08話 天恵の子『――――、竜の力が―――退ける。』
テオは高価な調度品に囲まれた貴族の館の一室でお茶をしていた。中庭に面した一階の部屋で、大きなガラス窓から挿し込む柔らかな日差しが挿し込み非常に明るく室内を照らしている。
――なんで俺はこんな所にいるのだろう?
テオは現実逃避気味に考え、その後テーブルの向かいに座るクリスタに視線を向けた。
クリスタは恥ずかしそうにはにかむ。
「お口に合いますでしょうか?」
「え、ええ。とても美味しいですよ」
実際に美味しいと思う。けれど落ち着いてお茶の味を楽しめる状況には無い。
今、テーブルに付いているのはテオとクリスタの二人だけだ。
側にはメイドであるレベッカが控えている。彼女は己の気配を消して、ただの家具のように控えている。私の事は気にないようにと、レベッカ当人に言われている。
開いたドアの向こうと、窓の外には護衛に付いている数人の兵士の姿が見える。会話は聞き取れないだろうが、姿はしっかりと見える位置だ。ドアを開いたままにするのは、未婚の貴族の娘が男性とお話をする際の最低限の配慮だ。
――どうしてこうなった?
テオは思う。
テオがここに居るのは、クリスタ・フォン・ゲディックの護衛と言うギルドからの指名依頼を受けたからだ。
依頼内容はテオが数日間、クリスタ・フォン・ゲディックの側に控え護衛を行なう事だ。
しかし、テオ自身の護衛は大した意味は無いのだ。
重要な事は、テオの勇名であるドラゴンキラーの名を用いる事だ。
伯爵家にドラゴンキラーが味方をしている――伯爵家の娘クリスタにはドラゴンキラーが護衛についているというウワサを大体的に広める事だ。
ウワサの拡散には別の者が動いているようだが、テオに直接関わりはない。
テオの仕事は名目上は護衛だが、実際にやることと言えば、伯爵家の屋敷に滞在しクリスタの歓待を受けることだだけだった。
実際の護衛は伯爵家の兵士達が担う。彼らの職分には可能な限り踏み込まないようにとの、伯爵家からの要望付きだ。
依頼主からの要望を無視してまで、仕事をする気はテオには無い。
しかし、何もしないという仕事もツラいものがあった。
昨日の襲撃事件の後の事だ。
劇場の中の、戦いの部隊となった場所から離れた場所で、テオはアイテムボックスに収納している貴賓室に襲いかかって来た者達を排出した。
生きている者も死んでいる者もまとめて出して、伯爵家側に引き渡した。彼らが持っていた武器も同様だ。
彼らの中の生き残った者にはこれから死んだ仲間を羨む程、厳しい取調べが待っているだろう。
そして兵士の遺体も伯爵家の兵士達に引き渡した。その時に仲間の死を知った彼らはひどく悲しんでいる様子だった。
キリクと警備を担っていた冒険者達が打ち倒した者達は、まずギルドの方に身柄を確保された。
双方で聴取を行い得た情報は、全てギルドと伯爵家双方で共有することが合意された。
伯爵家としては娘を襲撃した者を特定しなくてはならず、放置してはメンツに関わる。
そしてギルドとしては、自らが主催したオークションに襲撃してくる者には、落とし前を付けねばメンツに関わる。
襲撃者達は双方から叩き潰すべき敵だと認定されたのだ。
伯爵家としては内密にしたかったようだが、もはやそれは不可能であろう。
警備をしていたギルドの冒険者からも数人、死者が出ているのだ。ギルドの方は内密にする事などできない。
それらの交渉をギルド側に担ったのは『ギルドの交渉役』とも呼ばれるヴェルナーだった。
彼が、ギルドマスターと共にクリスタ・フォン・ゲディックとの面会に同行したのは、その交渉を担う為だ。
彼は、冒険者ギルドの職員で戦闘能力は無い。貴賓室からの移動の際も護衛対象となる非戦闘員の一人だった。
しかし交渉という戦いに置いては、彼に勝るものはいないと言われているらしい。
伯爵家側がテオやギルドに無断でドラゴンキラーの勇名を利用した事を指摘し、その事を『貸し』としつつ、伯爵家側の要求を受け入れた。その事はギルド員であるテオの利益を守るというギルドの仕事として最低限の事だとして、その上でギルドはかなりの利益を伯爵家からむしり取ったようだ。
その交渉には、テオは邪魔になるからと追い出され同席はしていない。もっとも同席をしたいとは思わないが。
テオが関わっているのは、指名依頼としてクリスタ嬢のそばに控える事だけだ。その依頼を受けることには、あらかじめ了承していた為何の問題もない。
テオが今、ゲディック伯爵家の邸宅に滞在しているのはそのためだ。
