5-2:赤い夢
【5-2:赤い夢】
その日は、昨晩の予想に違わず朝から良く晴れていて、雲一つ無い青空が広がっていた。
ライオネルは牧場の隅で、長い髪を風にそよがせながら作業をする。なだらかな斜面の頂上であるこの場所は、森を背に村を一望できる、彼の両親のお気に入りの場所だった。せっせと雑草をむしり、大きめの岩を置いただけの二つの簡素な塚に花を添える。
「ふぅ……。今の季節はすぐ草に埋もれるな。もっと頻繁に見に来るか」
額の汗を拭い、ようやく綺麗にした塚――両親の墓周りを見て、満足げに頷くとその前に座る。腰の道具袋から取り出した物を見せるように、墓に右手を伸ばした。
「……昨日、買い出しに行った時に、これを受け取って来たんだ」
広げた掌に乗せているのは、二対のピアス。一対は金色の環状のもので、もう一対は銀色である以外は同じものだ。フィアナ王国では婚姻の証とされている。
「春先に、次の収穫祭で結婚式するから急げって言われてさ。間に合って良かったよ。……父さん達のピアスも持っておくから、ちゃんと見ていてくれよ」
牧場以外に残された両親の形見は、それぞれのピアスの片方ずつで、着けはしないものの肌身離さず持っている。そうすれば、いつでも見守ってくれるような気がするからだ。
今は亡き両親への報告を、誰も聞いていないと分かっていても、ライオネルは欠かすことは無い。死者を忘れ、二度目の死を迎えさせることが恐ろしいのだ。そのために、傍から見れば滑稽な行動だろうが、彼はいたって真面目に両親と「話す」ことを止めないのだった。
「北の方では戦争が酷くなっているらしい。この辺りもいつか巻き込まれるだろうって、皆が心配してた」
独り言でしかない話の内容は、麓の村で耳にした噂に移る。フィアナ王国は魔王率いる魔物の軍勢と戦争状態にある。二年前に始まった戦いは大陸北部から起こり、二つの国とフィアナ王国の多数の都市を破壊しながら、王都へと迫っていると言う。レント村は王都よりも南にあるため未だ影響は少ない。しかしこの平和も長くはもたないだろうことは、魔王軍の進撃状況を鑑みれば想像に難くない。
「村を離れるのは嫌だな。……外は、怖い」
ぽつりと零される本音は、本人以外の耳に入ることなく空気に溶けて消えた。麓の村より外の世界はライオネルの未知の領域だが、そこへ行きたいという願望は無い。この狭い世界に居るからこそ守られている。それは予感めいた確信だった。
ふと自身を呼ぶ声が聞こえて、後ろを振り向く。見ればアンヌが丘を駆け上がって来るところだった。
「ライ、村長さんから伝言だよ」
「……よくここに居るって分かったな」
「買い出しの次の日は、ライは絶対ここに来るもの。気づいてないと思った?」
少なくともアンヌ以外の者は知らない。ライオネルがどこに居ようと、彼女はなぜか必ず見つけ出すので、こうして何かある時は大概彼女に通されるのだ。
「それで、伝言は?」
「『今度狩りに行く時に、野兎を仕留めて来てほしい』だって」
どうやらわざわざアンヌに頼んで伝えてもらうほど、村長は野兎が食べたいらしい。安穏とした頼みに、思わず笑みが零れる。
「腕が鳴るな」
「期待してるよ、狩人さん。じゃあ、私はお使いがあるから」
今はまだ平和だと、先ほどまでの不安を頭から振り払う。手を振りながら走り去るアンヌを見送り、自身も坂を下りて普段の仕事に戻る頃には、その表情に翳りなど見出せなくなっていた。
少なくともその時までは、変わらぬ日常が続いていた。
放している家畜たちの様子を見つつ、次の狩りのために弓を手入れしていた時だった。それまで何事も無かったというのに、大人しく草を食んでいた家畜たちが突然騒ぎ始める。それと同時に陽射しが遮られ、辺りが夜のように暗くなってゆく。急激な変化を不審に思って空を見上げれば、快晴だった空は一面赤黒い雲に覆われていた。
「何だ? 黒い雨……?」
言い知れぬ不安に弓を握り締め、雲間から落ちて来る黒い何かに目を凝らす。急速に地上へと近づいて来る影は、一つや二つではない。それらに統一感は無く、翼が生えたものや、大きなものから小さいものまで、無節操に山へ村へと降り注いだ。
「――――魔物!?」
目を疑う光景に、呆然と立ち尽くす。恐怖に嘶く家畜たちの鳴き声も、耳障りな魔物の咆哮も、腹の底に響く破壊音も、どこか遠くから聞こえてくるようだった。視界全体に広がる赤と黒に、煙の白と炎の橙が混ざり始め、ようやく思考が戻ってきた。
乱暴に矢筒を拾い上げ、指笛を鋭く鳴らす。甲高い音を聞きつけ、この状況にも関わらず愛馬はライオネルのもとへ駆けて来た。
「デュース、行くぞ!」
飛び乗るように跨り、全力で走らせる。そうして火の海に沈む村の中へと飛び込んだ。
