早送りの鏡
「 ねぇ、知ってる? 先輩の友達が試したらしいの………」
友達の圭子がポツリと呟いた。
「何を?」
「早送りの鏡」
高校の夏休みのある日、友達の圭子が家に泊まりに来た。
夜はパジャマに着替えてお喋りタイムだ。
そんな中、夏の定番として怖い系に話題が移った。
ウチの高校はそこそこ歴史があり、いわゆる学校の怪談は一杯ある。
圭子がポツリと話し始めたのは、音楽室の前の階段の踊り場にある鏡の事だった。
何の変哲もない古ぼけた全身が映る鏡だ。誰が寄贈したかは名前がかすれて分からない。
何故かちょっと得意げな圭子が話を続ける。
++++++++++++
先輩がいうにはね、その鏡は人生を高速再生して未来を見せてくれるんだって。
映っている姿が、すごい早さで年取って大人になってお年寄りになって死ぬまで。
最期は大体皆火葬だから燃えている所で終わりらしいよ。
「そんなの見たくないね」
ふふっ、優子は結論早いなぁ。
それがね、皆この話を聞くと見たくなるんだって。
そんな気持ち悪い鏡だけど、どんなにうまくいってない人でもね理想の将来が見られるんだよ。
寿命が3年減る代わりに。
それでね、先輩の友達が試した話知りたいでしょ?
教えてあげる。面白いんだから。
「うん………」
++++先輩の話++++
私は友達に呼び出されて夜の校舎の校門前に立っていた。
夏の生ぬるい空気が嫌な感じしかしない。
友達の一生のお願いだと、お昼を1ヶ月好きなのをおごると言われなければ来なかった。
「明日香、待ったー?」
10分くらい携帯を見て待つと肩をぽんと叩かれた。
友達の愛莉の満面の笑顔が目の前にある。
「ううん、そんなに待ってない。それにしても本当に行くの? 警備とか鳴っちゃうかもよ?」
「言ったじゃん。その鏡を見に行く時には大丈夫なんだって。もし鳴っちゃったら私が当直の先生に土下座で謝るから」
愛莉の土下座………そんなもので先生は許してくれるのかな。
私は行こう行こうとうるさい愛莉に手を引かれて薄暗い校舎に入っていった。
ガチャン………
愛莉が勝手にコピーした一階の廊下へ続くドアの鍵が開く。
得意げな顔で愛莉が振り返った。
「ね、大丈夫でしょ?」
「や、だめでしょ」
ひそひそ声が夜の校舎に響いた。
土足で学校に入るのも、夜の校舎に入るのも何もかもが不安でしかない。
非常灯と月だけしか灯りが無い。
「暗いから携帯の灯り付けよっか」
愛莉が平気な顔で携帯の電灯をつける。
意外に明るくてほっとした。
「早く行って終わらせようよ」
自分も携帯の電灯をつけた。
二人分の明るい電灯が廊下を照らす。
だけど、廊下はまだ結構暗くて怖かった。
あの曲がり角から何か出てくるかも。
愛莉の手をそっと握ると、笑ってぎゅっと握り返してくれる。
「そうね、私がピアニストになった将来を見て、それで終わりっと。寿命が短くなるぐらい軽い軽い」
「私はそんな力借りなくても愛莉はピアニストになれると思うけどね」
愛莉のピアノはすごい。私になんかまるでよく分からない難しい曲を弾きこなしてる。
この前の地区のコンクールでも2位だったし。
そんな愛莉の友達でとっても嬉しかった。
廊下に私たちの土足の足音だけがカツカツと響いている。
3階の音楽室の前を目指して階段を上がった。
「甘い甘い。クラシックのピアニストなんて地区のコンクールで2位なんかじゃとても」
愛莉が謙遜をしている。
そんなもの………なんだろうか。
やがて、3階の踊り場と目的の鏡が見えてきた。
全身が見える何の変わったところもない鏡は夜に見ると違って見える。
古ぼけた感じがなんとも怖い。
愛莉は自分を映して平気そうに笑っている。
私は怖くて映らないように鏡の真横に立った。
「怖くないの?」
愛莉に聞くと、
「んー? 怖いから明日香に着いてきてもらったんでしょ? 感謝してる」
首を傾げながら小さいナイフを取り出した。
「私は世界的なピアニストになりたいの。でも、努力だけじゃ足りない事ってある。だからこういうのでも試してみたい」
愛莉はそう喋りながら、左腕横辺りをほんの1センチ位小さく切った。
うっすらと血がにじむ。
「えっと、体のどこかを傷つけたらその傷跡をあてながら、『どうか私の人生を占ってください』って言うのね」
そう言って、愛莉はためらいもなく傷跡を押し付けながらおまじないを唱えた。
愛莉が姿勢よく全身が映るように鏡の前に立った。
「怖い」
私がそう呟いても愛莉はにっこり笑う。
鏡の全体が急に白く濁った。
「ひっ」
私が悲鳴をあげても愛莉はにこにこ笑っている。
この子の精神構造どうなっているんだろう。
じっと見守っていると、濁りが晴れた後にまた愛莉が映った。
今着ているのとは違う私服を着ている。
生まれて初めて目にする超常現象に足が震えて手が冷たくなった。
「わぁ、映った映った」
愛莉は呑気な声を上げて鏡を見続けている。
ふとすごい勢いで
様々な服を着た愛莉、
制服を着た愛莉
違う髪型をした愛莉、
色々な表情をした愛莉がめぐるましく切り替わっていった。
テレビのチャンネルを変えるみたいに、動画を早送りしているみたいに変わっていく。
「えっ、消えた。愛莉が消えた」
