01話 新人冒険者
この世界はかつて、人族種族が繁栄していた。
しかし突如として湧き出し始めた存在。モンスターによって人々は滅びかけたという。
抗う術の無かった人族種族はその勢力圏を削られ続け、人々は追い詰められていった。
滅ぶのも時間の問題だと思われた頃、奇跡が起こった。人々の中から、モンスターに抗う事のできる力を持つ者が現れ始めたのだ。
その力――スキルを持つ者の数は増え続け、やがてスキルを持たない者の方が珍しく成った頃。人々はモンスターによる滅びの危機から脱する事ができた。
ある人々はスキルの事を神が与えた恩寵、加護、祝福と見なした。また別の人々は人が本来持ち合わせている潜在能力が危機に際して発現しただけだと主張した。
他にも様々な説が入り乱れたが、スキルの力によって人々はモンスターと戦う道を選べるようになった。
自分達が生き残る為にはスキルの力に頼る以外に道は無かったとも言えた。
それから、永い時が経った。
人々はモンスターと戦い続け、無限とも思える数のモンスターを倒してきた。
しかし、世界からモンスターが消える事は無かった。
今もまだモンスターは湧き続け、人々は生きる為に戦い続けている。
◇ ◇ ◇
その少年はゲディックの街に向かう街道を歩いていた。
壁のようにそそり立つ崖を右手にして、少年は崖に沿って伸びている街道を歩く。
少年はみすぼらしい姿をしていた。くたびれた服装は旅装に相応しいとは言えず、そこいらの農村の子供にしか見えない。年の頃は一三、四ほどだろうか。黒髪の、農村であるならばどこでも居そうな少年だった。
そんな少年がたった一人で街道を歩くのはおかしな事だ。街道は比較的安全とされる場所ではあるが人里の外はモンスターの領域だ。街道を移動する時は冒険者による護衛が欠かせない。
武装もしていない者が単独で歩くには危険すぎる場所だ。遠回りな自殺と言ってもいい。
少年の腰には使い込んだナイフが一本あったがその程度ではモンスター相手の武装とは言えない。
現に、街道付近に湧いて出ているモンスター――スライムとキラーラビットは一人で無警戒に歩いている少年に襲いかかろうと近寄っていく。
しかしモンスターは少年に襲いかかる事はできなかった。
少年に近づこうとするモンスターはある程度の距離まで近づくと唐突にその姿を消す。そして一拍の時を置いた後に少年からはるかに離れた場所に現れる。
街道からも外れた場所に現れる事になったモンスターは戸惑いの様子を見せた後は、離れた距離に居る事で少年に襲いかかる事を諦めて再び無目的にうろつき始める。
その奇妙な現象が起きている間、少年はモンスターに僅かに視線を向けるだけの事しかしていなかった。
幾匹かのモンスターが消失と出現を繰り返す怪奇現象が続くが、やがてモンスターが近づいてこない合間が訪れる。
するとただ歩いているだけの少年の周囲で、別の奇妙な事が起こり始めた。
街道の上には崖の上に生える木々から落ちたのであろう枯れ枝が転がっている。彼が歩き進むにつれて目に付くそれらが、次々と消えていくのだ。
近づくモンスターは一旦消えては離れた場所に現れ、街道の上の木の枝が掃除されていく。
そんな奇妙な現象に気がついた者は居ない。商隊の馬車列が通り過ぎた時は怪奇現象は一時的に止んでいた。商隊の者達はただ一人で街道を歩く少年に訝しげな視線を向けるだけだった。
長い時間街道を歩き続けていると、今までは崖によって遮られていた視界が開け、街の市壁が見えた。
街の名前は領都ゲディック。ダルヴィー王国、レトレル地方、ゲディック伯が支配するゲディック伯爵領の領都だ。ブレベルト平原の北端に位置している。
ブレベルト平原の北端は切り落としたかのような崖が壁となって立ちふさがり、崖よりも北側の上は森となっている。
はるか上空から見たならば崖という線によって草原の薄い緑と、崖の上の森の濃い緑によって綺麗に色分けされているのが見て取れただろう。
草原と森を切り分ける崖が坂となり、通行が可能になっている場所にゲディックの街は位置する。
この近辺において崖の上にある森と、崖の下にある平原をつなぐ交通の要衝だ。
ゲディックの街は崖にへばり付くように市壁で囲まれている。その市壁は高く、また同じ高さで街全体を囲んでいる。平原側の南の市壁の高さは崖と同じ程度の高さだ。
しかし崖の上にも広がる街を囲んでいる為に、同じ高さの市壁は崖側の北は非常に高く見える。
ゲディックの街の特有の外観だ。
このゲディックの街こそ、少年の目的地だった。
◇ ◇ ◇
冒険者ギルド、ゲディック支部の受付嬢であるヘレンは、何時もの受付業務の最中、見た事の無い顔に声を掛けられた。
「あの、すみません」
「はい、なんでしょうか?」
