19話 撤退の始まり
キルリー・ダンジョンの前線基地、その冒険者たちの砦を守る正面の門が開いていく。
人が通れるほどの隙間が開くと、そこから近接武器を持った数十人の冒険者が飛び出した。
彼等は門の近くに自然発生しているごく少数のモンスターを排除すると、数名を残して門へと戻ること無く平原へと駆け出す。
彼らは前線基地からの撤退に際して、テオのアイテムボックスの中に避難すること拒否した近接系の冒険者たちだ。
彼らはこれからほぼ半日の間、全力疾走を続けてゲディックの街に到着するだろう。身体能力向上系のスキルの持ち主である彼らだからこそ可能なことだ。
スキルレベルの高い者ならば、もっと早くに到着するかもしれない。
けれど、身体能力向上系のスキルを持っていない大多数の者は、ダンジョンから溢れ出すモンスターの追跡を振り切って逃げることなど不可能だ。
そんな者たちは、自らの足で逃走するのではなく別の手段をとるしかなかった。
近接系冒険者の大半が走り出した頃によくやく門は大開きとなり、馬車が走り出てきた。
残っていた数名の冒険者が門に取り付いて開いた扉が閉じないよう、地面に杭を打ち付けて固定する。
それが終わるとスキルによる身体能力に任せて走り、馬車を追いついてそのまま並走をはじめた。
彼らは馬車の――というより馬車に乗っているテオの護衛だ。
もっと正確に言うのならば、テオのアイテムボックスの中身の護衛だ。
身体能力向上系のスキルを持っていない大多数の者――足の遅い者である魔法使いたちと、ごく少数前線基地に存在していた非戦闘員であるギルド職員と出入りの商人。
そして身体能力向上系のスキルを持ってはいるが、長距離を走って大暴走から逃げ切る自信の無い近接系冒険者の大半。
そんな者たちが今現在、テオのアイテムボックスの中へと収納されている。
テオの乗る馬車を最後に、前線基地の中には誰一人として残っては居ない。
テオは、馬車の荷台から斜め後方――ダンジョンの出入り口の穴を囲む石壁をジッと見据えていた。
ダンジョンから湧き出ているモンスターは未だ、ダンジョンを囲む壁の内側からは溢れ出ては居ない。
封じ込めの討伐は出発のギリギリまで、つい先程まで続けていた。いずれ壁からもモンスターが溢れ出すだろうが、それが起こる前にできる限り距離をとらなればならない。
テオの乗る馬車はもともと幌の掛けられた荷馬車だ。
ゲディックの街から前線基地までの主な荷物は食料品、雑貨、その他嗜好品である酒類。そして冒険者たちのダンジョン攻略に必要な武器防具やポーションなどの消耗品。
逆に前線基地からゲディックの街へ帰る際の荷物は、ダンジョンからのドロップアイテムだ。
この荷馬車はそれらをめいっぱい詰め込んだマジックバックが大量に、この荷台を占拠していた。
マジックバックは大量の物品を小さくまとめて輸送の労力を減らしてはくれる。
だが一つの容量には限界がある。大量の物品を運ぶには、それに応じたマジックバックの量が必要となる。
ちなみにマジックバックの中にマジックバックを入れることはできない。そのために大量のマジックバックを運ぶに馬車が必要となるのだ。
それらのマジックバックは今、撤退する冒険者たちと一緒にテオのアイテムボックスの中だ。
それだけではなく、前線基地に一時保管されいた全てのドロップアイテム、そして冒険者ギルドの貴重品――ステータスオーブや重要書類、運営資金の入った金庫もテオのアイテムボックスの中だ。
今の前線基地に残されて居るのは、回収の手間を惜しんだ大量の天幕と、もぬけの殻となったギルドの建物だけだ。
ちなみにマジックバックをマジックバックの中に入れることはできないが、マジックバックをアイテムボックスの中に入れることに問題はない。二つの効果は似ているが、全くの別物である証明だろう。