ちなみに着せられているのは、また貸衣装だ。大金が手に入ったのだから貴族の館に滞在しても問題無い服も買って置くべきだろうが、そういった服は全てオーダーメイドだ。仕立てる時間が無い。
そしてクリスタと同席してお茶をしているのは、彼女がそれを望んだからだ。
「昨日、テオ様とはちゃんとお話できませんでしから、お話をしてみたいと思っていたのですよ」
「俺と話した所で面白い話は無いと思うのですけど?」
テオの口調は敬語を使おうとしても、すぐに崩れる。普段通りの喋り方で良いとクリスタは許可を出してくれた。テオは素直にその配慮に甘える事にした。
「まあ……。現代の神話の体現者であるドラゴンキラー様の言葉とは思えませんわ」
クリスタは冗談と受け取って、クスクス笑う。
「現代の神話……ねぇ……」
そんな大層な存在になった覚えは無い。
「俺からすれば、襲いかかってきたモンスターに必死になって抵抗しただけなんだが」
「そのモンスターがドラゴンである時点で、抵抗できる者はすでに神話の中の登場人物に等しい存在ですよ。
竜の咆哮は真に心強き者以外は、その戦意を打ち砕くといいますから。
竜の咆哮に耐え、火竜の吐息をしのいで、ドラゴンを倒した貴方の功績は、それほど価値が在るものなのです。
きっと多くの人に憧れを持って見られるのでしょうね。ドラゴンキラーの勇名はそれほどの価値がありますから。
うらやましいです。多くの方に認められるというのは」
心の底からの称賛に、テオは居心地が悪いモノを感じて身動ぎする。
しかし、ため息と共に漏れるクリスタの感想に、テオも思わず言葉が漏れる。
「俺としては多くの者の称賛よりも、貴族に生まれて何不自由なく育った貴女の方がうらやましいですがね」
「そうですか? ですけど私は、家族とは疎遠ですから……」
「疎遠?」
「ええ。父は、多くの時間を王都で過ごしますし、母は私を産んだ時に亡くなりました。
兄弟は、兄が二人おりますけど、年が離れてます。もう成人していますからほとんど王都にいるのです。それに私の母は後妻ですから、兄二人とはあまり話をする機会自体すら無いのです。
私はもっとお話をして欲しいのですけど、忙しいからと……」
「そうか……。どこでも家族関係は難しいモノがあるもんだな」
クリスタになんと言っていいのやら分からず、テオは己の家族関係を口にした。
「俺の場合は、家族とは折り合いが悪かった。
俺は子供の頃から小賢しいガキだったからな。大人や年上には嫌われていた」
「小賢しい? 賢い子供だったのですか?」
「いや、賢いというより小賢しい。だ。
俺はなんでか知らないが、知らないはずの事を知っていた。学んだ事の無いはずの知識を、考え無しに口にしてたんだ。
そのやり方じゃなくて、こういう風にやった方がいい。なんでそんな効率の悪い方法をやってるんだ? とかを、小さなガキが大人に向かって言っていたんだ。
まあ、今から思えば嫌われるのも当然だろうが、その時は深く考える事もできず口にしていた。
一時期は悪魔の子じゃないかともウワサされた。
すぐに教会の神父様に浄化魔法を掛けてもらう事になって、悪魔の子じゃないって事は太鼓判をもらった。
けど、あんまり俺の行動は変わらなかったからな。村じゃあおかしな事いう忌み子扱いだ。
当然家族とはギクシャクしていた。親からはかばってもらえたけど、上の兄弟とは仲が悪かった。
だから親が流行り病で死んで、一番上の兄貴が畑を継いだのと同時に村を出たんだ」
「そう、なのですか……。
テオ様は『天恵の子』だったのですね」
「『天恵の子』?」
聞いたことの無い言葉に聞き返す。
「ええ。学んだ事がないのにもかかわらず、高度な知識を有する子供のことです。
その知識は、生涯を学に捧げた賢者をも超えるような、高度な知識である場合もあるのだとか。
貴族階級に生まれた『天恵の子』は時にその知識によってその地に恵みをもたらす者だと言われています。
ただ農村地帯で生まれた子は、悪魔の子として迫害を受ける事あるそうですが……」
「俺はその典型か。
いや、この歳まで育った分、恵まれている方かもな……」
テオはため息をつく。
「『天恵の子』だとされる方とは初めてお会いしますけど、知らないはずの知識を持っているというのは、どんな感じなのですか?」
「どんな感じと言われても、俺にとってはコレが普通だから。
……ただ、本当に正しいか分からない知識が、たくさん頭の中にあるだけって感じかな?