ごく普通の少年だ。短い黒髪に黒目の、種族が人間だと一目で分かる平均的な見た目の少年だ。
農村で食い詰め者になったか、あるいは冒険者という存在に憧れた者か。
この年頃の少年が冒険者に憧れているのならば希望に目を輝かせるものだ。だが、この少年の瞳にはそんな輝きが見えない。ならば前者なのだろうか。
素早く彼の身なりを確認する。丈夫そうだがお金がかかっていないみすぼらしい服。身につけている武器は腰にあるナイフ一つだけ。粗末な武装だ。手元に荷物は無く、手ぶらだ。
増々前者の可能性が無くなってきた。農村での食い詰め者が口減らしに村を追い出された口だろう。
ヘレンは同情をしかけて、よくある新規登録者だと考えを止める。一々関わっていたら、こちらの方が持たない。
「冒険者になりたいんだが。登録はここでいいんだろうか?」
淡々とした様子で少年が聞いてくる。ヘレンはいつもの営業スマイルで応じた。
「はい。冒険者の新規登録ですね? 新規登録に関しては手数料は無料になっておりますが、こちらのステータスオーブによる鑑定を受けて下さい。
オーブにより表示されたステータスとスキルを明記したギルドカードを発行いたします。
どうぞ、ステータスオーブに手のひらを触れて下さい」
受付カウンターに据え付けられているステータスオーブを示す。
少年は予め冒険者の登録の際の事を知っていたのか、戸惑う様子もなくオーブに手を伸ばした。
冒険者ギルドは新規冒険者の登録に際し、ギルドカード――別名、ステータスカードの発行を義務付けている。
ステータスオーブによる鑑定を行い、新規冒険者の能力を明らかにする。ギルドから見てその者が使えるか否かを判断する為にだ。
ステータスオーブによる『鑑定』の力は神の力の一端だ。偽りは通用しない。
神より人に授けられた『鑑定』スキルでしか明らかにされないステータスとスキルが、人の手によって量産されたステータスオーブによって明らかにされる。
本来ならば感激する場面なのだろうが、彼女が産まれる以前から存在し、ごく当たり前に使われているステータスオーブにいまさら感動などはしない。
しかしその時、ステータスオーブに表示された少年のステータスを見て、ヘレンは鍛え上げた営業スマイルが一瞬崩れるのを感じた。
あまりにも酷い。彼の所持しているスキルには、産廃スキルが一つしかない。
名前 テオ
種族 人間
性別 男
年齢 14
ステータス
STR 4
VIT 5
DEX 6
AGI 4
INT 7
LUK 4
スキル
アイテムボックス
ステータスはそれぞれ、STR――力、VIT――体力、DEX――器用さ、AGI――素早さ、INT――賢さ、LUK――幸運が数値化される。
人間種族の最大値が10、平均的数値がそれぞれ4~6だ。この最大値と平均値は成人男性のものを基準にしている。その為女性、子供、老人はこの数値が少し低くなる。
彼のステータスは年齢からすれば平均的か、やや優秀な部類の数値だ。
しかしステータスの数値など、どの様な人間でだろうと似たり寄ったりだ。
ギルドカードを作成する際に重要視されるのは、ステータスではなくスキルの方だ。
スキルとは神の恩寵だとも言われている。
脆弱な肉体しか持たない人が、多くの凶暴なモンスターに対抗する為に必須となる能力。
人はいくら鍛えた所でステータスの種族的限界値を超えることはできない。
逆にモンスターの能力をステータスの数値として換算すると、人種族の最大値を超えている事などごく当たり前の事だ。
それでは人種族がモンスターと戦う事など到底不可能だ。
しかし、それを覆すのがスキルの存在だ。
『STR上昇 Lev.1』や『剣術 Lev.1』などの使えば使うほど強力になるスキルの恩恵があれば、モンスターを倒すことすら容易くなる。
人種族はおおよそ、5つから8つのスキルを持っている。
戦闘に役立つスキルもあれば、日常に役立つスキル。特殊な仕事にしか役立たないスキル。
どんな効果かよく分かっていないスキルもあれば、マイナススキルという持っているだけでマイナスのスキルも存在している。
今回、受付嬢のヘレンが驚いた思ったのは、ステータスオーブに手を乗せたままの少年の持っているスキルの事だ。
少年――テオが持っているスキルは一つだけ。しかもアイテムボックス――、
冒険者ギルドの受付嬢として、多くの冒険者達のスキルを見てきたヘレンはスキルの少ない者も多く見てきた。
しかし彼のように、たった一つのスキルしか持っていない者は初めて見る。
――しかもこのスキル、アイテムボックスは、いわゆる産廃スキルだ。
ヘレンは彼に哀れみの視線を向けた。
彼が冒険者になったとしても、何も成せることなくモンスターに殺される事になるだろう。
もしかすると採取依頼でほそぼそと生きていくことはできるかもしれない。けれど冒険者を続けるならば彼に明るい未来は無いだろう。