マジックバックに縁のないテオがその事に気がついたのは、アニタのマジックバックを奪った後、しばらくたった後の事だ。
なお、彼女のマジックバックの中身がどうなっているのかは、マジックバックのセキュリティによって開ける事ができない為にわからない。
今もアイテムボックスの中に放置されている彼女のマジックバックを破壊すれば、中身を取り出せるだろうが、そこまでして確認する必要は感じない。
ともかく、馬車の荷台が定位置であったマジックバックは全てテオのアイテムボックスの中に収納されている。これはただ軽さを求めたためだ。荷台に乗っていた荷物は全て取り去り、更に視界の確保の為に幌すらも全て取り去っていた。
ごく短時間で可能な限りの軽量化の施された荷台には乗客としてテオとエミリが乗っている。
御者として手綱を握っているのはイーリスだ。
馬車を引く馬は速歩で軽やかに進む。
馬の歩法には四種類ある。常歩、速歩、駈歩の3つの歩き方と、襲歩という走り方だ。
その中で速歩は人間のジョギングに相当する歩法で、馬が最も早く遠くまで移動できる歩法だ。
替え馬がテオのアイテムボックスの中に存在しているとはいえ、長距離を早くに走らせる為にはこれ以上の速度は出せない。
もしも馬車を引く必要が無いのならば、もっと早い歩法を選んだだろうが、テオには乗馬の技術を持っていない。
キルリー・ダンジョンの前線基地からゲディックの街までテオが移動する最も速い方法は、テオ一人が馬に乗って全速力で走らせることだ。
途中で馬が潰れることを覚悟して走らせるならば更に速くなるだろう。馬が潰れたとしてたとしても、アイテムボックスの中の馬に替えればいい。
その方法を取らずに馬車に乗ることを選ばざるを得なかったのは、テオに乗馬の経験など一度もなかった為だ。
乗馬は特殊な技能だ。騎士や貴族などの将来、馬に乗って戦に出る必要がある身分の者や、馬に密接に関わっている者でないと習得する機会がない。
テオは農村の三男坊だ。馬など時折村にやってくる行商人が馬車を引くのに使っている馬くらいしか関わりがない。
当然、乗馬などという技術を習得できるはずが無い。
乗馬技能を持った者の後ろに二人乗利すればすれば良いのではという意見も出た。しかし、この前線基地に二人乗りが可能なほどの高い乗馬技能を持った冒険者は居なかった。そして二人乗り用の鞍などという特殊な品もなかった。
ど素人のテオを無理に乗せれば落馬するのが目に見えると、馬に乗って撤退する案は却下された。
御者としての技能がテオにあれば、テオ自身が御者としてイーリスもアイテムボックスの中の住人だっただろう。彼女自身、足の速さをともかく長距離を走破できる体力無いとの事で、自力での撤退は選ばなかった。
テオは彼女が御者としての技能を持っている事に意外に感じた。だが冒険者として受けることのできる有料講習から、御者技能の講習を受けた事があるとのことだった。
アイテムボックスの中に避難する事になった冒険者の中にも、御者技能持ちは多くいる。
それでも彼女が手綱を握ることになったのは、テオと親しいことも理由にあるが、一番の理由が彼女の体重が軽いことだった。
長距離を素早く走らせる為には、荷台は可能な限り軽い方が望ましい。
重量の問題だと言うのならばエミリが荷台に乗っている必要などない。それでも彼女が乗っているのは彼女にしかできない役割があるからだ。
「さあっ! 私の出番だねっ」
荷台にて進行方向を向いて立ち上がったエミリは杖を構えて宣言した。
瞳と閉じて集中する。魔力が認識できる者ならば、彼女へ向けて魔力が流れ込んでいくさまが見えただろう。
詠唱を始める。
『風の力よ。その身をもって。我らが身に吹き付け、駆ける我らの背を押したまえ!