ガキの頃は判断能力もないから、ただその知識に振り回されていた。
今はそんな事はなくなって来たけど……。
自分が周囲とズレているのかもしれないと感じるのは、この知識のせいかもしれないと、思う時はある」
「ズレ、ですか?」
「そう。今、特に思うのはドラゴンに対する価値観だな。
強大な力は持っているけどただのモンスターの一種としか、俺には思え無い。
けど、他のみんなは伝説の怪物みたいな扱いをしてる。ドラゴンキラーだとかもてはやされることにも困惑しか無い。
それがその知識のせいなのか、それとも元々こういう性格なのかは分からないけどな」
「ドラゴンに対してそう考えることができるからこそ、ドラゴンキラーになれたのでしょうね」
そんな称賛をされても困惑しか無いと言ったばかりなのだが。テオのそんな表情を見てとってくれたのか彼女は話題を変えてくれる。
「そうそう。オークションでは伯爵家もドラゴンの素材を何点か購入したのですよ。恥ずかしながら鱗が数枚と、他に数点ほどしか落札できなかったのですが……。
初めてドラゴンの鱗を手にとって見ましたが、あんなに綺麗な鱗なのですね。
私は耐火のお守りを作ってもらうつもりです。真紅を身に纏う竜の鱗は、耐火のお守りの素材としては最高級なのだとか。
テオ様はオークションに出品される前に、いくつかの素材を確保されたとお聞きしました。翼と瞳の片方つづに、一番大きな牙、鱗も良い物を数点確保したと」
「……その事は多くの人が知っているので?」
「オークションに出品されて居なかったので、ドラゴンキラー本人が確保したのだろうと、もっぱらのウワサでしたよ?」
クスクスと笑いながら言うクリスタに、テオは頷くしか無い。
「ま、それもそうですね」
「テオ様は確保された素材でどのような物を作るつもりなのですか?」
「防具と武器、それに魔具を作ってもらうつもりです。鱗を材料に耐火のお守りも作ってもらう気でいますがね」
「やはり男の方は武器を作ってもらうのは楽しみなのですか? 私は綺麗な物の方が好きなのですが」
「武器よりも、防具の方が俺は楽しみです。武器を作ってもらっても俺ではそれを使いこなせませんからね」
テオは肩をすくめる。
「もしも親しい人物ができて、その者がその武器を使いこなせるような腕前だとしたら。譲っても良いかもと、考えるやもしれません。もっとも今はそのような人物に心当たりは無いですけどね」
「そのような人物ができたなら、それは幸せな事でしょうね。
ドラゴンキラーによって認められ、ドラゴンから作られた武器を賜る……。
英雄譚の一説のようです」
クリスタはやや上気した頬を抑え、ホゥ……と息をつく。
「クリスタ様は英雄譚がお好きなのですか?」
「英雄譚と言うよりも、物語が好きなのです。登場人物たちの歩みや葛藤を共に味わう事が好きなのでしょうね。新作の物語の本を手に入れた時などは、夢中になって読んでしまいます。
英雄譚ももちろん好きですがね。
テオ様は武器を使いこなせないと言いますが、戦士よりも魔法使いに近いのですか?」
「確かに魔法使いの方に近いと言えますね」
「では、杖などはお使いにならないのですか? ドラゴンの素材から作った杖は、魔法使いにとって最高の杖になると聞きますが」
テオは首を振る。
「いいや。俺は魔法使いに近いだろうけど魔法使いじゃない。だから杖は無用の長物なんだ。魔法系のスキルが無いから、杖による恩恵を受けられない。
もしもオークションに出した角で、火属性の魔法の杖を作ったら、それはとんでもない威力の炎をだせるようになるだろうね」
「火属性……ですか?」
「あのドラゴンは火吹竜だ。その杖が火属性と高い親和性を持つのは間違いない」
実際にはテオの擬似的鑑定スキルで角自体が、火属性を増幅するスキルを持ち合わせていることは分かっている。しかし、その事を言うわけにはいかないので、そうぼやかした。
「ですけど、火属性の魔法は人気が無いと聞きますよ?