見ていると、突然愛莉の姿が消えた。
30秒くらい、ふと消えて階段の踊り場を映した。
そしてまた、愛莉が映されたけど目が怖かった。
いつもの愛莉の顔なのに目だけがやけにお年寄りのように遠い目線をしていた。
「どういう事?」
鏡から目を離さないまま愛莉が呟く。
「わかんないよ」
そのまま愛莉はすごい勢いで大人になっていく。
そして、多分20代中盤か30代前半位でピアノの前で演奏する愛莉が現れた。
遠い目線をしながら何かを一心不乱に演奏している。
まばゆいスポットライトを浴びて愛莉がピアノを弾いていた。
「聞こえる。私のピアノの音。これが私の音!」
愛莉が興奮したように叫んだ。
愛莉には自分が演奏している音が聞こえているみたいだった。
とりつかれているみたいで怖かった。
演奏を終えて観衆に向かってなのかお辞儀する愛莉が笑った。
その笑顔はとてもじゃないけど今の愛莉の笑顔とは似ても似つかない。
遠い目をしながら口だけが笑っていた。
ニタリ………
と薄気味悪く笑っていたのだった。
その後、鏡の早送りは続き、植物の定点観測みたいに徐々に愛莉が年をとっていった。
鏡の中の愛莉はほとんどピアノと一緒で、こちらの愛莉にはその音が聞こえているようで、
「これなら私はピアニストになれるわ」
とか、
「早く帰ってピアノの練習しなくちゃ」
とかぶつぶつ呟いている。
その内に愛莉はとんでもなくしわくちゃになり、どこにでもいるようなお年寄りになる。
そして、最後はグランドピアノと炎に包まれて消えた。
「うそ! これって最後どういう事?! 愛莉がピアノと一緒に燃えた」
私はびっくりして愛莉を見ると、私の方を見た愛莉はニタニタと笑っていた。
まるで、鏡の中で見た愛莉のようで私は怖くて後ずさる。
「なに、愛莉どうしたの?」
「どうもしないよ。私は世界的なピアニストになる将来を手に入れたの。嬉しいのよ」
「そう、そうなの………」
いつもの可愛く無邪気に笑う愛莉ではない。
目の前に何か得体のしれないものがいた。
私は怖くなって更に後ずさる。
「愛莉よね?」
「そうよ。なに言ってるの。さ、帰ろう。手を繋ごうよ」
「いや、私一人で歩けるから」
私が後ずさると、その分愛莉が距離を詰めてくる。
ニタニタと笑いながら、きっと私もおかしくなっちゃう。
私は怖くて更に後ずさる。
「明日香、あんまり下がると………危ないっ!」
愛莉が笑うのをやめて焦った表情で手を伸ばしてくる。
「あっ………愛莉っ」
気づくと踊り場の床がなく、登ってきた階段を後ろ向きに滑り落ちる。
慌てて愛莉の方に手を伸ばすけど、それは届かなかった。
「あれ………」
ふと目を覚ますと、朝だった。
階段から落ちたはずなのに自分の部屋のベッドの上だ。
見るとパジャマを着ていた。
目覚ましが鳴る直前だったので消した。
辺りを見回すと本当に何もなかったように自分の部屋だった。
気になって慌てて制服に着替えて朝ごはんを食べ、学校に向かう。
………いつもの風景だった。
徐々に皆が登校してきている。
「夢だった………?」
自分の席について思わず呟く。
同級生たちもいつも通りだった。
「おっはよー、明日香。何が? 夢見悪かったの?」
「あ、愛莉。おはよう。ねぇ、何ともない?」
いつもの無邪気ににこにこ笑っている愛莉がそこに居た。
私が首を傾げると愛莉も首を傾げる。
「うん? 何ともないよ?」
「そう、良かった」
「あ、ねえ聞いてよ。今日の朝ピアノ弾いたらね。すっごく良かったんだ。私、天才じゃないの?ってくらい指動くし、
すらすら楽譜も解釈できるし。これは次のコンクールばっちり!」
ピアノの話題にびっくりしてまじまじと愛莉を見るけれど無邪気な様子は変わったところがない。
私は自分を納得させるように大きく頷いた。
「そうなんだ。次の愛莉のコンクール見に行くの楽しみ!」
「期待しててね」
「うん!」
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これで、この話は終わりだよ。
楽しかったでしょ? 優子。
この前、愛莉先輩は地区ピアノコンクールで1位になったんだって。
そうそう、校舎に垂れ幕かかってたね。
今のところ、愛莉先輩は消えないしおかしな所もないって明日香先輩言ってたんだ。
まあ、夢かもしれないけど。
「何だか怖いね。これから何か起こるかもしれないし」
大丈夫でしょ。
なんて言ったって愛莉先輩コンクールで1位だよ。
おばあちゃんになってからの寿命だって3年くらいなら余裕でしょ。
あ、鏡はね。昔卒業した占い師の先輩が寄贈したって噂だよ。
でね、優子にお願いがあるの。
「なに、まさか」
えへへ、そのまさかなんだけど。
私誰にも言ってなかったけど小説家になりたいの。
楽しい話とか怖い話とかお話書いて、皆を楽しませるのが夢なんだ。
ね、一生のお願い。
早送りの鏡までついてきてくれる?
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早送りの話をした後に、友達の圭子はそう言って私に手を合わせた。
私を見て、どこか遠くを見るような目線で、
ニタリ………
と笑った。
おわり