【帆走の風】』
進行方向へと向けて振り下ろされる魔法使いの杖。
しかし一見してなんの魔法も発動していない。失敗したのかと、荷台に乗って至近距離で見ていたテオは思った。
が、次の瞬間。強風が吹き始めた。
可能な限り軽くした荷台を吹き飛ばすかのような強い風が途切れることなく吹き続ける。
もしも追い風ではなく横風だったのならば、荷台は横転してしまうだろう強風だ。
追い風の魔法は帆船の行き足を早める為の魔法だ。海から遠く、また大きな川からも遠いこの地域では使い手の少ない。
今回エミリが追い風の魔法を使ったのは、馬車の行き足を早める為だ。
行き足を早めるだけではなく、モンスターの鼻を誤魔化す効果もある。強制的にこちらを風下にするために、鼻の鋭いモンスターでも気づきにくくなり、追って来る可能性を減らせる。
帆を張っていない馬車でもコレほど強い追い風があれば、明らかに馬の足が早まる。
御者を務めるイーリスは歓声を上げた。
「おっおっ!? 馬さんも荷台が軽くなってゴキゲンな足取りっすねー。
エミリー! どれくらいの間、この風を吹かせ続けるっすかー?」
「かなり強めに吹かせているから、長い時間は無理よ。この強さの風なら十分程度ね。
私が制御を続けないと行けないから、テオのアイテムボックスの中には退避できないけど」
速度が上がったことによって揺れが強くなった荷台に、しゃがみ込みながらエミリは答えた。
「十分か……、けっこう短い時間だな。いや、それとも一回の魔法としては長いのか?」
魔法に関して詳しくはないテオはこれからの長い道程を考えて、感想をもらす。
「普通の攻撃魔法を基準に考えたら十分は長い時間だけど、この【帆走の風】の魔法として考えると短い時間よ。
本来ならばもっと弱い風で長い時間吹かせ続ける魔法だし、こんな強風にはしないわ。
帆船の帆に向けて使う魔法だからね。こんな強風にしたらマストが折れるか転覆するわ」
「ま、帆船じゃなくて馬車っすからね。後押しするのに強い風が必要になるのもの仕方ないっすよ」
「一回で十分か……。後何回くらい使えるんだ?」
「あと四回ね。【帆走の風】は魔力消費が激しいのよ。この馬車に帆を掛けてあるなら弱い風で済むから、一回の効果時間がもっと長くできるから、自然回復でもう一回使える数が増えたんだけど……」
「そんな加工なんてしてる時間無かったからな」
帆をつける改造を施す時間と、帆をつけた馬車にっよって稼げる速度を考えると、改造をした方が目的地への到着は速くなるだろう。だがそれよりも、早くに前線基地を出た方が安全だとの判断から馬車の改造はしないことになった。
「そうね。だからあと四回【帆走の風】を使ったら魔力切れよ。
そうなったら私はもう役立たずよ。魔力切れの魔法使いなんて文字通り荷物にしかならない。何もできないまま無力感を味わうよりは、テオのアイテムボックスに回収お願いね。
次の瞬間が、ゲディックの街に居るのか、それとも絶体絶命の瞬間になるのかわからないのは、不安だけど……」
「ああ、わかってる。ちゃんと送り届ける。次に気がついた時は安全な場所にいるさ」
俺が死ななかったらの話だけど……。
テオはその言葉を続ける事なく胸のうちにしまい込む。エミリもそして、テオのアイテムボックスの中に避難した多くの者も理解している前提だ。わざわざ言う必要などない。
彼女はあえて明るい調子で言う。
「ま、そういうわけだから、テオはイーリスとの二人きりのデートを楽しんでいきなさい」
「デート? デートにしちゃ、まったく心躍らない逃避行だな」
「まったくっすよ。エミリ? デートと言うのはもっと心穏やかに、命の危険を感じない時にするモノっすよ?」
テオとイーリスは抗議し、エミリは笑顔で答える。
「そうね、だったら、ちゃんとしたデートができるように頑張りなさいよ?」
「え? いや、そもそもデート云々をする間柄じゃないんすけど?」
「えー、くっついちゃえばいいじゃない。テオはなかなかの優良物件じゃない。お金持ちだし、ドラゴンキラーの名声もあるし」
「……いや、事故物件だと思うが」
エミリの評価に、テオは小さな声で自己評価を口にした。
確かに客観的に見るとエミリの評価は事実だろう。
しかし無事にゲディックの街まで避難できれば、前線基地にいた多くの冒険者を馬車一台で輸送したという実績を積むことになる。
大陸の国家に多大な戦略的な変更を強いる事になるだろう情報だ。そして、その情報は拡散することが確定している。
今アイテムボックスの中に居る多くの冒険者全員が口をつぐむことなどありえない話なのだから。
そんな厄ネタを持っているテオは到底優良物件などとは言えない。
幸いといっていいのか、テオのつぶやきは二人には聞こえなかったようだ。
「いや、テオさんは友人っすよ。そういう関係じゃないっすよ!?
人のことを言う前にエミリ自身はどうなんすかっ!? 彼氏が欲しいとか言ってたじゃないっすか!」
「まあまあ。私の事はいいのよ」
キャイキャイと騒がしい二人の会話の流れ弾に当たらぬように、テオは意識して無視する。
そして走る馬車の荷台から、遠ざかる前線基地へと視線を向けた。
ダンジョンの入り口を囲む石壁から、壁を乗り越えた蟲型モンスターの影が見えた。
数は片手で数えるほど。離れている馬車には気が付いていないようで、こちらへ向かって来る様子はない。
今はまだ、大丈夫そうだ。
しかし、大丈夫なのは今だけだろう。いずれ、モンスターは溢れ出す。
その時が来るのができる限り遅く、そして出てきたとしてもこちらへ向かって来ないことを祈ることしかテオにはできなかった。




