとには床に崩れ落ちて泣く男だけが残されるばかりであった。

 三日三晩飲まず食わずで泣き続け、涙が涸れ果ててから、ようやく男が顔を上げた。一切の光を失った暗い瞳は、何も見ていない。

 彼は悟ったのだ。己の眼前に、地獄への入口が開いている、と。

「私が悪かったんだ」

 干からびた声でそう呟き、男は首を吊って死んだ。それから何日も何週間も春の生暖かい風に晒され、死体はみるみるうちに腐臭を漂わせた。

 死者の魂を迎えに来た天使が、醜い光景に思わずため息をつく。そして男が首を吊っていた木の枝に腰掛け、短い鎮魂歌を歌った。

 穏やかな声が忌まわしい死の臭いを消し去ると、天使の手のひらにマッチのそれよりも小さな火が現れる。

「相変わらずだね。キミは最初から最後まで、救いようがない」


 手中で揺らめいていた魂は、強い風に吹かれて消えた。

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