産廃スキルであるアイテムボックスしかスキルを持っていない彼は、あまりにも冒険者に向いていない。
「あの……。貴方のスキルでは冒険者は厳しいと思いますが……?」
思わず忠告の言葉が出た。
「このスキルじゃ、冒険者にはなれないのか?」
「いえ、そんな事はありません。冒険者は希望者であれば誰でもなれます。
しかし……。戦闘用のスキルが無い者の多くは、すぐにモンスターに殺されてしまいますよ?」
深刻な表情での忠告に対して、テオは顔をしかめて首を左右に振った。
「――冒険者にならなかったとしても、餓えて死ぬだけだ」
その言葉の通りだろう。食い詰めて村から出てきたばかりで信用の無いアイテムボックス持ち。そんな者を雇おうとする物好きなど居るとは思えない。
「……分かりました。ギルドカードを発行いたします」
無心でカードを制作する彼女に彼は苦笑した。
「ありがとう。心配してくれて」
少年らしからぬ感謝の言葉にも、ヘレンは顔を上げる事は無かった。
冒険者は無慈悲な程に実力だけがモノを言う。彼は遠からず冒険者ギルドから姿を消すことになるだろう。
それが彼に取って幸せな形になる事を祈るしか無い。
◇ ◇ ◇
テオは木札でできたギルドカードを受付嬢から受け取った。
表には名前とギルドランク、ギルド番号。そしてステータスが記され、裏にはスキルの一覧が記されている。
裏面は本来ならばそれなりにスキル名で埋まるのであろうが、自分の場合はアイテムボックスの一つだけ。あまりのスカスカっぷりに思わず苦笑する。
受付嬢は事務的に説明を行なった。
「仕事を受ける際はそのギルドカードを必ず提示してください。
ギルドランクはFから始まり、E、D、C、B、Aと上がっていきます。
ギルドランクに応じて受けられる仕事が変わります。
受けられる仕事はそれぞれランクが指定されているので、その中から選んでください。
ちなみにギルドランクとはギルドからの信頼度ですから、勘違いしないようにして下さいね」
「信頼度?」
「ええ。ギルドランクはその者の戦闘能力に依存するものではありません。
仕事をしっかりとこなせるという、ギルドからの信頼が高い者が高いランクに認定されます。
戦闘能力はランク査定の考慮対象にはなりますが、最低限の能力があり、ギルドからの信頼が高ければCランクまでは問題なく認定されるでしょう。
ただしFランクからEランクに上がる時は例外です。
一定期間内に一定数の討伐もしくは採取が行われれば、新人のランクであるEランクとして自動的に認めれらます」
「新人のランクがEランク? じゃあFランクは?」
ギルドカードに記されているFの文字を見ながら、テオは首を傾げる。
「Fランクは新人未満のランクです。正式なギルド員として認めているわけではありません。
討伐、採取が安定して行える実力を示して初めて正式なギルド員、Eランクに認められるのです」
「なるほど……。正式なギルド員になると何かいいことがあるのか?」
「ありますよ。ギルドはFランクに対して便宜を図る事はいたしません。ギルドカードの発行と、討伐採取の最低限の仕事の斡旋しかしません。
ですが、Eランクになれば、宿屋、武器防具屋、道具屋などの提携している店での割引。ギルド内の資料室の閲覧許可。技能向上の為の教室の参加など、様々の恩恵が受けられます」
「割引……」
「ええ。ですからEランク目指してがんばってください。
Fランクに斡旋できる仕事は以下の三つです」
と彼女は手元の資料を提示する。
・討伐。指定ランクF。
対象:スライム。
場所:東、南、西それぞれの門近くの草原。
証明部位:『スライムの目玉』と呼ばれる目玉に似た内臓。
報酬:『スライムの目玉』一つにつき、二千エメラ。
備考:『スライムの目玉』の損傷が激しい場合、報酬の減額、または買い取りの拒否もある。
・採取。指定ランクF。
対象:薬草三種。(緑円草、血止め草、痺れ花)
場所:東、南、西それぞれの門近くの草原。
証明部位:根以外の全草。
報酬:十つにつき、五百エメラ。
備考:損傷が激しい場合、報酬の減額、または買い取りの拒否もある。
・討伐。指定ランクF。
対象:キラーラビットの討伐。
場所:東、南、西それぞれの門近くの草原。
証明部位:内臓を除いた全身。
報酬:キラーラビット一体につき、二千エメラ。
備考:損傷が激しい場合、報酬の減額、または買い取りの拒否もある。
テオはしばしその三つの依頼書を見比べる。彼が選んだのはスライムの討伐だ。
「……スライムを倒したら、解体して『スライムの目玉』だけを持ってきて下さいね。状態がよければ、一つにつき二千エメラです」
受付嬢の何故か躊躇った後の注意事項にうなずいてテオはギルドを後にした。