ドラゴンの角から作った杖を必要とするような、火属性の魔法を鍛え上げた人がいるとは思えないのですが……」
「火属性の魔法を鍛え上げた人なら【炎杖】という二つ名持ちが居るでしょう?
もしもその人物が使ったらどうなるか、想像もつかない。もっとも貴重なドラゴンの角で火属性に特化した杖を作るとは思えないけど」
「そう……ですね。きっと杖を作るにしても、特化型は無いと思いますよ。私も魔法を使えますけど、一つの属性の特化型はちょっと使いにくいです。そんなもったいない事はしないと思いますけどね」
「クリスタ様は魔法系のスキルをお持ちで?」
「ええ。光と水の魔法スキルを持ってます。とは言えあまり鍛えていません。
精々、読みたくなった本を、隠れてベッドの中で読むのに光魔法を使う位です」
笑顔で言ったクリスタは、次の瞬間慌てた様子で側に控えているレベッカにチラリと視線を向ける。主を見るメイドの視線はそれはもう厳しいモノだ。
「う……、また後で怒られる……」
クリスタは小さく漏らして、身を縮めている。テオは思わず感想を口にした。
「クリスタ様は普通の女の子ですね」
「えっ?! そ、そうですかね……?」
彼女は驚いた後、照れた様子で聞き返す。テオは頷く
「ええ。話してみると、見た目の印象とはちがって普通の女の子のように思えます。
もっとも俺はあまり普通の女の子を知らないのですが。
――あ、ひょっとして失礼な事を言いました?」
「あ、いえ。そんな事はありません。そう思っていただけると私は嬉しいです。
私はこんな見た目ですから、神秘的だとか近寄り難いとか言われて、そういう風に言われた事がありませんから……」
クリスタは照れた様子で、せわしなく己の髪に触れている。
外見のはかなさに比べたら、あまりにも普通の女の子だなとテオは思う。
「そう言えば聞いてなかったけど。
どうしてクリスタ様は狙われているんです? 失礼な話ですけど、クリスタ様は見た目以外は普通の女の子です。
伯爵家の娘という付加価値はあるとは言え、何度も襲撃するような価値があるとは思えないんですが。
なにか心当たりはないのですか?」
テオにとってその質問は、つい口に出た問いだった。
今貴賓室に襲撃して来た時の事を思い出すと、襲撃者は彼女の身柄を確保しようとしているように見えた。一度襲撃が失敗して警戒をしている所へ、再び襲撃をしかける価値が彼女にはあるのだろうか?
問いにクリスタは真剣な表情になってテオに視線を向けた。彼女の見た目を相まって、一瞬で彼女の周りの空気は神秘的な空気に包まれる。
真面目な表情になる度にこんな近寄り難い雰囲気を出されては、確かに普通の女の子とは評されないだろう。
テオはその場の空気が張り詰めるのを感じならがら、そんなのんきな感想を抱いていた。