―――――――――
絵に描いたような地獄絵図。地面に転がる黒いものは、焼け落ちた建物の一部なのか、魔物の死体なのか、それとも。その正体を確認しようなどとは思わなかった。動かないものには脇目も振らず、一軒の家を目指す。
襲い掛かる魔物をデュースは上手く避け、時に蹴散らし、主人が何もせずとも望む所へと進む。ライオネルに周りを見る余裕など無かった。倒壊した家の前で倒れていた少女に、魔物が鋭い爪を振りかぶった時も、無意識に弓を構えていた。
「アンヌ――――!」
矢は狙い違わず魔物の喉元を貫く。完全に仕留めたかどうかなどよりも、アンヌの安否の方が気がかりで、デュースから降りるやいなや抱き起した。
「大丈夫か、怪我は!?」
「私は、転んだぐらいで……。それより、みんなが。お父さん達がいないの」
ライオネルに縋りついて、アンヌは姿の見えない家族を心配する。彼女が異変に気づいて戻った時には、既に家は火に包まれていた。外へ逃げようとする人々の中にも、勿論見つからない方が良いが、道に転がる屍の中にもいない。
「どうしよう。まだ中に居るのかもしれない。みんな家に居たはずなのに、どこにも見当たらないの!」
もはや元の面影など無い瓦礫の山からは、未だに火が出ている。
(この中に、居るとしたら、逃げてないなら……もう――)
手が震えているのが分かる。失われただろう人達の顔が思い浮かび、目を閉じて必死にその像を振り払う。俯いたライオネルに、アンヌも一層瞳を濡らし、家だった場所へ手を伸ばした。
愛馬の嘶きにライオネルは振り返る。デュースがちょうど近づいて来た魔物を足蹴にし、他を警戒するように鼻を鳴らしていた。魔物たちは徘徊しながら生き残りを探している。このまま留まり続ければ、魔物の餌食になるのは時間の問題だ。意を決してアンヌを抱え上げ、デュースに乗った。
「――行こう。しっかり掴まって」
「っ、待って。待って、ライ! ……嫌、放して! みんなを捜さないと……!」
「デュース!」
嫌がる彼女を全力で押さえつけ、悲鳴のような訴えは聞かないふりをした。今ここで躊躇えば、確実に逃げられなくなる。間に合わない救助よりも、彼女を守ることを優先してほしいはずだと、亡き「家族」の想いを戻りたい衝動から目を逸らす言い訳にした。
道の端で呻き声が聞こえたような気がした。瓦礫に埋もれた赤い何かが動いたような気がした。だが全て気のせいなのだと言い聞かせて、ただ村から離れることだけを考える。そうしなければ、気が狂いそうだった。
どれほどの時間が経ったか。ずっと辺りの暗さは変わらず、空も見えない森の中で、時間の感覚はとうに失われていた。疲れ切った二人と一頭は樹の根と洞で出来た小さな空間に身を隠し、夜明けを待つ。
気絶するように眠ってしまったアンヌに対し、ライオネルは僅かな物音すらも聞き逃さないように神経を尖らせる。魔物の目を逃れるために山道を外れ、木々の生い茂る方へと進んだが、あれほど大量に降って来たせいか、普段より遥かに魔物との遭遇率が高かった。矢を射かけて何とか倒しているが、限界は近い。
茂みを掻き分けるような、ガサガサという音が近づいて来る。矢を番え、慎重に狙いを定めながら、息を殺してその時を待つ。
(この矢が最後の一本だ)
次は無い。それでも諦めるのはまだ早いと、弓を引き絞る。死への恐怖と、守らねばならないひとの存在を思うと、張り詰めた弦が震えてしまう。
そして現れた、
「にん、げん……?」
「! 何てこった、生存者だ! ……おい、二名発見だ! 治癒師をこっちに寄越してくれ!」
武装した男が、ライオネルたちを見つけて叫ぶ。その言葉の内容を理解するよりも早く、身体から力が抜けた。男の大丈夫かという問いに、答えたかどうか分からぬまま、ライオネルも意識を手放す。
閉じた瞼の裏に広がるのは赤と黒。目覚めた時には全て元通りであってくれと願う。全ては赤い夢だったのだと、信じたかった。
その日、レント村含むアルテナ地方一帯を覆った赤黒い雲は、魔王軍によるフィアナ王国への初めての空襲として記録される。押し寄せた魔物の大群で、守りの薄かったアルテナ地方は瞬く間に焦土と化し、遅れて駆けつけた義勇軍が発見した生存者は、数えるほどしかいなかったと言う。
その僅かな生存者の中に、北のスヴェーリエ王国によく見られる、白銀の髪をした若者が居た。先に滅亡した国の生き残りと思わしき存在が、遠く離れた地まで逃げ延びていたという推測は、人々に微かな希望を抱かせる。人類の存続は絶望的とされていた中で起きた「奇跡」を、疑う者はまずいなかった。
【Die fantastische Geschichte 5-2 Ende】