交差点
ストーリーは皆無。情景の描写のみ。
通勤途中で信号に引っかかった。
朝のリズムに水を注され、つい舌打ちをしてしまう。
これが大通りを渡るための信号だったら我慢する。いくら急いでいようとも、朝の混雑に身を投げる勇気はない。僕はそこまで短気じゃない。
それでもここの交差点で足止めを食うのは気に入らない。
なにせ、新しい道路の新しい信号なのだから。
この道が出来たのは10年前。それでも新しいと呼ぶのは、生まれる前からある道路以外は全部新しい道路、と主張する田舎ものの性だろう。舗装工事なら珍しいものではないが、何もなかったところに太い道路が通ることは滅多にない。滅多にない事なのだから、10年前を新しい呼ばわりするのはおかしいことじゃないと思ってる。
行政が気を入れて作ったらしく、ちゃんと中央線が引かれていて車道と歩道の境目にはきちんと縁石が並べてある。さらには街路樹が延々と植えられていた。
普通の街路樹とはちょと違う。
この町と姉妹都市として交流しているイタリアのある地方都市から送られた木なのだ。
現在は双方でどのような交流をもっているのか知らないが、10年前は開通した道路にお祝いを贈る程度の関係があったようだ。
夏の盛りになると輝かんばかりの緑色をまとい、暑い風を受けて葉を揺らす様は地中海を思い起こさせる。
あくまで、木だけを見れば、である。
木々の背景にあるのは白亜の町並みではなく、エメラルドグリーンの海でもなく、極普通の日本家屋。その反対側は畑である。まことにかっこがつかない。
地中海に吹く風は虚空へ消え去り、極々ありふれた街路樹に成り果ててしまう。
さらに、やはり日本とイタリアでは環境が違うため、毎年極端に刈り込まないと枝が伸びすぎて周囲の迷惑になる。どれほど極端に切るかと言うと、枝葉を全部落とす。街路樹と知らなければ、太い棒が立っているようにしか見えなくなる。
そんな街路樹も、五年前までは警察の役に立っていた。
彼らはパトカーに乗って木陰に隠れ、違反者を取り締まっていた。
五年前までは、信号がなく一時停止の標識があるだけだったのだ。さらにその三年前は一時停止すらなかった。
警察からすれば、面白いように違反者が捕まったことだろう。
月に一度は「ちゃんと止まったじゃねーか!」と威勢の良い声を聞いたものだ。
信号が青になった。
横断歩道を渡る僕に、反対側から自転車で渡ってきた中学生達が「おはようございます」とあいさつをしてくれた。それに「おはよう」と返す。
元気よくあいさつしてくれたのは嬉しいが、信号で足止めを食った不快さを晴らすには至らない。
だって、赤信号で止まっている間、一台も車が横切らなかったのだから。
3日目にして『執筆中小説』機能を使えるようになった!